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1089美術部OBOGのブログ

ロートレック展

2008年02月25日 11時05分03秒 | Weblog
世紀末パリ再現
(静新平成20年2月25日(月)朝刊)
ロートレック展:サントリー美術館
南フランスの貴族の家系に生まれながらパリの下町を愛し、十九世紀末の大衆の文化や姿を生き生きと描いたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの展覧会が、三月九日まで東京都港区のサントリー美術館で開かれている。
少年期の両脚の骨折などによる短躯(たんく)というハンディを抱えたロートレック(一八六四ー一九〇一年)は、一八八〇年代半ば以降、労働者の町だったパリ・モンマルトルの歓楽街でエンターテインメントの世界にどっぷりつかり、それを題材に挿絵や版画を次々に制作。
一見華やかな芸人などの姿を、鋭い、しかしどこか陰のある視線と卓抜なデッサン力で写し取った作品を残し、三十六年の短い生涯を駆け抜けた。
展覧会はオルセー美術館のロートレック・コレクションを含む油彩、版画、ポスターなど約二百五十点から成り、ゴッホらとともに印象派後の新しい美術を作り出したロートレックの世界と、世紀末のパリの空気が再現されている。
パリジャンの娯楽の場であったダンスホールは九〇年当時大小二百五十あり、ロートレックの愛したムーランルージュもその一つ。そうした場所に出入りする踊り子を描いた一点が「女道化師シャ=ユ=カオ」。体の柔軟さを生かした扇情的な踊りで人気を博したこの道化が、楽屋で黄色い飾り襟をずらし、胴着を調整する場面をとらえている。小さなため息が聞こえそうな、つかの間の休息の時。盗み見ているような背景の肖像画は、男たちが向ける興味を象徴的に表している。
つば広帽子に赤いマフラーのアリスティド・ブリュアンという人気芸人が八五年に開いたキャバレー「ル・ミルリトン」の冊子の表紙なども描いた。さらに娼館にも出入りして女性の姿態を描くなど、単なる客、観察者を超えたモンマルトル文化の形成者としてのロートレックが浮かび上がる。
問い合わせはサントリー美術館〈電03(3479)8600〉へ。

「女道化師シャ=ユ=カオ」(1895年、油彩、64×94㌢、オルセー美術館蔵)

無傷でもどった

2008年02月20日 18時19分13秒 | Weblog
盗難の絵画、モネとピカソの2枚を発見 スイス


見つかったモネの作品(CNN) 
スイス・チューリヒの警察は19日、今月初めに同市内の美術館から盗まれた4枚の絵画のうち、モネとピカソの作品を無傷で発見したと発表した。しかし、セザンヌとドガの作品はまだ見つかっておらず、捜査を継続している。


モネとピカソの作品は18日午後、チューリヒ市内の病院の駐車場に止めてあった、白い車の後部座席で見つかった。車の扉はロックされていなかった。車は盗難車で、いつから止められていたのかは不明。


チューリヒ市内の美術館で絵画4点が盗まれたのは、今月11日だった。覆面姿の男3人が押し入り、1人が拳銃で美術館職員を脅す間、残る2人が展示室からモネとピカソ、セザンヌ、ドガの油絵を持ち出し、3人は白い車で逃走していた。


盗まれた4点は、金額にして計1億8000万スイス・フラン(約177億円)相当。警察によると、盗難被害に遭った絵画の情報には、10万スイス・フラン(約1000万円)の懸賞金が出ていた。


スイスでは今月6日、チューリヒ近郊の美術館で、ピカソの油絵2点が盗難にあったばかりだった。立て続けに巨匠の作品が狙われており、スイスの警察は世界中から情報を収集し、捜索していた。


「モネ作品」贋作と判明

2008年02月16日 11時00分43秒 | Weblog
「モネ作品」贋作と判明、独美術館
2008年02月15日 23:17 発信地:ベルリン/ドイツ


【2月15日 AFP】ドイツ西部ケルン(Cologne)のヴァルラフ・リヒャルツ美術館・コルブード財団(Wallraf-Richartz Museum and Foundation Corboud)は14日、同館所蔵のフランス印象派クロード・モネ(Claude Monet)の名画『ポール・ヴィエのセーヌ川(Seine at Port Villez)』が贋作と判明したことを明らかにした。

 同館の広報担当者によると、約2週間後に始まる特別展の準備の一環として行っていた修復調査の過程で明らかになったという。修復部門では画家の技法を分析するために、絵画約70点をX線や赤外線技術を使って撮影したり、塗料試験を行うなどの研究調査を行っていた。

 贋作と判断する手がかりのひとつがサインだった。問題の絵のサインは1度書かれた文字の上から、もっと色が濃くなるように書き直されていた。モネの作品に2重のサインは一切ない。

 また、問題の絵は明らかにモネの作風ではない下絵の上に描かれていた。さらに制作年代を古く見せるために、無色透明の物質が上塗りされていた。