まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは!28

2008-06-30 14:52:43 | 音楽
公園にて。


夜の11時を過ぎたくらいでしょうか?タ○さんと私は、綺麗な星空の輝く12月の夜に、缶コーヒーを飲みながら、福岡のバンドシーンの事を話していました。白い息を吐いて・・・

「そろそろ、帰らんといかんね。」

タ○さんが、切り出しました。

「そうやね、帰ろうか?」

と私、
私は、思いついたように、

「ARBの『W』は車に乗せとう?」

タ○さん、

「もちろん!」

私、

「ユニオン・ロッカーが聞きたいったいね。」

タ○さん、

「おやすい御用。」

私たちは、帰りながら『ARB』の『W』を聞きながら帰りました。

ラララランランラララ、ランランラララ、ランランララララー!

朝から夜まで、働いてブルージーン穴だらけ、それでも満足にお前を喜ばす事もできないー

ユニオン・ロッカー!

「この歌詞は、俺のごたぁよ。」

と私、すると、タ○さんは、

「俺も似たようなもんや。」

二人で、笑いながら、

「そうやね。俺たちみたいやん。」

車はすぐに、私のアパートに着きました。

「いつ、福岡に帰るん?」

とタ○さん、私は、

「あさって。」

車を停めて、タ○さんは、

「ええかー、ヨ○ちゃん、死ぬんやないで、絶対!」
「手術が終わったら電話するんやで。」

私は、泣きそうになりました。たった数ヶ月、一緒に仕事をしただけなのに、こんなにも俺の体の事を心配してくれている。人の温かさを感じました。

「わかった。絶対連絡するけん。」

私は、それだけしか言えませんでした。

                          ・・・つづく


音楽とは!27

2008-06-27 11:00:08 | 音楽
食事会は、和やかなムードの中で行われました。私は、今まで生きてきて、自分の為に皆が集まってくれて、お酒を飲むと言うような事を開いてくれたことなんてなかったので、大変、うれしく思いました。


宮○君、タ○さん、フ○さん、若い同僚の人たち、尊敬する先輩の同僚の人たち、退社されていたものすごい先輩の事務員さんなんかが、集まってくれました。

手術をせねばならない私は、お酒を飲めませんでしたけれど、ウーロン茶でみなさんとお付き合いさせてもらいました。また、仕事の途中で福岡に引き上げねばならなかった事を、先輩方に、重重、お詫びしました。

2時間ばかりの談笑の後、タ○さんは、また、私を送ってくれました。

私は、

「タ○さん、すまんねー、俺を送っていく役で酒も飲めずに。」

タ○さん、

「ええよー、よ○ちゃん気にせんで。よ○ちゃんも飲んでないやん。」

タ○さんは、車の中にARBのアルバムを、すべてカセットに入れて持っていました。

私は、

「タケさん、ちょっとそこの公園の自販機のとこに停めてくれんね、送ってもらいようけん、ジョージアばおごるけん。」

タケさん、

「ええよー。」

車は、誰一人いない公園で停まりました。自販機でホットのジョージア・テイスティを買い、ふたりで話しながら飲みました。
タケさんは、

「俺、ARB。めちゃ好きやねん、いつも聞いとる。よ○ちゃん、福岡ってバンド多いやんかー?めんたいロック、何であんなに多いんか?」

「俺、中学でてから働きっぱなしやさけ、どこにも行った事ないねん。」

私、

「そうやねー、まず、ライブハウスが多いとよ。んで、バンドやろうって人が多いね。」
「他の県から、福岡に音楽しにきたりする人も多いよ。俺なんか、子供の頃からギターば弾くって言いよったら、友達の姉ちゃんが、サンハウスのライブのテープばくれた。」
「小学校5年か6年くらいやった、そのテープに『キングスネーク・ブルース』やら『レモン・ティー』やらはいっとって、ものすごく格好いいって思うたよ。」

タ○さん、

「小学生でかー!俺、小学生の時、そんなん興味なかったわー。俺は、中学ん時に不良になって、アナーキーやらARBやらモッズ聞いたんや。」
「福岡って、ライブハウスってそんなん多いん。」

私、

「うん、ロックだけやなくて、フォークの『昭和』とか、あと、jazz とかもあるけん。」
「モッズはね、まだ、デビューしたての頃、福大の七隈祭って学園祭で見たよ。タダやった。」

タ○さん、

「ほんまかー?ここでモッズ聞くには、大阪でていって、宿と電車賃払ってみらなあかん。」
「ええなー、福岡はー。」

私、

「俺も貧乏やったけん、あんまりコンサートとかには、行ってないばってんね。」
「ライブハウスも多いばってん、美味いラーメン屋も多いよ。」(笑)

タ○さん、

「はっはっはっ!」

                         ・・・・つづく


音楽とは!26

2008-06-26 14:39:41 | 音楽

担当の医師は、こう言いました。


「3ヵ月後の金○医大の専門の手術チームを待つか?福岡の病院ですぐに手術をしてもらうか?」

を選ぶように言われました。

私は、会社に相談し、福岡に帰る決意をしました。会社もすぐに、帰るようにしてくれました。
退院の手続きをし、入院費用を払い一人で帰り支度をし、お見舞いに来てくれた人たちにお見舞い返しをして、社長に挨拶をして、社長からは、すぐに帰るように言われました。

宮○君は、最後に会社を去るときに、こう言いました。

「よ○ちゃん、絶対に死ぬなや!絶対やで!」

私は、この若い同僚が、本当に私の事を思い、熱く語っていた事を忘れた事はありません。私は現場を途中で離れなければなりませんでした。これは、私の仕事では屈辱的な事です。他の同僚たちに迷惑をかける訳ですから・・・

同僚たちは、その事を、気にしながら去る私の為に、ささやかながらお別れの食事会を開いてくれました。

同僚の竹○君が、僕を向かえに来てくれました。車の中で竹○君は、

「俺、ARBの大ファンなんよ!よ○ちゃん、博多から来たんやろ?博多のロックは聞きよったか?」

私、

「うん、よー聞きよったばい。実はバンドとかしよったよ。誰にも言ってないけどね。」

竹○君、

「えーっ!そうなんかー?知らんかったー。で、何を弾いとったん?」

私、

「体がでかいけん、他の人は、ドラムやろ?って言われるけど、ギターば弾きよったよ。ライブハウスとかにも出とったよ。ARBは俺も大好きだよ。よく聞いてた。」

竹○君、

「へー、そうなんかー、人は見かけによらんなー。俺、うれしいわー、長うこんなん仕事しててん、ARBの事、話す人とか他におらんかったもん。よ○ちゃんが初めてや!」

私、

「確か、『ボーイズ・アンド・ガールズ』は持っとったろうや。よー聞きよった。『アキコはシックスティーン』やったかいな。」

竹○君、

「うん、そうや、待ってて、よ○ちゃん、かけてやるさけー。」

そして、私たちは、しばしARBを聞きながら車を運転し、お食事会につきました。

                     ・・・・・つづく


ライブ決定!

2008-06-19 02:40:06 | 音楽
ライブが決定しましたので告知します。

今回のライブは、今年3月に亡くなった、the cocktails の最初のベーシスト
松尾勢至君の追悼ライブです。

イベント名 『松尾勢至追悼ライブ』

場所    福岡市中央区天神3-2-13 『 THE Voodoo lounge 』
 
      http://www.voodoo-clubvibe.com/voodoo/index.html

月日    平成20年 8月8日 (金)

時間    open 18:30 start 19:00

出演    天神JOE'S (ルーネ有吉率いる。)
      
      the cocktails

      ファンク・ザ・インベーダーズ

料金    チケット1,500円  ワンドリンクオーダー(別途必要 500円)
      合計2,000円です。


この3バンドが一緒に集まってライブをやることは、今後ないでしょう!貴重なライブと考えています。

また、ライブの中盤に、勢至君の父親であります、写真家、松尾紘一郎氏の写真を上映します。

同時に、会場では紘一郎氏の写真集『伽耶から倭国へ』も販売します。

福岡西部地区のベーシスト、ロッカーに影響を与えつづけた勢至君の追悼ライブです。

3バンドのメンバー全員、気持ちを込めてパフォーマンスすると思います。

ぜひ、ご来場下さい!


音楽とは!25

2008-06-18 02:24:44 | 音楽
早いもので、この「音楽とは!」シリーズも25になってしまいました。
この題名の意味は、私にとって音楽とは何か?と言うことです。
大それた音楽批評や、含蓄をみせびらかすようなものではありません。
ドジでマヌケな福岡のロック大好き少年が、その後、どんな人生を歩んだか?みたいなもので、私にとっては、忘れないように、ちゃんと記録として残しておこうとしているだけです。

それでは、どうぞ!


病院のベッドの中で、私はどうなってしまうのだろうか?と思い、数日間の精密検査を受けました。つらかったのは胃カメラです。後は、どうにかこうにかでした。

検査の結果はすぐに出て、担当の医師の話がありました。

「米○さん、手術をしなければいけません。心臓です。」

私、

「そうですか・・・。」

医師

「3ヵ月後、金○医大から、心臓手術チームが来ます。それから手術です。」

私、

「3ヶ月後?すぐにするのではないのですか?」
「何で金○医大の心臓手術チームなんですか?ここでは出来ないのですか?」

医師、

「ここでは、機材もなく手術も出来ません。」

私、

「そうなんですか・・・専門の方じゃないとと言う事ですね。」

医師、

「そうです。3ヶ月待たないと手術チームがあかないのです。」

私、

(マジや?そんな事あるとや?と思いながら・・・)

「わかりました、先生、そのあいだ私はどうしていればいいのでしょうか?仕事しててもいいんですか?」

医師、

「家で、静かに静養しててください。」

私、

「へぇっ?仕事できないんですか?そんな事してたら、会社をクビになってしまいますよ。」

医師、

「私に言えるのはそれだけです。安静にしててください。」

私、

「解りました。」

先生は部屋を出て行きました。
私は、結局、見放されてるのではないか?と思いました。「言える事はそれだけです。」じゃ、集中治療室での発言も、あんまり言わんどけば良かとい?とか思いました。
偉そうにしてて自分で手術できんっちゃないとや?と思いましたが、すぐに考えを変えて、会社に報告しました。退院の3日前くらいだったでしょう。

専務は翌日に病院に来てくれて、こう言いました。

「退院して、福岡に帰れ、社長には俺が言っておく、そして、福岡ですぐに手術をするんだ!手遅れになったらいかん。」

私は、

「すみません、会社に貢献も出来ずに。」

専務は、

「命がいちばん大事やさけー。会社の事は気にするな。辞めて福岡に帰れ。」

そう言ってくれました。血を吐いて倒れた私は、早く娘に会いたいという感情もあり、

「はい。」
「本当に、どうも申し訳ございません。」
「ここで、また倒れてこれ以上、会社に迷惑をかける訳にもいきません。現場の途中で帰るのは悔しいですけど。」

専務、

「気にするな。」

と言われました。有り難かったです。
                         ・・・つづく