『サイボーグ009』は子供の頃に通っていた散髪屋さんに当時発売されていた全巻が揃っていて、散髪嫌いの私が散髪屋に定期的に通う原動力となっていた。子供の頃は、子供っぽいのでアニメは見ない事にしていた私だったが『サイボーグ009』は別物で、旧昭和版と新昭和版は欠かさずに見ていた(が、平成版は観ていない)。
ま、そんな訳で・・・大ファンを名乗る程では無いが『サイボーグ009』は好きなSFシリーズである私なので、今月末封切りの『009 RE:CYBORG』を観に行こうと思っていた。が・・・、岡山県では上映されない事が判明した。(今週末だったか来週末だったかを調べようとムービックス倉敷のサイトを見たが上映予定が無かったので気が付いた)『「009 RE:CYBORG」公式サイト』
確かに・・・私が子供の頃には・・・、大都市圏でロードショー(先行上映)が行われた後に、数週間から数ヶ月後に、地方都市岡山市での上映が始まるのが当たり前だったような気がする。そして、更に・・・(例えば、岡山市での上映を見逃したとしても)数週間から数ヶ月後には岡山市以外の県内の市で上映される事もあり、映画少年だった子供の頃は、そんな映画を観に津山市(岡山県県北の市)に電車で行った事もあった。
それが、いつの頃からか「拡大ロードショー」や「全国一斉ロードショー」とかの銘打ちで地方都市岡山市でも大都市圏と同じ封切り日で映画が観られる事が当たり前になってきて映画ブームが到来した。その後、映画ブームは去ったが、バブル期には全国にシネコン(シネマコンプレックス=複合映画館)で小さな上映場が増えた事で、昔の映画界の慣わしである「ロードショー」の制度などスッカリ忘れていた。
昔は、上映用の映画フィルムは同じモノが彼方此方の映画館を巡回する方式を採っていたので、大都市圏の封切館では状態の良いフォルムで上映されるが二番手の地方都市、三番手の田舎の映画館ではフィルムが痛んできて劣化していた。その代わりに地方都市の特権としてスプラッシュ(同時上映)での2本立て(1本分の料金で2本の映画が観られる)等もあった。
現代ではフィルムでの映画供給の他にもデジタル配信も行われていて・・・大都市圏のミニシアターでしか上映されない映画を除けば、観たい映画が観られないなんて経験は、ここ20年間では皆無だった。が・・・、「失われた20年」から戦後最悪の不景気に突入してしまった日本は、無理矢理継続しようと悪戦苦闘してきたバブル期で当たり前となった贅沢な習慣を、バブル期以前にリセットする事になったのだろうか?確かに正しい経営判断だろう。興行的に失敗が予想される映画館で上映する等は愚の骨頂だからだ。
世の中・・・「梅ちゃん先生」や「ALWAYS 三丁目の夕日シリーズ」等の高度経済成長期の黎明期頃へのノスタルジーが顕著の様だ。あの頃・・・産まれた私なので、あの時代を自力で生き抜いた訳では無いので本物のノスタルジーは感じないが、ナントナク懐かしいような気がするのは事実だ。だが、「梅ちゃん先生」や「ALWAYS 三丁目の夕日シリーズ」や「二十世紀少年」ではオブラートに包んで明確な言及を避けているが、あの頃は児童虐待は日常茶飯事で、幼児や児童や婦女子相手の性的暴力なんかも日常茶飯事で、DVなんかは普通の光景、暴力団関係の事件は多すぎて報道もされず、毒物と判っていた食品添加物が積極的に使われた食品類や収量を上げる為に大量の農薬が使われた野菜が市場には溢れていて、増え始めた自動車の未浄化の排ガスで光化学スモッグが発生し、工場煤煙からも毒物が撒き散らされていて、モラル・倫理が欠如した不正行為も厭わない利益至上主義が徹底された時代、ノスタルジーな気分に浸るには現在の日本人には少々暮らしにくい欲望資本主義の時代・・・だったのだ。(だが、今日の斜陽に瀕する我が国を見ていると、呪われた1960年代の暗黒面も起死回生には必要なのかも知れないと思うのも事実。昨今の高度経済成長期モノのブームの背景には、こうした「仕掛け」があるのカモ?)
さて、公式サイトで調べた結果『009 RE:CYBORG』は東広島市のシネコン「T・ジョイ東広島」に行けば観る事ができる・・・のだが・・・今日の夕食後に決意(来週末に東広島に行く!)を高らかに宣言したらカミサンに鼻で笑われてしまった。「全国上映をしない程度の作品だと諦めて、WOWOWで放送するまで待てば良いのに・・・」との事だそうだ。これではまるで「酸っぱい葡萄(本当は価値が無かったと思い込むことで、自分を傷つけないようにすると云う逃げの生き方)」では、自分自身が本当に大切にしたい事への気付きや成長のチャンスを逃してしまう・・・と反論するも「地元で公開されないアニメ映画を封切り日に観られない事如きで逃すレベルの成長のチャンスや気付きなら無くても大丈夫ヨ。」と諭されてしまった。トホホホホ・・・
ま、そんな訳で・・・大ファンを名乗る程では無いが『サイボーグ009』は好きなSFシリーズである私なので、今月末封切りの『009 RE:CYBORG』を観に行こうと思っていた。が・・・、岡山県では上映されない事が判明した。(今週末だったか来週末だったかを調べようとムービックス倉敷のサイトを見たが上映予定が無かったので気が付いた)『「009 RE:CYBORG」公式サイト』
確かに・・・私が子供の頃には・・・、大都市圏でロードショー(先行上映)が行われた後に、数週間から数ヶ月後に、地方都市岡山市での上映が始まるのが当たり前だったような気がする。そして、更に・・・(例えば、岡山市での上映を見逃したとしても)数週間から数ヶ月後には岡山市以外の県内の市で上映される事もあり、映画少年だった子供の頃は、そんな映画を観に津山市(岡山県県北の市)に電車で行った事もあった。
それが、いつの頃からか「拡大ロードショー」や「全国一斉ロードショー」とかの銘打ちで地方都市岡山市でも大都市圏と同じ封切り日で映画が観られる事が当たり前になってきて映画ブームが到来した。その後、映画ブームは去ったが、バブル期には全国にシネコン(シネマコンプレックス=複合映画館)で小さな上映場が増えた事で、昔の映画界の慣わしである「ロードショー」の制度などスッカリ忘れていた。
昔は、上映用の映画フィルムは同じモノが彼方此方の映画館を巡回する方式を採っていたので、大都市圏の封切館では状態の良いフォルムで上映されるが二番手の地方都市、三番手の田舎の映画館ではフィルムが痛んできて劣化していた。その代わりに地方都市の特権としてスプラッシュ(同時上映)での2本立て(1本分の料金で2本の映画が観られる)等もあった。
現代ではフィルムでの映画供給の他にもデジタル配信も行われていて・・・大都市圏のミニシアターでしか上映されない映画を除けば、観たい映画が観られないなんて経験は、ここ20年間では皆無だった。が・・・、「失われた20年」から戦後最悪の不景気に突入してしまった日本は、無理矢理継続しようと悪戦苦闘してきたバブル期で当たり前となった贅沢な習慣を、バブル期以前にリセットする事になったのだろうか?確かに正しい経営判断だろう。興行的に失敗が予想される映画館で上映する等は愚の骨頂だからだ。
世の中・・・「梅ちゃん先生」や「ALWAYS 三丁目の夕日シリーズ」等の高度経済成長期の黎明期頃へのノスタルジーが顕著の様だ。あの頃・・・産まれた私なので、あの時代を自力で生き抜いた訳では無いので本物のノスタルジーは感じないが、ナントナク懐かしいような気がするのは事実だ。だが、「梅ちゃん先生」や「ALWAYS 三丁目の夕日シリーズ」や「二十世紀少年」ではオブラートに包んで明確な言及を避けているが、あの頃は児童虐待は日常茶飯事で、幼児や児童や婦女子相手の性的暴力なんかも日常茶飯事で、DVなんかは普通の光景、暴力団関係の事件は多すぎて報道もされず、毒物と判っていた食品添加物が積極的に使われた食品類や収量を上げる為に大量の農薬が使われた野菜が市場には溢れていて、増え始めた自動車の未浄化の排ガスで光化学スモッグが発生し、工場煤煙からも毒物が撒き散らされていて、モラル・倫理が欠如した不正行為も厭わない利益至上主義が徹底された時代、ノスタルジーな気分に浸るには現在の日本人には少々暮らしにくい欲望資本主義の時代・・・だったのだ。(だが、今日の斜陽に瀕する我が国を見ていると、呪われた1960年代の暗黒面も起死回生には必要なのかも知れないと思うのも事実。昨今の高度経済成長期モノのブームの背景には、こうした「仕掛け」があるのカモ?)
さて、公式サイトで調べた結果『009 RE:CYBORG』は東広島市のシネコン「T・ジョイ東広島」に行けば観る事ができる・・・のだが・・・今日の夕食後に決意(来週末に東広島に行く!)を高らかに宣言したらカミサンに鼻で笑われてしまった。「全国上映をしない程度の作品だと諦めて、WOWOWで放送するまで待てば良いのに・・・」との事だそうだ。これではまるで「酸っぱい葡萄(本当は価値が無かったと思い込むことで、自分を傷つけないようにすると云う逃げの生き方)」では、自分自身が本当に大切にしたい事への気付きや成長のチャンスを逃してしまう・・・と反論するも「地元で公開されないアニメ映画を封切り日に観られない事如きで逃すレベルの成長のチャンスや気付きなら無くても大丈夫ヨ。」と諭されてしまった。トホホホホ・・・
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