日本の心

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坂本龍馬関係文書『三吉愼蔵日記抄 坂本龍馬に係る件』日記抄録 慶應二年 二月朔日

2021-01-18 11:11:28 | 坂本龍馬

坂本龍馬関係文書 

 『三吉愼蔵日記抄 坂本龍馬に係る件』

         

 

      日記抄録 

慶應二年二月朔日 

一 西郷大人の命にて兩人共上京可致とのこと付
    吉井幸輔乗馬にて兵士一小隊を引き迎へとして來る 

  同夜坂本一同扞に妾附添京師薩邸西鄕大人の宿處に到る 
  大人出迎ひ直に居間に坐し事情を語る

  拙者は初めての面會なれも其懇情親子の如し
  又た一室を設け坂本兩人扞妾とも三人の休處とせらる

  是より日々時勢の動灘
  或は諸建白尚ほ西鄕大人の他人へ尋間等の伜々迄懇論を受く
  諸有志二三名宛晝夜休所に來り慰勞して相語たる 

  此時小松帯刀 島津伊勢 桂右衛門三名は大夫西郷吉之助は中老の取扱なり 
  大久保市蔵 岩下左夫右衛門 伊地知正治 村田新八 中村半次郎
  西郷新吾 大山彌助 内田忠之助 伊集院金夫郎 中路權右門 野津七左衞門
  鈴木武彌 兒玉四郎吉 醫師木原秦雲等の人々日々來話懇情至らさることなし

  時に薩長和解彌ョ王政復台の爲め盡力兵備の手當をなすに決し  
  西郷 小松 桂を始め一と先ず歸国の事と定め
  二月廿九日京師出立に付坂本兩人妾とも同船にて拙者馬關へ
  坂本は鹿兒島へ同行すとの事なり
  依て附添ひ同夜伏見に着す
 
  數人の有志伏見に来る
  三月日大坂藏屋敷へ着し
  四日朝川船にて下り薩藩蒸気船三邦丸に乗る
  五日朝大坂沖出帆 
  七日夜馬関へ着す 
  直通船にて拙者は上陸し鶏其他赤間關硯等を購し
  西郷を始め諸氏へ離別の寸志として船に持参す
  間なく出因を厚謝して別る
  又た坂本へは他日馬關に來ることを約す

  夫れより拙者陸揚陸し常宮屋六左衛門方へ暫時休息の内伊藤九三來訪す
  夜半長府まて通船を雇ひ歸る 


同月八日
一 勝山御殿へ出頭京師の事情薩長和親の件々君公に言上し
  且つ之を重役
のみに談す

 

同月九日
一 命に依り長府出立山口に到る十四日宗家君前に召出され左の達書の通り賜ものを拜す

          新身刀一振 
           長府 三吉愼蔵 
  右先達て時情探索として薩藩坂本龍馬 同道京攝間へ罷登種々辛苦之折
  柄於伏見不慮之儀致出事其砌〇(不明、絵文字?)艱難を経 
  龍馬とも相扶罷歸上國之模様
  委細に及于報知不容易遂苦勢神妙之事に候 
  依て右之通拜領被仰付候事 


同月十五日 
一 山口御用相済み出立 十六日歸府ス 
  十九日勝山御殿に御用召左ノ通御覧賞賜を蒙る
三吉愼藏へ申渡覺 
  其方儀當正月御用に付村京師へ被差登候途中於齢伏見宿危難有之候處 
  遂 
其の節候段被聞召不辱家名全兼〇(不明、絵文字?)武門之嗜宜奇特之至被思召候依て御
  藏米貳拾石被増下都合六拾石被和仰付旨候以上

 

一 龍馬妾、携へ薩州より馬關に来るや伊藤九三方を寄留處と定め   
  妾を同家に留めて東西に奔走し時勢を慮り、國事を勤む
  往来必す關に滞り福原 福田 品川 熊野 梶山等の諸子を勧誘し
  且つ長防の國難を解き君民勤王の素志を遂けしめんことを圖る

  藩主之を嘉みして短刀(備前吉光)を恵贈し
  且臨時の費用を扶くることあり
  其海援隊を長崎に組織するに當りては有志等往て懇論を受るものありし
  龍馬又た慎藏の宅に滞留あり寄書數通載せて別冊とす
  其徒石川清之助亦た屡は来藩周旋する所多し
  其手簡の別録にあり
  我か藩士の龍馬に交るは印藤聿を最初とす 

 

一 慶應三年丁卯月十一月十五日
  京都瓦町四上る近新と云ふ家に龍馬淸之助及僕藤吉止宿の處に
  四ッ時過き賊三人虚に乗し不意に切込み殺害す
  龍馬は同夜死し
  淸誠之助は十七日に死し
  直次郎は十六日に死す 

  右付長崎なる海援隊より
  浦田軍次郎飛報として十二月二日馬關来着事を告けて直ちに歸府す
  此報を得て即時馬關伊藤九三に到り有志に滞るもの擧て上京を計れり

 

一 妾於良は遣言に因り十二月十五日愼藏宅に引受け同居す 
  就ては藩主其情を憐み抉助米あり 
  且つ於良の妹(キンメイ)事兼て龍馬の内意にて菅野覺兵鵆へ娶はすへきの約あり
  故に同女も姉と共に同居せしむ 

 

一 明治元年戊辰   
  王政復古 正月五日 中島作太郎来藩 
  訪間に預る時に他出して面話し得す 
  一書を遣こして馬關に到り泊す 翌日出關會話す

 

一 海援隊の諸士協議の上上州へ於良引取の事に決し  
  終に馬關より士佐る坂本の住處に護送す
  時に明治元年三月なり 

一 龍馬の遺物として正宗の刀を受く 中島氏より之を贈るなり

一 後藤氏よりも謝儀として 土佐國産の美紙を贈るを愛く 






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