True Colorsを見つけるためのセッション
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新聞を読まなくなって、どのぐらい経つのだろう。
会社員をしている頃は、毎朝3紙を読んで情報収集していたというのに。
私が新聞やニュースを積極的に見なくなった理由。
それはネガティブな情報が、自分自身にどれだけの影響を与えているか気付いたからです。
10年に一度と言われる台風。
各地で大きな爪痕を残しました。
それについての報道を目にし、耳にすると、感情的に揺さぶられます。
エンパスである事は強みであり、弱みでもあり、こういうの、諸刃の剣・・・と言うの???
行方不明の身内を案ずる人などが映し出されると、その方の思考や感情が自分の中に入ってきます。
無防備でいると、行方不明になった方自身と繋がってしまいます。
エンパシーは「共感力」と訳されるけれど、私自身は「度を過ぎた共感力」と思っています。
「共感」は文字通り、「共に感じる」という事だけれど、それは「同情」とはまったく違います。
同情は他者に起こったことであり、共感は自分自身に起こった事とも言えるのです。
エンパスは、何が起こってどうなった、という情報を得ることなく、他者に起きている感情を共に味わいます。
エンパスのタイプにも幾つかあるようですが、私は感情を請け負うタイプ。
中には動植物と波長を合わせるタイプや、他者の肉体的な痛みを請け負うタイプもあるようです。
タイプこそ違えど、自分自身に起きていない事によって、感情や肉体に影響を受けることで、エンパスゆえに悩んでいる方は多かろうと思います。
かつて私もそうだったから、わかります。
エンパスという概念さえ知らなかった頃には、自分の身を守る方法どころか、自分に何かが起きているのかさえ自覚がなかった。
しかし今、多少なりとも知識を得た後では対策を講じることができます。
エンパスにとって必要なのは「一線を画す」ことです。
今起きている感情が、自分のものなのか、あるいは他者のものなのか。
他者のものであるならば、それは自分自身が負う必要のあるものなのか、そうでないのか見極める客観性が大事かと思います。
エンパシーについては、世界的にまだ十分研究されていない分野なのではないでしょうか。
それゆえ私には分からないことも多いのですが、一説にはエンパスが請け負う「痛み」は、オリジナル(本来「痛み」を持つ人)のそれを軽減させると言います。
だから、ある意味では「貢献」なわけです。
しかし、それがオリジナルにとってメリットがあることなのかどうかは判断しかねるところです。
日々の中ではいつも何かが起こっています。
一見するとネガティブな事でも、精査してみれば、その中には肯定的な意味を含んでいると私は考えています。
そうであれば、オリジナルが経験すべきものを、全部ではないにしてもエンパスが言え請け負ってしまうことはどんな意味を持つのでしょう?
自分が「度を過ぎた共感力」を持っている、と気付いた方。
その力をどのように使っていくのか、自分の意思によってコントロールしていく性質のものであることを知ってほしいと思います。
ところで昨日は、完全にエネルギー酔いしていました。
10年に一度の、その巨大な台風のエネルギーの下で、小さな存在である私はコントロール不能。
昨日は眠くて・眠くて、起きているのが大変。
一夜明けて、意識的に自分を律しようとするのだけれど、自分の意思とは裏腹に自動操縦されるかのようにフワフワ浮き気味。
するとちょっと、あり得ない事が起きたりします。
まだ数回しか履いていないスニーカー。
今朝歩いていたら、ソールがベロっと剥がれてしまいました。
もう歩行不可能。
家に帰って履き替えるだけの時間は無く、新しい靴を買うには時間が早すぎ、仕方なく残っている部分を力まかせに剥ぎ取りました。
すると左右の足で高さが変わってしまうので、残った方も剥ぎ取って。
こんな事は初めて。
朝からアンラッキーなことが起きたなぁ。
そう思っていましたが、後でそれが必要な出来事であることが分かりました。
つまり、「足元に注目せよ」→「地に足をつけよ」、という警告だったのです。
昨日エネルギー酔いし、一夜明けたとは言え、自分が思っている以上にその影響が色濃く残っていたようです。
それが分かる前は仕事をしていても、どこか非現実的で、気付くと自分が何をしているのか分からないような有様。
夢遊病・・・というか、まさに夢の中にいるような感じ。
靴が壊れて、「地に足をつけよ」という警告を受け取ったことで、自分をリセットすることができました。
ほんと、何事にも肯定的な意味があるものです。
数回しか履けなかったスニーカー。
私のために働いてくれたゆえ、壊れて処分する運びとなりました。
きれいに汚れを落とし、感謝の言葉をかけてお別れしようと思います。
高価なスニーカーだったので残念だけど。
トホホ・・・(T_T)
起きぬけの夢は意味深。
単なる夢でなく、ガイドからのメッセージを含んでいることがあります。
夢と現実の間でさまよっている無防備な状態、固定観念に左右されない自由な状態の起きぬけは、ガイドがメッセージを送りやすいのだそうです。
『夢のお告げ』って、本当にあるのです!
私の今朝の夢。
”夢のお告げ”・・・とは少し違うのですが、”意味深”ではありました。
どんな夢だったかと言えば、歌を聴かされました。
ちゃんと聞いたことはないけれど、聞き覚えのある歌。
このブログを書くために、メロディを頼りにタイトルを調べました。
マイケル・ジャクソンのHeal The World。
歌っていたのはマイケル。
なぜ意味深であったかと言えば、その歌を聞きながら自分が癒されていくのを感じていたからです。
タイトルを知って、Heal(=癒す)~とは、これまた意味深だなぁと思わず笑ってしまいました。
単なる偶然だろうって? それでもOKです。
私は確かに癒されたのですから。
最近の私、完全にエネルギー不足です。
カフェの仕事での疲労もあるのですが、それを補おうと、時間がある限りダラダラと寝てばかりいたら、かえって気が滞ってしまったようです。
運動不足と筋力ダウン、リンパ液のめぐりが悪くなる事などが重なって、身体のあちこちに激痛(>_<)
漢方薬の処方を行っている友人に相談したら、まさに『気虚』の症状。
今は薬に頼りたくないので漢方薬は試さずにレイキなどでヒーリングしているものの、元来自分の身体を癒すのは真剣になれなくて、すぐに寝てしまったり別なことを始めてしまうのであまり効果がありません。
医者の不養生とは言いますが、ヒーラーの不養生と言われても仕方がない(反省)。
でも私、自分の身体は人に癒して欲しいのですよ。
そのようなわけで、初めてオステオパシーという治療を受け始めています。
オステオパシーについては、これまたおもしろい話があるので別な機会に書いてみたいと思います。
そんなエネルギー不足の私。
自然の中に出向いて英気を養いたいところですが、あいにくの酷暑。
おまけにエネルギーが足りなさ過ぎて、出かける気力もない。
完全に悪循環です。
けれど、良くない事が起きるときにはいい事も起こるものです。
それは霊感力が高まっていると感じること。
元々、霊感(身体で感じるスピリチュアルな能力)は強いそうなのだけれど、身体に起こっていることを頭で理解するセンスが鈍いようで?、なかなかその力を活かすことが出来ない私。
それが先日、ちょっと不思議な体験をしたのです。
友人に病気の兆候があり、心配していた折り。
検査をしてみたら大丈夫だった、という報告メールを見たとき、私の胸の辺りからブワーっと雲のようなかたまり(エネルギー)が肩を通して上へ抜けていったのです。
こういうの、何て言うのでしたっけ?
肩の荷が降りる、じゃなくて、憑き物がとれたと言った感じ!!
思考もエネルギーだと言うけれど、心配というエネルギーが私の中に、知らず知らずのうちに憑いていたのだなぁと思いました。
そして今朝。
マイケルの歌を聴いていると、身体から良くないエネルギーが抜けて楽になっていくのを確かに感じていたのです。
私は英語は分からないし、マイケルのこともほとんど知らないけれど、彼の歌や歌声には浄化のエネルギーがある事を知りました。
私のスピリチュアルカウンセラーのN先生から聞いたことがあります。
彼のエネルギーは高く、ライトワーカーだよ、と。
ライトワーカーとは、悩める人を救ったり、高次へと導く働きをするために生まれてきた人のことを言います。
私も同じライトワーカーとして、もっと行動しなくてはいけないなぁ。
いやはや、反省しまくりです。
というわけで、一曲歌って皆様へお届けしようと思います→嘘ウソ(笑)
ライトワーカーは役割を果たすために、いろいろな職業に就いています。
マイケルの場合には歌手、私の場合にはカウンセラー、ダイアナ妃は社会貢献を通じて。
ライトワーカーの資質を持っている人は看護士やヒーラー、マッサージ師など、人と触れ合う仕事に就く確立が高いようです。
しかし、そういう仕事に就かない人たちも多くいます。
よくN先生が例に出すのが八百屋さん。
新鮮で安全な野菜を提供することで、八百屋さんは人に貢献することが出来るというわけです。
マイケルやダイアナ妃と並んで自分をライトワーカーだと言うのはおこがましいようですが、事実は事実。
ライトワーカーになる人が偉いとか、そうでない人よりも優れていると言っているわけではなく、そういう役割を担っているというだけのこと。
驕り高ぶるつもりも無いけれど、今の私はライトワーカーとして働けていないかな。
いや別に、ライトワーカーは何かをしなければならないというものでも無く、存在することで周りにいる人が自動的に癒されたり、気付きを得たりしていくのだそうです。
その役割を果たすために私が今しなければならないことはエネルギーを補充すること。
さて、いかにして!?
やっぱりカウンセリングをしていくことかな。
私に仕事をさせてくださる方、ご一報くださいませ(^^)
ところでHeal The World。
歌詞も意味深。
本当にステキ!
私が一番好きなのは、
Love is strong
It only cares of joyful giving のところ。
愛は強い。喜びだけを与えてくれるものなんだ。
みなさんは今、一緒に過ごしている家族やパートナーに喜びだけを与えていますか?
もし不安や恐怖を与えているとしたら、または与えられているとしたら、その人とは距離をおくべきかもしれません。
距離とは、何も離婚して籍を抜くとかそういうことでは無く、心的な距離であってもいいのです。
私たちは時に、人を愛するように自分を愛することができなくなっている事があります。
I’m OK , You're OK. これがベストな状態。
I'm not OK , You're OK や、
I'm OK , You're not OK という状態は問題があります。
今すぐに解決できない問題もあるけれど、ベストな状態を目指そうという気持ちが大切なのです。
そう思った瞬間から、その思考によって行動が変わってきます。
最初は小さな一歩かもしれないけれど、長い目でみればその違いは大きなものとなります。
人との付き合いだけでなく、職場や職種、良くいく店、良く聴く音楽、良く観るテレビ。
これらが自分にいい影響を与えてくれるかどうか一度考え、そして自分の意志で選択していきましょう。
Heal The Worldを添付しますね。
よかったら聴いてみてください(^^)
届くといいな、あなたにも癒しのエネルギーが♪
http://www.dailymotion.com/video/xpk9i4_michael-jackson-heal-the-world-live-in-tokyo1992_music
今日も読んでくださってありがとうございます。
珍しく、苦手な瞑想に挑戦してみようと静坐してみたら。
額の当たりがムズムズとしてくるではありませんか…!
おおっ!
遂に第三の目が開かれようとしている!?
期待を持って鏡を見てみたら。
おおっ!
おでこを蚊に刺されている!!
まったくもう、紛らわしいったら(^_^;)
心理学者のユングは、『ペルソナ』という概念を残しています。
ペルソナとは劇中に役者が被った仮面のこと。
人は社会的な役割に応じて幾つもの仮面を持ち、それを使い分けているとユングは理論づけたのです。
職場で見せる「デキる女」の仮面。
子供に見せる「教育熱心な母」の仮面。
お姑さんに見せる「礼儀正しい妻」の仮面。
親友に見せる「甘えん坊な友」の仮面。
自分では気づかなくとも、私たちは内面に幾つもの側面を持ち、そして自分の意志によって外側の世界へ表しています。
「いったい、どれが本当のあなたですか?」
そう聞かれたら、あなたは何と答えるでしょう?
「どれも私です」と答えられますか?
ペルソナは「役割」であって、根幹にある自分は唯一無二。
ところが望まない仮面ばかりを被って生活をしていると、その根幹にある自分を見失う可能性があるのです。
「どれが本当のあなたですか?」
そう聞かれて、「どれも本当の私ではありません」とか、「どれが本当の私でしょうか?」と考えるとしたら、状況は少し深刻かもしれません。
なぜそういうことが起こるのか。
理由は様々です。
自分に自信が無く、人に合わせ過ぎた結果。
自己評価が低いがゆえ、心の空洞を埋めるために他者評価を得ようと画策した結果。
養育期に親によって、自分自身を表現する機会を奪われた結果。
etc・・・。
どんな理由があるにせよ、自分自身を取り戻したいと思えばそうすればいいのです。
だって、自分自身を手放したのは自分自身の手によって。
そうであれば、自分自身を取り戻すことだって可能なのです。
いかなるきっかけであれ、そうなる選択をしたのは自分の意志によるものです。
私たちはどんな時も自分の意志を発揮し、日々、毎分、毎秒と数え切れないほどの選択をしています。
だからそこに責任を負わねばなりません。
誰かのせいにしたり、環境のせいにしているのは責任を放棄した姿です。
そして同時に、私たちは行為の結果に責任を負わねばなりません。
いかなる結果が起きようと、それは意味があって起きています。
意味。
それは、どういうことでしょうか?
意味。
それは、どういうことでもありません。
意味を作るのは自分自身だから。
結果をどう意味づけるか、どう解釈するかは自分によるものです。
それは無意識に在る経験、感情などによって自動的に決まってくるものと思われます。
しかし意識的に考え、無意識に落とし込むことができれば、『新たな意味』を創り上げることができます。
ネガティブな意味はポジティブな意味へ。
自分を納得させられない意味は、自分にとって好ましい意味へ。
どのようなペルソナを被っていくのか。
それもまた、自分が望む仮面を選択していけばいいだけのこと。
真に自分を幸せにすることが出来るのは、恋人でも伴侶でもなく、自分だけです。
誰かが幸せにしてくれるのを待っているとしたら、それは永遠にやってきません。
どんなに幸せな状況であっても、それを幸せと思えなければ、幸せは感じられないのです。
愛すべき自分になりましょう。
手伝いが必要であったら、声を掛けてください。
一緒にさがそう、あなたのTrue Colors-本当の自分-
総理大臣になりたい、と思ったことがあるでしょうか?
思ったことの無い人にとっては、こういう質問をされて初めて「総理大臣」という職業の選択があることに気づくのではないでしょうか?
赤い車が欲しい。
そう思ったとたん、急に街中で赤い車が目に入るようになる。
そんな経験はありませんか?
人は意識するまでは無頓着であったのに、意識した瞬間から欲しいものが目にとびこんでくる。
そんな習性があるようです。
「こういう生活は送りたくない」
「こういう人にはなりたくない」
たとえそれが否定的な感情であっても、「意識」にのぼらせていることに変わりありません。
脳は、否定語を理解しない性質もあります。
「○○を買い忘れないようにしなくちゃ」
「このチョコレートの最後の一かけら、食べないようにしなくちゃ」
すると脳は、
「あれ?何を買うのだったっけな?」
「食べないで我慢しなくちゃ、このチョコレート。あー、だけどやっぱり食べたい、えーい、食べちゃおう」と反応するのです。
これを防ぐには、肯定的に思考すると良いのです。
「○○を買うぞ」
「チョコレート、食べるぞ。明日の3時にね♪」
・・・こんな風に。
探し物をするとき、「無い・無い・絶対あるはず無い」なんて思いながら探すときには見つからないものです。
ところが横からヒョイっと覗いた家族が、「これでしょ?」なんて、あっという間に見つけてくれたりして。
そう。探し物をするときには「ある・ある・・・」と思いながら探した方が良いのです。
私の友人が、夢にむかって新たなスタートを切りました。
私も応援したい気持ちでいっぱい!!
けれど気になることが一つ。
彼は言います。
「数年は下積みの苦しい生活はやむを得ない」と。
だから私は言います。
「そんな現実を望まないで」、と。
”やむを得ず”と言えども、そう思うということはそれを望んでいるという表れなのです。
望むことが現実を創り出します。
総理大臣になりたいと思わない人には、総理大臣になる道は開けません。
でも総理大臣になんかなるものか!と思う人には、何かのチャンスが訪れるかも・・・。
言葉は思考から生まれます。
けれど、急に思考から変えるのは難しいかもしれません。
そんなときには意識的に、言葉から変えていく手もあります。
私などは「引き寄せる力」が本当に強いので、やたらめったらな事は言語化できません。
逆に、内心では「ちょっと難しいかなー」と思っていることは積極的に口に出すようにしています。
ヨーガでは「アファメーション」という手法があります。
アファメーションとは、願望を肯定的な言葉で宣言するというものです。
アファメーションは具体的な方が効果があるようです。
何千年も前から、人はイメージすることと言葉の使い方の重要性を説いていたのですね。
GWも終盤。
「また疲れる生活が始まるなぁ」と言わずに、自分にフィットした肯定的な表現によって「望む現実」を創っていってくださいね!