日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

坂本竜馬 陸奥宗光への手紙(慶応三年八月十六日、慶応三年九月十三日、慶応三年十月二十二日、慶応三年十一月七日、慶応三年十一月十三日(推定)) 

2020-09-21 09:31:01 | 坂本龍馬

〔88〕

陸奥宗光あて       慶応三年八月十六日 
坂本龍馬

彼吉田の千両を以て、家を御求の御論おもしろ(面白)そふなれども、
是必、前門の虎は退ぞけしに後門の狼の入り来り候咄しならんか。
はたして大兄ニも御見付ハ無キ事と奉レ察候。
草々、奉レ対早々ニ頓首。

    十六日
                                 楳
 陸奥大先生


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(105)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸奥宗光あて      慶応三年九月十三日 
坂本龍馬

三四郎及、龍も一所に大兄の御咄し相聞しに、
芸州の方へは別段に三四郎が参るに不レ及かのよふ存込ミ居候。


然ニ今日右よふの手紙が参り候得ば、
もしつがふ(都合)あしくはあるまいかと存候へバ、
御相談申上候。

今日は三四郎も病気に候得バ、
たれでも代人つかハし候間、
御同行奉レ頼候。御帰り次第、
佐々木の宿ニ御成奉レ願候。早〻頓首。

    十三日
                                  龍
    〆    楳太郎
  奥陸(ママ)元二郎様
                                左右


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(115)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸奥宗光あて       慶応三年十月二十二日 
坂本龍馬

此書や加七来りて是非手紙かきて、
陸奥先生に送りくれよと、しきりにそふだんゆへ、
目前ニしたゝむ、かしこ。

御案内の沢やの加七と申候ものゝ咄、
(是ハ御手下のひしや某が聞得所なり。)

度〻小弟ニ参り相談致し候。

某故ハ仙台の国産を皆引受候て、商法云云の事なり。
小弟が手より金一万両出セとのこと也。

上件を是非と申相願候間、
商法の事ハ陸奥に任し在レ之候得バ、
陸奥さへウンといへバ、金の事をともかくもかすべし。

然る右よふの大金をスワというて出すものにてなし。

よく/\心中ニもわかり候よふ、
陸奥に咄し致しくれ候よふと申聞候所、
加七曰ク、
仙台の役人及河内の郷士ら相会し候得バ、
加七が自から下坂と云わけニハまいらずゆへ、
陸奥先生義(ママ)早〻上京の上、
右人々に御引合奉レ願候との事なり。

此上よく御考合可レ被レ成(おかんがへあはせなさるべく)候。

小弟ガ論ニ竊(ひそか)ニ大兄に言、
目今御かゝりの丹波丹後の一件云々
大坂四ツ橋大仏や門前御談の事万不レ可レ被レ忘(わすらるべからず)
十分右の所に御心お御用第一なり。

右のよふ御用心、先は早〻頓首。
    十月廿二日
                                     龍
     元二郎先生
            御本


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(117)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸奥宗光あて       慶応三年十一月七日 
坂本龍馬

   追白、御手もとの品いかゞ相成候か、
   御見きりなくてハ又ふの(不能)と相成。
   世界の咄(はな)しも相成可レ申か、
   此儀も白峯より与三郎より少〻うけたまハり申候。
   此頃おもしろき御咄しもおかしき御咄しも実に/\山〻ニて候。
   かしこ。

拝啓。
然ニ先生此頃御上京のよし、
諸事御尽力御察申上候。

今朝与三郎参、咄聞候所、
先生の御周旋ニて長崎へ参り候よし、
同人の事は元ト大(太)郎が船の引もつれより、
我々共〻御案内の通のセ話相かけ候人ニて、
ことに海援隊外の者ニも在レ之候。

先生御一人御引うけなれバよろしく候得ども、
隊中人を見付ケ且、長崎ニ於、
此度取入候屋鋪(やしき)ニて養なふなど少〻御用心無レ之候得バ、
(ちかく)立行カザルの御セ話がかゝり候と存候。

小野(淳輔)生らが一条にかゝる事ハ小弟ラ多少の儀論(ママ)有レ之候。
先承り候ニ付、早〻一筆さしあげ候。

  十一月七日
                                    謹言
   〆
                                後ト丙丁中
 四条通室町上ル西側沢屋御旅宿
 陸奥源二郎様

                                才谷楳太郎

          御直披
    内用ナリ御独見


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(120)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
陸奥宗光あて       慶応三年十一月十三日(推定)
坂本龍馬

一、さしあげんと申た脇ざしハ、まだ大坂の使がかへり不レ申故、わかり不レ申。

一、御もたせの短刀は(さしあげんと申た)私のよりは、よ程よろしく候。
      (但し中心(なかご)の銘及形。)

  是ハまさしくたしかなるものなり。
  然るに大坂より刀とぎかへり候時ハ、見せ申候。

一、小弟の長脇ざし御らん被レ成度とのこと、ごらんニ入レ候。
 
   十三日 

                                                                         謹言。
陸奥老台
                                                                      自然堂 拝  



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