まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

旅のネタ

2007-01-11 22:34:41 | 旅行
最近、旅をしていませんね。サッカーの中田選手が「人生は旅である。うんぬん。」という事をおっしゃって、去年でしたか、引退されました。その後、いろんな所を、旅されているそうですね。


私も、2001年にヨーロッパに母親と旅行に行きました。しかも!何と!出発したのは、9月17日でした。そう、9・11テロの6日後でした。無謀といえば無謀だったのかも知れない・・・・・(反省)
多分、一人旅でしたら止めてたでしょうね。母親とは以前から、ヨーロッパに行く時は、一緒に行くと話していたのです。

結果から言えば、

「行かんどけば良かった。」

の一言です。

私としては、母親と旅行に行くのは初めてなのでしたが、今まで、自分の母親があんなにわがままで、勝手な女だとは思わなかったのです。時は、9・11テロの真っ只中でシャルル・ドゴール空港でもヒースロー空港でも厳戒態勢の中で、母は、そんなことなりふり構わぬ行動を取るのです。

家族を代表して、安全に帰国できるように付き添って旅行をしていた私でしたが、

「少しは時節を考えてくれよ!」

と叫びたくなるような感じでした。
以前、妹が母親と二人で旅行した時に、大ゲンカになったと聞き、妹をたしなめた私でしたが、母親の奔放な行動にあきれ果て、あの時、妹が言っていた話がよく解りました。

「これじゃ、妹も大ゲンカになるわなー!本当にビックリ!」

女性は旅行に行くと、大胆な行動をする。と聞いた事がありますが、あれは、一種の躁状態で軽い病気みたいな物なのであろうが、それにしてもうちの母はって感じでした。私と母の目的は、絵画を見に行くというのが最大の目的でした。
母は、一人きりのなった私を慰めるために、ヨーロッパに旅行に行こうと誘ってくれました。母は、寂しそうな私を、ヨーロッパ旅行に誘い励ましてくれたのです。
私も一度は、ルーブルやオルセー、大英博物館に行ってみたかったので二つ返事でOKをだしたのです。

ただ、気がかりなのは母の行動だけでした。私は行く前から、

「外国は日本とは違うので、謹んで行動してくれ。」

と節に言っていました。しかも、9・11の直後でしたので、

「特に離れて行動しないでくれ。」
「他のお客さんに、迷惑な変な言動をしないでくれ。」

が!ヨーロッパに行ける母は、そんな事おかまいなし。
関西空港発のエールフランスの飛行機に乗ったとたんに、大きな声で、

「この飛行機が落ちたらどうするな?」

ときました。私は、飛行機のお客さんに聞こえないように、

「その事は、旅行に行く前に、十分に話し合ったやないね。」

と、さとして、

「大きい声で言わんと!」

と注意しました。その日の夜に、

「母ちゃん、外国と日本とでは、マナーやルールが違うっちゃけん、言う事は聞いてもらわんと、テロが起こったばかりなんやけん、みんな、気にしとう中で旅行しようとばい。」

すると、母は、

「よかやなかね、お金ば出して旅行ば楽しみにきとうとい、なんば喋ろうが!」

と開き直り、逆ギレ気味に言ったのです。
私は、

「頼むけん、俺い恥ばかかせんどっちゃんないな。」

と疲れた声で言いました。私は、旅の疲れと時差ボケと厳戒態勢の中、母を面倒見るのに疲れて

「この分じゃ、この旅は、俺には楽しめないだろうな。」

と思い、その日は気分が悪いまま寝ました。そして、母子の珍道中の旅はまだ続くのです。

                           ・・・・・つづく


ドラマ

2007-01-11 22:31:31 | ノンジャンル
久しぶりに、ドラマを見ました。「東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン」   子供時代の家が、私の住んでいた町営住宅にそっくりです。筑豊のシーンです。リリー・フランキーって福岡の方だったんですね。知らなかった。本も読んでみようかな?


時代背景も、私達より少し上(ネットで調べると私よりも二つ上でした。)か、同じくらいですね。私は、見ていて涙が出そうになりました。でも泣かなかったですね。泣きたかったけれど・・・(自分で決めた事があるから)

病院の病室を家にしていた事も涙を誘いました。私の両親も、私が生まれたくらいまで、病院の一室を間借りして住んでいました。淡い記憶のなかで、おしめがいっぱい干された病院の一室に暮らしていた記憶があります。同じような事が、筑豊の方でもあったんだな。

私の両親は、夫婦ゲンカが多かったけれど、父が死ぬまで母は一緒でした。私の方が、泉谷しげるが演じる父親みたいです。(ハゲてるしね。)(でも、危ないヤツじゃないよ)

バイクを買ってくれたシーンは、あれは、ホンダのタクトの一番最初の型やないかな?
映画の「世界の中心で愛を叫ぶ」にも、ホンダのタクトが出ていました。最近は、あのくらいの年代の映画が多いみたいですね。

ノスタルジーというやつかな?郷愁だっけ訳したら?若い頃、こういう感情があまりなじめなかった、自分は、こういう郷愁にふけずに、動き続けていく男だと思っていたが、その考えが、自分勝手だなと最近感じます。

同じ、季節、同じ年代を暮らしているという事が、共有的な財産であるということに気づきました。ただ、感情は人それぞれ違っているのであろうが、同じ時間を過ごすというのは人間として大事な場面であると思います。多分、リリー・フランキーさんも、自分の人生を描いた映画が、高校生の頃、こんな風に代表的な作品になると意識して生きていた訳ではないだろし。

何かと、郷愁を誘いました。私も頑張ろうっと!  という事で、それじゃ、また!