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自殺者3万人

2012-04-11 23:10:37 | 独り言
我が国は世界一(OECD加盟国)の自殺大国と云われて久しい。自殺者は14年連続で3万人を超え、2011年の自殺者数は3万651人(前年より1039人減少)だった。だが、この不名誉な世界一が韓国に抜かれた。最新のデータでは、韓国の人口10万人当たりの自殺者数(2009年)は28.4人、対して日本は25.8人となっている。他の上位は旧ソ連圏の国々が占めている。

マスコミで語る多くの識者は、この日本韓国両国に共通する要因として貧富の拡大と競争の激化を挙げている。多くの識者の先生方が仰る事を否定する気はない。確かに、正しいのだろう。だが、日韓両国に共通する自殺率の高さを生む要因とは、「自殺を禁ずる宗教的背景が無い事」「自殺を美化・容認しやすい国民性・文化が在る事」だと思っている。尚、旧ソ連圏の国々で自殺率が増えたのはロシア正教の弱体化が理由だと云う説もある。現に米国も貧富の拡大と競争の激化が著しい国だが、自殺率は日本の半分だ。

野田政権に依る自殺対策強化月間のキャッチフレーズ「あなたもGKB47宣言!」は各界から「人の生死と向き合うフレーズとして不適切」と不評を受けて撤廃されている。「ゲートキーパー」とは「悩んでいる人に気づき、声をかけ、必要な支援につなげる」等の活動をする人で、それを「ベーシック」・・・「国民全体に広げる運動」を47都道府県でやっていきましょうだったのだろう。つまり、「あなたもゲートキーパーになりましょう!」と云う主張である。

自殺の原因が「貧富の拡大と競争の激化」だとした処で、これを解消する事は非常に難しい。だから、あなたたち国民1人1人がゲートキーパーとして「悩んでいる人に気づき、声をかけ、必要な支援につなげる」事で自殺者を減らそうと云うキャンペーンだった訳。当事者である筈の政府が、こうした他人任せの自殺対策として打ち出すのには些か問題もあるだろう。

(ブラック・ジョークで恐縮だが)「自殺者の家族は死刑に処す」と決めれば自殺率は低下するカモ知れないが、「自殺を禁ずる宗教的背景」に勝る抑止力は思い付かない。自殺を禁じる宗教が主流ではない我が国では、宗教に代わる何らかのタブー(禁忌)が必要なのカモ知れない。



「貧富の拡大と競争の激化」が自殺率を増加させる大きな要因である事は否定出来ない。世界的な不況や動乱の時期には全世界的に自殺者は増えていると云う何らかの傾向が見出される。こうして約100年のスパンで日本人の自殺率を見れば人口10万人当たり約20±5人である。だが、良く見ると1996年頃からの自殺率増加が目につく。



こうして男女比を見ると明らかだ。女性の自殺率は人口10万人当たり約13±2人で推移しているにも拘わらず、男性の自殺率は1996年辺りから急激に増え人口10万人当たり35人を超えているのだ。この頃急激に男性の自殺率が上がり、その後に下がることなく人口10万人当たり35人超えを続けている事が、日本の自殺問題の要点だと思うのだ。そして、この男性自殺者を有職者と無職者、更に配偶関係を「配偶者あり、未婚、死別、離別(離婚した人)」に分類すると・・・



離別(離婚した人)の自殺率が全般的に高く、無職の離別者は大きく突出している事が判る。25~34歳で人口10万人当たり433.4人、45~54歳では595人と云うデータは想像を超えている。自殺対策は、特にこのブロックに重点的に行うべきだと思えてしまう。

この頃・・・、何が在ったのだろうか?平成9年当時は(私の嫌いな)橋本政権で、財政再建のために消費税の3%→5%への増税、特別減税の廃止、医療保険の患者本人負担増と云う「9兆円の負担増」が実施され、山一証券や北拓銀の破綻の年だった。バブル崩壊からの「失われた20年」を実質的にスタートさせたのが、我が地元岡山県選出の故・橋本龍太郎元首相である。私は過去記事でも散々「失われた20年」の原因は橋本政権の失政だと書いてきたが、日本が世界一の自殺大国となったのも橋本政権の失政なのかも知れないと思えてきた。

同じ様な事を考えていた方も居た様で・・・
もし橋本政権による「9兆円の負担増」がなかったら


そして、民主党政権は自殺対策は国民に丸投げのまま、「失われた20年」解消の兆しの全く見えない当にこのタイミングでの民主党政権に依る消費増税だ。このタイミングの消費増税では財政再建も適わず、自殺率だけが増えてしまいそうなのだが・・・

苦しんで苦しみ抜いた末に自ら死を選んだのに、残された私達は彼らの苦しみにも気付かず、それを止める事も出来ず、今日ものうのうと生きている。本当に自殺する寸前まで追い込まれてしまった人を止めるのは、プロでも難しいにも拘わらず、民主党政権の自殺対策は「あなたもゲートキーパーになりましょう!」と云う国民への丸投げだ。もし誰かに自殺したいと相談されたら・・・、もし自分自身が自殺したくなったら・・・、どうすれば良いのだろうか?

これに対する答えは自殺大国日本では公開されていないに等しい。兎に角、その人を独りにせず話を聞く、正論でまとめず、説教はせず、中途半端なアドバイスをせず、唯ひたすら話を聞く。話している間は自殺が出来ないのだから、延々と話を聞く。夜になれば、又、明日話を聞くからと伝えて毎日でも話を聞く。その人に生きる希望が生まれてくるまで話を聞くべきなのだそうだ。それが出来なければ、専門性の高い人の処へ連れて行くのだそうだ。

実は、知人の御母堂から電話で相談を受けて何度か深夜まで話し続けた事が在る。その何度かの内には「希死念慮」を伝えられた事もあり慎重に対応したツモリだ。ある日、深夜に家に来てくれと云われたが、電話で済ませてしまった。ナンでも母の日を息子家族が祝いに来てくれるカモと御馳走を用意したが誰も帰って来なかったので代わりに食べに来て欲しいと午前零時頃に携帯に電話があったのだ。午前4時過ぎ迄は話を聞いたが、明日の仕事にも差し障りそうだし、他人様の御母堂なのだからと翌日には必ず御子息に電話を入れさせると約束し、翌日電話を当の息子にして彼は必ず電話を入れると云ってくれたので・・・、電話して雰囲気がおかしかったら直ぐに駆けつけると約束していたから・・・、序でに隣の家の人にも連絡し注意して欲しいと伝えて・・・、肩の荷が下りた気持ちで安心していたら彼女は自殺してしまった。連絡して電話を入れると快諾してくれた当の息子は電話も入れなかったらしい。ショックだった。本当にショックだった。彼女が求めているのは赤の他人の私ではなく、彼女の最愛の息子達である。私では代用品も務まらないのだから・・・

ドコが間違っていたのか・・・、果たして専門性が高い人の処に連れて行く事が赤の他人の私に出来ただろうか?別件で警察とトラブルを起こしていた彼女の「希死念慮」を警察に告げて助けを求めるベキだったのだろうか?赤の他人の私では何の役にも立たないので当の息子さんを無理矢理でも連れて行くべきだったのか?息子が行った筈だと安心しないで私自身が訪問すべきだったのか?・・・、恐らく、この内のどれをやっていても、今回の自殺を食い留める事は出来た筈だっただろう。(尚、彼女に電話を入れて確認する事は不可能だった。彼女は掛かってくる電話には出ないタイプの人だったから、確認を入れるべきは快諾した息子だったのだろう。当の息子さんは、話が面倒だと御母堂からの電話には出ないらしい。だが、半年前の前回の「死にたい」騒ぎの時は、私の依頼に応じて息子さんは翌日駆けつけてくれて、少なくとも半年は生きていたのだから・・・、今回も行ってくれる筈と信じていた。少なくとも電話を入れるだろうと信じていた)何度も何度も悔やんだ。親族のみの密葬だったが、特別に焼香には伺った。だが、今更、遺族となった息子さんを責めても仕方が無いだろうと何も云わずに帰った。そして、何度も何度も悔やんだ。

「希死念慮」を伝えられ話を聞く時のタブーは、「話題をそらす」「激励する」「社会的・一般的な価値観を押し付ける」「叱りつける」「批判や助言をする」
「質問を連発する」である。ついつい、やってしまいそうになる総てがタブーである。話を聞く、兎に角、話を聞く。共感をし徹底的に聞き役にまわる。一般人に出来るのは、そこまでで手に余れば専門性の高い人の処に連れて行くしかないのだが、果たして可能だったのだろうか?

自殺された方は、死にたい気持ちと生きたい気持ちの両方を強く持っていて、その死にたい気持ちが勝ってしまったのだろう。赤の他人の私に打ち明けた彼女は私に僅かながらでも信頼を感じたからだろうが、私は彼女の中の生きたい気持ちの期待に応える事は出来ず、永遠に失われてしまった。彼女を本当に助ける事が出来たのは彼女の最愛の息子だけだったのだろうが・・・、悔やまれてならない。




#どうも、こんな展開になるとは私自身も想定外だった。このネタは私自身にとって良いネタでは無かった様だ・・・少しだけ辛い。



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