日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

孫文『三民主義』第二章  第三節 民權と平等

2021-11-18 21:31:46 | 中国・中国人


  孫文
「三民主義」 


  


 第
二章 民權主義
     第三節 民權と平等 
 
〔専制の發達によつて人為的の不平等が生れて來た〕
民權の二字は、吾人革命黨の第二の標語であって、仏蘭西革命の標語であった平等に相応するものである。 然し平等と云つても吾人が自然界を見渡した時、そこには全く不平等だけが存在し平等は見當らないのである。人類に於ても亦然り、人は生れながらにして不平等である。然しそこに更に政治的に専制の發達によつて人為的の不平等が生れて來た。
  例へぱ帝王公候伯子男民の如きである。故に革命の眞意は人為的の不平等を打破して平等に達するにある。近來科學の進步したため、人類に天賦の平等といふもののないことが分つて来た。例へば人類を能力に依て分けて見れば聖賢才智凡庸愚劣等があって一様でない。これを强ゐて一様にしようとて高い位置にあるものを押し下げ努めて平等を保たうとても、それは偽平等であって眞の平等でない。


 社會上の地位から言えば本来人は平等である。然し各人天賦の聡明才智と従来の努力により自然そこに著しい差異が出て来る。これを不自然的に一律平等にしようとすれば世界には進歩がなくなつて、人類は退歩するであらう。故に吾人は民權の平等を論ずる場合、そこに世界の進歩を要求する 又人民の政治上の地位の平等を要する。
 吾人の平等は人為的であって天生的ではない。人為的の平等は攻治上の地位の平等であるから、革命に侬て各人の政治上に於ける立脚點を平等ならしめなければならぬ。その平等な立脚點の上に立つて、こゝに聖賢才智平庸愚劣等の不平等が生れ出るのである。


〔支那は元来欧州諸国のやうにこの種不平等が著しくない〕
 さて人為的の不平等であるが、支那は元来欧州諸国のやうにこの種不平等が著しくない。支那の政治は欧洲よ りも進歩して居るから、支那は既に二千年以前に封建制度を打破して平等思想が芽生えて居た。欧州の政治の進 歩が支那を追越したのは、こゝ二百年ばかりのことである。 欧洲の専制の程度が支那より甚だしかったのは世襲制度があったからである。王候貴族のの外、人民の職業も代々世襲制であった。
 所が支那では古代封建制が施れてから以後,この種の制限は完全に崩れてしまった。ただ皇帝だけは世襲制であるが、これも人が倒せは朝廷が變るのである。其以下の公候伯子男に至っては昔から始終交代が行はれ、平民が宰相になり王俟となる例は非常に多い。
 從て欧洲では階級専制の不平等を打破するため命懸けで争ふが,支那人は殆んど自由平等の何物たるかを知らないのは、支那の専制が欺洲のやうに甚だしくなかつ たからである。


 〔皇帝を夢みる思想を完全に除去せんとせば、更に一層の努力と新しき革命とを要す〕
 支那数千年来の戦爭は旣に述べたやうに皇帝を爭ふ戦争であったが、今回吾人の革命が始めて皇帝戦争の範囲外に出たのである。然し吾人の思想を了解して居るのは眞の革命黨だけであって、それ以外の北方の曹錕吳偑孚等は表面共和に賛成して居るが、實際は武力統一を主張し専制を企てていて、行程思想から抜け切らないで居るの である。
 從て第二の袁世凱が飛び出す危險は今に絶えない。ために支那の革命は今に至って成功しないのである。吾人をして皇帝を夢みる思想を完全に除去せんとせば、更に一層の努力と新しき革命とを要する。


〔眞の自由平等は民權の上に立脚し、民權に附属すべきもの〕
 支那現在幾多の青年志士は今に自由平等を主張して居る。欧州では一二百年前に自由平等を争ふた。然し争ふて得た結果は實際は民權であつた。民權あればそこに自由平等が生れ、民権なければ自由平等も一の空名に通ぎない。
 眞の自由平等は如何なる所に立脚し、如何なるものに附属するかといふに、それは民權の上に立脚し、民權に附属すべきものである。民橫が發達すれば自由も平等も長く存在し得るだらう。民權なければ如何なる自由も平等も住むに所がない。


 〔民權をかち得れば、事實上人民は自由と平等を有つことになる〕
 故に國民黨が革命を起した時、其目的は自由平等を爭ふにあったが、其定めた主養は民權であった。何んとなれば民權をかち得れば、事實上人民は自由と平等を有つことになる。故に自由平等は民權の内に含まれて居る。民權が發達すればそこに眞の自由平等が現はれる。欧米が平等を得た後、今に弊害を生じて居るのは、民權が十分に発達して居ないため、自由平等が正軌な道を歩み得ないからである。從て彼等は今に尚民權のために争って居る。

 然して戰ひのためには團結が必要であるし、それには集會結社の自由を得なければならぬ。集會結社の自由から幾多の團體が生れる。即ち政治上には政等が必要であり,労働者の間には労働組合がある。始め労働者は自覚しなかったが、労働者以外に幾多義を好むの士が居て、労働者に代って労働者と資本家との間の不平等を労働者の間に宣傳したため、彼等覚醒させ彼等を團結せしむることなった。労働者の團結は十年来支那にも生まれた。
 支那は革命後、各職業の労働者が聯合して幾多の團體を造ったが、團體の首領には労働者以外の者が多く、彼等は労働者の利益を計るよりも、團體の名義を借りて労働者を利用し、自己の利益を図ることが多かった。従って労働者間に於ける平等の説にも弊害が生じて来た。
 例えば労働者は政治問題に関係してはいけないと云ふ如きがこれで、かくの如く最も重大なる政治問題を労働問題から切り離す如きは大きな誤りである。支那が現在受けている外國の政治経済的圧迫の如き、支那政府が無能力な結果である。 


〔道徳上の最高目的〕
 吾人の革命は単に平等を争つてはならない。民權を主張しなければならぬ。民權が發達せねば假令平等を得ても、それは久しからずして消減する。吾人が民權を主張し、平等を標語としないのは平等は民権の中に含まれて居るからである。
 私は以前こんなことを考へ付いた。それは世界の人類は其の天分に依って之を三種に分つことが出来た。即ち先知先覚者、後知後覚者、不知不覚者これで或る。先知先覚#は發明家であり、後知後覚者者は宣傳家で、不知不覚者は實行家である。
 この三種の人が協力して始めて人類の文明は進歩する。天の人を生ずるやそこに聡明才智の不平等はあるが、人心は之を平等ならしめんとする。こゝに道徳上の最高目的がある。人類が努力進行するのはこの最高道徳目的に達せんがためである。


〔一は利己であり、一は利他である。〕
 その方法は如何といふに、吾人は人類のぬたつの思想をを對比さすることが出來る。一は利己であり、一は利他である。利己は人を害して惜しまず、この種の思想が發達すれば、聡明才智の人は彼の才能を利用して他人の利益を養ひ、斬次先生の階級を造り、政治上には不平等を生むのである。これ民權革命以前の世界である。

 利他主義の人は常に喜んで自己を犠牲にする。この思想が發達すれば聡明才智力ある人は他人の幸福を計り、博愛の宗教や慈善の事業をなす。この宗教や慈善で間に合わなくなれば根本解決のため革命を實行し,先生を打破し民權を主張し、人事の不公平を除かんとする。
 其の後は三種の人を調和し,平等の基礎に立ち、各々奉仕を目的とし,奪略を目的とすることを廃する。而して聡明才力大なるものは益々其の能力を発揮して千萬人の務に服し、千萬人の幸福を造る。又力の之に劣るものはそれ相応の奉仕をなす。
 全 く聡明才カなきものも赤自分一人前の能力を發揮して一人前の仕事をする。かくて天生の聡明才力には不平等があつても、人々の奉仕道徳心が發達すれば必す之を平等ならしむることが出来る。これが平等の奥義である。

 




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