まこっちゃんのリフォームまでの軌跡

1人暮らしの我が家のリフォームといろんな事のブログ

音楽とは!20

2008-03-27 21:20:38 | 音楽
今度の日曜日は、息子と小学校卒業、中学校入学のお祝いで飯を食いに行きます!
ブログ再開します!福井で倒れて、福井の病院の集中治療室で母親にあった時からです。

母は、忙しいのに新幹線で福井まで来てくれました。時期が時期だけに自分の仕事を休んで5時間かけて来てくれました。しょうもない、次男坊の為に。妹と一緒に。

私、

「遠かったろう?5時間くらいかかったろう?」

母は、小さな声で、

「うん。」

「来たことがないけん、○○美と来たよ。迷ったらいかんけんね。」

「それより、まこと、大丈夫ねー?」

と母は、今まで聞いた事がないような、小さな声で聞き返しました。心配していたんでしょうね。私はとたんに、すまないと言う気持ちになり、笑って。

「5時間くらいなら、パリに行ったときの3分の1たい!」
「俺ぁ、こえん、ピンピンしとうけん大丈夫ばい!そえんないばい!」
「会社の人たちも、大笑いしてからくさ、帰んなったばい!」

と、酸素吸入器をはずして、大きな声で答えました。母は、まだ心配そうに、

「どこも、痛うないとね?」

と言い、私は、まだ元気なとこを見せようとして、

「痛いって言うたらねー・・・・・チン○に管ばさされとうったいねー!それが、めちゃくちゃ痛いとよー!この世の痛みやないばい!はっはっはっー!」

「さされた時は、たまらんやったばい!俺は、そえんがとはよか!いらん、シビンでよかって言いよったとばってんがくさ、無理やり入れられたばい。」(爆笑)

母も元気を取り戻し、笑いだし、

「そえん、元気の良かとやったら大丈夫たいね。○吾がね、手紙ば書いてくれとうけん渡しとくよ。」

と、大笑いして言いました。それを聞いていた妹は、

「バカ。」

と、一言、私につぶやきました。そして、私の息子(当時、小学校の一年生)の手紙を渡してくれました。

                        ・・・・・つづく



何と!

2008-03-27 01:41:26 | 音楽
今日、息子の誕生日のプレゼントを買いに、前原の積文館に行きました。(あっ!もう昨日か。)

注文していたDVDを受け取り、店員さんに、

「ここは、インディーズのCDも注文できると?」

と質問してみると、店員さんは。

「ちょっと、検索してみますね。題名かアーティスト名は、何ですか?」

私、

「WIZARD BEAT VOL.2 で検索してみてください。」

すると、何と!出てきました。
私達のCDが前原で買えるのです。(小さな感動!)(注文になります。)

糸島近郊のみなさん、 the cocktails のCDが聴きたい方は、前原の積文館で買ってくださいね!

(1曲しか、入っとらんけど)(ゴメン)(苦笑)





















いつの間にか。

2008-03-24 12:39:01 | ノンジャンル
3月は、何が何やら解らないくらいに、クタクタになってしまいました。


35歳で、もう泣いたりはせんやろーと自分では思っていましたが、モーレツに泣いちゃいましたね。

でかい体して、人相もあまり良くはない42歳の男が、また、クシャクシャに泣いてしまいました。

結局のところは、そういう年齢になって友人の死や、仕事の事や、いろいろと考えなければいかん年齢になってしまった。というのが結論だと思っています。

悲しんでばかりいても友人は、帰って来る訳ではありません。

この経験を生かして、また、前へ進んで行くしかないのです。少しでもいいし、ちょっとづつでも構わないので・・・

偉そうな事を言ってるんじゃなくて・・・

いつの間にか?

そんな年齢になってしまっていたんです。

友達

2008-03-02 22:16:55 | 音楽
大切な友達でした。子供の頃から、海や野山を駆け回り、少年時代を一緒にすごし、好きな女の子の事なんかもいろいろ話しました。バンドも一緒に組みました。

中学時代は、キーボードをやり、高校からはベースを弾いていました。

心筋梗塞で倒れたと電話が入り、なんであいつが倒れるとや?
健康的で、スポーツマンでタバコも吸わないし何でや?

信じられませんでした。

子供の頃から、センスのいいヤツで皆の人気者でした。僕の小学校や中学校の女の子は、彼が初恋の人です。という人が多いはずです。

あまりのハンサムぶりに逸話がいろいろあります。

中学校の保険の先生が、彼のファンで文化祭の写真を持っていた事。その後、入学してきた彼の弟に、しつこく消息を聞いていた事。

高校の頃、バンドを組んで西新パレスに出た後、あまりの美しさにインディーズ映画のワンシーンに出てくれと頼まれた事。その後、その監督は有名になったらしい。

性格も申し分なく、いいヤツでした。正義感や責任感が強く、人には優しい。
私が倒れて、福岡に帰ってきた時、バンドをやろうか?という話になってすぐに彼に連絡をとりベースを弾いてくれないか?と頼んだ時に、快く引き受けてくれました。

友達の頼み事に断ることはしなかった。バンドを辞める時も、その後も友人として接してくれて、家具を見にいったりラーメンを食べに行ったり。

一緒にニューヨークにjazzを聴きに行こうと言ってたね。行けば良かった・・・

一人っきりのボロボロの私の家に自転車で遊びに来て、二人でお酒を飲んだりしていました。

マイスペに公開している、曲の中の2曲目「channel69」と3曲目「緑色の雲」は彼がベースを弾いています。「channel69」は彼のベースが最高です。彼のスピード感が、よく出ています。

ブログの中の「Mっぁん」とは彼の事です。the cocktails の最初のベーシストです。音楽が好きなヤツでした。41歳という若さで逝ってしまいました。

友達を大切にする、本当に大事な大事な友達でした。

「友達はいっぱい来てくれたよ。本当にいっぱい。これからは、嫌な目に会う事も、苦労する事もないよ。静かで安らかに眠ってください。」

ご遺族やご親戚の皆様、彼には生前にいろいろとお世話になりっぱなしで、本当にご迷惑をおかけしました。謹んでご冥福を祈らせてもらいます。