goo blog サービス終了のお知らせ 

Change is Chance!今、この瞬間に変われる!

スピリチュアルな力を持つメンタル・カウンセラーeRi
★顔・心・体を通じて魂の成長をサポートする活動と日常のできごと。

True Colorsを見つけるためのセッション


左欄の◆コンタクトから専用フォームをご利用いただけます。
ご感想などは各記事にコメントしていただくか、
左欄のからどうぞ。 

12/21のアセンション準備のためのワークショップに行って来ました

2012年12月16日 | スピリチュアル・ライフ?

私のブログ、スピリチュアルなことを書いたときの方が好まれるみたいです。

 

そういう読者の方にとっては「アセンション」についての説明は不要かもしれませんが、私自身がよくわかっていないこともあるので、N先生のワークショップで得た知識と私自身の考えをまじえながら、少しずつシェアしていきたいと思います。

 

というのも、とにかく時間が無いのです。

 

アセンションを迎える日まであと数日。

それは2012/12/21の11:11AMにやってきます。

 

なぜもっと早くシェアしなかったのか・・、と自分の中で反省もあるのですが、それにも理由があるのです。

 

何はともあれ、12/21にアセンション(次元上昇)の日がやってくるといいます。

 

「次元」と言うのは、私たちの魂(一部DNAも)が覚醒(悟りをひらいて)し、新たな時代を迎えることを意味しています。

 

新しい次元。

 

それは『ワンネス』の時代。

「私」と「あなた」という独立したものが双方に存在する二元論的な考え方から、「私たち」という一元論な考えが主流となる時代です。

 

ここでは詳細は省略しますが、12/21には天文学的事実を含め、幾つかの類い稀な出来事が重なる日ともなるそうです。

 

肉体を持っている私たちには経験の無いことが同時に起こることから、地球が滅亡するとか、天変地異が起こるなどと言う人もいるようですが、アセンションは『成長』や『進化』を意味していることを忘れてはならないでしょう。

 

N先生は、およそ20年の歳月をかけてアセンションが進むといいます。

 

2012年12月に始まり、2032年まで続くということです。

 

アセンションは次元上昇であると書きました。

 

私たちが生きている次元は「3次元」であることをご存知でしょうが、N先生によれば昨年あたりからすでに次元は上昇し、今は4次元にあるといいます。
そしてさらに次元は高みを目指し、アセンションによって5次元以上に存在することとなります。

 

「次元」というのは”物理的に存在する空間”というよりは、”精神的なレベル”と考えた方がわかりやすいかと私は考えています。

 

これまでの2千年間は二元論的な考え方を好む「男性性」の強い時代でした。

 

「私」と「あなた」、「陰」と「陽」、「光」と「闇」、「男」と「女」・・・と言ったように、違いを踏まえて対立、比較からものをみる時代です。
その中では「勝ち組」と「負け組」に代表されるように、競い合うことが随所に見られました。
物を、よりたくさん所有することを望み、奪いあいが当然の世の中。

 

それが次元上昇(精神的な進化)と共に、今は「女性性」の強い時代へと進んでいます。
それが既述の「ワンネス」。
他者を自分のことのように思い、共感、同情、受容を良しとし、愛や慈悲、おもいやりを発揮します。
多くのものを所有している人が、所有していない人へと分け与え、「一人勝ち」から「誰もが」満ち足りた世の中を目指します。
日本人には、すっかり定着した「絆」の考え。

 

3.11の震災から多くを学んだ日本人は、いまや世界をリードするスピリチュアル先進国です。
高い精神性を持ち、行動に移すことができる誇り高き民族。

 

そのような高い精神性を後押しし、より進めるのがアセンションです。

 

太陽のエネルギーが地球に降り注いでいるのを想像してみてください。

 

その恩恵に預かって農作物は育ち、気候は保たれ、人類もまた体調や感情を維持しています。

 

アセンションもまた、宇宙から降り注ぐエネルギーです。

 

この時代を待って徐々に降り注がれ、それがいま本格的に降り注がれようとしているのです。

 

 

しかしこのエネルギーはパワフルです。

 

今日のワークショップでは、その強いエネルギーが降り注がれたときに出来るだけソフトに順応できるよう、エネルギーの受容体となる12箇所のチャクラ(アセンションチャクラ)を開いたり、守護天使と波長を合わせるワークの方法などを学びました。

 

参加者によって感じ方は様々でしょうが、私はアチューンメントが強烈でした。

 

アチューンメントとは伝授(波動調整)という意味です。

 

私はレイキマスターなので、アチューンメントするのは馴染み深く、また得意でもあるのですが、今日という今日はかつて経験の無いダイナミックなエネルギーを感じました。

 

レイキマスターとは、レイキというヒーリングエネルギーを他者に伝授する役割を持った人のことです。
空中に漂うレイキというエネルギーだけをキャッチして、それを使えるよう体内に通り道を開いて差し上げることで、誰もが人や動植物、空間、飲食物等をヒーリングできるようになります。

 

そして今日行ったアチューンメントは、ライトワーカーとして世の中に貢献するため、頭頂のチャクラを通して高次元の源(ソース、創造主)のエネルギーと繋がるアチューンメントでした。

 

霊能力を使うとき、第3の目(眉間のチャクラ)を使う人が多いようですが、私の場合はクレア(能力)の特長上、頭頂(クラウン)チャクラを主に使います。

 

そのためクラウンチャクラを使うのは得意で、どら焼き(?)ぐらいの大きさに開くのはわけなく出来るのですが、今日のワークでは頭の幅いっぱい、クレープ(?)ぐらいの大きさまで開いてしまいました。

 

そして9時間たった今も開かれたまま。
天まで伸びる、見えないニット製のシルクハットを被っているみたい。頭がモゾモゾして慣れるまで違和感は抜けそうにありません。

 

それだけソースのエネルギーは強いということですが、12/21を迎えるにあたり、高次元とつながっておく必要があるそうです。

 

 

さて他にもまだまだ、たくさんのことをシェアしたいのですが、取り急ぎあと1つだけお知らせしておきたいことがあります。

 

アセンション(高次)のエネルギーは少しずつ降り注いでおり、そのエネルギーに慣じむまでには様々なことが起こります。

 

病気、抑うつ、多眠などの体調不良。

 

これらの全てがアセンションの影響とは言い切れないけれど、少なからず影響を受けていることは否めません。

 

なんだかやる気が起こらない。
イライラして抑制がきかない。
悪意に満ちた考えに傾く。
やたらと眠くて体が言うことをきかない。

 

そんなとき、私たちは自分を責めがちですけれど、決して自分を裁いてはいけない、とN先生の言葉。

 

エネルギーの変容と共に浄化が作用し、体調や感情が不安定に揺れ動くようです。

 

自分を責めてムリを強いれば、せっかくの浄化が未達に終わります。
12/21を過ぎると次第に楽になるそうですから、気持ちを楽にして浄化を止めないようにしてください。
苦しいときには客観的になるよう努めて、「内側にある不要なものが出て行く過程なのだ」と、出るに任せるのだそうです。

 

私の場合は多眠を訴えてます。
人に迷惑をかけない状況であれば、1日に12時間近く眠ってしまいます。
おかげでブログを書く時間は削られ、ここのところワークショップで皆さんに情報をシェアすることも滞っております。。。

 

仕事として、というよりも、自分の魂の役割を果たしていないことが、情けなくもあり、ひけ目に感じていたのですが、N先生の言葉に救われました。

 

だからいま苦しんでいる方がいるとして、このブログを読んで自分に当てはまる!と思った方は肩の荷をどうぞ下ろしてください。
浄化は間もなく終わります。
すっかりキレイになって、より高次のエネルギーを受け入れるスペースをつくりましょう!

 

 

さて引き続き12/21当日の過ごし方など情報をシェアしていきたいと考えておりますが、文字で説明するには限界もあります。

 

興味をお持ちの方、お問合せのある方は個別に対応しますので、どうぞご質問、ご意見などご連絡くださいませ。

 

それではまた。

今日も読んでくださってありがとうございます。

 


霊性について語ってみよう

2012年12月04日 | スピリチュアル・ライフ?

友人たちと話していると、少しだけ違和感を持つことがあります。

それは「以前ならスピリチュアルな事って、公然と話すのにためらいがあったね」と言われることです。

なるほど。

確かに少し前まで、霊性について語ることは、どこか秘密主義的で、隠語のような扱いを受けていたかもしれません。

人間はどこからやってきたのか。
宇宙の仕組み。
輪廻転生。
過去世、未来世。
神様、天使、幽霊、妖精。
天国、地獄。
予言、ビジョン。
四次元、高次元、アセンション。

神話、聖書、童話、おとぎ話、儀式、ならわし・・・。
さまざまなところで語られ、聞く機会もあるけれど、それは現実のものとはややかけ離れたものとして受け止めることが一般的だったかもしれません。

私自身は幼い頃からの経験から、それらが非現実のものでなく現実の一部であったわけですが、なぜだか家族や友人に話したところで理解されない、という先入観を持って、自分の中でだけ受け止める選択をしてきました。

そして視たものや経験したことが何の意味を持っているのか、その答えを探すけれど見つかりっこない、とあきらめてもいました。

私にとって転機だったのは、テレビ番組「オーラの泉」の存在でした。
深夜にたまたま見て江原さんの存在を知り、この人なら私に答えを与えてくれるかも、と思いました。

それまでも霊能者と会うことはありましたが、霊能力があることと、その人自身の魂のレベル(人間性)とは別なものと認識していました。

しかし江原さん、美輪さんはその点でも信頼がおけると感じたのです。

私にとって霊能力は一つの「道具」です。

誰かを援助したいと思ったとき、鍼灸師なら「鍼」や「お灸」を用い、マッサージ師なら「手」を使います。
同様に霊能者は自分の「霊能力」を使うのです。

霊能力と一言で言っても、その種類は多様です。

江原さんのように守護霊等と会話して、クライアントさんにメッセージを伝える人もいれば、私の知り合いには故障したパソコン等の不良箇所を霊視できる人もいます。

パソコンの普及によって私たちの生活は一変しましたが、同時に犯罪やネット中毒等の問題も生まれましたね。

どんなに優秀で便利なものであっても、それを正しく、意味ある物として使うのは人間自身の裁量です。

霊能力も同じではないでしょうか。

霊能力を用いてクライアントさんを自分に依存させたり、金品を奪ったりするのは力の乱用です。

霊能力の高さと人格(魂の質)の高さは、残念ながら必ずしも一致していません。
誰に相談するかは、良く考えてほしいと思います。

ときどき幽霊が見える等と言って、自分には特別な力があると言う様な人がいます。
その人に聞きたい。「見えて、それでどうするの?どんな貢献ができるの?」・・・。

 

私に鍼治療と東洋医学、祝詞で浄化する方法を授けてくれた先生は、広島原爆被害者でこの世で彷徨っている人(霊)を天に召されるよう浄化することを日課にされています。

ただ幽霊が見えているだけならば、まして乗り移られるようなことが頻繁にあるのであれば、自分自身をもっと成長させる心を養ってほしいと願います。

そもそも浮遊霊や地縛霊は、魂の質として高いものではありません。
いわゆる低次元と言われる存在です。
彼らと難なくアクセスできるというならば、自分自身の魂の質が低次元とひき合っているということです。

霊能力は根源(神様とか創造主とか、グレイトサムシングとか色々な表現があります)から与えられたギフト(=才能)だと私は思っています。
だからこそ、それを尊い目的のために使うものだし、少しでもそう出来るよう自分自身を邁進させる必要があると肝に命じています。

「特別な力があっていいですね」、と言われることがよくあります。
「はい、宝物です」と私は答えます。
この力が無かったら、いったい何処へ進んでいたのか・・・。
力があるゆえに困ったこともたくさんあるけれど、それが無ければ今の自分は無いとも思います。

しかし霊能力があればあるで、誰の能力が高いか、という比較が行われます。
私の親友でもあり、スピリチュアル・カウンセラーN氏は、私など足元にも及ばないスーパー・サイキッカーです。

けれど彼ほど謙虚な人を、私は見たことがありません。
もっともっと質を向上させたい、と日頃から言っています。
そしてそれは自分を通じて救済や成長を願うクライアントさんのためであることが分かります。
彼のセッションは、優しさにあふれています。

そして人間としての器の大きさを感じます。
というか、彼には器など無く、無限の潤いをたたえた愛の泉が彼の内側に広がっているかのようです。

彼に霊能力はとうてい及ばないけれど、人としての在り方はひけをとらないようにありたいと思います。

それは霊能力という「道具」を使いこなすだけの心を育てることにも通じると思うのです。

 

 

 

私にとって「霊性」は何を意味するのだろう、とよく考えます。

どうも、周りの人が思っているものとは違うようなのです。

私にとって霊性とは、不思議な出来事や霊能力のことでなく、死者やガイドとの会話など非日常の体験でもない。

言うなれば、ブループリント(生まれる前から、あらかじめ決められた魂の目的、青写真)を知り、最短の道を通って命を終えることでもない。

むしろ、もがいたり、悲しだり、喜んだり、日常の中で体験する道程そのものが霊性ではないかと・・・。

ただし、それらが通過していくだけのものでなく、1つ1つの出来事が自分の成長であったり、人への思いやりなどにつながるよう心を育てること。

そして自分が有限な肉体を持って、無限の輝きに目覚めていこうと意識を持ち続けることがスピリチュアルな道だと思います。

 

その中で私ができるのは、起こることの解釈を手伝うということかな?
問題は問題にあらず。
変化は自分を成長させるチャンスであること。

共に霊性の道を進み、たくさんの方が霊性を高めていく応援を続けたいと思います!


アセンションまで、あと何日?

2012年12月03日 | スピリチュアル・ライフ?

アセンションと言われる日、12月21日が近づいてきましたね。

みなさまの準備はいかがお進みでしょうか?

さきほどネットで「アセンション 準備」をキーに検索していましたら、このような動画がヒットしました。

とてもキレイな音楽と画で、気持ちがふんわりしたので、皆様にもシェアしたいと思います。

 

流れているフレーズは、アセンションがどういうものかをシンプルに説明しています。

アセンションって何?と思われている方には参考になるかもしれません。

 

その後、幾つかYoutubeで関連画像を見てみました。

真偽の程は別として、たくさんの方がそれぞれに、いろいろな解釈をしているのだなぁと思いました。

 

 

アセンションの日にちについても、12月21日説と22日説がありますね。

私自身は21日説を支持していますが、なんといっても昨年の11月、”本当のアセンションの日”とも言われた日を境に、体質が変化してしまったことは驚くばかりです。

”変化してしまった”と言うのには、”変化したくなかった”という世俗的な気持ちもこめています。

しかしもたらされた恩恵を十分感じているのは事実です。

そして今月の21日なのか22日、どちらが本当のアセンションの日なのかについては、もうどちらでも良いのです、という気持ちです。

まぁその辺りに強いエネルギーシフトが行われると考えるべきなのではないでしょうか。
カレンダーには時差があることですしね・・。

すでに世界のあちこちでポータル(扉)は開かれ、5次元のエネルギーが降り注がれています。

サイキッカーでなくとも、スピリチュアルな感性が強い人や子供たちからも、その影響を受けている報告を耳にします。

それとも起きていることの原因をアセンションと結びつけているだけなのか・・・。

その辺りも白黒つける必要はなく、「そうなんだね」と受け入れるものであろうと思います。

 

 

ところでここ2ヶ月程の私。
非常によく寝ています。
予定が許せば・・・というか、出来るだけ予定を入れないようにして、昼寝を含めて1日14時間ぐらい寝る日もしょっちゅう。
「1日を棒にふったー」と思うこともありますが、「シエスタだもん」と自分を慰めています。
自力ではコントロールできない眠さだから、仕方ないですよね。
アセンションにおける波動調整なのかもしれません。


そうしていて気付いたのですが、起きしなには重要な発見があるようです。

眠りから覚める直前というのは潜在意識が広がっており、制約に縛られない自由な発想が出来るときです。
そしてその状態を待って、スピリチュアル・ガイドがメッセージを伝えやすい(私たちがキャッチしやすい)ときでもあるようです。

私は枕元にスマホを置いておき、完全に目が覚める前にボイスレコーダーに録音しておきます。

だけど寝ぼけているから、録音したことさえ後で忘れてしまうことがあります。

次にボイスレコーダーを使おうと思ったときに、「な・なんだ!?このメッセージは??」と驚くこともたびたび。
自分自身のことであったり、他者へのメッセージであったりと内容は様々ですが、長いときには5分ぐらい喋っているものもあります。

言ってみれば起き抜けは変性意識状態。

催眠療法をするとき、ヨーガをするとき、リーディングするときはこの状態に自然と入っていくのですから慣れてはいます。

しかしここまで顕在意識に残っていないと、少し飛び過ぎてはいまいかと心配にもなります。
グランディングして現実社会に生きないと!!

 

 

さて私はアセンションに向け、この1年の間に「アセンションチャクラ(一般に言われる体内にある7つのチャクラとは異なる)」の波動調整の仕方、天使やユニコーンの力を借りるチャネリングやヒーリングの仕方などを学んできました。

こちらのブログでも度々紹介・・・していませんね。
ごめんなさい、自分だけ知って、多くの方にシェアできなかったことは痛恨の極みです。
自分の責任を果たしていない後悔が残ります。

ですがアセンションはおよそ20年の歳月をかけて変容をもたらしていくものです。

これからシェアすることで手遅れということはありませんので、どうぞその機会をお待ちくださいませ。

 

そして12月16日(日)、アセンションに特化した勉強会に行って参ります。

12月21日以降に地球に何が起こるのか、社会全体の生活形態の変化、人々が何を目指していかなければならないのかなど、おそらくは瞑想やエクササイズを行っていくものと思われます。

シェアできる内容であれば、こちらのブログでも紹介していきたいと思います。

 

 

近頃めっきり寒くなってきました。
身体を冷やさぬよう、お過ごしくださいね!

 

映利


愛情と執着。自分を自由にするために。

2012年11月16日 | スピリチュアル・ライフ?

『執着を持ちすぎると自分が苦しくなります。

思い通りにならないことは人生にはつきものです。

どのような結果もすべてあるがままに受け入れる。

執着を手放せば心が楽になります。』

 

 

【コミュニケーション能力マスター】という資格をとったとき(内閣総理大臣認証NPO法人コミュニケーション能力開発機構)の講師、杉本薫氏によるfacebookへの投稿から抜粋させていただきました。

 

「執着」と「こだわり」は別のものです。

執着は、心が囚われていること。がんじがらめの不自由な状態です。

対してこだわりは、自由意志により、いつでも手放すことができるし、その場にとどまる選択もできるものです。

 

執着が顕著に出るのは、もしかしたら恋愛においてかもしれません。

誰かを好きになったとき、それはこの上ない幸せな瞬間だと思います。

しかしそれが進むと、相手にも振り向いてほしいという欲求が生まれます。

「好き」という自発的な行為が、「好かれたい」というエゴに変わった瞬間です。

 

最近の若い人の恋愛事情を聞いていて、気になることがあります。

多くの人が「条件付き」で恋愛をしているように思うのです。

「彼女が浮気しないと言うなら、俺もしない」

「誕生日にプレゼントをくれるなら、私もあげる」

「あの子、美人だから付き合いたい」

「相手が誠意を示さない限りは信用しない」

「あと5kg痩せてくれたら、付き合ってもいいかな」

 

なんだか自分が損をしないように(あるいは傷つかないように)予防線を張りながら恋愛しているように見えるのです。

愛って、もっと純粋なものじゃないかと思うのですが、違いますか?

キリスト教では「無償の愛」、仏教では「慈悲」などと言いますが、人を好きになることで自分の中の大きな愛があることに気付き、相手だけでなく、家族や友人、人だけでなく動物や植物、自然、物など、多くのことに愛を広げる機会としてほしいし、私自身もそうでありたいと思っています。

 

好きな人にどう思われるかは気になるところです。

しかし相手の好みに合わせてばかりでは自分を失います。

相手の好みに似せた”偽りの自分”を好きになってもらって、それで満足なのでしょうか。

 

相手のために言葉を選ぶ、雰囲気をつくる「心配り」は愛の一つだと思います。

しかしそれを気に入ってもらえるかどうかは相手が感じることであり、期待をすることはすでに愛からは離れた行為です。

まして自分の思い通りにならなかったと言って相手を責めたり、自分の力不足を嘆いたりすることはエゴに他ならないでしょう。

 

執着気質の人って、確かにいます。

彼らは絶対的で、普遍的な結果を求めがちです。
物事を白か黒かで判断することが多いように思います。

自分にとって完全な安心感が得られなければ、恋愛を始めることはないようです。

まだ知り合って間もない中で、「完璧な相手」かどうかなど分かるはずもありません。

相手にとって、すでに自分が完璧な存在だと自負しているのでしょうか。

それとも相手が求める完璧な存在になろうと努力は惜しまないなどと、虚しい空想を抱いているのでしょうか。

「相手のためを思って○○している」と思ったとき、それは愛に基づいている行為であるか考えてみてください。

愛の名を借りた、押し付けになってはいないでしょうか。

あなたはいったい、何を恐れているのでしょうか。

 

恋愛に限らず、私たちはめぐり合う人との中で自分を変えていくことがあります。

それは発展的な成長であって、迎合して自分を歪めていく行為ではありません。

努力すべきは、特定の誰かのためでなく、自分自身のためです。

 

自分のエネルギーに同調できる人だけが自分の周りにやってきます。

居心地の悪くなるような人ばかり集まってきたな、と思ったら、自分のエネルギーを見直してみることをおすすめします。

最近疲れていないかな、リフレッシュできているかな、と内観してみてください。

今まで同調していたのに、最近なんだか気が合わなくなってきた、という友人や知人もいるかもしれません。

それは別な道を歩くときです。

それが大切な人であったとき、心が痛むし、寂しさもひとしおでしょう。

しかし違う道に進むからといって、その人を切り捨てる必要はありません。
むしろ相手の成長を願ってエールを送り、自分は自分の道を進めばいいのです。

いつかまた同じ道に戻ることもあるでしょう。

そのときには歓迎し、歓迎されたいものです。

 

 

思い通りにならないことは日常に確かにありますが、それもまた自分の期待が生んだ執着です。

どのような結果が出たとしても、それをどう受け入れるかで自分の成長を促すことができます。

『人生には2つある…。それはdoとhappen。
doは自我意識があって自分が目的をもって何かをすること。happenは、起こることで、それは神様がなさること。』

日本ヨーガ学会 ブログより)

『全ては既に完璧である』とは、それを指すのかもしれません。

 

 

愛情と執着はまったく別なもの。
そこに気付いて、自分を(そして相手も)自由にしてあげてください。


アセンションを前にして焦りだした!

2012年11月06日 | スピリチュアル・ライフ?

2012年12月21日に迎えるアセンションの日。

昨年2011年11月に本当のアセンションの日を迎えた、という人もいますが、どちらが正しいのかについて私自身はあまり興味がなく、深く追求したことはありません。

それはアセンション自体に興味がないというのでなく、ただその日が来るのを自然体で受け止めたいと願うため、右往左往したくないというのが本音です。

実際昨年11月頃から、私は何らかの強い影響を受けていることを否定することはできません。

わかりやすい点では体質が変わったこと。

酒豪を撤回。今では体がアルコールを受け付けなくなってしまいました。
これは私にとっては本当にドえらいことです。
人生の楽しみが半減したと言い切れるぐらい。
かつて、これほどまでにボージョレ・ヌーボーの解禁が縁遠い年はあったでしょうか・・・!

それから肉が食べられなくなってきたこと。
獣臭に耐え難いことがあるんです。
前からこんなに臭覚に敏感だったっけ?と思うほど。

それからレイキがパワーアップしています。
もしかしたら他のエネルギーも同様かもしれませんが、試していないので定かではありません。
寝ている時うっかり手が体に触れると汗が噴出すほどに暑くなって、おちおち寝ていられません(^^;)
ヒーリングの仕事には役立っていますけどネ。

 

そして最近では体調や嗜好の変化よりも、エネルギーの変化と共に精神的な影響が著しいように思います。

近頃はスピリチュアルな力を持つ仲間同士で意見交換をしていないので個人的な感想としか言えないのですが、必要としているものを引き寄せる力がこれまで以上に強力となっており、自分ばかりツイていて、世の中で不公平になってやしないかと心配するほどです。

 

イギリスを中心に惑星ニビルが地球に衝突するのではないかとか色々言われているようですが、正直言えば何が起こっても不思議ではないような気がします。

ここのところの異常気象もその1つであるわけですが。

 

 

さて、そのアセンションの日、12月21日の過ごし方についてはお話していましたっけ?

もっとも好ましいのは一人で瞑想しながら、そのありがたき瞬間をしっかり味わうことです。

 

そのために、チャクラの浄化や自分自身のエゴの解除などをその日までに終わらせることが重要です。

チャクラと言っても、一般的に言われる7つのチャクラのことではありません。
もちろん既存のチャクラの浄化は必要なわけですが、その他にも高次元のチャクラが存在しており、今から準備してアセンションのパワーを受け取るための調整が必要なわけです。

と言っても、私はまだそれについて手付かず。

方法については半年も前に伝授されたのに、実行が伴っておりません(><)

だから私の場合、アセンションの準備のための準備で止まってしまっている状態。

それに数日前にふと気づいて、内心は結構焦っております。

自分自身もそうだけれど、私を通じてアセンションを迎える方々のために、私は何もしていないわけです。

あー、どうしよう!!

今からワークショップを開こうかどうか迷います。

・・・と書いているそばから、「迷うぐらいなら早くやりなさい」という声が聞こえてきました。

というわけで、緊急企画を企てる必要がありそうです。

それについては明日考えてみることにしましょう。

今夜はこの辺で。おやすみなさい。