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ネットオヤジのぼやき録

ボクシングとクラシック音楽を中心に

試合を止める権限は誰にあるべきか - 賛否分かれる大和トレーナーの決断 -

2017年08月16日 | Boxing Scene
山中が敗れた。

最も避けなければならない展開に自ら陥り、出来たはずのリカバリーをやり損ねてしまった最大の責任は、一にも二にも山中本人にある。誰のせいにもできないことは、プロ初黒星を喫してベルトを失った彼自身が誰よりもわかっている筈だ。

そして試合を止めた大和心(やまと・しん)トレーナーの判断、決断についてその是非を問う声が上がっている。火を着けたのは、なんと帝拳グループを率いる総帥,本田明彦会長その人。

「最悪のストップ。(大和トレーナーは)感情に流された。」

一部スポーツ紙(WEB版)の報道では、「激怒」といった過激な表現も踊っているが、本当に頭から湯気を立てて怒ったのかどうかまでは不明。勿論、その可能性がゼロとは言い切れないが、チーフに据えて山中のコーナーを任せてきた人物に対して、メディアの前で立場が揺らぐほど全否定するとも思えない。記事の内容を鵜呑みにするのは危険だ。


「遅過ぎるストップはあっても、早過ぎるストップはない。」

ラスベガスの風物詩と化した(?)アーリー・ストップとともに、選手も真っ青になる華麗なフットワークで世界中に顔と名前を売った名物レフェリー、リチャード・スティールが残した名セリフである。

「止めるのが早過ぎる。これからが本当の勝負なのに・・・。」

レフェリーストップのタイミングについて批判を受けるたび、スティールは毅然とした態度で反論した。彼には揺ぎない信念があった。

「ボクシングはスポーツなのだ。選手たちは命をかけてリングに上がっている。試合を止める権限を有する者は、レフェリーとチーフトレーナーだけなのだ。どちらが判断を誤っても、大事に至る恐れが常にある。どんな理由があろうとも、ボクシングを殺戮ショーにしてはならない。」


今一度、スティールの言葉を繰り返す。

”試合を止める権限を有する者は、レフェリーとチーフトレーナーだけなのだ。”


やはりWEB版の報道だが、大和トレーナーが他の誰にも相談せず、自らの判断のみでリング内に入った(タオルを投げずともその時点でギブアップの表明となる)行動について、間違いであるかのごとき馬鹿丸出しの記事も目にした。冗談じゃない。自分が預かる選手の安全を守ることは、勝利とともにチーフトレーナーが背負う最大の責務でもある。

一刻を争う状況下において、いちいち誰かにお伺いを立てている暇などない。チーフトレーナーは勝敗の全責任を双肩に担い、自らの立場を賭してタオルを投げる。あるいは昨晩の大和トレーナーのようにリング内に入り(本来は失格=反則負け)、大切な自分の選手を危機から救う。


では、昨晩山中が第4ラウンドに迎えた大ピンチが、「一刻を争う事態」であったのかどうか。その点については、当然議論の余地はあるだろう。しかし、”試合を止める権限を有する者は、レフェリーとチーフトレーナーだけ”なのだ。カナダから派遣された主審マイケル・グリフィンには、止める意思が無かったように見受けられた。「山中はまだ戦える。」との見立てだったと思われる。

だがしかし、大和トレーナーは「危ない」と実感した。あのまま続けて山中がダウンを奪われ、結果的にレフェリーストップでTKO負けしたとしても、重大な事故に直結する恐れはなかったかもしれないが、その確率がゼロだと断言することはできない。止める権利を有する3人の男のうち、1人が止めると決めた。チーフトレーナーは独断する。いざという時になればなるほど、独断しなければならない。その決定は、(例え誤っていようが)断固尊重されるべきである。


コアなボクシング・ファンなら、辻昌建(つじ・まさたて/故人)の悲劇を覚えているだろう。崇徳高から法政大へと進み、国体準優勝の実績を引っさげ、帝拳ジムからプロに転じた軽量級のホープだった。プロ入り7年目の2009年3月21日、チャンピオン・カーニバルに登場した辻は、六島ジムの金光佑治と空位の日本ミニマム級王座を争い、最終10ラウンドでKO負けすると、そのまま意識を失い病院に救急搬送。急性硬膜下血腫の診断が下され、ただちに開頭手術を受けたが意識は戻らず、3日後に息をひきとった。

そしてあろうことか、念願の王座に就いた勝者金光にも硬膜下血腫が認められ、JBCにライセンスとベルトを返上。無念の引退へと追い込まれる。

辻と金光は、序盤から激しい打撃戦を展開。スピードに優る辻が前半をリードしたが、第7ラウンド以降ガス欠。金光の反撃を受けてガードもままならない状況に陥る。両雄ともダメージは深く、とりわけ辻の深手は明らかで、会場内には異様な空気が充満。ところが、タイトルマッチを裁く阿部レフェリーは、第9ラウンド終了後のインターバル中様子を伺いながらも止めようとはせず、帝拳,六島両コーナーともに最終ラウンドのゴングに応じた。

「起こるべくして起こった大事故。JBCもジムも、過去の尊い犠牲から何1つ学ぼうとしていない。」

タイトルが懸かった試合では、往々にして見られる光景でもあり、レフェリーと両陣営のセコンドに対してファンの非難が集中。帝拳ジムは何の前触れもなく、突然公式ホームページを休止し、西岡利晃や松田直樹の個人ブログが情報提供の窓口を果たす異常事態に発展。そしてこの時、帝拳のコーナーで亡くなった辻選手を世話していたのが、他ならぬ大和トレーナーだった。


「セコンド(大和トレーナー)を心配させてしまった(自分が悪い)。」とのコメントを、山中が発したそうである。長年コンビを組んできたヘッドコーチの心中を、山中も深く深く察していた。

昨晩の大和トレーナーの決断に、8年前のミニマム級王座決定戦が色濃く影響していたとしても止むを得ない。いや、影響しない方がおかしい。レフェリーを筆頭に、両陣営のコーナーを預かる2人のチーフトレーナーが、己の確信に従って独断できなかったからこそ、辻,金光両選手は悲劇に見舞われたのである。


大和トレーナーのストップが、冷静さを欠く感情的なものだったのかどうか。本田会長,浜田代表との間で本音を包み隠さず話し合い、(山中の進退も含めて)チーム内で一定の結論を出すしかない。その結果によっては、大和トレーナーがチームを離れることもあるだろうし、もっと別な事態が生じる場合も有り得る。

ちなみに、リング・ドクターには直接試合を止める権限が認められていない。ドクターの権限を拡大しようとする動きもあるが、今のところはレフェリーの判断・指示によって選手の状態をチェックし、「止めた方がいい(止めるべきだ)」と進言するまでに止まる。実際に試合を止めるかどうかの最終的な意思決定は、あくまでレフェリーに委ねられており、棄権 or 続行の決定をコーナーで下すのは、唯一チーフトレーナーでなければならない。1分間のインターバル中に具体的な指示を出すのも、チーフ1人であるべきだ。集団指導体制は、ボクシングにおいては成立し得ない。「船頭多くして・・・」の例え通りと心得ておく必要がある。


チーフトレーナーの試合放棄を巡り、敗れた日本陣営が大揉めに揉めた世界戦と言えば・・・1979年1月9日、後楽園ホールで行われたWBAフェザー級タイトルマッチが忘れ難い。”KO仕掛け人”の異名を取ったパンチャー,ロイヤル小林が、練達の試合巧者エウセビオ・ペドロサ(パナマ)に挑み、13回終了TKOに砕け散った。

挑戦者小林のコーナーを率いたのは、腕1本で数多のジムを渡り歩き、多くのチャンピオンを誕生させた名匠エディ・タウンゼント。「国内アマチュア史上最高のスラッガー」と賞賛された小林の強打は空を切り続け、誰の目にも大差で引き離されているのは歴然。そして第13ラウンド、小林はペドロサの連打を浴びていよいよ苦境に立つ。

現在とは比較にならないほどストップのタイミングは遅く、「完全決着するまで戦うのがプロ」という、一時代前のセオリーがまだまだ息づいていた。ロープを背にして防戦一方の小林が、3段目のロープに腰を落とす。主審は試合を続行し、何とか終了ゴングを聞いた小林だが、ボクシングの裏も表も知り尽くしたエディが棄権を申し出る。


興行を取り仕切ったのは、挑戦者小林が所属する国際ジム。ボクシング人気が絶頂を極める昭和30年代前半~半ばにかけて、プロとアマ両方で活躍した高橋美徳会長を先頭に、ジムのスタッフたちがエディに対して怒りを露にした。

「勝手に止めやがって!」

しかし、エディはビクともしない。

「ああなったら(ロープに腰を落としたら)、もうダメね。コバヤシ、自分を守る力残ってないの。本当に危険ですよ。止めるの当たり前よ。」

「世界選手権開くのは大変。お金たくさん要るの。チャンピオンなれば、会長さんもコバヤシも儲かる。最後までやらせたいは、よくわかります。でも、僕の一番大事な仕事はね、無事に選手を家に帰すことですよ。奥さん、お母さんの下に元気な姿で帰してあげるの。体壊して、命まで亡くして・・・チャンピオンになってどうしますか?。」


昨日の棄権は、確かに早かったと思う。もう少し待っても良かった。しかし、大和トレーナーの決断と行動を私は支持する。アシスタントや会長の顔色を伺ってストップの判断を逡巡するようでは、トップレベルのプロを支えるチーフとは呼べない。その資格がない。

心底敗戦に納得がいかなければ、山中は再起すればいい。今一度立ち上がり、ネリーとの再戦を本田会長に訴えるべきだ。「最悪(の決断)」とまで言ってしまった以上、本田会長も駄目だとは言えないだろう。