ネットオヤジのぼやき録

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階級事始め -ボクシングの階級はいかにして成立したのか? -

2020年07月05日 | Box-History

フィッシモンズの歴史的な快挙へと話を進める前に、ここで少し階級について整理しておこう。

18世紀のイングランドに出現した開祖ジェームズ・フィグ(1684年~1734年12月7日)が、古代ローマのパンクラチオンをベースにした格闘競技を蘇らせて以降、そもそもボクシングには階級が存在しなかった。端的に言うと、ヘビー級(無差別級)があるのみ。

裸の拳(ベアナックル)で殴り合うだけではなく、投げ技、噛みつき、目突き(現代の我々が想像するサミングではなく目玉をくり抜いてもOK)も許される。

ノールールと呼んでも差支えがないほどで、試合の制限時間もない。どちらかの選手が立てなくなるまで、延々何時間でも戦いは続いた。

フィグが考案した競技は、現在の総合格闘技など及びもつかない過激かつ危険なもので、死亡を含む大きな事故を防止することができず、禁止論者たちとの政治的な闘争を常に強いられた。


そしてフィグの高弟ジャック・ブロートンが、自らも引き起こした重大事故を契機にして、1743年に史上初のルール・ブック(ブロートン・コード,ブロートン・ルール)を策定・公表。それまで無制限だったウェイトも、160ポンド(72.7キロ/11ストーン4ポンド)超をヘビー級、160ポンド未満をライト級として定めた。


※ジャック・ブロートン(1703年もしくは1704年7月5日~1789年1月8日)



◎ブロートン・コード(ブロートン・ルール)について
<1>Broughton's rules (1743) - PUGILIST
https://www.pugilistgear.com/category-s/138.htm

<2>Broughton’s Rules - Boxrec
https://boxrec.com/media/index.php/Broughton%E2%80%99s_Rules

ブロートン・コード(ルール)が定めた条文は僅か7ヶ条に過ぎないが、画期的なのは以下の2点である。
<1>ノックダウンとノックアウトを規定
倒された選手の保護を最優先に、倒した側の追撃を禁止。リング中央からコーナー付近まで移動することが許され、回復して中央に戻るまでに30秒間の猶予を与えられた。
<2>報酬(賞金)の配分を規定
勝者:2/3,敗者:1/3


倒れた相手への攻撃ばかりか、噛みつきやサミング(目玉を抉っても可)が禁止されていないとは言っても、プライズ・ファイターたちが全員そうした野蛮な行為に及んでいた訳ではない。

文章化されたルール(反則に関する規定も含めて)が無いというだけで、「暗黙の了解」として慣例的に運用されてきたルールは当然ある。ブロートンが7ヶ条の中に記した「30秒の猶予」もその1つ。

相手を投げ飛ばしたり蹴ったりすることも反則では無かったが、誰でも彼でものべつまくなしにはやったりはしない。実力者の中には、「1対1の男の勝負」という矜持を大事にする選手もいた。

ブロートンにも色々と考えるところはあったようだが、これら「暗黙の了解」について、結果的に文章化して明確に規定していない(あるいは意図的に避けたのか)。

とは言うものの、やはり反則行為について、何1つ具体的な取り決めが無いというのは、競技としては明らかに問題である。

1838年に「ロンドン・プライズリング・ルールズ(London Prize Ring rules)」が発表され、1853年の改訂版策定公表(ベアナックル・ルールの完成)までの間に、ウェルター級とミドル級が本格稼動したというのが大まかな流れのようだが、成立過程の詳細まではわからない。

◎ロンドン・プライズリング・ルールズについて
<1>London Prize Ring rules (1838) - PUGILIST
https://www.pugilistgear.com/category-s/139.htm

<2>London Prize Ring Rules - 1838 - IBRO(International Boxing Research Organization)
https://www.ibroresearch.com/london-prize-ring-rules-1838/

<3>London Prize Ring Rules - Boxrec
https://boxrec.com/media/index.php/London_Prize_Ring_Rules


「ロンドン・プライズリング・ルールズ」では23ヶ条の条文が作成されたが、ブロートン・コードよりも大きく踏み込んで、競技の範疇を完全に逸脱した以下の行為を反則として規定。全面的な禁止を明確に記載する。

<1>意図的なバッティング(頭突き,体当たり,肘打ちなど)
<2>サミング(目突き,抉るなど全般)
<3>爪による攻撃
<4>すべての蹴り
<5>ダウンした相手への攻撃
<6>ロープを掴む
<7>松脂等の悪用(サミング等滑り止め以外を目的とした使用)
<8>ナックル以外の硬い武器を使った殴打(手の中に隠して握り込む)


「ルールに書かれていない=いくらやっても構わない」という空恐ろしい認識を、プライズ・ファイターの誰もが持っていた訳ではないにしろ、ブロートン・コードからおよそ100年もの間、選手の常識とモラルにすべてを委ねていたのかと思うと、率直に言葉を失う。適切な表現がすぐに出て来ないのだ。

こうしてベアナックル・ルールが確立する18世紀後半~19世紀初頭にかけて、142~145ポンドを目安にしたウェルター級、160ポンドを上限(あくまで目安)としたミドル級の2階級が定められる。

最軽量のライト級は当然142ポンド未満となる筈だが、各階級のリミットは必ずしも厳格に運用されていた訳ではなく、馴染みの無い新しい階級が定着するまでには相応の時間も必要で、下の階級ほど軽く扱われる傾向も影響して、ライト級について130~150ポンド程度を目安にしていたの説もある。


1870年代後半~1890年代末までの間、166ポンドを上限とするL・ヘビー級王者を名乗る選手もいたらしく、現在のようにしっかりしたコミッション制度は勿論、厳密な意味での統括機関もない状態で、実力と名声を認められた選手(あるいはマネージャー)が、勝手に新しい階級を即席でデッチ上げて、既成事実化するような動きも頻繁にあったと思われる。

それこそ草興行のレベルから新聞が報じる有名選手の試合まで、まさしく玉石混交の興行が禁止論とのせめぎ合いの中で繰り返され(逮捕者も少なくなかった)、その都度選手のコンディションと都合に合わせて、契約体重が決められていたというのが実情のようだ。


その後、1865年にクィーンズベリー・ルール(Marquess of Queensberry rules/2オンスグローブ着用)が施行される。世に言う「近代ボクシングの夜明け」である。


※クィーンズベリー侯
(ジョン・ショルト・ダグラス侯爵/1844年7月20日~1900年1月31日)

◎「クィーンズベリー・ルール」について
<1>Marquess of Queensberry rules (1867) - PUGILIST
https://www.pugilistgear.com/category-s/140.htm

<2>Marquess of Queensberry Rules - Boxrec
https://boxrec.com/media/index.php/Marquess_of_Queensberry_Rules

<3>国際ボクシング殿堂 - Marquess of Queensberry
http://www.ibhof.com/pages/about/inductees/nonparticipant/queensberry.html

<4>参考:The American Fair Play Rules
https://www.breathingboxing.com/2019/02/22/the-american-fair-play-rules/

「アメリカン・フェアプレイ・ルールズ」は、「クィーンズベリー・ルール」を下敷きにして、1888年にデヴィッド・ブランチャード(David Blanchard)なる人物が策定したもので、アマチュアに特化した内容だったこともあり、幅広く認知・支持されるには至らなかったという。 


「クィーンズベリー・ルール」は、以下の12ヶ条によって構成され、現在に続くボクシング・ルールの礎となった。

<1>リングのサイズ(広さ):24フィート(約7.3メートル)四方
<2>レスリング行為の禁止
<3>1ラウンド×3分,休憩(インターバル)×1分
<4>ダウンした選手が10秒以内に立ち上がれない場合負けとする(KOの規定)
  ダウンを奪った選手は自軍コーナー(ニュートラルコーナーではない)で待機する
<5>スタンディング・ダウン(ロープダウン)の規定
<6>ラウンド中の第三者(セコンドを含むすべての者)のリング内立ち入りを禁止
<7>不可抗力(事由を問わず)により継続が不可能となった場合
  レフェリーは速やかに試合の終了を宣告する(終了タイム,試合地を記録)
  両選手のコーナー(マネージャー等)が引き分けに同意しない限り
  レフェリーは必ず勝敗を明確にしなければならない(TKOの規定)
<8>ボクシング・グローブの着用(適切かつ公正なサイズ+最高品質の新品)
<9>試合中にグローブが破損または外れた場合レフェリーは直ちに交換を命じ
  状態(不正の有無を含め)を必ずチェックする
<10>一方の選手が片膝を着いた場合はダウンとみなす
  ダウンした状態で加撃された場合勝者の権利を得る(反則による決着の規定)
<11>スパイクやスプリング,釘などによるシューズへの不正な細工を禁止
<12>上記以外は「ロンドン・プライズリング・ルールズ(1853年改訂版)」に準ずる


多過ぎず少な過ぎず、誰にも分かり易く書かれており、ベアナックル・ルール(プライズ・ファイターたちのプライド)にも配慮を怠らない、立派なものだと思う。

だがしかし、近代ボクシングの夜明けはそう簡単に訪れてはくれない。十二分に予測された反応ではあったのだが、伝統的なプライズ・ファイターたちが、軒並みグローブ着用を拒絶する。

「男と男の戦いに、手袋なんかしていられるか!」

グローブの使用に否定的かつ頑固なプライズ・ファイターたちの姿勢は、クィーンズベリー侯を大いに失望させたが、グローブを着けた試合がどんなものか、プライズ・ファイターたちはまともに見ていない。

長い年月かけて築き上げてきた伝統と誇りを、具体的な戦いをじっくり見てもいないのに、いきなり捨てろと言うのも強引に過ぎる・・・クィーンズベリー侯は、プライズ・ファイターたちの思いにも理解を示し、既存のプライズ・ファイトとは異なるムーヴメントの必要性を早くから実感していたようだ。

実際にルールを考案・策定したのは、ウェールズ出身のジョン・グラハム・チェンバースという人物で、大地主の御曹司だった。


※ジョン・グラハム・チェンバース
(1843年2月12日~1883年3月4日)

◎国際ボクシング殿堂 - John Graham Chambers
http://www.ibhof.com/pages/about/inductees/nonparticipant/chambersjohngraham.html

ウィンザーにあるイートンの寄宿舎で学び、ケンブリッジに進んだチェンバースは、ボートレースを愛好する優秀なスポーツマンで、1866年にアマチュア・アスレチック・クラブを創設するとともに、1880年のアマチュア・アスレチック・アソシエーション(AAA:世界最古の陸上競技の統括機関)の設立にも参加。

テムズ・レガッタ(ヘンリー・レガッタ:最古のボート・レースでありイングランドの初夏に欠かせない風物詩として有名)を筆頭に、陸上,ロードレース(自転車),ビリヤード,レスリング,ボクシングなど、多くのスポーツ大会の設立・運営に携わった。

侯爵はチェンバースの助けを借り、アマチュアの普及拡大を急ぐ。プライズ・ファイターへの説得を粘り強く続けつつ、軍隊と大学に支援と協力を求め、1867年に自らの名前を冠したアマチュアの大会を開催。グローブ着用に興味を持ってくれたプロにも参加を呼びかけ、オープン・トーナメントの体裁を採る。
※The Queensberry Amateur Championships(1867年~1885年)

当初は選手の絶対数が足りないという現実的な問題もあったが、大会に出場したプロを通じて、グローブ着用の必要性と正当性を広くアピールする狙いも当然あり、時間はかかったけれど、侯爵の作戦は最終的に奏功した。

そして史上初のアマチュア大会は、当然のことながら「クィーンズベリー・ルール」で運営され、以下の3階級で行われている
<1>ヘビー級
<2>ミドル級
<3>ライト級

※リミットの詳細は不明だが、以下のABA選手権で採用された階級に同様と思われる


侯爵の大会は1885年まで続き、その過程で設立された「ABA:イングランド・アマチュアボクシング協会/Amateur Boxing Association (1880年:12のクラブが参加)」が、1881年に第1回の大会を開催。その際に規定されたのが以下の4階級だった。
※ABAはイングランドのアマチュア統括機関として現在も活動中

<1>ヘビー級:168ポンド超(上限なし)※1889年に「無制限(下限も無し)」に改訂
<2>ミドル級:11ストーン4ポンド(160ポンド=72.7キロ)
<3>ライト級:10ストーン(140ポンド=63.5キロ)
<4>フェザー級:9ストーン(126ポンド=57.15キロ)

やがてアメリカのボクサーたちもABAの大会に参戦するようになり、第3回のセントルイス五輪(1904年)で正式競技として認められるまで、ABAの選手権はアマチュアで唯一の国際大会として認知される。

 

また、1891年にロンドンで設立された「ナショナル・スポーティング・クラブ(ナショナル・スポーツ・クラブ:The National Sporting Club /NSC)」は、最古の統括機関(の1つ)とされており、クィーンズベリー・ルールの改訂に着手した他、試合役員(Ring Officials:レフェリー,タイムキーパー,立会人他)の役割を整理するとともに、初めて採点基準を規定。勝利者を決定する権限をレフェリーのみに与え、ラウンドごとのポイントを明確にして、判定決着になった場合でも、試合内容と結果に疑義が生じることのないよう配慮された。

NSCが直接主催する試合は、定められたルールを厳格に適用し、私たちが一般的にイメージする「興行」とは、かなり趣きの異なるものだったようである。

フェアネスとスポーツマンシップを何よりも尊ぶ態度が求められ、開始は必ず夕食後で、1,300名ほどのNSC正会員と、その時々に招かれるゲストが観戦する。ラウンド中の勝手な発言や歓声を禁じられていた為、NSCの公式戦は、静まり返った会場で粛々と進められた。

こうしてグローブ着用と階級制への理解と関心は深まり、より安全でフェアな戦いを実現する為、階級とリミットの規定を厳格化しようという機運が高まって行く。


そしてNSCは、1909年~1910年にかけて、8つの階級についてリミット(上限及び下限)も含めて決定。公表された内容は以下の通り。

<1>ヘビー級:175ポンド超(上限なし)
<2>L・ヘビー級:12ストーン7ポンド(175ポンド=79.5キロ)
<3>ミドル級:11ストーン4ポンド(160ポンド=72.7キロ)
<4>ウェルター級:10ストーン7ポンド(147ポンド=66.8キロ)
<5>ライト級:9ストーン9ポンド(135ポンド=61.4キロ)
<6>フェザー級:9ストーン(126ポンド=57.15キロ)
<7>バンタム級:8ストーン6ポンド(118ポンド=53.5キロ)
<8>フライ級:8ストーン以下(112ポンド=50.9キロ)

ボクシングに詳しい方ならお気づきだと思うが、これが現在に続く「正統8階級(Original 8)」で、1913年(1911年説有り)にパリ(ブリュッセル説有り)で発足した最古の世界タイトル認定団体IBU(International Boxing Union/国際ボクシング連合/現在のEBU:European Boxing Union/第二次大戦終結直後の1946年に欧州王座認定機関へと転換)は、当然のようにNSCの8階級を継承。

しかし、IBUに対抗する形で1921年に組織されたNBA(National Boxing Association/全米ボクシング協会=現在のWBA)は、当初11の階級を定めていたとされる。

<1>ヘビー級:175ポンド超
<2>L・ヘビー級:175ポンド以下
<3>ミドル級:160ポンド以下
<4>ウェルター級:147ポンド以下
<5>J・ウェルター級:140ポンド以下
<6>ライト級:135ポンド以下
<7>J・ライト級:130ポンド以下
<8>フェザー級:126ポンド以下
<9>バンタム級:118ポンド以下
<10>フライ級:112ポンド以下
<11>J・フライ級:99ポンド以下

ただし、J・ウェルターとJ・ライトは参入する有力選手が皆無に等しく、開店休業の状態が暫く続き、J・フライも現実的にこのウェイトで戦う選手がおらず、発足直後に廃止されたらしい。

時折り、「J・フェザー級を含む12階級(もしくはJ・バンタムも加えた13階級)」との記述を目にするが、1920年に設立されたニューヨーク州アスレチックコミッション(NYSC:New York State Athletic Commission)が規定したウェイト・クラスと混同している可能性が高い。

◎NYSACの13階級
<1>ヘビー級:175ポンド超
<2>L・ヘビー級:175ポンド以下
<3>ミドル級:160ポンド以下
<4>ウェルター級:147ポンド以下
<5>J・ウェルター級:140ポンド以下
<6>ライト級:135ポンド以下
<7>J・ライト級:130ポンド以下
<8>フェザー級:126ポンド以下
<9>J・フェザー級:122ポンド以下
<10>バンタム級:118ポンド以下
<11>J・バンタム級:115ポンド以下
<12>フライ級:112ポンド以下
<13>J・フライ級:109ポンド以下

ニューヨーク州の13階級に、J・ミドル(154ポンド以下),ミニマム(105ポンド),S・ミドル(168ポンド以下),クルーザー(190ポンド以下/2003年~2004年に200ポンドに引き上げ)の4つを加えて、J・フライの109ポンドを108ポンドにすれば、現在の17階級と完全に同一となる。

結果的にNSCが定めた「正統8階級」が、ボクシングのあるべき階級として認知・定着し、今日に至ったという次第。


当然この流れは、現実のチャンピオンシップにも影響する。現代に継承される世界チャンピオンは、1880年代~90年代にかけて次々と登場するが、ヘビー級,ミドル級,ライト級,バンタム級,フェザー級,ウェルター級の順に決まり、L・ヘビー級は1903年、フライ級は1913年まで待たねばならない。


次に初代の世界チャンピオンを、念の為にまとめておく。
「世界王者事始め」へ続く