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All You Need Is Kill

2014-05-30 22:13:30 | 映画
映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』本予告【HD】 2014年7月4日公開





############### ラノベ版「All You Need Is Kill」の遠慮会釈無しのネタバレを含みます。 ###############





############### 映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』へのネタバレでもあります。 ###############





############ 当該作品をこれから楽しまれようとお思いの方は絶対に本文を読まないで下さい。 ############




予告編は幾度となく映画館で観ていた。トムクルーズ主演のタイムパラドックス物のSFらしい事以外は判らなかった。監督のダグ・リーマンは、ボーン・アイデンティティーの監督・同シリーズの製作指揮、Mr.&Mrs. スミスの監督、ジャンパーの監督として知られているが、実はクリストファー・ノーランの弟子らしい。今年前半に私の観たい映画は、師弟コンビとなる様だ。深夜帯の情報番組で原作が日本のラノベであると知り、早速「尼」で買ってみた。どうやら、SFとしてのモチーフはタイムパラドックス物では無くパラレルワールド物の様だ。

宇宙からの侵略者「ギタイ」は、我々の地球を彼らの母星の様にテラフォーミングしようとしている自動土木機械群らしい。その「ギタイ」と人類は、不毛な闘いを長年繰り広げていた。この度、「ギタイ」と闘う統合防疫軍日本支部に入隊したばかりの若者が主人公だ。(この時点で、原作とハリウッド映画では設定が異なる。小説版は新兵だが、51歳のトム・クルーズを新兵にする訳にもいかず中佐となっている。中佐にもなって軍功を挙げぬまま死にまくるのはチョット恰好悪すぎである)SFだろうが歴史物だろうが、戦争映画の主人公が初年兵だとすれば、超人的な戦闘能力が潜在しているか、はたまた、超人的な運の良さの助けを借りないと物語は進行しない筈だ。だが、この主人公、登場するや否や「ギタイ」との戦闘に巻き込まれて敵1体を辛くも倒すが死んでしまう。戦闘の経緯と死んでしまった記憶を持ったまま戦闘に参加した2日前の宿舎に生き返ってしまう。これを何度か繰り返し、やはり2日前の宿舎で生き返る事になる。この場所、この時間が主人公の「Edge of Tomorrow」となり、何度も何度も、ここからの時間を繰り返して体験する事に成るのだ。

この時点でSF好きな読者は「あぁ~お馴染みの『ループもの』ね?」と気が付く。所謂「ループもの」とは、タイムトラベルを題材としたSFのサブジャンルで、物語の中で登場人物が同じ期間を何度も繰り返すような設定を持つ作品の事だ。この半永久的に反復される時間から何らかの方法で脱出することが物語の目標となる訳だ。

「ループもの」と一言で言い放っても、様々なバリエーションが在る。「ループもの」の元祖と云えば『ツァラトゥストラはかく語りき(ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ:1885年)』だろうか? 人間の目から見れば、宇宙は永遠の時間の流れを有している風に見えるが、実は宇宙的視野から見た現実世界は限られたパターンの中で同じ歴史を永遠にループしている「永劫回帰」「万物斉同」の状態に在ると云う思想だ。この世界観の中では、恰もエンドレス再生される映画の様に、寸分違わぬ出来事が繰り返されるダケと云う代物だ。これは古代ギリシャ文化等で発案されたウロボロス(己の尾を飲み込もうとする蛇の姿)が表す永劫回帰こそが世界の真実だとする考えに因る。

その後の創作物では、単なる同じ事の繰り返しではツマラナイので、主人公他の物語の登場人物の行動が様々な事情で変化し非常に良く似た時間を繰り返している風に見えるが、小さなキッカケを経緯に未来を別の時間軸に誘うと云った、多重宇宙・並行宇宙が「ループ」の数だけ新たに生み出されていくと云う「パラレルワールドもの」の「ループもの」の複合ワザでタイムパラドックス回避を図る様に成る。因みに、師匠であるクリストファー・ノーラン監督作品「メメント」は「ループもの」では無いが斬新な時間の切り取り方をして秀逸だ。このメメントの主題でもある「メメント・モリ(ラテン語:memento mori)」こそが日本の作家「桜坂 洋」のラノベ『All You Need Is Kill』でも主題として使われている・・・と思う。因みに、メメント・モリとは「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」と云う意味だ。

原作は、初年兵の主人公の視点で語られているので、その視点から見た粗筋はWikipediaの通りだろう。

あらすじ
舞台は、「ギタイ」と呼ばれる異星人が地球に送りこんだ土木作業ロボットが進化し、その襲撃を受ける地球。世界各国でギタイの侵略が進みつつあった。主人公キリヤ・ケイジは、ギタイと戦う統合防疫軍に初年兵として入隊する。そこで、圧倒的な戦闘力を持っている若き少女兵士リタ・ヴラタスキと出会う。
ある日、キリヤは初出撃で死亡するが、なぜか意識を取り戻すと「出撃前日の朝に戻っている」という怪現象に見舞われ、それが幾度も繰り返される。生と死を繰り返す中、「記憶だけが蓄積される」ことを知ったキリヤは、ギタイを倒すために、その能力を活かして経験を積み重ねる。
あらゆる手段を講じ、リタに匹敵する戦闘力を身につけていくキリヤは、戦士として激化する戦いを生き抜いていく。


普通の物語のストーリーでは、主人公が死んだら終わりである。初めての戦闘に参加する最低限の訓練を受けただけの新兵が、普通の映画の上映時間分の2時間生き残るとは限らない。そうならないように、御都合主義で天賦の才能や最強の運の良さを備えておく事に成っている。

だが、ゲームは違う。私達が主人公を操ってゲームをする場合、主人公が死ぬとリトライを選んで最後の戦闘を繰り返すか、最初の画面に戻って最初から戦闘を開始するかを択一するだろう。本作の主人公は、恰も私が操る主人公の様に・・・バタバタと死にまくる。戦場で全く功績を挙げないままサッサと死んでしまう凡人が主人公の戦闘映画なのである。何度も何度も「ギタイ」に殺される度に、死の恐怖と殺される苦痛を記憶した状態で何度も何度も生き返るのだ。こんな人生が嫌になり自殺をしても、生き返ってしまう。(私がやる戦闘ゲームの主人公に、もし感情があれば当にそう思うだろうと少し反省)

その繰り返しの中で、主人公は運でも才能でもなく自分の命を賭けて戦い続けることでスキルを磨いていきジャケット兵(装甲化歩兵)として成長をしていく。この調子で主人公が成長を続けていけば、もう何回目かの「ループ」の時には「ギタイ」を殲滅できるカモ知れないと思い始めた時に、敵である「ギタイ」も敗戦から学び作戦を変えて攻撃をしてきている事に主人公も朧気に気がつき始める。

主人公が参加した最初ループの際の戦闘で、敵「ギタイ」のサーバー(親玉)をビギナーズラックで破壊した事で、主人公も敵「ギタイ」部隊の時間軸を跨ぐやり直しのループに巻き込まれて影響を受けてしまった。要は、単なる「ループもの」ではなく、主人公は今生の記憶を戦闘開始の2日前の自分に転送する能力を得たと云う訳。別の時間軸の未来の記憶を得る事で、時間軸が分岐して新たなパラレルワールドが次々と発生しているのだ。だが、ある時間軸の未来の記憶を過去の自分に転送する能力を持つのは主人公だけではなく、戦闘の天才ともてはやされている女性兵士も同じ能力を「ギタイ」に与えられているらしい事、そして何よりも「ギタイ」は能力を敵である人類に与える為に作られている訳では無く「ギタイ」部隊自らが、或る時間軸での敗戦の原因を知り新たな時間軸で勝利する未来を獲得する為に、失敗した未来の記憶を過去の「ギタイ」部隊に送る為に用意されている機能が、偶然に「ギタイ」サーバーを倒した兵士にも誤動作で能力を授けてしまっていたらしい事が判っていく。

女性兵士リタと協力した主人公は、予測された手順通りに「ギタイ」サーバーを倒すに至るが不成功に終わってしまう。(いや、その時間軸では「ギタイ」の親玉を退治した筈なので人類が勝利する未来が到来するカモ知れないので、その女性兵士リタと主人公はハッピーエンドの幸せな未来を獲得している筈なのだが、その世界は描かれずに・・・)戦闘開始の2日前の自分に記憶が転送された時点で新たに発生したパラレルワールドで目を覚ます処へ読者も「ループ」させられてしまう。

結局、「ギタイ」サーバーが過去に情報を伝送する際に使う子機としてのアンテナ用「ギタイ」には、自分達のどちらかも含まれていると云う強引な決めつけから、百戦錬磨の女性兵士リタと主人公は命を掛けて闘い、リタを殺し、手順通り「ギタイ」サーバーを倒す事で、読者は「ループ」から抜け出す事に成功しエンディングとなるのだが、著者の御都合主義のメカニズムを信じた上でチョット考えれば、この「ループ」もどきの過去への情報伝達からの再スタート(リセット)に読者はペテンに掛けられている事が判る。

百戦錬磨の女性兵士リタが主人公を殺し「ギタイ」サーバーを倒す事で女性兵士は、愛した男を手に掛けた記憶を持ったまま地球救済のヒロインになれただろうし、前述した通り、主人公と女性兵士が協力して「ギタイ」サーバーを倒した時間軸では2人の英雄が地球を救った未来が到来しているだろう。そして、更に、読者の時間軸での最初の戦闘で主人公が偶然に「ギタイ」サーバーを倒して死んでしまった時間軸の未来では、名も無き新兵の活躍で敵中枢を倒し人類が勝利する未来も到来していたカモ知れない。勿論、それ以外の200も300もの時間軸の世界では「ギタイ」群に人類は殲滅させられ彼らの星の環境にテラフォーミングされてしまっている筈だ。

勝利の1つの形がエンディングだとされて済んだ気にされているが、『ツァラトゥストラはかく語りき』では無いが宇宙的視野から見れば、地球側勝利の時間軸と「ギタイ」側勝利の時間軸と云う他とは少しダケ異なる新たなパラレルワールドの全宇宙が、戦闘開始の2日前と云う特異点「Edge of Tomorrow」でジャンジャン・ガバガバ量産され続けてい・・・る因果律の崩壊・・・時間軸上でのビックバン連続発動が発生している状態に他ならない。

世界の因果律を分ける時間軸の分離に因ってパラレルワールドが続々と発生し続ける状態を、全パラレルワールド全体を俯瞰する宇宙的視野から観測されれば、その能力がある知性体が居れば「時間軸上でのビックバン連続発動」を根絶するだろうし、その能力をもつ知性体が居ない場合は、その多世界全体の希薄化に依る崩壊も有り得るだろう。全宇宙の終焉である。

テラフォーミングを行って移住計画を立案し、その星に知性体が居るか居ないかを確認もせずに自動土木機械群を送り込める程度の低レベルな知性体なら、宇宙全体の終焉なんか拘泥しないのカモ知れない。その場合、成果確認にやってきた異星人は、時間軸に依っては敗戦し人類が生き延びた地球やら、テラフォーミングが完了した地球との2通りのバリエーション(「ギタイ」を抹消後に人類同士で闘って滅んだと云うバリエーションも在る?)の多くの地球が存在するのだろうが、彼らに時間軸を跨ぐ因果律からの超越と云う芸当は出来ない筈なので・・・可能な文明なら移住目的で地球にやってきてから因果律を操作すれば事足りる筈なので・・・。

まぁ、架空粒子タキオンで記憶や情報を伝達する事が可能か否かな兎も角として、生身の人間へタキオン粒子で記憶が伝達される仕組みは想像も出来ない(ましてや、生身の人間が「ギタイ」サーバーの過去への通信を代行するなんて訳ワカメ)ので、その舞台装置をグダグダ言っても始まらないか・・・。それに、ハリウッドが・・・ノーランの弟子が、原作通りのオチに満足するとも思えない。やはり、映画館に足を運ぶしか無い・・・と思う。





映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』日本語公式サイト
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