日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

桑原隲藏『黄禍論』二 黄禍か白禍か

2022-01-06 19:58:34 | 作家・思想家

   黄禍論     
      桑原隲藏
 

  

二 黄禍か白禍か

 以上は欧米に起こった黄禍論の由来の大略を述べたのであるが、翻って黄禍そのものの事実の有無を論ずることとなると曟(註、サキ)にも一寸申し述べて置いたが、等しく黄禍論といふ條、その論旨を大別すると、――已に二十年も以前に、英人ピアルソン氏がその著『国民的生活及品性』中に論評したるが如くーー軍事・殖民・経済の三方面に分かれる。

 軍事方面より論ずるものは、黄人――主として日本人及び支那人――は蛮的勇気を備へて、軍人に適した素質を持って居る。彼等にして最新の軍事教育を受け、最新の武器を使用し得るに至らば白人は到底之に抵抗することが出来ぬ。今日白人が占領している亜細亜の土地は遠からず黄人の手に取り返えされるであらうと予想する。

 殖民方面より論ずる者は、黄人は如何なる気候風土にもよく適応していく。この点に於て黄人は遥かに白人に立ち優って居る。耐忍・勤勉・倹素なる黄人は到る所の殖民地で労働者としても、資本家としても、優に白人を圧倒し得る見込みがあると観測する。

 更に経済方面より論ずる者は東亜殊に支那は、あらゆる産物が無尽蔵で、而も未だ少しも開發されて居らぬ。支那及び日本は尤も石炭に富み又水運の便利を備へて居る。この豊富なる石炭を利用し、便利なる運搬力を利用し、殊に低廉なる賃金に満足する日本・支那の労働者を使役して文明的の生産工業に力を用ふるに至らば廉価なる東亜の生産物工芸品が世界の市場に跋扈するに至るべしと主張する。

 殖民経済の方面のことは、やや複雑に渉り且つ紙数の制限もあれば、姑く之を措き.専ら軍事方面から論ずると、黄禍などといふ事実は決して有り得ぬ事と思ふ。少なくとも欧米の黄禍論者が主張するが如く、日本人や支那人が攻撃的態度をとって、白人に迫害を加へ世界の平和を撹乱するやうなことは、過去に於てもかかる事実は存在せず、将来に於いてもかかる事実は起らぬ事と思ふ。
  

 第一支那人は世界無比な戦争嫌ひな平和的(?)人種である。彼等は軍人として尤も不適当なsる性質を有して居る。支那人の間には好鐵不打釘好人不當兵といふ諺がある。軍人を賤しむこと支那人の如きは類稀である。彼等は他國を征服するよりも、他國に征服さるべき人種である、吾輩は今春京都帝國大学記念日の講演に、歴史上より十分この点を証明して置いた。

 講演の大意は当時一二の新聞にも記載されたが、遠からずその全体の筆記を発表する積りである。かかる戦争嫌ひな支那人が、白人を迫害することは思ひも寄らぬ。

 日本人は支那人程平和的でないかも知れぬ。併し決して理不尽に白人を迫害する気遣ひがない。日清日露の戦役によって、日本を交戦國と評するのは、事実を誣(註、シーいる。ないことをあるように言う。)ふること甚だしきものである。

 もと米國のウイシコンシン大学の教授で、近頃駐箚支那公使に任命されたラインシュ氏は、極東の亜細亜人に就いて、大略次の如き評を下して居る。

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 日本人は亜細亜民族の中で最も好戦的に見えるが、彼等の理想として憧憬する所は平和であって戦争ではない。
 亜細亜の詩歌には,尤も平和の思想が現れて居る。亜細亜の宗教は尤も平和的である。実際世界の大宗教の中で、仏教程人の血を流さずに伝搬して来た宗教は他にない。亜細亜の歴史には他国の土地を併合した場合が比較的に少ない。
 亜細亜人程その生まれ故郷に執着する者はない。亜細亜人は尤も厚くその祖先を崇拝し又尤も厚くその墳墓を尊敬する。
 此等の点から推論すると、自然の発達に任せば、亜細亜人は尤も平和なる種族で、決して西洋の文明を迫害する筈がない。

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 古き歴史を見ると、匈奴とか蒙古とかは、一時亜細亜方面から欧州へ侵入したこともあるが、此等は砂漠の漂泊種族で四隣を攻略するのを一つ職業の如くして居った蛮民で日本人や支那人とは人種も相違して居る。決して彼此同一視すべきでない。又白人は歴史上・宗教上・社会上一大団結をなし易いが、黄人間にかかる大団結を起こすことはまず不可能である。

 黄人が一致団結して白人を迫害することは、容易に現実さるべきものでない。黄人は白人を迫害せぬが、白人は過去の於ても、現在においても、絶えず黄人を迫害して居る。白人が初めて東亜に出かけて来た頃には、馬来半島以東の南洋諸島は、多く支那人の勢力範囲であつた。併し支那人は新来の白人を排斥せず、通商の自由を与えた。所が白人が勢力を得るに従ひ支那人を邪魔にする。

 

 マニラやバァタヴィアで、一時に幾萬という支那人が、白人の為に虐殺されたことがある。彼等は更に白人の豪州とか白人のフィリピンとか、勝手な口実の下に、黄人の移住を禁止する。随分虫の好い話ではない哉。白人は又通商を開く為には兵力に訴えても強請する。日本も支那も脅迫されて開港し、開港後は絶えずその脅迫に苦しんだ。


 『東亜に於ける独逸の利害関係及び黄禍』の著者リグニッツ氏の所謂、支那は約六十年間、日本は約四十年間、(十九世紀の終わりまでの計算)烈しい白禍に難渋したのである。されば黄禍論の起る以前に、早く白禍論が起こるべき筈である。脅迫された黄人が白禍論を唱へえずに(白禍といふ言葉は黄禍の後に出来たもので、黄禍の如く普通瀬ではない)脅迫する白人が黄禍論を唱へるとは実に怪奇至極の現象ではあるまいか。

 

 白人は今日でも自分勝手に世界の最優等人種で、世界を支配すべき特権あるが如く信じて居る。この偏見からすべての事を判定する。黄人が彼等の言う儘に、なす儘になって居る間は、苦情も出ぬが、黄人が覚醒して、幾分彼等の自由にならぬと直ちに黄禍論を唱へ、甚だしきは黄人に対して謀反呼りをする。それ程黄人が危険なら黄色人の土地に近寄らぬがよい。無理に出かけて来て、極東に通商を開き、或はその土地を占領しながら黄人の危険を説くとは、一つの滑稽と言わねばならぬ。

 今より二十年許り前まで英國牛津(オックスフオルド)大學の教授として、支那學の講座を持って居た有名なるレッグといふ人が、儒教と耶蘇教とを比較して次の如き批評を下したことがある。
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 孔子は 己所不欲 勿施於人(『論語』顔淵十二)といふ。これを基督が己の欲する所を人に行へといふ教訓と比較すると基督の方が積極的で、孔子の方が消極的である。基督は正義を行えと命じ、孔子は不正を行うふなかれと禁ずるので、両者に大きな差別がある。
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 随分、孔子の學説を抑えて居る。

  又或る人が孔子に怨ある者に恩徳を施すは如何にと尋ねた時、孔子はかくては恩ある人と怨みある者とを同一視する恐ありとて、之に反対して、

  以直報怨、以徳報徳(『論語』憲問十四) と教えて居る。

 即ち孔子は明に恩ある者と怨ある者とを区別して同一視せぬのであるが、レッグ教授は、之を『聖書』の馬太傳かに、
爾曹の敵を愛み、爾曹を詛(註、ノロう)う者を祝し、爾曹を憎むものを善視し、虐遇迫害する者の為に祈祷せよ。

とあるに比較して、孔子は博愛を解せぬ。その道徳観念は低いと抑へて居る。

 

 此の儒教と耶蘇教との比較論に対して、吾が輩は別箇の意見を持って居るが、茲には姑くレッグ教授の意見に従うこととし、耶蘇教の主義は如何にも立派のものと認める。併し白人は果たしてよくこの立派な主義を実行して居るえあろう歟(註、か。疑問・推測・反語・感嘆の語気を表す。)。彼等は果たして宗教や種族の区別を超脱して、一視同仁に博愛を実行して居るであろう歟。


 白人東漸の事実を観ると必ずしも左様ではない様に思ふ。彼らはその欲する所を人に施さざるのみならず、その欲せざる所も遠慮な他人に施して居る。道光年間の阿片戦争の如きをおの一例である。英人はその本國及び殖民地に阿片の使用を禁止しながら支那には盛んに輸入する。阿片戦争の大立者である有名な林則徐が『擬諭英吉利王檄』を作って、有害と知って自國に禁止せる毒品を金儲の為めとはいへ、他國に輸入して人命を害するを顧みぬとは、良心ある者の敢えてし得る業ではない。英人は果たして良心を有して居るや否やと試問天良(天の賦与せし良心)安在と詰問している。

 レッグ教授の本國に関係あること故、同教授が若しこの文を一読したらーーこの文『林文忠政書』乙集に収められて居るが、レッグ教授は果たして之に寓目したか否や不明であるーー必定その背に汗せなければならぬ筈である。


 レッグ教授と阿片問題に関して面白い因縁話がある。レッグが支那滞在中に、さる支那の大官――多年英國公使として駐在して居た大官――と會同した。その大官は極めて打ち釋けた態度でレッグ教授に向ひ、貴下は西洋人とはいへ、中國に住むこと三十年に近く、中國の経書にも通達して居らるるが、中國と西洋と比較して何れが果たして文明國である歟、忌憚なき御意見を承りたいと申出た。
 レッグが之に対して遺憾ながら西洋の方がと答へると、大官は抑へて、自分の尋ねたるのは軍艦や鐵道や汽船などの多寡を指すのではない、精神的方面殊に道徳の優劣であると付け足した。之に対してレッグは、それも勿論同様と答へると、大官は解しかねる顔色をして、徐にそれ程道徳の優れたる貴國人が、何が故に阿片を強売させるる歟と反問したから、流石のレッグも返答に窮して、冷汗を流したといふ。

 レッグはやがて英國に帰り、オックスフォルド大學の支那學講座担任の教授となると、真面目な彼はその滞支中の実験を基礎として阿片の流毒の激甚なることを説き、一日もこの不名誉な貿易を中止せしむべく輿論を喚起する目的で一大論文を起稿して、ロンドンのタイムス新聞へ寄書した。

 所が折角の教授の論文も没書されて、遂に新聞紙上に発表されない。レッグ教授が真面目な紳士であっただけ、曾て孔子教を抑へて基督教を掲げた因縁があるだけ又曾て支那の大官と中西の道徳の優劣を論じた責任あるだけ、更に公平無私なタイムス新聞ならばと信用を置いただけ、この出来事によって博愛なるべき基督教徒が、存外博愛を解せぬ事実を痛切に感取したに相違あるまい。


 黄人の白人に対する反感は、大抵の場合、白人が黄人に対して何等の同情を有たずに、無遠慮な我儘勝手を行ふから起るのである。久しく福建地方で支那人教育に従事して居つたスミス氏は、西洋の東洋に対する不正行為が東人の西洋憎悪の重なる原因であると公言して居る。

 『極東に於ける白禍論』の著者ギュリック氏は、その書中に、
 今は世界の平和を脅かすのは黄禍でなくして白禍である。即ち白人の跋扈である。黄白人種の衝突を避け、世界の平和を永遠に保持するには、先づ白人をして、凡ての人類は同一の価値と権利を有するといふ、根本真理を會得せしむる必要がある。英・米・獨・佛人に対すると同一の標準を以て日本人及び支那人に対するのが、世界平和の第一歩である。

 と主張して居る。

 

 明治四十一年に当時駐箚米国公使であった伍廷芳氏は紐育の市民會堂に招待されて、『支那の覚醒』といふ題で、一場の講演をした時、一米人が質問した。

 支那の覚醒は誠に結構であるが、併し我々米人は現に支那人を虐待し排斥して居る。若し支那が十分富強になった暁には、この不当待遇の仕返しに、我が米人に対して入國禁止を行ふ様の事起こらざる歟。この点が誠に懸念に堪へぬ。

 

 之に対して伍廷芳氏は、

 否、決してさる懸念に及ばぬ。米人は支那人を排斥しても、支那人はその復讐を好まぬ。我々は四海同胞主義である。宗教や種族によって区別を設けぬ。米人も勿論我が兄弟姉妹と見做し、決して排斥を行わぬ。

 

 と答へて大喝采を博したことがある。喝采した米人は耶蘇教信者である。彼等は平素異教徒として排斥もし、侮辱もして居る黄人の口から徳を以て怨に報いる馬太傳その儘の博愛的宣言を聞き、彼等自身の行為と引き較べて赤面せなんだであらう歟。喝采したことだけは、講演筆記に載せられて居るが、赤面したかせぬかは記載されてないから知ることが出来ぬ。

 

 支那人は伍廷芳のいふ如く白人より排斥され白人より迫害されても、大人気しく、徳を以て怨に報いて行くかも知れぬが、日本人の気質は、或はそれ程寛容であるまいと思われる。愛国心の強い日本人にとっては、国家の体面といふことが、尤も重大なるものと考えられて居る。名実とも獨立国の体面を毀損せぬといふ精神が建国以来の歴史を一貫して居る。

 我々日本人は國の在らん限り。この精神を尊重せねばならない。又他国の人々にも、之を尊重して貰わねばならぬ。若し白人にして、よく我が国民性を理解して、我が国家に圧迫さへ加えねば、我々日本人は決して白人を圧迫せぬ。正当防御の場合を除き我々日本人から攻勢を取って白人を圧迫する気遣ひはない。されば日本を中心として
畫いた荒誕なる黄禍論は、煙の如く消失すべき筈である。

 

 白禍は存在するが、黄禍は豪も存在せぬ。黄禍の發頭人と目差されて居る日本人や支那人でも各自の権利を保護するに力足らざる憾がある。白人を迫害する餘裕がある筈がない併し世間には嘘から誠の出来る例も多い。
 白人が餘りに黄禍、黄禍と囃立てて漫に黄人を抑へ付けると、それこそ黄人の大反抗を惹き起して黄禍の実現を見るに至るかもしれぬ。黄白両人種の衝突の実現の有無遅速は、全く白人の黄人に対する圧迫の有無緩急如何によって決するともへる。
 吾が輩は白人がその責任に大なることを自覚し、過去に於ける傍若無人の態度を改善して、世界の平和を維持するに努力せんことを切望する。


    (大正2年11月「新日本」第三巻第十壹號所載)




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