まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

旅のネタ13

2007-01-31 20:39:04 | 旅行
まだ、続きます。あきてきたかな?(ペコリ)書くほうはもっと大変!




しおらしくなった母親と、ゴッホを見ていたら、同行の奥さんが、
「私はゴッホを見れば満足ですから、また、ベンチで座って休んでいます。」
と、おっしゃって、
「そうですか。それでは。」
と軽く返事をして、最後のルノワールの所へ母と二人で行きました。

オルセー美術館は相当広く、順路を飛ばせなくて、ルノワールの所に行くには相当時間がかかりました。建物事態が迷路みたいな構造になっていて、ゴッホとルノワールは最上階にありました。多分、盗難対策だと思うのですが。

ルノワールを見ていて、
(やっとここまで来て、本当にルノワールが見れた。ここまで来るのに、いろんな事があったのに、また見る事ができた。)
涙がこぼれ落ちそうになりました。そうです。私は、小学校2年生の時に一度美術館に母に連れて行ってもらった事がありました。福岡市美術館です。はっきりと憶えています。昼食の内容まで。

小学校2年生の時、母は、集金や資金繰りに追われ、銀行に行ったり事務をして徹夜したりしていました。借金ばかりで忙しい父親の仕事の合間に家事をし子供を育ててくれたのです。小さい私は、銀行や集金によくついていっていました。
ある日、銀行で母親を待っていると、一つのポスターが銀行に張ってありました。私は、
「お母さん、これ何?」
「これは、絵のポスターよ。今度、展覧会があるみたいね。」
と優しく言いました。その後、母親は窓口に呼ばれて私だけが、そこにいたのですが、
私は、その素晴らしさに目を奪われてずーっと見つめていました。数分たったでしょうか、母親が戻って来て、
「まだ、見よったとね?何ね見に行きたいとね。」
私は、
「いや、行かんでも良かばってんが、何でこえん綺麗かとかいな?どえんやったらこんな綺麗な絵が描けるとかいな?」
と答えていました。
私は、あまりにもずっーと見とれていたので、家に帰ってからも、学校に行ってもその事を話していました。すると、数日後、母親が、
「今度、みんなで展覧会に行くけんね!」
と元気な声で兄弟4人に言いました。
母親は、子供の為に、展覧会に行く決心をしたのでした。
その当時、うちの家計は逼迫し決して裕福ではありませんでした。
だけど、絵などを見る事は大事な事だろうと、少ない家計の中からやりくりしてくれたのです。(いつも、そうでした。私にギターを弾く事に反対しなかったのも・・・)

その、ポスターの絵がルノワールの少女の絵だったのです。
                     ・・・・・つづく

ごめんなさい。編集ミスです。8-1

2007-01-30 22:37:16 | ノンジャンル
編集をミスしてしまいました。すみません。旅のネタ8と9の間の話が、飛んでいました。同行のご婦人が、なぜ、私たち親子と一緒にオルセー美術館についてきたのか?わかりませんよね!一つ話が飛んでいました。8と9の間に読んでください。(ペコリ)

                       それでは、どうぞ!
職業的意識について、私の意見としては、やはり、プライベートであっても、職業的意識は働くものですね、たとえ、それが外国でパリであろうが、関西国際空港であろうが、私は、ラグビーをずーっとやっていましたので、メディカルサポーターというラグビーの緊急処置の資格を持っていました。今は、チームにも所属していませんし、更新していないので消滅しているのでしょうが・・・・・・続きです。

よくよく、考えてみると、医療関係の看護師さんが二人もおられたのですから、私みたいなものが、老体育教師の面倒を見なくてもいいのです。ですが、皆さん自分の事に精一杯やったのね。
関西空港では、母親が死んだ父親の事を思い出し、その老体育教師の元に駆けつけた事から、私達の旅は、違った方向へ進んでしまったのです。

三日目の予定は、二人でオルセー美術館に行く事です。その日の朝食の時に、福岡から一人で来ているご婦人が、

「私、自由時間の予定が無いんです。ご一緒させて頂けないでしょうか?」

と、いきなり尋ねられました。私は、
(また面倒を見なければいけない人が一人増えるのかー?)
と、思いつつ、
「私達は、オルセー美術館にしかいきませんよ。」
と答えると、
「私は、オルセー美術館に行きたかったんですよ!」
弾んだ声で答えられました。私は、女の人を、一人でパリに放りだすのも可愛そうだなと思い、
「それでは、一緒に行きましょうか?」
「ありがとうございます。」
母は、同年代の女性が一人増えて嬉しそうでした。

後から聞いた話では、この女性は、自由行動で南仏の方に行くという唐津の女性看護師に断られてやむなく、私達と一緒に行くのを思い立ったらしいのです。
(オイオイ、ウソついてまで、同行しなくても・・・)
ま、とりあえず一人増えただけで、どうにかなるだろうと三人で出かける事にしました。

タクシーに乗り込み、
「ミュゼド、オルセー、シュルブプレ。」
と、覚えたての簡単なフランス語で運ちゃんに言い、出発しました。
タクシーの中で、母は、
「あんた、いつ、フランス語ば覚えたとな?」
「もう、良かろうもん。」・・・(母ちゃんが、ゴリゴリいびきばかきよった時たいっ!)
とは、言えずに(笑)軽くあしらい。

オルセー美術館に着きました。なぜかタクシーは川沿いの正面入り口につけずに、裏口のへんぴな所に着けました。運転手は、10時の開館なのに早すぎるので、こちらに着けたみたいな事を言いました。(ニュアンスでね。)

チップを渡し、タクシーから降りて数歩、歩くと、年老いた婦人が私たちに、早口で話しかけて来ました。おーっと、これは、何や!何かこまっとるのかな?と、聞いていると、何故か、このお婆ちゃんは、

「ここは、進入禁止で罰金を私に払え!」

と、しつこく言っているみたいでした。私達は、

(何で、あんたに払わなぁーいかんと?警官でも警備員でもないのに。)

と、どうしていいのか解らずに呆然としていると、

川沿いのベンチで読書をしていた、中国人らしく、留学生らしき女性の方が騒動を聞きつけて、さっそうと現れて、早口で、大きな声で怒鳴りつけ、

「あっちへ行きなさい!本当の警察を呼ぶわよ!」

みたいな事を言いました。
すると、老婆は、なにかの捨てゼリフを吐き、すごすごと立ち去りました。
追い払ってくれた、女性(28歳くらい)の方は、何も言わずに歩いていかれました。
私は、

「メルシー!」

と言いました。聞こえたかどうかは、解らないけれど。

私は、外国に行くと、不思議な事に、いつも良心的な方に助けられます。前に行ったオーストラリアでも、この旅行の一年後に行くアメリカでも助けられました。何故だか解りません。不思議な旅の経験の一つです。(不思議な経験が、もう一つあります。)

母と、同行のご婦人は、あっけに取られて、何が起きていたのかも解っていませんでした。
母は、
「まこと、何やったとな?」
と、天然ボケを、またもやぶちかましてくれました。(あんたは、少しは危機的状況やヤバいなこれは、とか思わんとな?9・11の起こったばっかりって言うとい。)
私は、

「もういいけん、母ちゃん、まだ開館には30分くらい早いごたぁけん、川沿いを散歩でもしよう。俺は外国の橋ば見たいけん。」
(ここで、私の職業的意識が働くのですね。)
と、少し落ち着きを取り戻し、私は、

「この川も、確かセーヌ川よね?」

と、尋ね、母は

「そうやないかいな。」

と軽く答えました。
私たち3人は、朝のすがすがしいパリの川沿いを散歩としゃれこみました。
・ ・・・・つづく


旅のネタ12

2007-01-30 19:45:59 | 旅行
オルセー美術館の続き。


さすがに、足がキツイと言い出した年老いた母親にキツイ言葉はいえませんでしたが、
「大丈夫ね?」
母は、
「うん、大丈夫ばい。」
「あんたが、行きたい所はどこね?何ば見たいとね?」
(また、質問な?本当に足が痛いと?)(人がおる所で聞かんでも・・・)
と、思いつつも、
「うん、ちょっと。」
誤魔化しながら言いました。そうすると、同行の奥さんがすかさずに提案。
「じゃ、まことさんの見たいのを、それだけ見たら出ましょうか?」
(いや、あなたは、フリーのツアーをリードしなくても・・・)
「ちょっと、すみませんけど、もう少し見たいので。」
と、またまた誤魔化して、また鑑賞することにしました。

ロートレックの所に来て、離れている母親に、
「ちょっと来てんない。これば見てんない。」
母は、
「何な?これは、汚かねー。看板なこれ?」
と母は言い。
私は、
「これは、ロートレックって言うとばい。」
「ムーランルージュの看板ば書きよんしゃったとよ。」「貴族の出身ばってん、子供の頃、乗馬の事故で両足ば骨折して、足が極端に短かったったいね。絵が上手かったけん、家族の反対ば押し切って絵を書きんしゃったらしいよ。」
と。
母は、
「フーン。」
まるで、気にもかからないみたいで、
私、
「親父のごたぁろうが?」
母、
「あっ!・・・・・。」
と思い出しました。

私の父親は、若い頃、絵が好きで絵が書きたいと、家を飛び出し看板屋に住み込みで勤めながら絵を描いていたらしいのです。父親の絵は相当上手かったらしく(自分で言ってただけなので)ロートレックを見て母親は思い出しました。私の記憶の中では、小さい頃、仕事の合間に、私と兄を海岸に連れて行き、あっという間に海に浮かぶ小島を描き上げた事(見事な絵でした。)
と、小学校1年生の時、母が、ブックカバーを作ってくれたのですが、真っ白の生地で作ったので、学校で「おしめみたいやん。」と皆に馬鹿にされて、家に帰ってから、泣いていたのを父親が、墨汁で凄いスピードで風景を書いてくれた事です。が、私は、
「こんな、黒くて気色の悪い絵は嫌やん。さっきの方がまだマシやん。」
と、言って泣き止まずにいたら、兄がその日本画みたいな絵が描かれてあるブックカバーを、
「俺の学級にはそんが事ば言うヤツはいないから、俺がそれば持って行くけん。俺の白いカバーば持って行け。」
と言って泣いている私をなだめて、私が兄の白いブックカバーを、兄貴が絵が入ったブックカバーを使う事になりました。(有難う兄貴。忘れてないよ。)
翌日、兄はその事でバカにされる事もなく、私もバカにされても「どえんもない。」と開き直り、実際はバカにされる事はなかったので。
ただ、あの墨汁の風景画は、かなりのものであったのではないのか?
本当に父親は、絵が上手かったのではないのか?
と、この年齢になって感じることです。そうすると、私は子供ながらも、父親に
「そんな絵は大嫌いやん。」
と駄々をこね、父親を困らせてしまっていたのです。(ごめんね。オヤジ)(懺悔)

と、そんな昔の事を思い出しながら、しみじみとロートレックを見ていました。
                             ・・・・・つづく


旅のネタ11

2007-01-29 21:18:54 | 旅行
旅は、オルセー美術館での午後から!




食事を取り終えて、ワインでほろ酔い気味の私でありましたが、午後からも、絵画を鑑賞します。午後からは、ミレー、ゴッホ、ロートレック、そして、旅の目的である私が大好きなルノワールに移ります。ミューシャ、エゴン・シーレなんかも見ました。

母親は、早く見おわって、他の観光をしたいみたいでしたけれど、まるっきり聞きませんでした。一緒に観光している奥さんもしまいには、
「そろそろ、別の場所に行きたい。」
とおねだりする始末。
(最初から、オルセー美術館にしか行きませんよ。)
と、言っていたのに。・・・・・トホホホ

それでも、
「ルノワールを見るまでは、絶対に別の場所には行かない。」
と言うと、お二人は駄々をこねる子供のように不機嫌になり、すねてしまいました。
(オイオイ、ルーブルでも険悪になり、またもや、オルセーでもか!)
しかも、同行させてくれと御願いしたご婦人と、藤波&猪木みたいな最強タッグを組んで、
鑑賞している私の横で、ブツブツと、
「もう、絵はよかごたぁ。早く回ろう。」
と言い出す始末。あげくの果ては、
「ほら、○○さん(同行している奥さん)にも、悪かろうが、ね、まこと早く出よう。」
と、そこで私は、
「絶対、ルノワールを見るまでは、ここを出ないよ。」
「出るんだったら、二人で出て。俺はまだ見たいのがあるから。」
と頑固に対応しました。そうすると、母親は寂しそうに、
「そうね・・・。」
と言い、黙ってしまいました。ちょっと可愛そうでしたが、いつもここで優しくすると、付け上がって飛んでもない事をしだすのは解っていましたから、黙って離れて鑑賞をしていました。後ろを振り向いていると、何やら、ヒソヒソと話していました。
(この厳戒態勢の中、老女二人で出て行く事は無いだろうが、はて?)
すると、ご婦人が、
「お母さんが、歩くのが早いから、足がキツイと言ってますよ。」
「あっそうですか、すみません。気付かなくて。」
「じゃ、ちょっとベンチで休みましょう。」
(早く回れって言ってなかったー?)
とは、考えつつも優しい一面も持ち合わせている私としては、
「ごめんごめん、絵に夢中で気がつかなかったよ。」
母は、
「ごめんやったね。階段の多かけん。」
しおらしく謝りました。(パリで初めて。)        ・・・・・つづく

旅のネタ10

2007-01-28 22:10:24 | 旅行
オルセー美術館の続きです。


ショッキングなエロスの展示コーナーを抜けて、
私たちは、つぎつぎと有名絵画を見て行きました。モネ、ドガ、マネ等の私が好きな絵画を見ていると、いろんな事を忘れられる気がしました。これらの絵画の説明を母親にしていると母親もふんふんと、うなずきながら絵画を満喫しているようでした。マネの「鼓笛隊の少年。」を見ながら、
「ほら、母ちゃん。このズボンのところは、浮世絵の影響を受けて、黒く縁取りをいれてあるんだよ。従来のヨーロッパ絵画では、輪郭の部分に黒く縁取りをいれるのは、いけない事で、この絵は、黒く縁取りを入れたいが為に、モチーフを鼓笛隊の少年にしたのではないか?という説もあるくらいだよ。」
「この娼婦の絵の後ろには、お相撲さんの浮世絵がかけてあるやろう。これも浮世絵をかいてあるんだよ。」
「日本の浮世絵に影響されて描かれているんだよ。」
スーラの絵を見ながら、
「これは、全部点描で描かれてあって光を点でとらえてあるんだよ。」
私は、いろいろと絵画の知識を話しながら鑑賞していると、あっという間にお昼になりました。私は、お昼はオルセー美術館で食べると決めていたのでレストランを探すことにしました。(広いんだよねー。オルセー美術館は、相当探しました。)

私には、世界中を一人で旅して回った友人がいるのですが、その友人が、
「パリに行ったら必ずオルセー美術館に行って、そこで、食事をしてみて。」
と、言ってたので迷わずにレストランに入りました。
当時、ヨーロッパで狂牛病が猛威を振るっていた頃なので、ツアーの食事に牛肉は一切無かったのです。ツアコンの説明では、
「ヨーロッパのレストランでは、今、どこも牛肉を扱っていません。」
と言うような説明をされていました。が、私は、会社に責任が発生しないように食事に出してないだけで、レストランには必ずあるはずであると思っていました。

まぁ、テロと狂牛病でツアーの会社も、旅客の安全を第一に考えると、料理に牛肉はだせないだろうし、
「夜は、出歩かないでください。」
というのは、すごく当然であるのであろうが、私は、どうしても美味しい牛肉が食べたかったので、ステーキと赤のハーフサイズのテーブルワインを注文することにしました。メニューには、多くの観光客が訪れるので、ちゃんと日本語でも書かれていました。注文しやすかった。母たちは、バイキング料理を注文して、3、4のお皿にいろいろと料理を取り分けて満足そうでした。
私のステーキは、イタリア風で、オリーブオイルで焼いてありました。大変美味しかった。赤ワインもさすがに美味しかった。私たち母子は、オルセー美術館で、ここは、パリであると感じられる昼食を満喫したのでした。
                         ・・・・・つづく