ネットオヤジのぼやき録

ボクシングとクラシック音楽を中心に

リナレスのライト級王座について

2017年10月21日 | Boxing Scene
リナレスの防衛について、国内のスポーツ紙と専門誌は「WBA王座のV2」と報じた。これは間違いのない事実ではあるが、同時に、現在のボクシング界が抱える重大な問題を提起してもいる。

リナレスが現在保持しているベルトは、以下に挙げる3つ。

<1>WBAライト級正規王座
<2>WBCライト級ダイヤモンド王座
<3>リング誌認定ライト級王座



WBA王者アンソニー・クローラとの初対決(昨年9月)は、WBCの王座に君臨するリナレスが、遂に実現した「王座統一戦」として大いに喧伝された。本来ならば、WBAとWBC2団体の統一王者となる筈が、WBC1位デシャン・ツラティカニン(モンテネグロ)との指名戦に備えた練習中に右の拳を骨折。昨年2月のことである。交渉は中止せざるを得ず、WBCはリナレスを休養王者に横滑りさせてしまう。

ツラティカニンには正規王座の決定戦が認められ、昨年6月N.Y.州ヴェローナのインディアン・カジノで、5位フランクリン・ママニ(ボリビア)を3ラウンドでストップ。モンテネグロ初のボクシング世界王者の栄誉に輝く。

リナレスの負傷について、程度の軽重は判然としなかったものの、比較的早期の復帰が見込まれていた。実際7ヵ月後には渡英し、WBA王者クローラとの第1戦に臨んでいる。本田会長が本気でマウリシオ・スライマン会長に根回しをかけていたら、ツラティカニンに暫定王座を用意する常識的な対応(リナレスは正規王座に留める)もできたのではないかと、熱心なファンなら誰でも思いつきそうなものだが、残念なことにそうはならなかった。

理由は簡単明瞭。契約を巡ってトップランクと大揉めに揉め、2014年からおよそ2年半に及ぶレイ・オフに甘んじていたマイキー・ガルシアが、念願叶ってアル・ヘイモン傘下に移り、再起のリングへと向かい出していたからである。


年の離れた兄でトレーナーのロベルト、父エデュアルドとともに、一家のルーツはメキシコ。先代ドン・ホセの時代から、お膝元メヒコの人気選手,有力選手には、1人残らず緑のベルトを巻かせようとするのがWBC流。ましてやマイキーは単なるプロスペクトではなく、リング誌のパウンド・フォー・パウンド(以下P4P)ランキングにも名を連ねるトップレベルのスター候補の1人。126ポンドの王座をWBOで獲らせたボブ・アラムに、亡くなる直前のドン・ホセは「次(130ポンド)はWBCで・・・。」と持ちかけていたとも・・・。ところがアラムは、WBOで2階級制覇を達成させる。



そしてマイキーとアラムの関係は、ユリオルキス・ガンボア,内山高志とのビッグマッチがまとまらなかったことをきっかけに、一気に破綻へと突き進む。すると心臓を患っていた高齢のドン・ホセが、2014年1月に逝去。後を引き継いだ御曹司マウリシオ新会長は、ヘイモンのグループに入ったマイキーに、何としても緑のベルトを与えたかった。

ツラティカニンがリナレスの後継王者となってから1ヵ月後、ブルックリンのバークレイズ・センターに登場したマイキーは、ドミニカのエリオ・ロハス(元WBCフェザー級王者)と140ポンド契約で再起戦を行い、大差の3-0判定(12回)で2年半ぶりの白星を飾る。

「カネロ(アルバレス)の後に続く、ヒスパニック系のトップ・スターが是が非でも欲しい。」

マウリシオ会長は早速マイキーをライト級2位に押し込み、ツラティカニンを支配下に収めるN.Y.の新しい顔役(?)ルー・ディベラ(ヘイモンと協調関係にある有力プロモーター)と共闘路線を組む。リナレス VS ケヴィン・ミッチェル戦(2015年5月)を最後に、WBCライト級の指名戦が行われていないことも、マウリシオ会長の横車を後押しした。完全に利害が一致したヘイモン一派とWBCの強力タッグにより、事実上の指名挑戦に近い状況でマイキーのツラティカニン挑戦が決定。


そして傷めた拳が癒えたリナレスと本田会長は、米本土及び国際的にも知名度の低いツラティカニンとのWBC内統一戦(休養=前正規 VS 現正規)ではなく、WBA王者クローラを擁するエディ・ハーン(英国を代表するプロモーター)からオファーされた統一戦を優先する。ビジネス的には当然の判断であり、ベルトが乱立する現代において、善し悪しと好き嫌いは別にして(筋論は横に置いて)、もはやスタンダードとして確立した価値観と認めざるを得ない。

本来あるべき形(筋=建前論)に従うなら、まずはツラティカニンとのWBC内統一戦をやり、正規王者に戻ってから、WBA王者クローラとの2団体統一戦に進むべし,という話になるが、すぐにでもマイキーを王者にしたいマウリシオ会長の機嫌を損ねたら、指名戦拒否によるはく奪処分だけでは済まず、WBC中心に動く帝拳グループの有力選手にも悪影響を及ぼす恐れがある。

世界に冠たる軽量級マーケットを築き、半世紀以上に渡る激闘の歴史を共有するメキシコと日本の関係を考えれば、マウリシオ会長と本田会長が決定的に反目する事態は考えにくいけれど、回避可能な軋轢をわざわざ生じさせ、不必要に揉めることもない。

正規王座を諦める代償として、リナレスにはWBA王者クローラとの統一戦&ダイヤモンド王座を認め、ベネズエラのエル・ニーニョ・デ・オーロ(黄金に輝く神の子)が無事に生き残ったあかつきには、マイキーとの135ポンド最強決定戦を目論む・・・。


○○○○○○○○○○○○○○○○○○

□”モンスター・レフト”西岡利晃の場合

「実現しないなら、その時は引退する。」

進退を賭してノニト・ドネアとの統一戦(WBC・WBO・IBF3団体)を熱望する西岡利晃に対して、ダイヤモンド王座の承認とともにドネア戦の具体化をバックアップする替わりに、正規王者から名誉王者への横滑りを呑ませて、後釜にアブネル・マレス(バンタムから階級アップ)を据えた先代ドン・ホセのやり口は、リナレスへの対応そのままと言っていい。



西岡の場合、V7(ラスベガスでのラファエル・マルケス戦)からドネア戦まで、丸1年に及ぶブランクが開いた。仮にはく奪処分を食らったとしても、正面切って文句を言いづらい状況ではあった。米本土に本拠を置くトップクラスの王者なら、1年くらいは平気で待つのが昨今の認定団体だが、ビッグ・ファイトを期待できるメキシカンの人気者が別にいる場合、WBCは迷わずそちらを優先する。

ドネア VS 西岡のケースでも、先代ドン・ホセはダイヤモンド王座を承認。ドネアが保持するWBO&IBFの王座に加えて、一応WBCのベルトも懸けられることになった。
※リミット+10ポンドのリバウンド制限を嫌ったドネアが、本番直前にIBF王座を返上。

西岡を倒したドネアは、WBO王座とともにWBCダイヤモンド王座+リング誌認定王座を手中にしたが、西岡戦から僅か2ヵ月後の2012年12月、S・フライ級時代から追い求めたホルヘ・アルセとの防衛戦が決定。老いらくのトラヴィエソ・アルセ戦に、WBCダイヤモンド王座が賭けられていたのかどうかは、今1つ判然としない。一応Boxrecにはダイヤモンドベルトの記述もあり、メヒコを代表する軽量級のヒーローでもあったアルセの名前とポジションを考えれば、賭けられても当然ではあるのだが・・・。
※リゴンドウの大勝負(2013年4月)には、ダイヤモンドベルトは承認されていない。




○○○○○○○○○○○○○○○○○○

□犠牲者第1号はマラヴィーリャ・マルティネス

世界中から実力を認められた強い正規王者を名誉王者へ横滑りさせ、空席となった正規王座にメキシカンの人気者が就く。事実上のはく奪措置をリカバリーする為、ダイヤモンド王座を承認認定・・・。このパターンで正規のベルトを召し上げられたのは、西岡とリナレスだけではない。栄えある(?)犠牲者の第1号は、新世紀に突如として出現したアルゼンチンのヒーロー,セルヒオ・マルティネス。

2008~12年にかけて、メイウェザー&パッキャオとともに、リング誌P4Pランキングのトップ3に並び称された天才的なサウスポーを生贄にして、かりそめの正規王座にありついたのは、フリオ・セサール・チャベス・Jr.。

偉大過ぎる父を持ち、その父と同じ道を歩む子の過酷さは、ジャンルはもとより、時代の違いと洋の東西を問わない。プロボクサーになったフリオ・Jr.とオマールの兄弟は、良きにつけ悪しきにつけスーパースターだった父との比較を余儀なくされ、ちょっとでも具合の悪いことが発生した途端、絶大なる七光りに対して辛らつな批判を浴びる。




正規のベルトを強奪されたマルティネスは、スピードに溢れ才気走ったボクシングを、”マラヴィーリャ(マーヴェラス)”と称えられ、スペインのマドリードを活動拠点にしながら、2007年以降王国アメリカに本格参戦。
※2000年2月以来となる米本土再上陸(若きアントニオ・マルガリートに7回TKO負け)

ボブ・アラムやゲイリー・ショウ、ダン・グーセンといった有力プロモーターの興行で実績を残し、2008年10月アレックス・ブネマに8回終了TKO勝ち。S・ウェルター級のWBC暫定王座を獲得。
※正規王者ヴァーノン・フォレストがセルヒオ・モーラに物議を醸す0-2判定負けを喫し、WBCはダイレクト・リマッチを承認。挑戦を待たされる格好となった2位マルティネスと、4位ブネマによる暫定王座決定戦を追認した。

2009年2月の初防衛戦でフロリダを訪れたマルティネスは、開催地のコミッションまでがグルになった悪質極まりない不正工作を仕掛けられ、ワンサイドのKO勝ちを1-0のマジョリティ・ドローに捻じ曲げられた挙句、危うく暫定のベルトを失いかける。

「アウェイでは、予想もできない様々な状況に陥るリスクが常に存在する。レフェリーが堂々と宣告したKO勝ちが一方的に取り消された時点で、最悪の事態(王座転落)を想像した。ベルトが手元に残ったんだから、それで良しとするさ。」

多くのインタビューに苦笑いを浮かべながら応えたマルティネスは、モーラから正規王座を奪還したフォレストとの統一戦交渉が具体化するも、正規王者が練習中の怪我(肋骨骨折)を理由に戦線離脱。止む無くポール・ウィリアムズ(元WBOウェルター,J・ミドル級王者)との交渉に舵を切り替える間に、WBCはフォレストの王座をはく奪。南米の雄は、戦わずして正規へと昇格。

そしてマルティネスは、同年12月にミドル級契約で決定したポール・ウィリアムズとの12回戦に臨み、地元判定色の強い0-2判定で白星を盗まれると、ジャーメイン・テーラーから統一ミドル級王座を奪い去り、我が世の春を謳歌していたケリー・パブリックにアタック。大方の評判を覆す大差の3-0判定勝ちを収めて、数は2つ(WBC・WBO)に減ってしまっていたものの、実力で2団体統一王座に就く(2010年4月)。


紛うことなきミドルの番人となったマルティネスは、載冠後直ちにWBO王座を返上。154ポンドと160ポンドの2階級を同時に保持するWBCのみを手元に置き、暫し黙考。存命だったドン・ホセ・スライマン会長の催促に応じる形で、154ポンドを手放す。

長らくウェルター級を主戦場にしていたマラヴィーリャは、「流石にもう147に落とすのは無理だが、154なら問題はない。」と語り、メイウェザー&パッキャオとのメガ・マネー・ファイトを強く望んでいた。2人と戦う為には、154に留まった方が遥かに可能性は広がる。

ところが、HBOとShowtimeの反応は思いのほか鈍く、稼ぎ頭の相手には役不足とのつれない回答。米本土での目覚しい活躍にもかかわらず、黒人でもメキシコ系でもないという出自が行く手を阻む。大手ケーブル局の幹部連中は、知名度(集客力=PPVセールス)の低さという、重い現実を容赦なく突きつけた。


最終的に160ポンドを選んだマルティネスは、2010年11月の初防衛戦で因縁のポール・ウィリアムズと再び相まみえ、ショッキングな2回KO勝ち。目を開けたまま失神するウィリアムズの姿は、世界中のファンと関係者を震撼させた。中量級最強は、メイウェザー&パッキャオに非ず。壮絶なノックアウトで雪辱を果たしたマルティネスは、一躍P4Pキング争いの先頭に踊り出る。

2009年~10年にかけて、WBCのミドル級を巡る動きはいささか複雑で、2008年10月L・ヘビー級契約で挑んだバーナード・ホプキンスに敗れたパブリックが、2009年2月マルコ・A・ルビオとの防衛戦で復帰した後で何故か試合枯れ。スライマン会長は1位ドメニコ・スパダ(伊)と2位セバスティアン・ツビク(ズビク/独)に、暫定王座決定戦を指示。ザクセン・アンハルト州の州都マグデブルクにスパダを迎えて、無事12回3-0判定に下したツビクが暫定のベルトを奪取(2009年7月)。

ツビクは載冠から3ヵ月後の同年12月、エマニュエル・デラ・ローサ(メキシコ)をニュルブルクで2-1判定にかわしV1に成功。スパダとの再戦(2010年4月)、ホルヘ・S・ハイランド(亜/2010年7月)をそれぞれ3-0判定に下して、暫定王座を3度防衛。


ここでようやくWBCは重い腰を上げ、マルティネスとツビクに正規 VS 暫定のWBC内統一戦を通告。ところがなんと、「米国内での認知がない(ビジネスとして成立しない)」との理由をまたもや持ち出し、HBOが中継を拒絶。指名戦の履行が不可能との理由で、WBCはマルティネスを強引に名誉王者へと鞍替えさせ、ツビクを正規王者に昇格してしまう。

マルティネスを傘下に収めるN.Y.のプロモーター,ルー・ディベラは、GBPやゲイリー・ショウと連携し、ドイツ国内を拠点にWBO J・ミドル級王座を6度防衛した後、訴訟騒動を経てドイツのプロモーターと別れ、念願の渡米を果たしたセルゲイ・ジンジラク(ウクライナ)との防衛戦を開催(2011年3月/MGMグランド)。WBCはジンジラク戦の発表を待って、ダイヤモンド王座を承認する。

まさしくタナボタで正規王者となったツビクには、フレディ・ローチとフィジカル・コーチのアレックス・アライザ=アリザをチームに招いて、持ち前のフィジカル・タフネスを活かしたファイターに変貌したチャベス・Jr.の挑戦を承認。ロサンゼルスのステープルズ・センターにツビクを呼びつけ、やはり地元判定を疑われる2-0判定勝ち(2011年6月)。

チャベス・Jr.に何としても緑のベルトを巻かせたかった先代ドン・ホセ会長と、英雄の息子を抱えていたボブ・アラムの思惑通り、勝ち目の無いマラヴィーリャではなく、ツビクの1本釣りにまんまと成功した格好。HBOも巻き込んだ姦計に、マルティネスはまんまとしてやられたというのが、当時の在米専門記者&マニアたちの見立てだった。




ジンジラク戦のキック・オフ会見に臨席したガブリエル・サルミエント(マルティネスのチーフ・トレーナー)が、怒髪天の勢いで怒りをぶちまけていた。

「名誉王座にダイヤモンド・ベルト?。ふざけるな!。ミドル級のNo.1は、誰が何と言おうとセルヒオだ!。指名戦を蹴ったのはHBOとプロモーターで、我々じゃない。アメリカでやれないのなら、ドイツでやればいいだけのことだ。我々はどこでだって戦う。なのに、どうしていきなりベルトを奪われる?。こんな理不尽な話があっていいのか!。」

マラヴィーリャを長く支えてきたサルミエントは、もともと血の気の多い人物とのことで、2008年に暴行騒ぎの事件を起こしており、ジンジラク戦の直前に逮捕収監されている(懲役8年の実刑判決→2013年に仮釈放)。一般的な常識として、他人に対して暴力を振るうのは許されないが、この時の彼の怒りは至極真っ当で、まったくの正論だと誰もが思ったに違いない。
※ガブリエルの後釜には、チームの一員だった実弟パブロ・サルミエントが内部昇格。


○○○○○○○○○○○○○○○○○○

目に余る先代ドン・ホセのメキシカン偏重優遇を、御曹司のマウリシオもしっかり受け継いでいる。マイキー VS リナレス戦に関しては、ファンや関係者の大半がマイキー有利と見ている現実を思えば、WBCは積極的に実現を後押しする気配が濃厚。実際に交渉がどうなるのかは、予断を許さないけれども・・・。




ルイス・ネリーのドーピング違反問題も、日本のファンは過度な期待をかけない方がいい。リング誌は早々と山中を王者に再認定したが、WBCはどうだろう。フランシスコ・バルガスやエリック・モラレスらと同様、お構いなしの沙汰が下る公算が大と見る。

「牛肉食って基準値超えるなんてのはありえないだろうから、すぐに判断はつくはず。」

「ドーピングってのは、こうして選手の刻む生涯最高の瞬間を、いとも簡単に奪い去る。」

十種競技で日本一に輝き、TVタレントとして成功した武井壮の言葉を、御曹司のマウリシオ会長に直接聞かせてやりたい。ここまで結論を先延ばしにしている事自体、ネリーを処分する気がないと自ら白状しているようなものだ。


●●●●●●●●●●●●●●●●●●

■ダイヤモンド王座事始

ダイヤモンド王座創設の発端は、2008~09年にかけて一大センセーションを巻き起こしたマニー・パッキャオの存在。デラ・ホーヤに続いてリッキー・ハットンを粉砕したパックマンは、145ポンド契約でミゲル・コットとの対戦が決定。

コットはWBOウェルター級王座を保持していたが、試合をプロモートするボブ・アラムが、15万ドルの承認料に「高過ぎる。」とケチをつける。パコ・バルカルセルWBO会長は、アラムの要求を拒否。「正規のウェルター級リミット契約ではないことも問題だが、そもそも承認料を払いたくないのなら、チャンピオン・シップとして認めることはできない。」との建前論で押し切ろうとした。

するとアラムも応戦。「WBOは145ポンドのキャッチウェイトだから、チャンピオン・シップとして認めないらしい。おかしな話だ。145ポンドはウェルター級リミットの範囲内なのに。」

天下の大プロモーターが承認料を値切るのもどうかと思うが、15万ドルは確かに高い。もっとあからさまに言えば、ぼったくりに近い。そしてウェイトの話は、アラムに理がある。キャッチウェイトを主たる根拠として承認を拒むのは、近代ボクシングの歴史を全否定するに等しい。

無論アラムの側にも、PPVセールスを1件でも多く売りたいとの計算,欲目がある。コット戦の勝利には、前人未踏の7階級制覇(デラ・ホーヤの6冠を抜く史上最多記録)が懸かっていた。記録にこだわるアラムの足元を見透かし、高額の承認料をせしめようとするパコ・バルカルセルの作戦だったのだが、ここで機を見るに敏な先代ドン・ホセが動く。

「コットとパッキャオの2大スターが戦うのに、チャンピオンベルトが無いなんて有り得ない。WBCが一肌脱ごう。特別なチャンピオン・シップを新たに設ける。」

アラムは喜んで(?)先代ドン・ホセのアイディアを受け入れる訳だが、慌てたパコ・バルカルセルは前言を翻し、土壇場でタイトルマッチとして承認。コットを12回TKOで打ち破ったパックマンは、見事7階級制覇を成し遂げた。




さて、このダイヤモンド王座だが、承認はWBCが一方的かつ勝手に行うことは勿論、明確な認定基準も定められていない。WBCが「ビッグなカード」だと認めたり、あるいは「ビッグな存在」だと認めた選手に限り、承認する場合が有り得るという、何とも曖昧模糊とした規定が書かれているのみ。

基本的に王者は防衛の履行義務を負わず、仮にダイヤモンド王者が負けたとしても、勝者にベルトが移動することもない。但し、WBCが特別に指示または承認する場合に限り、防衛戦を行うこともできる。また今回のマイキー VS リナレス戦指示のように、正規王者との統一戦を通告することもある。すなわち王座承認に関わる一切は、一応チャンピオンシップ・コミッティの会議に諮られることになってはいるが、すべてはスライマン会長の思し召し次第。

では実際にダイヤモンド王座を防衛した王者はいるのか?というと、まずは上述したセルヒオ・マルティネス。ほとんどはく奪と言ってもいい王座移動の後、2011年3月のセルゲイ・ジンジラク戦(MGMグランド/8回TKO勝ち)、同年10月のダレン・バーカー(英)戦(アトランティックシティ/11回TKO勝ち)、2012年3月のマシュー・マックリン(英)戦(MSG N.Y./11回終了TKO勝ち)と、3度の防衛に成功。経緯から見ても、WBCはマルティネス陣営の要求通り、ダイヤモンド王座の防衛戦を認めるしかない。

こうしてマラヴィーリャは、2012年9月15日、ようやくチャベス・Jr.との正規 VS ダイヤモンド統一戦に漕ぎ着け、最終12ラウンドの大波乱(2度のダウン/2回目はスリップ裁定)を乗り越え、大差の3-0判定(11回まではワンサイド)で盗まれた正規王座を奪還。

そして我らがリナレスも、ダイヤモンド王座を2度防衛している。アンソニー・クローラとの再戦と、先月ロスで行われたルーク・キャンベル戦だ。どちらの試合にも、WBAだけでなくWBCからも立会人が派遣され、帝拳公式サイトの選手紹介ページでも、「ダイヤモンド王座防衛」の記述がある。
※帝拳公式サイトの選手紹介ページ:ホルヘ・リナレス
http://www.teiken.com/profile/jorge.html

少なくともリナレスは、WBCのベルトを通算4回守ったことになるが、問題になるのは、WBA・WBC2団体統一戦として当初報じられたクローラとの第1戦。帝拳公式サイトの選手紹介ページにも、「WBA&WBC世界ライト級王座統一戦、タイトル統一成功」と明記されている。これが事実ならば、リナレスのWBC王座防衛は5回になるが、英国Sky Sportsが配信した現地映像では、WBA王者クローラ(V2戦)と、3階級制覇王者リナレスの激突と紹介。同時に勝者は、WBCダイヤモンド王座とリング誌認定王座も獲得すると・・・。

私が敢えて「4度の防衛」にこだわりたいのは、以上の理由による。どの防衛戦は正式な防衛としてカウントし、どの防衛戦はカウントされないのか。こんな基本的な判断にすら困るようなチャンピオン・シップ運営は即刻止めるべきだし、命を賭けてリングに上がるボクサーに失礼だと思う。