日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

石原莞爾『最終戦争』 第二部 質疑応答 第一問~第五問

2016-06-09 13:26:20 | 石原莞爾

石原莞爾 『最終戦争』 第二部 
 「最終戦争論」に関する質疑回答
 

    昭和十六年十一月九日於酒田脱稿 

第一問 
 世界の統一が戦争によってなされるということは
 人類に対する冒涜であり、
 人類は戦争によらないで
 絶対平和の世界を建設し得なければならないと思う。

〔答〕 
 生存競争と相互扶助とは共に人類の本能であり、
正義に対するあこがれと力に対する依頼は、われらの心の中に併存する。
昔の坊さんは宗論に負ければ袈裟をぬいで相手に捧げ、
帰伏改宗したものと聞くが、
今日の人間には思い及ばぬことである。

 純学術的問題でさえ、理論闘争で解決し難い場面を時々見聞する。
絶大な支配力のない限り、政治経済等に関する現実問題は、
単なる道義観や理論のみで争いを決することは通常、至難である。

 世界統一の如き人類の最大問題の解決は結局、
人類に与えられた、あらゆる力を集中した真剣な闘争の結果、
神の審判を受ける外に途はない。
 誠に悲しむべきことではあるが、何とも致し方がない。

「鋒刃の威を仮らずして、坐(いなが)ら天下を平げん」と考えられた神武天皇は、
遂に度々武力を御用い遊ばされ、

「よもの海みなはらから」と仰せられた明治天皇は、
遂に日清、日露の大戦を御決行遊ばされたのである。

 釈尊が、正法を護ることは単なる理論の争いでは不可能であり、
身を以て、武器を執って当らねばならぬと説いているのは、
人類の本性に徹した教えと言わねばならない。

 一人二人三人百人千人と次第に唱え伝えて、
遂に一天四海皆帰妙法の理想を実現すべく力説した日蓮聖人も、
信仰の統一は結局、前代未聞の大闘争によってのみ実現することを予言している。

 刃やいばに※ちぬ[#「衄のへん+絆のつくり」、U+8845、70-5]らずして世界を統一することは固より、
われらの心から熱望するところであるが(62頁)、
悲しい哉、それは恐らく不可能であろう。

 もし幸い可能であるとすれば、
それがためにも最高道義の護持者であらせられる天皇が、
絶対最強の武力を御掌握遊ばされねばならぬ。

 文明の進歩とともに世は平和的にならないで闘争がますます盛んになりつつある。
最終戦争の近い今日、常にこれに対する必勝の信念の下に、
あらゆる準備に精進しなければならない。

 最終戦争によって世界は統一される。
しかし最終戦争は、どこまでも統一に入るための荒仕事であって、
八紘一宇の発展と完成は武力によらず、
正しい平和的手段によるべきである。


第二問
 
 今日まで戦争が絶えなかったように、
 人類の闘争心がなくならない限り、
   戦争もまた絶対になくならないのではないか。

 〔答〕 
 しかり、人類の歴史あって以来、戦争は絶えたことがない。
しかし今日以後もまた、しかりと断ずるは過早である。

 明治維新までは、日本国内に於て戦争がなくなると誰が考えたであろうか。
文明、特に交通の急速な発達と兵器の大進歩とによって、
今日では日本国内に於ては、戦争の発生は全く問題とならなくなった(35頁)。

 文明の進歩により戦争力が増大し、
その威力圏の拡大に伴って政治的統一の範囲も広くなって来たのであるが、
世界の一地方を根拠とする武力が全世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、
抵抗するものを迅速に屈伏し得るようになれば、
世界は自然に統一されることとなる(35頁)。

 更に問題になるのは、
たとい未曽有の大戦争があって世界が一度は統一されても、
間もなくその支配力に反抗する力が生じて戦争が起り、
再び国家の対立を生むのではなかろうかということである。

 しかしそれは、
最終戦争が行なわれ得る文明の超躍的大進歩に考え及ばず
今日の文明を基準とした常識判断に過ぎない。

 瞬間に敵国の中心地を潰滅する如き大威力(37頁)は、
戦争の惨害を極端ならしめて、
人類が戦争を回避するに大きな力となるのみならず、
かくの如き大威力の文明は一方、世界の交通状態を一変させる。

 数時間で世界の一周は可能となり、
地球の広さは今日の日本よりも狭いように感ずる時代であることを考えるべきである。

 人類は自然に、心から国家の対立と戦争の愚を悟る。
且つ最終戦争により思想、信仰の統一を来たし、
文明の進歩は生活資材を充足し、
戦争までして物資の取得を争う時代は過ぎ去り人類は、
いつの間にやら戦争を考えなくなるであろう(49~51頁)。

 人類の闘争心は、ここ数十年の間はもちろん、
人類のある限り恐らくなくならないであろう。

 闘争心は一面、文明発展の原動力である。
しかし最終戦争以後は、
その闘争心を国家間の武力闘争に用いようとする本能的衝動は自然に解消し、
他の競争、即ち平和裡に、
より高い文明を建設する競争に転換するのである。

 現にわれわれが子供の時分は、
大人の喧嘩を街頭で見ることも決して稀ではなかったが、
今日ではほとんど見ることができない。

 農民は品種の改善や増産に、
工業者はすぐれた製品の製作に、
学者は新しい発見・発明に等々、
各々その職域に応じ今日以上の熱を以て努力し、
闘争的本能を満足させるのである。

 以上はしかし理論的考察で半ば空想に過ぎない。
しかし、日本国体を信仰するものには戦争の絶滅は確乎たる信念でなければならぬ。
八紘一宇とは戦争絶滅の姿である。

 口に八紘一宇を唱え心に戦争の不滅を信ずるものがあるならば、
真に憐むべき矛盾である。

 日本主義が勃興し、日本国体の神聖が強調される今日、
未だに真に八紘一宇の大理想を信仰し得ないものが少なくないのは誠に痛嘆に堪えない。


第三問
 最終戦争が遠い将来には起るかも知れないが、
 僅々三十年内外に起るとは信じられない。

〔答〕 
 近い将来に最終戦争の来ることは私の確信である(33~36頁)。
最終戦争が主として東亜と米州との間に行なわれるであろうということは私の想像である(44頁)。

 最終戦争が30年内外に起るであろうということは占いに過ぎない(45頁)。
私も常識を以てしては、30年内外に起るとは、なかなか考えられない。

 しかし最終戦争は実に人類歴史の最大関節であり、
このとき、世界に超常識的大変化が起るのである。

 今日までの戦争は主として地上、水上の戦いであった。
障害の多い地上戦争の発達が急速に行かないことは常識で考えられるが、
それが空中に飛躍するときは、
真に驚天動地の大変化を生ずるであろう。

 空中への飛躍は人類数千年のあこがれであった。
釈尊が法華経で本門の中心問題、即ち超常識の大法門を説こうとしたとき、
インド霊鷲山(りょうじゅせん)上の説教場を空中に移したのは、
真に驚嘆すべき着想ではないか。

 通達無碍の空中への飛躍は、
地上にあくせくする人々の想像に絶するものがある。

 地上戦争の常識では、この次の戦争の大変化は容易に判断し難い。

 戦争術変化の年数が1000年→300年→125年と逐次短縮して来たことから、
この次の変化が恐らく50年内外に来るであろうとの推断は、
固より甚だ粗雑なものであるが、全くのデタラメとは言えない。

 常識的には今後30年内外は余りに短いようであるが、
次の大変化は、われらの常識に超越するものであることを敬虔な気持で考えるとき、
私は 「309年内外」を否定することはよろしくないと信ずるものである。

 もし30年内外に最終戦争が来ないで、
50年、70年、100年後に延びることがあっても、
国家にとって少しも損害にならないのであるが、
仮に30年後には来ないと考えていたのに実際に来たならば、
容易ならぬこととなるのである。

 私は技術・科学の急速な進歩、産業革命の状態、仏教の予言等から、
30年後の最終戦争は必ずしも突飛とは言えないことを詳論した。

 更に、第一次欧州大戦までは世界が数10の政治的単位に分かれていたのがその後、
急速に国家連合の時代に突入して、
今日では四つの政治的単位になろうとする傾向が顕著であり、
見方によっては、世界は既に自由主義と枢軸の2大陣営に対立しようとしている。

 準決勝の時期がそろそろ終ろうとするこの急テンポを、どう見るか。

 また統制主義を人類文化の最高方式の如く思う人も少なくないようであるが、
私はそれには賛成ができない。
 元来、統制主義は余りに窮屈で過度の緊張を要求し、
安全弁を欠く結果となる。

 ソ連に於ける毎度の粛清工作はもちろん、
ドイツに於ける突撃隊長の銃殺、副総統の脱走等の事件も、
その傾向を示すものと見るべきである。

 統制主義の時代は、決して永く継続すべきものではないと確信する。
 今日の世界の大勢は各国をして、その最高能率を発揮して戦争に備えるために、
否が応でも、また安全性を犠牲にしても、
統制主義にならざるを得ざらしめるのである。

 だから私は、統制主義は武道選手の決勝戦前の合宿のようなものだと思う。

 合宿生活は能率を挙げる最良の方法であるけれども、
年中合宿して緊張したら、うんざりせざるを得ない。

 決戦直前の短期間にのみ行なわれるべきものである。

 統制主義は、人類が本能的に最終戦争近しと無意識のうちに直観して、
それに対する合宿生活に入るための産物である。

 最終戦争までの数十年は合宿生活が継続するであろう。
この点からも、最終戦争はわれらの眼前近く迫りつつあるものと推断する。


第四問
  東洋文明は王道であり、
    西洋文明は覇道であると言うが、
   その説明をしてほしい。

〔答〕 
 かくの如き問題はその道の学者に教えを乞うべきで、
私如きものが回答するのは僭越極まる次第であるが、
私の尊敬する白柳秀湖、清水芳太郎両氏の意見を拝借して、若干の意見を述べる。

 文明の性格は気候風土の影響を受けることが極めて大きく、
東西よりも南北に大きな差異を生ずる。

 われら北種は東西を通じて、おしなべて朝日を礼拝するのに、
炎熱に苦しめられている南種は同じく太陽を神聖視しながらも、
夕日に跪伏する。

 回教徒が夕日を礼拝するように仏教徒は夕日にあこがれ、
西方に金色の寂光が降りそそぐ弥陀の浄土があると考えている。

 日蓮聖人が朝日を拝して立宗したのは、
真の日本仏教が成立したことを意味する。

 熱帯では衣食住に心を労することなく、
殊に支配階級は奴隷経済の上に抽象的な形而上の瞑想にふけり、
宗教の発達を来たした。

 いわゆる3大宗教はみな亜熱帯に生まれたのである。
半面、南種は安易な生活に慣れて社会制度は全く固定し、
インドの如きは今なお4千年前の制度を固持して政治的に無力となり、
少数の英人の支配に屈伏せざるを得ない状態となった。

 北種は元来、住みよい熱帯や亜熱帯から追い出された劣等種であったろうが、
逆境と寒冷な風土に鍛錬されて、
自然に科学的方面の発達を来たした。

 また農業に発した強い国家意義と狩猟生活の生んだ寄合評定によって、
強大な政治力が養われ今日、世界に雄飛している民族は、すべて北種に属する。

 南種は専制的で議会の運用を巧みに行ない得ない。
社会制度、政治組織の改革は、北種の特徴である。

 アジアの北種を主体とする日本民族の歴史と、
アジアの南種に属する漢民族を主体とする支那の歴史に、
相当大きな相違のあるのも当然である。

 但し漢民族は南種と言っても黄河沿岸はもちろんのこと、
揚子江沿岸でも亜熱帯とは言われず、
ヒマラヤ以南の南種に比べては、
多分に北種に近い性格をもっている。

 清水氏は 『日本真体制論』 に次の如く述べている。
 「……寒帯文明が世界を支配はしたけれども、
  決して寒帯民族そのものも真の幸福が得られなかった。
  力の強いものが力の弱いものを搾取するという力の科学の上に立った世界は、
  人類の幸福をもたらさなかった。

  弱いものばかりでなくて、強いものも同時に不幸であった。
  本当を言うと、熱帯文明の方が宗教的、芸術的であって、
  人間の目的生活にそうものである。

  寒帯文明は結局、人間の経済生活に役立つものであって、
  これは人間にとって手段生活である。
  寒帯文明が中心となってでき上がった人間の生活状態というものは、
  やはり主客転倒したものである。……

  この二つのものは別々であってよいかと言うに、
  これは一つにならなければならないものである。

  インド人や支那人は、実に深遠な精神文化を生み出した民族であるが今日、
  寒帯民族のもつ機械文明を模倣し成長せしめることに成功していない。

  白色人種は、物質文化の行き詰まりを一面に於て唱えながらも、
  これを刷新せんとする彼らの案は、依然として寒帯文明の範疇を出ることができない。……

  とにかく、日本民族は明白に、その特色をもっているのである。
  この熱帯文明と寒帯文明とが、日本民族によって融合統一され、
  次の新しい人間の生活様式が創造されなければならない。

  どうも日本民族をおいて、
  他にこの2大文明の融合によって第三文明を創造しうる能力をもったものが、
  外にないと思われる。

  つまり、寒帯文明を手段として、
  東洋の精神文化を生かしうる社会の創造である。
  西洋の機械文明が、東洋の精神文明の手段となるときに、
  初めて西洋物質文化に意味を生じ、
  東洋精神文化も、初めて真の発達を遂げうるのである。」

 寒帯文明に徹底した物質文明偏重の西洋文明は、即ち覇道文明である。
 これに対し熱帯文明が王道文明であるかと言えば、そうではない。

 王道は中庸を得て、偏してはならぬ。
道を守る人生の目的を堅持して、
その目的達成のための手段として、物質文明を十分に生かさねばならない。
即ち、王道文明は清水氏の第三文明でなければならない。

 同じ北種でも、アジアの北種とヨーロッパの北種には、
その文明に大きな相異を来たしている。
日本民族の主体は、もちろん北種である。

 科学的能力は白人種の最優秀者に優るとも劣らないのみならず、
皇祖皇宗によって簡明に力強く宣明せられた建国の大理想は、
民族不動の信仰として、われらの血に流れている。

 しかも適度に円満に南種の血を混じて熱帯文明の美しさも十分に摂取し、
その文明を荘厳にしたのである。

 古代支那の文明は今日の研究では、南種に属する漢人種のものではなく、
北種によって創められたものらしいと言われているが、
その王道思想は正しく日本国体の説明と言うべきである。

 この王道思想が漢人種によって唱導されたものでないにせよ、
漢民族はよくこの思想を容れ、
それを堅持して今日に及んだ。

 今日の漢民族は多くの北種の血を混じて南北両文明を協調するに適する素質をもち、
指導よろしきを得れは、
十分に科学文明を活用し得る能力を備えていると信ずる。

 西洋北種は古代に於て果して、東洋諸民族の如き大理想を明確にもっていたであろうか。
仮にあったにせよ、
物質文明の力に圧倒され、かれらの信念として今日まで伝えられるだけの力はなかったのである。

ヒットラーは古代ゲルマン民族の思想信仰の復活に熱意を有すると聞くが、
ヒットラーの力を以てしても、民族の血の中に真生命として再生せしめることは至難であろう。

 ヨーロッパの北種はフランスを除けば、
イギリスの如き地理的関係にあっても南種の混血は比較的少なく、
ドイツその他の北欧の諸民族は、ほとんど北種間のみの混血で、
現実主義に偏する傾向が顕著である。

 殊にヨーロッパでは強力な国家が狭小な地域に密集して永い間、
深刻な闘争をくり返し、
科学文明の急速な進歩に大なる寄与をなしたけれども、
その覇道的弊害もますます増大して今日、
社会不安の原因をなし、清水氏の主張の如く、
これも根本的に刷新することが不可能である。 

 西洋文明は既に覇道に徹底して、みずから行き詰まりつつある。
王道文明は東亜諸民族の自覚復興と西洋科学文明の摂取活用により、
日本国体を中心として勃興しつつある。

 人類が心から現人神あらひとがみの信仰に悟入したところに、
王道文明は初めてその真価を発揮する。

 最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、
天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、
具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、
西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、
人類歴史の中で空前絶後の大事件である。


第五問
  最終戦争が数十年後に起るとすれば、
  その原因は経済の争いで、
    観念的な王道・覇道の決勝戦とは思われない。

〔答〕 
 戦争の原因は、その時代の人類の最も深い関心を有するものに存する。
昔は単純な人種間の戦争や、宗教戦争などが行なわれ、
封建時代には土地の争奪が戦争の最大動機であった。
土地の争奪は経済問題が最も大きな働きをなしている。

 近代の進歩した経済は、社会の関心を経済上の利害に集中させた結果、
戦争の動機は経済以外に考えられない現状である。

 自由主義時代は経済が政治を支配するに至ったのであるが、
統制主義時代は政治が経済を支配せねばならぬ。

 世の中には今や大なる変化を生じつつある。
しかし僅々30年後にはなお、社会の最大関心事が依然として経済であり、
主義が戦争の最大原因となるとは考えられない。

 けれども最終戦争を可能にする文明の飛躍的進歩は、
半面に於て生活資材の充足を来たし、
次第に今日のような経済至上の時代が解消するであろう。

 経済はどこまでも人生の目的ではなく、手段に過ぎない。
 人類が経済の束縛からまぬがれ得るに従って、
その最大関心は再び精神的方面に向けられ、
戦争も利害の争いから主義の争いに変化するのは、
文明進化の必然的方向であると信ずる。

 即ち最終戦争時代は、
戦争の最大原因が既に主義となる時代に入りつつあるべきはずである。

 文明の実質が大変化をしても、
人類の考えは容易にそれに追随できないために、
数十年後の最終戦争に於ける最初の動機は、
依然として経済に関する問題であろう。

 しかし戦争の進行中に必ず急速に戦争目的に大変化を来たして、
主義の争いとなり、
結局は王覇両文明の雌雄を決することとなるものと信ずる。

 日蓮聖人が前代未聞の大闘争につき、
最初は利益のために戦いつつも争いの深刻化するに従い、
遂に頼るべきものは正法のみであることを頓悟して、
急速に信仰の統一を来たすべきことを説いているのは、
最終戦争の本質をよく示すものである。

 第一次欧州大戦以来、
大国難を突破した国が逐次、
自由主義から統制主義への社会的革命を実行した。

 日本も満州事変を契機として、この革新即ち昭和維新期に入ったのであるが、
多くの知識人は依然として内心では自由主義にあこがれ、
また口に自由主義を非難する人々も多くは自由主義的に行動していた。

 しかるに支那事変の進展中に、
高度国防国家建設は、たちまち国民の常識となってしまった。
冷静に顧みれば、平和時には全く思い及ばぬ驚異的変化が、何の
不思議もなく行なわれてしまったのである。

 最終戦争の時代をおおむね20年内外と空想したが(46頁)、
この期間に人類の思想と生活に起る変化は、全く想像の及ばぬものがある。

 経済中心の戦争が徹底せる主義の争いに変化するとの判断は、
決して突飛なものとは言われない。

  
 
【続く】 石原莞爾『最終戦争論』 第二部 質疑応答 第6問~第7問

 

 


この記事についてブログを書く
« 石原莞爾『最終戦争論』 第... | トップ | 石原莞爾『最終戦争論』 第... »
最新の画像もっと見る

石原莞爾」カテゴリの最新記事