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始動:我が家の「チーム家事・介護」

仕事+家事・育児・介護を背負ってきたダブルケアラーです。やっぱりおかしい?始動した我が家のチーム家事・介護を綴ります。

ありのままで

2025-04-13 06:01:50 | 介護
「娘はどこ?何してるの~?
電話して早く来るように言って!」

早朝から看護師さんに言うそうです
看護師さんは私の体調や
家庭の状況をご存じなので
私が来るまで待てるよう
いろいろとお話くださって
本当にありがたいです

最近母がよく言うのは
「10万円持ってきて!」
ん?何か買いたいものある?
「お米ないから、炊けないのよ」
お米炊きたいの?お腹空いた?
「いや、私はいいけどね」
誰が食べるご飯かなぁ?
「う~ん、みんないるでしょ」
わかった
「だから10万円持ってきて!」
うん、わかった
じゃあどうやって買いに行く?
介護タクシーさんに来てもらう?
「う~ん…」
タクシーさん来てくれると思うけど
買物するの大変だよねぇ
ストレッチャーに乗ったまま
スーパーで買い物するかね?
結構目立っていいかもねぇ(笑)
と言うと
ちょっと想像するような顔をして

プハハハハ
と笑う

「おかずも作るから、材料がいる」
わかった
「だから10万円持ってきて!」
うん、わかった
じゃあやっぱり
ストレッチャーに寝たまま
八百屋さんに行くかね?
と言うと
ちょっと想像するような顔をして

プハハハハ
と笑う

「変かねぇ~?」
いや、別にそうでもないと思うよ
母子で爆笑

息子も横で笑っている

笑うってことは
母もなんかおかしいと
思っているのでしょう

あんまりお米お米言うので
山形県産はえぬき玄米5kg
買って持って行きました

お母さん、お米持ってきたよ!
プハハハハ〰〰〰

炊きたいとき炊いてね!
プハハハハ〰〰〰

玄米5kg母が心配しないように
一番よく見えるところに置いてます

いつも美味しいごはんを
作ってくれたお母さん
認知症になっても
ご飯のこと気にしてくれてるんだな

ありがとう

思春期の頃は
人の目ばかり気にする母が嫌でした
常に「いい人」でいたい母でした

介護が始まってからは
私以外の他人も
姉すらも一切頼らず
全て私に依存しました

私が交通事故に遭い
やむなく一部ヘルパーさんに
お願いするようになった時も
言いにくいことは全部私に言わせ
「私は言いたくない。」
「あんた言って!」
私はいつも悪役(笑)

母は「いい人」を貫きました
「おほほほほ」な感じ

病院に入院中も
小規模多機能で
お世話になっているときも

あ😲
書いてて気づいた😲
母が私だけ頼るのは
私が悪役に向いていることを
見抜いていたから?😲?

勘弁してよ🤣

認知症になった今やっと
ありのままの気持ちを
看護師さんに言えるように

18歳で父親を亡くし
天涯孤独になった母
以来ずっと人の目を気にして
生きざるを得なかったのかも
認知症になった今、やっと
「いい人」の鎧を
降ろせたのかもしれない

認知症が「いい人」から
母を解放してくれたのかな

ずっと我慢してきたんだね
思うまま
ありのまま
声に出していいよ
ちゃんと受け止めるから

18歳のお母さんを
応援するよ

Takako Matsu - レット・イット・ゴー~ありのままで~ (From "Frozen")

母がありがとうと言ってくれた

2025-04-05 06:42:01 | 介護
母のがんの痛みに対し
今まではカロナールを処方されていましたが
麻薬を使うことになりました
痛みがひどくなってきたのです

母は他人に支援してもらうのを
「申し訳ない」と考える人です
介護が始まると、自分の世話を
私一人に集中的に委ねました
姉もいるのですが、なぜか
姉に頼ることはありませんでした

数年前、勤務先から車で帰宅途中、脇道から出てきた車に左から追突されました。左首・肩・腕・背・腰の痛みがひどく、治療を打ち切られた今も痛み止めなしでは生活できません。後部スライドドアは潰れ、車軸は歪み、母の介護のために新車で買った車でしたが、わずか数年でまた新車を買い直すことになりました。加害者の保険からは修理費用しか出ませんでした。

母は事故直後も「他の人は嫌!あんたが来て!」と従来通りの世話を私に求め、とても辛かったです。介護の一部を他者に委ねたい旨伝えてもなかなか納得してもらえず、説得するのに多くの時間とエネルギーを要し、とても苦しかったです。

事故前は私が母の入浴介助を行っていました。夜に母の住居へ行き、風呂場のセッティングをして、母を浴室に連れて行き、洗髪し体を洗い、上がったら髪を乾かし、風呂場を掃除して、お茶とお菓子をとらせ、洗濯物を持ち帰って自宅で洗濯する、という流れでした。

事故当日から痛みでできなくなり、大変困りました。ケアマネさんに相談し、急遽、入浴介助のヘルパーさんを手配していただきましたが、母が私以外の人が介助をすることと、昼間に風呂に入ることを嫌がり、大変でした。「なんで来てくれないの?他人は嫌だ!風呂は夜に入りたい!」と不機嫌になり、本当に困りました。「交通事故でけがをしたから、痛くてできないよ。医師からも無理したらいけないと言われているよ。」と何度説明しても「嫌だ嫌だ」と言われ、痛みはますますひどくなり、精神的にも非常に苦しかったです。説得にはケアマネージャーさんにも協力していただき、軌道に乗るまでとても骨が折れました。

事故前は、私が母の通院介助など外出の世話(内科、心療内科、眼科、整形外科、歯科、美容院、買物)も全て一人で行っていました。

事故当日から痛みでできなくなり、大変困りました。ケアマネさんに相談し、急遽、介護タクシーさんの手配をしていただきましたが、母が私以外の人が外出介助をすることも嫌がり、大変でした。「痛くてできないよ。怪我したときぐらい安静にさせてよ。」と懇願しても「なんで娘なのに来てくれないの?他人は嫌だ!」「介護タクシーは高い!」と不機嫌になり、泣きたくなりました。新車2台の購入費やガソリン代、保険料、車検費等々、維持費は全て我が家で負担しているので、母は「交通費はタダ」と言う認識だったのでしょう。この件に関しても何度も何度も電話で「嫌だ嫌だ」と言われ、とても苦しかったです。

母は親の介護の経験はありませんが「親の介護を子供がするのは当たり前」と考える人です。
私は親の介護を経験しましたが「親の介護を子供がするのは当たり前」とは思いません。できるだけ専門職の方々に協力を願い、子供の負担を最小限にしたいと考えています。

この辺の考え方は、親子でも全く違うのだなぁと思います。

何かあるとすぐに私を電話で呼び出す母。仕事中、会社に頻繁にかかってくる電話には本当に弱りました。

母は自立型の高齢者住宅に住んでいたので介護はありませんが、食事はついていて、簡単なお世話は頼むことができました。たとえば、リモコンがつかないとか、ジュースのふたが開けられないとか。簡単なことは職員の方が対応してくださり、必要に応じて家族に連絡くださるようになっていました。でも母は「職員の方に言うのは申し訳ないから」と、いつも私に電話をかけてきました。「何でも職員の方に相談していいんだよ、職員の方ができないことは私に連絡くださるから、まずは職員の方に言ってね、私も仕事してるからね」何度説明してもダメでした。働いた経験もなく、介護経験もゼロの母には、勤務中に母親からの電話を受ける私の立場や心情を想像できず、大変さを推察するのは無理なのだろうな、と思いました。

母がこういう考えの人なので、お世話をしても「ありがとう」ということはあまりなかったです。

けれど、最近、時々言ってくれるようになりました
今日も、甘酒を飲ませ、チョコレートをすすめ、目やにを拭きとって、美容液をつけ、髪を綺麗にとかして、痛みのある足を息子と二人でマッサージして…、気持ちよさそうに眠る母
「また来るね」と笑顔でいうと
「ありがとうね」と笑顔の母

8年分のありがとうを
今、言ってくれている
そんな気がします

インコのうめちゃんとごまちゃんの可愛い動画です♡
【お喋り】自分のオヤツが少しだということを知ってしまったインコ Budgie Finds out His Snack Isn't That Much...

母のライフワーク

2025-03-21 09:34:02 | 介護
母が長年続けていたこと
日本刺繍と短歌

日本刺繍は京都に先生がおられ
師から学ぶことを楽しんでいました
講師となり伝えることができる立場になっても
私ごときが人様に教えるなんて
とんでもない、と
学ぶ立場を貫いていました

海外の万博に母の作品が出品されることとなり
恩師とともに海を渡る予定でしたが
体調の急変により断念
作品だけが渡航し
帰国しました

「最近刺繍が刺せなくなって…」
ぽつりと母がつぶやいたのは何歳の時だったか
目が見えにくくなり
手が動きにくくなり
疲れやすくなり

日本刺繍は気の遠くなるような繊細な作業の繰り返しです
加齢による身体の変化は
母の一番の楽しみに
ブレーキをかけました

続けることができたのは短歌
私がこどもの頃から
小さな手帳に思いついた短歌を
書き留めていました
家事の合間や外出の時も
手帳をつねに傍らに置き
メモし、繰り返し推敲し
投稿していました

こどもたちや父のこと
孫たちのこと
亡くなった祖父母のこと
日本刺繍のこと
季節の花々
母が大切にしていることと
母の思いが
短歌にあふれていました

母の短歌が掲載された雑誌は
我が家の宝物です

8年前に母の介護を始めてからも
手帳は常にそばにあり
少し乱れた字ではありましたが
書き留め推敲した形跡がありました
手帳の空白が空白のままとなったのは何歳の時だったか
認知症の始まりの頃だったか

母の二つのライフワークが中断している今、その再開を企画しています

母が自分の日本刺繍の作品の数々を鑑賞すること
美しい絹糸の調べ
自己の努力の結晶を感じることは
母の心の中の刺繍人生を続けることにつながるのではないかと

母の目が見えるうちに
作品展を開きたいと考えています
今の病室を会場として
母を母の作品で埋め尽くして
母が成し遂げたことを
母と家族で満喫したい

短歌については、今も母に
「短歌思いついたら手帳に書き留めるからね~教えてね~」と声をかけています
そんな時母は
「そうね~~~~~~~」と
澄んだ目で思いめぐらすような表情をし、頭の中で何かをつなげようとしているのを感じます

母が自分の短歌の数々を鑑賞し
短歌を通して
自己の人生を振り返ることは
母の魂の中の短歌人生を続けることにつながるのではないかと

母の耳が聴こえるうちに
歌会を開きたいと考えています
病室を会場として
母の作品を朗読して
母が生きてきた証を
母と家族で満喫したい

そして私が作った短歌?も発表し
母の笑いと鋭い批評を受けたい(笑)

私の短歌はもう作りました(笑)
BGM入りのパワーポイントも準備しましたよ
*私、短歌のルールよく知りません(爆)

琴の音色が好きな母へ
2025.3.11.の投稿でPentatonix version でお届けした曲です
Rather Be (箏/Koto cover) - Clean Bandit - TRiECHOES Collaborated with Ceramic Artist Takahiro Koga

認知症が進んだ?

2025-03-16 08:09:28 | 介護
3/15土曜日の朝9時、母の受持ち看護師さんから電話がありました。
「娘さん、面会来られてますか?」
へっ?へっ?へっ?

3/13木曜日から面会再開し、およそ2日に1回程度にする予定であること、体調次第になることなど、皆さんに共有していただきたいことを文書にして看護師さんにお渡ししていたのですが…。面会時は必ず氏名、関係性、時間、体温、体調等々、記録しているけれど、日々捨てられているのかなぁ…?

「お母さん、娘さんが来ないって言われてますよ」
あぁ、一昨日行ったことをまるごと忘れているのか、母の希望通りに(毎日)来ないと言っているのか、どっちかだな。
「娘さん、今日来られますか?」
午後、行く予定ですとお伝えし。
「それじゃあ、お母さんと電話でお話ししなくて大丈夫ですね?」
はい、直接会って話すので大丈夫です。

母が「娘が来ないから電話してほしい」ってまた言ったのかな?受持ち看護師さんが母と私のことを気にかけて、お忙しい中声をかけてくださるのがありがたくて、嬉しい。

午後、息子と面会に行きました。
表情は穏やかです。
おしるこを「美味しい美味しい」と飲んでチョコレートを選ぶ。
オレンジ、いちご、いちごミルク、さつまいものチョコレートを並べて、どれにする?「オレンジ」2個目はどれにする?「オレンジ」最近オレンジブームの母です。

ガーグルベースンでうがいをさせて
清浄綿で眼を拭きます。
目ヤニがたまって、かたまり、まつ毛にくっついて取れにくい。
両目を綺麗にしたら、ウエットティッシュで顔を綺麗に拭いて、オールインワンの乳液をつけます。
おでこ、ほほ、あごと乳液をのばしながら「ぷるっぷる~~」というと、いつも通り母が笑います。
ブラシで髪を整えます。
「今日はどんな髪型にしましょうかねぇ~?」
「横分けにして」
左側を分け目にして横分けに。
ブラシの圧の好みを聞きながら、ブラッシングします。
気持ちよさそうな母
「綺麗になったよ~~」
にっこり

「そうそう、あれ持ってきて」
「何?」
「お金。札入れ。前準備してくれてたじゃない?」
「ん?お金いるのかな?」
「保険料を払わなくちゃ」
ん?なんか、そんな気分なのだろうね。
「保険料なら私が払っておくから、心配しなくて大丈夫だよ」
「そう?でも、ほら、お米とか買わないといけないから…、いろいろ買うものがあるから、必ず持ってきてよ」
「あぁ、お米買わないといけないのね、わかった!次来るとき札入れ持ってくるからね!」
「頼んだよ」

せん妄?
認知症の進行?

主婦だったころ、一番気がかりだったことが思い出されているのかな?
いずれにしても、1週間来れなかったことが、母にも影響してしまったのかな。

ごめんね、お母さん

Jacob Lee - Breadcrumbs (Lyric Video)

初めての涙

2025-03-14 20:01:17 | 介護
耳鼻科再診の後
母の部屋に貼る絵(写真)を
作りました

甘酒を作り
夫と息子と三人で面会に行きました

左耳が聴こえなくなったことを
話しました
「もう聴こえるようになった?」
まだ治療中だよ
体調のいい時に来るからね!

絵を見せました
夫と息子と私の顔写真を貼り付け
息子が「おばあちゃ~~ん💛」と
叫んでいる絵
「プハハハハ〰〰」と
顔をくしゃくしゃにして大笑い
大笑いの顔がゆっくり
穏やかな顔になり
母の左目から涙があふれました
右目からもあふれました

母がいつものように
怒鳴ってくれたなら
私もいつものように
冗談で切り返すことができたのに
声のない静かな涙を見た時
私は何も言えなくなりました

泣きそうになるのを必死でこらえて
母の目をやさしくふきました

ベッドに横になっている時
いつでも私たちの顔が見えるように
ベッドライトに絵を貼りました
母はじっとその絵を
見つめていました

次に来るときは何が食べたい?
「おしるこ」
うん、じゃあ次はおしるこ
持ってくるね!

病院の玄関を出た途端
わんわん泣きました
いくら泣いても
涙が止まりませんでした

夫が背中をぽんぽんしてくれました
息子が
「おばあちゃん嬉しかったんだよ」
と言ってくれました

いろいろな思いが
つまっていただろう母の涙
8年前介護を始めて以来
初めて見た母の涙
すごく透き通っていました

8年前、母の介護を始めて
泣きたいことは山ほどあったけど
私が本当に泣いたのも
この日が初めてでした

少しぐらい泣いてもいいよね
我慢しないで
一緒に泣けばよかったのかな

少し長いビデオですが、11:08以降Nightbirdeさんが登場します
Nightbirdeさん(本名Jane Kristen Marczewskiさん)は2021年アメリカズ・ゴット・タレントに出場し、ゴールデンブザーを与えられましたが、乳がんが肺・脊椎・肝臓に転移、2022年2月20日永眠されました(享年31歳)
Nightbirde It's Okay.
【和訳】サイモンが選ぶ最高の「歴代ゴールデンブザー」AGT 2022