True Colorsを見つけるためのセッション
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『時雨れて秋の深まりを感じます。
最近受けたご相談の1つ。
相談者は会社員30代(男性)。
やりがいを感じながら頑張っていた部署から、異動を命ぜられた。
それまでの部署は営業職で、華やか。
そこで働くことは一種の誇りだった。
それなのに、新たな部署は地味~な事務方。
パソコンとにらみ合う日々。
みんな疲れた顔をしている。
自分もその一人となるのかと思うとうんざり。
陰で、左遷されたんじゃないかと噂されているような気がする。
いっそ転職しようかと思うけれど、今どき転職が易しくないことはわかっている。
正直言うと、最近では食欲も無くなってきた。
Aさんの口調は怒りを抑えて自制しようとするのに必死、という感じでした。
「なるほど。そうすると、今日のお悩みを一言で言うと何でしょう?」と聞いてみる。
すると静かに、ぽつりと語ったのは、
「このままだとうつ病になっちゃうんじゃないかと不安」という答え。
私のセッションでは心理カウンセリングだけでなく、催眠療法やイメージワークなどの心理技法を併用します。
そうすると劇的に深まり、なんと言っても解決が早いのです。
通常の心理カウンセリングは半年、1年・・と長期化することがほとんどです。
でもそれだけの期間悩み続けるのは心的、経済的負担を伴います。
だから2時間から4時間の超・短期療法が私の独自のやり方。
Aさんにはイメージワークを試していただきました。
すると、お話にはあがってこなかった(Aさん自身も自覚のなかった)様々な思いが浮かび上がってきます。
事務方の仕事は、誰にでもできるもの。
営業の仕事には個性が必要であり、自分の代わりはいない。
それが生き甲斐に通じていた。
自分らしさを発揮できない部署では成長できない。
このまま自分が朽ちていってしまうんじゃないかと思うと不安でならない。
地味な部署に異動させられ、何が失敗だったのだろうかと、そればかり考えている。
今までの苦労は無駄だった。
新しい部署になじんだ頃、誰からも名前を忘れられ、透明人間みたいになってしまうんじゃないか・・。
やがて姿を現してきたのは、Aさんのお悩みの中核にあるもの。
それは自分の「在り方」でした。
職場や友人たちから求められる自分の姿。
それは求められる姿、虚像。
それが必ずしも自分自身とは一致していなかった。
いつも走っていることで、内面と向き合う自分から逃げていたこと。
立ち止まったら最後、再び走れなくなってしまうんじゃないかという不安。
けれど、走り続けて得られるものは自分が本当に得たいと願うものなのか。
セッションは終盤。
私は再び尋ねます。
「今日のお悩みは、一言で言うと何でしたか?」
Aさんは少し涙ぐんだ目で、けれどスッキリとした笑顔で言いました。
「自分と向き合うことへの恐れ、でした」。
「向き合うこと、できたじゃないですか」と私。
「True Colorsって名前、えりさんのセッションにぴったりですね。
自分にこんな一面があって、それもソイツがどれだけ重要か、よく分かりました」とAさん。
「現実問題として、新たな職場でやっていけそうですか?」と私。
「むしろ早く仕事をしたくてたまりません(笑)いろいろなものを見落としていたことに気づきました」とAさん。
よかった。
内面だけ変えても、それが向き合う現実と紐づかなければ効果は半減。
内面が変わることで、現実を違う次元で捉えられるようにお手伝いするのが私のセッションの目的です。
私は思うんです。
過去に置いてきたものを取りに戻ろうと力を注ぐよりも、新しく得たところで多くのものを手に入れる方がいいと。
何かを手放すことで得られることがたくさんあります。
けれど手放すことをやめない限り、新しいものって見えてこないものなんですよね。
チャンスをつかめる人と、そうでない人の違い。
それは「過去」でなく、どれだけ「今」にいられるかではないでしょうか。
過去は自分を創ってきた礎(いしずえ)、基礎の部分です。
そこに家を建てるのか、基礎だけ維持したいのか考えてみてください。
とはいえ、いい家を建てるには基礎の部分がとても大切です。
だから「今」を堅実に生きることが尊いことなのです。
虚像に生きるか、実像に生きるか、それはその時々の選択です。
どちらも必要なときがあるものです。
『変化』をどう捉えるかで未来が変わってきます。
それがこのブログのテーマ。
Change is Chance!
ピンチはチャンス!
*今回の投稿は、同じように悩んでいる人に役立ててほしいということでAさんのご希望で掲載しております。Aさん、ありがとうございました(^^)
3週続けて週1でパワーストーンのブレスレットの糸が切れました。
2つ目までは偶然かなぁと思いましたが、ブルームーンの翌日に3つ目が切れたときには鈍感な私も何かを察知して焦りを隠せませんでした。
その日はたまたま鎌倉に来ていたので、その足で海へ!!
海には浄化の作用があります。
波の音。
風の心地よさ。
砂浜のやわらかさ。
海の香り。
空と海が織り成すグラデーション。
それらを五感で感じていると、時がたつのも忘れて心が静かになっていきます。
はたと気づくと2時間を経過していました。
少しゆっくりし過ぎたみたいです。
実を申せば八幡宮のそばを歩き始めたときから、ずっと頭痛がしていました。
神社のエネルギーが強いからなのか、道行く人のネガティブなものを引き受けてしまっているのか詳細は追っていかなかったけれど、かなりキツかった!!
それも含めて海が癒してくれました。
気づけば、気持ちスッキリ。身体も軽い!!
クリアな感触。
すっかり元気になって帰途へ。
帰ってから気分を新たに、ブレスレットを作りました。
切れてしまったブレスレットはスギライトを中心としたサイキックモード全開、第6・第7チャクラを強化するもの。
今の私には高次元とつながることよりも、足元を見つめ基盤を作ることが必要なのかもしれない。
ということで、今回は第1チャクラを強化する石をチョイスしました。
パワーストーンのアクセサリーを作っているときには、無心になります。
私は効能よりも、インスピレーションで石を選んでいくのがスキ。
お客様からオーダーを頂いたときにはしっかりチャネリングして作るけれど、今回は自由に作りたいと思ったので頭で考えることなく、手にとったものを組み合わせていきました。
とは言え、無心になっているときはガイドとつながりやすくなっているとき。
直感で選んだとは言え、間違った選択をしたときにはガイドが知らせてくれます。
不思議なのですよね。
どんなに好きな石であっても、そのときの自分にふさわしくない石は、たとえ手にしても違和感が残ってしまう。
「この石とこの石の組み合わせ、色的に合うのかな・・」と、一瞬心配が脳裏をかすめたりもするけれど、出来上がってみればちゃーんと調和のとれた作品になります。
まぁ、そう思っているのは自分だけかもしれないけれど(笑)
実際、人が付けているパワーストーンは、あまり惹かれないものです。
それなのに自分で選んだ石たちは我が子のように愛おしく感じたりして。親バカです♪
さて今回選んだのはカーネリアン、スモーキークォーツをメインに、「the グランディング」とタイトルを付けたいぐらいの組み合わせ。
少しアレンジして、アンクレットも作ってみました。
カーネリアンはお客様用に用意していたものの残り。
どちらかと言えば苦手な色。
仕入れに行ったとき、まさか自分に必要になるとは思いもしなかったです。
パワーストーンを変えたから、というわけではないけれど、次なる変化の波がやってくるのを感じます。
それに向けて心の準備も整ってきました。
もしかしたら石が背中を押してくれたのかもしれません。
この子と過ごす未来に、どんなドラマが待っているのか楽しみです。
そうそう。
4月頃から私にはパールバティのサポートが入っています。
パールバティはインドの女神様。
私がすべきことに集中できるよう環境を整えてくれています。
そうだ。このブレスレットに彼女のエネルギーをリンクさせよう。
あなたの石は、今の自分にふさわしい石でしょうか?
自分の成長や変化に合わせてリニューアルしてみることをお勧めします!!
今夜は満月。
1ヶ月のうちに満月が2回来ることがありますが、最初の満月を「ファーストムーン」。
2度目の満月を「ブルームーン」と呼びます。
ブルームーンはめったに見られない貴重な満月。
今宵はそのブルームーンです。
さて。
ご存知かと思いますが、満月はパワーストーンの浄化に適しています。
パワーストーンは力の宿る石。
私が愛用しているのはスギライト。
慈悲の象徴であり、サイキックパワーを高める力があるそうです。
そうそう、私はサイキッカー(霊能者)でありながらも、スピリチュアル仲間からは左脳派・慎重派と呼ばれています。
パワーストーンにまつわる不思議体験だけに限らず、超常現象との遭遇、スピリチュアル・ガイドとの交信など、不思議と言われる話題には事欠かないけれど、基本的には自分の体験を通じてしかそれらを語る気持ちにはなれません。
人からの伝聞、ましてや信頼性に乏しいネットからの情報については「・・・だそうです」「・・・と言っている人もいます」といったふうに、自分の意見とは区別するようにしています。
先ほどテレビを点けたら、少し不思議めいた話を紹介している番組がありました。
注意深く聞けば、伝聞や憶測、仮定に基づく内容。
それをもっともらしく真実であるかのように話す話術は御見それするけれど、情報過多のこの時代に「真実」と「事実」を混同しないよう、私たちは注意深く情報を得る必要があるように思います。
話は戻って満月。
一般的には、満月は何かを手放すのにいいタイミング。
対して新月は、何かを始めるのにいいタイミング。
私は最近、自分にウソがつけなくなってきました。
そういうと、今まで自分にウソがつけていたのかと思われるかもしれませんが、答えはNOでありYESでもあります。
評判の本。だけど読んでいて心が躍る?
知人と過ごす時間。この場を心から楽しめている?
今までは習慣だったり、長年の実績や経験によって継続するのが当然だと思っていたことでも、近頃はハタと一瞬我に返って考えるようになってきました。
言い換えれば、今まで頭で考えることが習慣であったのが、最近は心で感じるようになってきたということ。
評判のレストランで食事をしているとき、「おいしい」と思っている一瞬あとで、「あれ、だけど身体が欲していない」と感じたり、友人と楽しい時間を過ごした帰りの電車の中で疲労を感じる、といったことが増えてきたような。
もしかしたら今までも心のどこかで感じていたけれど、それが自覚されぬままに見過ごされてきたものが主張してきたという感じです。
最初のうち、「あれ、私どうしたんだろう?何かが変わってきた」という小さな違和感が、近頃では無視できない大きな変化となってきました。
けれど、これは正しい流れであるという強い意志を感じます。
このままいくと、理性や常識にとらわれない、邪気の無い子供みたいになっちゃうかも。
そしてそうなることを欲している自分も感じます。
私はこの変化を受け入れます。
そして囚われの無い自分を歓迎したいと思います。
今宵の満月に、社会通念や正しいと思って疑ったことのなかった自分の枠を手放すことを宣言したいと思います。
自分に正直に。
そして同じだけ、人が正直でいることを尊重していこうと思います。
オリンピックが終わりましたが、私の夏休みも今日で終わり。
明日からまた料理の勉強中心の生活に戻ります。
オリンピックと言えば体操の内村選手他、
メダリストの偏食が一時ニュースになりましたね。
健康維持、疲労回復、コンディションの向上に
健全な食事は不可欠かと思っていましたが、
野菜嫌い、好きなものしか食べない、主食はお菓子など、
私たちの予想を裏切る偏食ぶりが公けになりました。
『食べるもので体はできている』と言います。
だから何を食べるかが大事。
ただ空腹を満たすだけならば、
それは『食事』でなく『エサ』だ、等とショッキングな
表現をする人もいます。
私が料理を勉強したきっかけの1つは、
栄養学への興味です。
以前から『食べるもの』と『感情』との関係が
気にかかっており、自分なりの仮説を証明する足がかり
にしたいと考えました。
自分自身の体験としては、ストレスを感じたときに
チョコレートが食べたくなる。
野菜ばかり食べていると気持ちは穏やかでいられる。
しかし、時々は肉を食べないと地に足がつかなくなる。
友人のアスリートは、肉を食べないと闘争心が
湧かないと10年以上も前に話してくれましたし、
肉食をやめて野菜を食べ始めたらイライラしなくなったと
語る芸能人もいました。
詳細な調査はしていませんが、うつ気味なクライアントさんの
食生活は乱れている方が多いし、学級崩壊を起こす子供は
食べ物の好き嫌いが多いと話に聞きます。
母乳を飲んでくれないと悩む新米ママの母乳は
古くなった油のような味。
「自分が不味いと思うものを赤ちゃんが飲んでくれるはずない」と、
母親の食生活(ジャンクフード中心)を叱咤する助産師の
話もあります。
食べたものが血や肉となって体の組織をつくっていく事は
周知の事実ですが、感情は肉体から生まれるエネルギー。
口に入るものが高いエネルギーのものであるならば、
感情やスピリチュアリティ(精神)もまた高いものとなるで
あろうことは想像できます。
食べるものって、やっぱり大事。
私自身は毎食バランスのとれた食事を心掛けています。
と言っても精密に栄養価やカロリーを計算するほどではなく、
野菜は食べ放題。
毎食、主食(米やパンなどの炭水化物)とたんぱく質(肉や魚・
卵など)は50g程度、油脂類も必ず摂取・・とザックリしたもの。
それと守護霊の勧めで、食事の始めには果物か生野菜を
食べるようにしています。
栄養学を勉強してみると、野菜は1日350g。
そのうち緑黄色野菜は120gを摂取とありますが、
野菜自体の栄養価が低くなっている昨今では
それを毎日続けるのはやや難しいかもしれません。
かと言ってサプリメントに頼るのも個人的には歓迎
できません。
安価なものは石油で出来たケミカルなものがほとんど。
そうしたサプリメントが体にいいとは残念ながら思えません。
サプリメントの中にはちゃんと食品から出来たものもあります。
でもそれが加工前の食品の代わりになるとは思えません。
十分に食品を摂取し、足りない分を補うために使用したいものです。
そして添加物についても疑問が残ります。
味をよくするため、日持ちさせるため、見栄えをよくする
ために使用される添加物。
それらは私たちの体に必要なのでしょうか。
少量であれば体に害は無いわけですが、
日常的に毎回の食事で摂取していたら「少量」の限度を
越えてしまうのでは?
そしてまたその限界量は人それぞれであるはず。
医学的に平均値でとったデータの範ちゅうに自分が納まるか
どうかは不確かなものです。
買い物をする際に時折り成分を確認し、
自分や家族が口にするものがどんなものから出来ているのか
意識を持つことは大切であり、それは今日からでも
遅くはないことです。
コンビエンス(便利さ)を追い求めた私たちですが、
その陰で失ったものが無いのかどうかも考えてみたいところ。
手間無く簡単に食べられるもの、調理できるもの。
手料理には味だけでなく、作った人のエネルギーも
入り込みます。
評判のレストランへ行って、ドアを入るなり具合が悪くなるような
店もあります。
厨房でいがみあう声、イヤイヤ応対する店員。
そういう店では、客がかわす会話もネガティブだったりします。
素材の味を無視して調味料の味付けで誤魔化される舌と脳。
これらが今問題でないからといって、将来的に問題なしであるか
どうかは今の時点では分かりません。
栄養学を学んでみても、バランスがとれた食生活が、
どれだけ人間に多くのメリットを生み出すのかも
正直なところ分からない。
ただ言えるのは、何を摂取するかは個人に委ねられている
ということ。
入手する情報は誰かに操作されたものではないかどうか?
化学的な根拠があるからと言って、結論が正しいかどうかは
別な話。
私のこのブログだって、もしかしたら偏見に満ちているかも
しれない(そうでないことを祈るけれど)。
昨年の11月ぐらいから地球のエネルギーがガラリと
変わりました。
それに伴って私の嗜好は大きく変わっています。
同じような経験をされている人、多いのではないでしょうか?
ヨーガの後では身体を汚すものは摂りたくないと
本能が告げます。
それでもエゴが勝ってお酒など飲んでしまうと
たちまち後悔します。
もっとも、その後悔も今は必要な経験だと思うのですけれど。
電車の中の広告に、1日1食でいいという医者が書いた
本が紹介されていました。
思うに、食事の回数や内容は、人それぞれ。
体調や感情によってルールを作ることの方が不自然なこと
なのかもしれない、と言うのが今時点での私の考えです。
そうであるならば、そのとき体が欲するものを
摂取するのが一番なのかも。
それはエゴからくるものでなく、本能的に欲するものを
口にするという意味で。
そうするためには自分自身の内側の声に耳を澄ませ、
それをキャッチすることが必要。
うーん、これはとっても自然なことゆえに、
とても難しくもあること。
食については大切な問題なので、またいずれ触れて
みたいと思います。
それではまた(^^)