まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは!23

2008-06-16 09:23:11 | 旅行
福井の病院からです。
大部屋に移された私は、そこで、10日間の入院でした。(はっきりとは憶えていません。)


ベッドの中で、いろんな事を考えました。まずは、家族の事です。早く逢いたい。第一に考え付く事でした。息子や娘、電話でしか話した事がありませんでした。

その次、なにかやり残した事はないか?

と考えるようになりました。

誰かと約束していた事は?

その時、途中で辞めた、中学生のコーチの事でした。
どうしても、仕事を探して出て行かなければならなかった私は、ジャージ姿の中学生のラグビー選手たちの事が頭から離れませんでした。

現在でも、まだ心の奥に焼きついています。あの子たちは、もう22か23歳になっているはずです。思春期の大事な時期に、私の仕事の事情で辞めねばならなかった・・・
ものすごく、辛い思い出です。この場をお借りして、関係者の皆さんにお詫びします。
福岡を離れて、暮らしていましたが、生徒たちの事を忘れた事は一度もありませんでした。

ラグビーのコーチが、途中でコーチを投げ出してしまった。地域のラグビー関係者や、学校の関係者には、事情がある場合は、いつでも辞めても構わないという許可はいただいていたのですが、自分自身として残念でならなかった。

本当に申し訳ありませんでした。

次に思い出したのが、17歳くらいの時の、一緒にギターを弾いていた友人との約束でした。
今、ニューヨークに住んでいます。帰福しては、私の家に遊びに来て、

友人、
「一度、ニューヨークに来いよ!」
私、
「死ぬ前には必ず来るよ。忙しいけん、じいさんになって時間ができてからになるやろうね。」
いつも、こんな話をしていました。


                         ・・・つづく


旅のネタ29

2007-04-26 04:12:44 | 旅行
これで、パリ~ロンドンの旅行記の最後です。続けて読んでくれた皆さん、どうも有難うございます。それでは、どうぞ!
ロンドンにて!

私たち一行は、ヒースロー空港に着きました。私たち親子は、帰りの荷作りの時に、口喧嘩になり、私は、
「二度と母ちゃんと旅行にはいかん。」
母は、
「良かよ、行かんでっちゃー。」
もう、帰るものだから妙な開き直り。
私は、あきれて途端に無口になりました。私は、離婚して軽い人間不信になっていたのですが、この旅行で完全な人間不信になっちゃいました(笑)

ただ、何事もなく母を日本に連れて帰れるのが、充実感であったのは確かです。が、母はそんな事知った事じゃなくなりふり構わぬ行動を最後までするのです。

ヒースロー空港の中で、
「何も御見上げば買うとらん、何か買わなーいかん。」

私は、
(その、御見上げを買う使命感って何?)
と思いながら、
「そうね、なら一人で買ってこんね。」
「今、空港内は厳戒態勢やけん、一人でも大丈夫やけん。」
その時のヒースロー空港は、凄い数の警官が警備にあたっていました。
母は、
「あんたは、何かいらんとな?」
私、
「俺は、何もいらんって、ちょっと疲れたけん、ここのベンチで休んどくけん、一時間後にここで会おう。」
というと、母は広いヒースロー空港の中で買い物をしに行きました。
私は、今度旅行に行く時は、ツアーではなくて一人で旅に行こうと決心しました。
わずらわしくなくて、自由に自分の時間で旅行ができるし、他人に関わらなくて良いと思いました。

その後、険悪な関係のまま、福岡に着きました。無事に福岡に着いたのですが、空港で帰りの駐車場までの送迎バスで、また、あの長崎からのご一行と一緒にならなければいけなかったのです。乗れる人数は5人で、私達は、後ろの荷物を乗せる席に座る事になりました。本当にずうずうしい人達でした。子供や障害がある老人がいたので仕方なかったのですが。車で40分くらいで家に着き母を降ろす時、
「もう、母ちゃんとは絶対に旅行にはいかんけん、これが、最後やけん。」
と、はっきりと言い、
「おやすみ。」
母は、
「そうな、おやすみ。」
と言いました。これで、この旅は終わりました。


旅のネタ28

2007-04-24 21:05:41 | 旅行
そろそろ、終盤です。それではどうぞ!
ロンドンにて、

私たち、親子は小さな口喧嘩を繰り返しながら旅をしていましたが、その旅もウインザー城で最後になりました。最後の食事は、ローストチキンでした。私はギネスを注文し、またデザートは食べずに母に渡しました。

ロンドンの最終日は、買い物がありました。また、ロンドンの三越でした。なぜかロンドンの三越で読売ジャイアンツフェアーが開催されていました。(謎)

オックスフォード通りにある三越で、私は、
(ここが、オックスフォード大学がある所か!神戸製鋼の林さんとかが留学してた所なんだなー)
とかを思っていました。
(そう言えば、ラグビーを随分とやってきたなー、なんでずーっとやってたんだろう。やっぱ、好きやったんやろねー)
(14歳から34歳まで20年間、よく大きなケガもなく続けられたものだ。)
(こころ残りだったのが、中学生の大会前にコーチを辞めなければいけなかった事です。)
(まだまだ育てたい、優秀な選手がいっぱいいたのに、福井に仕事に行かなければいけなくなったのです。本当にすまなかった。人生最大の後悔です。自分の家庭の都合で辞めなければいけなかった。本当にすまない。)

ラグビーに対する思い出を、ロンドンに置いてきました。