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料理を習う学校での出来事。
いつも使っている備品の秤。
よく見ると、隙間に汚れが結構たまっている。
それを休み時間にセコセコとっていると、友人が一言。
「人の物なのに、キレイにすることないよ」
あ~、そういう考えもあるんだ~と手が止まった。
「そうだね」とあいまいに答えて、最後まで掃除してスッキリ♪
スッキリしたのは私の気持ち。
まったくキレイ好きでもないし、潔癖症でもないけれど、
私は物を大切にしたい方なのです。
そう思うきっかけとなったのはメイクセラピー(化粧療法)の
師匠の一言。
授業の中で、化粧筆や化粧品を大切に扱うことを
教えてくれました。
「私たちはコレがないと仕事にならない。
だから大切に扱って、手入れをするように」と。
それを聞いたとき、「あぁ、本当にそうだな」と思った。
そしてステキな教えを頂いたな、とも。
それがきっかけに、身の回りの物たちを大切に扱ってみると、
自分の中で何かが変わってきたみたい。
物たちが、とっても愛おしく感じる。
手入れをしながら、「待っててね、もうじきキレイになるよ」と
内心一人ごちたりする。
同じようなことを、むかし鍼灸の師匠にも言われたことがある。
いつも食べすぎてしまう私。
胃の反射区は背中にあるので、食べ過ぎると背中が
パンパンに張ってそれはもう苦しかった。
そんなとき師匠は、
「胃の身にもなってみろ。いつもいつも働かされて。
少しは休めてやれ」と冗談まじりによく言ってたっけ。
日本には八百万(やおろず)の神様、という概念がある。
自然現象をはじめ、あらゆるところに神様がいるという考え。
ヨーガでも同じように、天地自然あらゆるところに神様が
いるという。
だからアーサナに「カラス」やら「テーブル」やら「時計」やらの
名前がついているのかもしれない。
今日、何ヶ月ぶりかにヨーガのレッスンに参加してきた。
ちょっとハード系のヨーガ。
筋力、スタミナに自信が無かったけれど、
なんとかなるものだなぁ。
苦手で、10回に1回も成功したことがなかった
半月のポーズ。
あら、ウソみたいに出来るようになってる!!
ヨーガではこんな風にアーサナを通じて、自分の中に
新たな発見や成長を見出すことがよくある。
逆に簡単なアーサナがうまくいかないときもあったりして、
そんなときには里帰りするときのような懐かしさや楽しみを
感じる。
ああ、初心に戻ってここからまた始めてみようって。
ヨーガをしているときには完全に自分の世界。
「右の腰に、少し違和感があるな」とか
「左足だけで立ったとき、バランスが崩れやすいな」と
日常では気づかない微細な体調を感じたりする。
同じアーサナを何度か繰り返すと、回を重ねるごとに
響きが変わってきたり、集中の度合いが増してきたり。
身体だけでなく心が意識と重なって、
それぞれ別な方向を向いていたものが、やがて1つへ。
そんなときは自分の身体が1つの宇宙であるように感じる。
そこへ向かうつもりも、何か目的を持ってアーサナをする
わけではないけれど、気づくといつも同じ性質の景色が
広がる。一種の瞑想の状態。
すると、考えるとか思うよりももっと素朴に、原始的に、
「ここに痛みがあるね、ムリさせていたね、ごめんね」、
「そう、あと一息分伸びていたいんだね」などと、
気づけば身体のパーツや筋肉にと会話していたりする。
うっかり声に出したら、結構あぶない人(^^;)
けれど、どんなものにも意志があるのだろうと思う。
顕著なのはパワーストーン。
心の中で話しかけるだけで、輝きを増してくる。
ほら。今も、私の石、輝きだけでなく色さえ変わってきた。
子どもの頃から不思議だったことの1つは、
おもちゃでも、文房具でも、家電でも、
そろそろ新しいのが欲しいなぁ・・などと思うと、
突然それらが壊れたり、無くなったりした。
今思えば、私の気持ちを察して、自らの役目を
終える道を選んでくれていたのかもしれない。
ただの偶然だったのかもしれないけど(笑)
それでも私は、物や身体のパーツ1つ1つを
大事にしていたい。
大事にするものが増えると、
同じぐらい自分自身も大事に思えてくるから不思議。
何に価値を見出すかは人によって異なる。
自分の価値観と合わないものは排除するのでなく、
その違いを楽しんだり、大事にしてほしいと私は思う。
それにしても右腰、ちょっと変。
十分ヒーリングして眠るとしよう。
今日も私の独り言にお付き合いくださり
ありがとうございます!!
どうか今夜もいい夢を♪
スマホのアプリで、毎日オラクルカードを引いています。
私が使用しているのは44枚のカードの中から
1枚を選び出し、画面に表示してくれます。
オラクルカードは神託のカード。
自分に必要なメッセージをチャネリングするための1つの
ツールです。
選ばれたカードには美しい絵と共に、言葉によるメッセージが、
タイトルと詳細な説明と共に表れます。
オラクルカードを用いるとき、可能な限りあらかじめガイドに
メッセージを貰ってから(=リーディング)カードを引くように
しています。
リーディングの練習になるのです。
一口にリーディングと言っても、メッセージの受け取り方は
人それぞれ。
視る力・聴く力・感じる力・解かる力の中から、
得意な力を総動員し、複合的に組み合わされるものだと
思います。
私の場合にはガイドに質問を呼びかけた後で
頭を真っ白にすると、思考の中にポーンと言葉が浮かび
あがってきます。
象徴的な画像を伴っていたり、身体感覚(ハートがドキドキ
してきたり、緊張を感じたり、苦しくなったり等)を伴うことも
あります。
おととい、幼なじみからメールで叱られちゃいました。
飲みに行こうと誘いのメールだったのに、
私が『明日は料理学校のテストだから勉強したいの』と
断ったことが、相手を怒らせてしまったみたい。
机にかじりついて勉強なんかするよりも、
人の話を聴くことの方が大事だろう。
40代にもなって学校に行くこと自体おかしい。
俺たち社会の荒波にのまれている人間は、
そんな甘いこと言ってられないんだ。
・・・といったような内容のメール。
私の認知(とっさに浮かぶ感情や思考)は、
胸が詰まり、少し腹が立って、同時に自分を否定された
ように感じて悲しくなりました。
そして、自分の思いを返信メールに書き始めたとき、
ふと幼なじみの感情が入ってきました。
あ。
怒ってるんじゃない・・・。そうだったのね。
これはリーディングでなく、どちらかと言うとエンパス
(共感能力)かな。
強い感情はキャッチしやすいんです。
相手の気持ちがわかると、私の認知も変化していきます。
そうして彼の感情に寄り添った形で、しかも私の気持ち
を伝える内容で返信してみると、次のメールでは
謝罪のメールが届きました。
しかもなんだか嬉しそう。
さらに明日のテスト、頑張れ!とまで書いてある(笑)
これにて一件落着♪
だけど、料理を勉強すると言ったとき、他の友達にも
言われたっけ。
「また新しいこと始めるんだね」と。
料理を勉強することは私にとっては新しいことでなく、
(漠然とはしているものの)計画の一部であるのだけれど、
なかなかそれを理解してもらうのは難しいのかな。
幼なじみが言うとおり、私が今いる場所は、
『社会の荒波』の外側なのかしら。
スマホを片手に持ちながらオラクルカードのアプリを起動。
そこでガイドに、「何かメッセージをください」と
呼びかけてみます。
今日のガイドからのメッセージは、タイムラインを思わせる
『道』を画像で見せてきました。
その道は私の後ろでなく、前に向かって先細りに延びて
いくところから、直感的に『過去』でなく『未来』の話である
ことを受け取りました。
未来へ進む道は1本。
言葉としては『行くべき道に向かっている。
あれこれ考えず、先を見つめるように』といったこと。
私は聴く力は弱いので、会話のようにしっかり言葉をキャッチ
するわけではありません。
思考の中に、同時にいくつものメッセージがあふれてくるし、
映像や体感覚も同時にやってくるので全部をキャッチする
のが難しいし、まして優先順位をつけるのも困難。
自分にスピリチュアルな力があると知らないときには、
この『思考の中に溢れてくるガイドからのメッセージ』と
『自分が作り出す考え』との区別がつかなかったものです。
まぁ、今もハッキリ区別できるわけではないのですけれど、
最近はどちらでもいいかな、と言う感じ。
その代わり自分の状態を、ある程度高次に保ち
続けていないとダメだな、と思っています。
そして拾いもれたメッセージをオラクルカードの中から
得るようにしているわけです。
さて本日のオラクルカードは
『創造的なプロジェクト』というタイトル。
『あなたの魂は、創造的な方法で自分を表現したがって
います。・・・』
うんうん、確かに。
誰かのマネや追随の行為であれば、私でなく他の人でも
いいわけだし。
料理は私にとって、自分を表現する1つの方法。
とってもクリエイティブな作業。
『人生の目的、そして意味ある仕事は、創造的な方法によって
示される。人生の目的が何なのか、そしてどのようなもの
なのかは考えずに、目の前に延びる道をまっすぐ進む』
ここまで読んで思わず苦笑。
料理を学ぶことは自分の計画の一部、と言いながら、
人から『社会の荒波』の外側にいると指摘されると
申し訳ないような、自分の甘さを感じて怯んでしまう。
しかしガイドのメッセージは私を迷いの中から
引き戻してくれました。
そしてオラクルカードでも同様のメッセージ。
さらに自分が進もうとしている料理の道は、
ちょっとした趣味とか興味から来ているものでなく、
それが私の生き方や意味ある仕事へ直結していることを
支持してくれている♪
そんな風に思えたならば、迷いはサッパリと消え去り、
前を向いていくことしか考えられなくなる!!
ガイドというのは守護霊や天使など高次元の存在の
総称として私は用いているのですが、
誰にでも最低一人はついてくれています。
他者に必要なメッセージをリーディングするときには、
その方のガイドに呼びかけることが多いのですが、
そのときにもたらされるメッセージというのは
例えほんの一言であっても、ストーンと心に響く言葉を
選んできます。
何をどう言えば効果的か、ということをガイドは熟知
しているようです。
さすがです!頭が下がります。
そんなことから思うのです。
ガイドは私にとって最高のカウンセラーであり、
同時に強力なサポーターであると。
今回の件で、改めてガイドに感謝するに至りました。
おかげで明日もまた頑張れそう!!
『私のように感受性の強い人間は、人の作り出す”うねり”に
巻き込まれてしまう。
幼い私にとって、ウォーターゲート事件は理解するには
難しすぎた。
それでもニクソン大統領の就任以来、2週間保育園を休んだ。
3歳の子どもに落ち込む理由は無いのに、
動けなくなるほど沈んだ。
世界中で起こる荒波に、耐えるしかない、ただひたすら。』
霊能捜査官である実在のアリソン・デュボアさんの
数奇な人生をドラマ化した『ミディアム』。
冒頭のセリフはドラマから抜粋しました。
これを聞いたとき、
「ああ、デュボアさんのような卓越した霊能者であっても、
周りで起こる出来事に翻弄されてしまうんだ。」と
知ることができ、気持ちが軽くなりました。
感受性が強いからなのか、ミディアム(スピリチュアルな力を
持つ人、サイキッカー)だからなのか、理由は定かではない
けれど、(そして程度は違うかもしれないけれど)、
私も日々、周りで起こることの荒波に巻き込まれてしまう。
だから私は新聞を読みません。
ニュースもあまり見ない。
誰かに訪れた悲しい出来事を見聞きすると、
報道された以上の情報が入ってきて、感情情的に
まきこまれてしまう。
満員電車の中、街中の雑踏、
スーパーですれ違う知らない人。
気をつけていないと、自分の潜在意識が彼らとつながって
しまい、怒りや不安、悲しみの一部を受け負ってしまう習性。
自分がスピリチュアルな力を持っていると知らない
ときには、これらは誰にでもあることだと思っていました。
しかしそうでないことを知り、コントロールが必要だと
分かり、実際にそうするようになって、だいぶ楽になりました。
度を過ぎた共感能力、エンパス。
以前にも当ブログでエンパスについて書きましたが、
とても反響が多かったですね。
「いつも情緒不安だったのは、人の感情を拾っていたのかも
しれない」
「いつも人の感情に巻き込まれてしまって自分を保つのが
大変だった」
「この感覚が自分だけのもので無い事を知り、安心しました」
このようなご感想や、対策についてお問合せを頂きました。
世界では珍しいことに、日本人の数人に1人はエンパスを
持つとも言います。
個人的には、『言葉で語らずとも察する』という古来から
伝わる奥ゆかしい日本人の気質が受け継がれているゆえ、
日本人にエンパシー(エンパス能力者)が多いのではないかな、
と考えています。
エンパスについては、以前に比べて色々なことがわかって
きているようで、ネットで調べても様々なサイトで知ることが
できるようになってきました。
しかし、自分がエンパシーだとわかっても、
それをどうしたらコントロールできるかはあまり知られて
いないように思います。
街中で、親の感情を拾ってしまっている赤ちゃんや
小さな子どもを見ると胸が痛みます。
「それはあなたが味わう感情やないんだよ」と言う代わりに、
そばによって自分が引き受けて浄化するようなこともあります。
・・こう書くと、エンパスはよくない能力のように思われるかも
しれませんね。
しかし、それをポジティブに使うことも出来ます。
私がカウンセラーとしてやっていけるのは、
この力もあってこそ。
話を聴かずとも、お会いせずともクライアントさんの状態が
分かるのですから、セッションの時間の短縮にもなります。
プライベートでは、相手が求めることを先回りして
喜んでいただくこともできます。
諸刃の剣、ですね。
うまく付き合っていくことさえ出来れば、この力は多くの
情報を与え、人を思いやることの尊さを教えてくれます。
・・と、思っていますが、皆様はいかがお考えでしょうか?
それではまた。
今日もありがとうございます。
前回は、自分を保つことの重要性について書きました。
そして今日はそうすることのできなかった人のお話しを
していこうと思います。
ずっと気になっているエネルギー・ワークの手法があります。
エネルギー・ワークとは、一種の気功だと思ってください。
身体の中には、目には見えないけれどエネルギーの通り道が
あります。
東洋医学では、それを経絡と呼びます。
「気」の流れが乱れると、その部分が不調を起こして
病気の原因になるとも言われます。
エネルギーワークは、気=エネルギーを
身体や精神に流すことで、心身のバランスをとる
ヒーリングの1つです。
ある日ネットで、私が興味をもっている手法を学んだという方の
ワークショップを見つけました。
その講師は私が学びたいと思っているエネルギー・ワークを
補助的に用い、独自のエネルギーを使って施術しているとの
こと。
とにかく申し込んでみよう!
そして行ってきました。
講師いわく、とあるエネルギー・ワークの本を読んでいたら、
読んでいる途中から、何らかのエネルギーが使えるように
なったのだそうです。
その当時は身体のあちこちが不調だったのが、
突然使えるようになったエネルギーワークによって自分の
身体を治すことができた。
そして試しに人にも使ってみたら有効であることが分かり、
この1年ほどヒーリングのセッションを行いながら、
誰もがこのエネルギーを使えるようになればと
ワークショップも開いているのだとか。
そのエネルギーはダウンロード型。
レイキで言うところのアチューンメント(伝授)です。
つまり、師から弟子にエネルギーを授けることで、
すぐさま弟子も使えるようになるタイプで、修行要らず。
講師からエネルギーを受け取ること5分ぐらい。
なるほど、確かに新しいエネルギーをキャッチすることが
できました。
内臓型冷え性の私。
自分のお腹に、久ーしぶりに人間らしいぬくもりを感じました(!)
私が普段行う「レイキ」やその他のエネルギー・ワークでは
遠隔(遠く離れた人へエネルギーを送ること)でも治療できる
のですが、クライアントさんの身体に直接手を触れた方が
ヒーリングの効率がよいとされています。
しかしその講師の手法は、手を身体に触れるよりも、
むしろ30cm~1mぐらい離した方がエネルギーが
強まるのだそう。
デモンストレーションで、1mぐらい離れた場所から
クライアントさんの背中にエネルギーを送るのを見せて
いただきました。
すると、エネルギーを送られているクライアントさんの
肌が、妙な動きをし始めます。
適切な表現ではないけれど、
筋肉の上で5cmぐらいの芋虫がニョロニョロと
這うように波打ってくるのです。
けれどクライアントさん本人には皮膚が動く自覚はなく、
生物学的にもやろうと思って動かせるような動きでは
ありません。
エネルギーワークを始めて分かったことですが、
私は骨を動かすのが得意なようです。
エネルギーを送ると「自然治癒力」が高まるのか、
歪みのある部分の骨や筋肉が、本来の場所に戻ろうと
動き出します。
骨盤は特に動きやすく、8cmぐらい動いたこともあります。
けれどその講師によるエネルギーは、骨や筋肉が自らの力に
よって元の場所に動くというよりは、外部からの刺激によって
変容を起こしているという感じでした。
これは興味深い!
そう思いました。
しかし講師自身がそのエネルギーを使い始めて間が
ないせいか、自分がつながっているエネルギーが
どんなものなのか不明確なようでした。
ひいては受講生への説明が漠然と抽象的です。
「あたたかい感じ、色が見えれば白なら大丈夫。
だけど冷たい感じ、オレンジや赤だったら、それは違う存在で、
危ないのでつながり直してください」
受講生は私を除いてヒーリング初心者。
その説明で大丈夫なの???
またヒーリングの本質をよく理解していない上で
使えるようになってしまったのが災わいしてか、
受講生へのリスクの説明がないことにも不安を持ちました。
エネルギーワークでは、施術する側にリスクが起こる
ことがあるのです。
私のような憑依体質だと、相手の痛みや不調を
変わりに引き受けてしまう。
そのため、自分の身体を防御したり、セッション後には
浄化することは欠かせません。
その日の受講生の中に、整体の仕事をしている人がいました。
彼が患者さんからのネガティブな影響を受けているのが
私には分かっていました。
話してみると本人にも自覚があり、ありとあらゆる病気や
怪我をしていると言います。
そして防御も浄化もしていないと言います。
気の毒になってそれらの方法をアドバイスしたところ、
横でそれを聞いていた講師から「そうなんですかー」と
言われたのに驚きました。
そうしてワークショップは終わり、1日おいて火曜日のこと。
知らない人からのメール。
読んでみると、ワークショップの講師の友達という人から
でした。
メールには、講師から頼まれてメールしていること、
できるだけたくさんの関係者に知って欲しいと書かれ、
講師からその友達へ送られたメールが添付されています。
内容を要約すると、
私は騙されていた。
エネルギーワークでつながっている先は高次の存在だと
思っていたけれど、実際は低次元の存在であった。
自分がエネルギーを人に流すことで、よくない霊を拡散
させるのが目的だった。
このエネルギーはとても危険。
絶対使わないでください。
私は今、身体が動かなくなってしまいました。
ワークショップを行った部屋にも近づかないでください。
私は多分、死にます。
・・といったもの。
にわかには信じがたく、目を疑う内容でした。
精神的に破綻してしまったのか、それとも本当に身体が
きかなくなってしまったのか、判断できませんでした。
私自身はネガティブな影響を受けた自覚は無いのですが、
そのメールの後にもお友達からのメールが何度か続きます。
「除霊の仕方はわかりません」「相談されても困ります」など
混乱ぶりが伝わってきます。
まぁ。なんと気の毒な・・・。
そして私、大丈夫か!?
こんなとき頼れるのはスーパー・スピリチュアル・カウンセラーの
N様!!
すぐさま相談してみると、
「えりりんは大丈夫。講師が心配している、エネルギーワークで
よくない霊を拡散させるということもないから大丈夫」と
お墨付きを頂いて安心(^^)
講師のお友達にもメールで報告し、
講師が早く元気になりますように。
彼が死に引っ張られないよう支えてあげてください、と
伝言をお願いしました。
その後、講師もだいぶ落ち着いてきた、と再びお友達から
メールを頂いて、私も心配から開放されつつありました。
しかし、これで終着とはいかなかったのです。
3日ほどして、お友達からメールが。
今度はごく限られた人にしかお知らせしていませんと
書かれた上で、講師が亡くなったことをお知らせください
ました。
読んだ瞬間、「ああ、食い止められなかったか」と
思いました。
人の死にまつわるエピソードを、こういう場で公開することに
ついて賛否両論あるかもしれません。
私もとても迷いました。
けれど、今回の件によって多くの人が学べることが
たくさんあると判断し、ここに掲載することにしました。
エネルギーワーク自体が危険だというわけではありません。
けれど、リスクを知った上で行うのと、知らないままに
行うのとでは大きな違いがあります。
エネルギーワークはとても有効な手段ですが、
単に技術を習得するだけでなく、「誰に」学ぶか、ということが
とても重要であることを私は今回のことで強く感じました。
師となる人の人柄、信頼度、知識、経験。
そして「目的」。
先日、「見習い魔法使い症候群」について書きましたが、
なんとなく不思議な世界に憧れる・・・という意識の人が
気軽に手を出すものではないように思います。
それはエネルギーワークだけを言っているのではなく、
人の悩みを聴く人、身体を治療する人、全般についてです。
スピリチュアルや癒しが流行りの昨今、
誰もがカウンセラーやセラピストを名乗ることができます。
最近では「なりたい職業NO.1」にセラピストやヒーラーが
入っているとか。
人のために尽くしたいと思う人が増えることを
私は歓迎します。
だからこそ、セラピストを名乗るからには責任を持って
仕事を全うしてほしいし、自分が受けるリスクについても
あらかじめ覚悟してほしいと思います。
このたび亡くなった講師は、ヒーリングの力はあったけれど、
それを使いこなす術を身に着けていなかったように思います。
また心理カウンセラーの目から見れば、自分の問題を
かかえて余裕のない状態で他者の援助に関わっているのが
わかりました。
他者を援助することで、自分の問題を先延ばしにしていた、
という方が合っているかな。
改めて『自分を保つこと』の重要性を思うこととなりました。
私はあまり死者とコンタクトをとる機会がありません。
しかし今回これを書くにあたり、一言断っておくのが筋だろうと
思って、亡くなった講師にチャネリングしました。
その方は自分がよくない霊を拡散してしまったと未だに
悔いているので(私はそんなことないと思うのですが)、
私がこのブログを通じて、リスクについての情報を拡散する
ことを承知してくれました。
講師のご冥福を祈ると共に、協力に感謝します。
快感と幸せを一緒にしちゃいけない。
昨日は久しぶりにお友達に会って、
5時間話しまくりました。
おかげで夜になって喉が痛いこと(^^;)
冒頭の言葉は、その友人から教えていただいたもの。
日常生活の中で、
「あー、幸せ♪」と思う機会はたくさんあるかと思います。
美味しいものを食べたとき「あー、幸せ♪」
欲しかったバッグを買って「あー、幸せ♪」
・・・けれど、この「幸せ」は、本当の幸せではなく、
「喜び」に過ぎないそうです。
なぜなら、
美味しいものを食べたときも、バッグを買ったときも、
そのときに感じた「快感」は長くは続かない。
本当の幸せは、人生の中のほんの一瞬を輝かせるものでなく、
もっと、ずっと、深く、豊かなものなのかもしれません。
そんな話をしながら、
それじゃ、幸せってどんなものなんだろう?と考えて、
ふと浮かんだのが、「感謝」でした。
『私の中の幸せは、いつもその後に「感謝」につながって
いるように思うの』。
そう伝えると、
『私も同じこと考えてた!』と友人。
どんなに時間がなくても、
何とかして会いたくなる友人がいる幸せ。
何をするとかじゃなく、ただ一緒にいてとりとめのない
会話の中でも、ひたひたと心が満たされていく時間を
過ごせる幸せ。
目の前で、悲しみの大粒の涙を流したあとで、
やがて嬉し泣きの涙を見せてくれるクライアントさんの
成長に立ち会えることのできる幸せ。
これらの幸せの後には、必ず「感謝します」と
ついつい心の中で言ってしまう。
そう考えてみると、幸せは案外身近にあるもので、
大げさなものでも、非日常的である必要もなく、
ごくごく平凡で小さなものなのかもしれない。
それでいて一瞬の快感で終わることなく、
あとで思い返してもそのとき感じた幸せを
またすぐに再現することができる。
あれほど欲しかったバッグなのに、
しばらくしたらもう他のバッグが欲しくなるようなものは、
やっぱり幸せとは言えないのだろう。
本当の幸せは、他のもので上書きされるようなものでなく、
ひたすら増えて広がっていくもの・・・?
みなさんの幸せは、どんなものですか?
今夜、考えてみませんか?
いい夜をお過ごしください!!
私はこれから宿題にとりかかります(^^;)