goo blog サービス終了のお知らせ 

始動:我が家の「チーム家事・介護」

仕事+家事・育児・介護を背負ってきたダブルケアラーです。やっぱりおかしい?始動した我が家のチーム家事・介護を綴ります。

姉のこと 記憶をたどって

2025-05-19 05:47:35 | 
過去の記録です
自分の覚え書き・メモです
楽しい話ではないので
どうぞ読み飛ばしてくださいませ

緩和ケア病棟に転院したと
伝えた速達にも反応がない姉

緩和ケアに入ったと知れば
流石に姉も動くだろうと信じ
毎日母のケアをしながら
4か月以上経過し
待てど暮らせど連絡はなく

「もう連絡しなくていいよ」
母からそう言われて

母の“今”在る命に集中することに

普通だと思っていた
母と姉の関係
実家と姉の関係
私が普通と思い込んでいただけかも
普通と思いたかっただけかも

そもそも
普通ってなんだろう

父が闘病していた時
母が主に父のケアをしていました
私もできるだけ帰省し
母を労ったり
入院先の父を見舞ったり
父の身の回りの世話をしました

病院の洗髪車を借りて
父の洗髪をするのが
私と父の楽しみでした
「あ~気持ちいいなぁ~~」
今も声が聞こえてきそうです

姉が父を見舞ったという話は
聞いたことがありません
私の知らないところで
見舞っていたのかもしれません

父が急逝したとき
真っ先に母から電話が
かかってきたのは私でした

頭が真っ白になる中
動転する母を落ち着かせ
どうすればよいか伝え
すぐ行くから
大丈夫だからと

翌日開催予定の大きな会議の
進行役だった私
上司に報告し
「すぐに帰ってあげて」
そう言ってくださる上司に頭を下げ
会議の段取りを記載したレジメ
配布資料、タイムスケジュール
もろもろを副担当の方に引き継ぎ
頭を下げて
自宅へ飛んで帰り

こどもたちを夫に頼み
先に新幹線で実家へ向かいました

両親が元気なころから
誕生日
母の日・父の日
敬老の日…
毎年記念日には
ささやかな贈り物を届けました

両親はいつも
とても喜んでくれました

姉からの贈り物はないと
母が寂しそうに言っていたことが
ありました

贈り物は義務ではないし
しない人がいてもおかしくないよね
そう思い
悲しむ必要はないと思いました

もしかしたら
姉が贈り物をしてくれたことを
忘れてしまったのかもしれません

父が亡くなった時
喪主の母へ
姉からのお香典はなかったと
何年も後で母から聞きました

母は香典等の記録をするとき
姉の欄の金額を0円とするのが
つらくて
私が包んだ香典と同額を
記録ノートに記載したと

誰も見ないノートだけれど
うそを書いてしまったと
とてもつらそうに話してくれました

香典のことは
今でもなぜなのかわかりません
流石に変だな、と思いました

姉が何も話さないので
何を考えているのかわからない
さっぱりわからないと
母が嘆いていました

父が亡くなった後
母が憔悴しきってしまい
我々夫婦は家族ぐるみで
実家そばに転居しました
私は大学の先輩の紹介で
仕事を得て転職し
夫は片道220kmの遠距離通勤を
してくれました
二人の収入の大部分が
通勤費・転居費・家賃等々に
消えました

こどもたちとともに母を囲み
笑いあい、元気づけ
ハードな生活を2年間
母に笑顔と体重が戻り
刺繍もできるようになったのを
見届けて
本拠地に戻りました

その2年の間にも
母を勇気づける姉の姿を
見ることはありませんでした
私の知らないところで
サポートしていたのかもしれません

いろいろ思い起こしてみると
介護が始まって疎遠になった
というよりも
もっとずっと前から
両親に対する姉の思いは
私とは違っていたのかもしれません

過去に散らばった姉の姿を
思い起こしつつ気づいたこと
それらをつなげて解釈することを
私自身拒んでいたのかもしれません

自分の中で“そんなわけない”と
否定していたのかもしれません
無意識のうちに

そんな自分に
私自身
気づかなかった
だけかもしれません

馬場存 a sad song 哀しい歌


姉のこと

2025-05-13 09:34:19 | 
過去の記録です
自分の覚え書き・メモです
楽しい話ではないので
どうぞ読み飛ばしてくださいませ

母の介護が始まって8年
姉と情報共有し
一緒に母を支えたいと思い
さまざまな工夫をしてきました

初年度に介護ブログ(家族専用)を
立ち上げ
母の様子、介護の状況を記録し
姉や姪たちもいつでも見て
互いに書き込めるようにしました

姪たちは都度反応してくれて
応援コメントも沢山もらいました
意外なことに
姉の反応が最も薄く
最初のうちは
忙しいのかな?ぐらいで
あまり気にも留めていませんでした

仕事と家事と育児と
介護をしながらブログを書いて
何年も一方通行の情報発信が続き
姉に一度尋ねたことがあります
お母さんの介護ブログ
書き込みないけど使いにくい?
姉の返事は
「別に書くことないし、忙しいし」
だったと思います

何とも言えない違和感を感じました

介護ブログは有料でした
姉からの反応が全くなく
暖簾に腕押しの状態がつらくなって
やめました

それからは都度
メールで姉と姪たちに状況報告
姪たちからはすぐに返信と
あたたかい応援メッセージが
届きますが
姉からの返信はなく

そんな状態が何年も続き

2023年9月
母ががんになったときも
手術したときも
2024年9月
がんが肺転移したときも
2024年12月
緊急入院したときも
2025年1月
緩和ケア病棟に転院した時も

CTの画像やIC記録や
医師のコメントを添えて
都度手紙を送っていますが

全く反応がありません

母の介護が複雑になり
息子の救急受診が頻発し
私も体調を崩した時
姉に助けを求めましたが
返事はありませんでした

姪たちに聞くと
普通に生活し
仕事にも行っているらしく

姪たちも
なぜ〇(姉)が無反応なのか
さっぱり訳が分からないらしく

この状況を母に報告するのが辛くて
たった一人の姉を
母の介護に動員できない自分が
情けなくて

今年1月
緩和ケア病棟に移った時
姉に連絡しても
やはり反応がないことを
母に伝えました

ぼんやりすることも多い母ですが
この時は昔の母に戻ったような
はっきりした表情でこう言いました

〇(姉)はね
連絡したら自分も何かしなくちゃ
いけなくなるから
ずっと連絡してこないんだよ
何もしたくないんだよ
だからもう〇(姉)には
連絡しなくていいよ

私のことで大変なのに
あんたには〇(姉)のことまで
苦労をかけるね
ごめんね
ありがとうね

はっきりとした表情で
淡々と姉のことを話し
私へやさしいまなざしを
投げかけてくれました

哀しみに蓋をするような
母の言葉
強がっているようにも感じられ

もしかすると
本質を突いているのかもしれない

母は自分なりの解釈で
納得しようとしているように見え

何が本当なのかわからない

貝のように口を閉ざす姉が
本当に自分の姉なのか?
わからなくなって

おとなしい姉と
やんちゃな私
個性の異なる私たち姉妹を平等に
大切に育ててくれた母

もうこれ以上
母に関わろうとしない姉のことで
母に悲しい思いをさせるのは
やめようと思いました

母に姉の話をするのは
やめにしました

限りある命
楽しいことだけを
話して過ごそうと思いました

「俺たちでおかあさんを支えよう」
そう言ってくれる夫と
こどもたちと4人で
母を最期までしっかりと支え
見守ろうと思いました

The Wintergatan Music Box - Now For Everyone!

似ていない姉妹

2025-03-26 05:00:42 | 
姉と私はあまり似ていません

姉は従順
私は反抗的

こどもの頃、両親は厳しく
姉はきちんと従っていました
私はことごとく反発していました

小学生の時
自転車が欲しいと言ったら
「危ないからダメ」と言われました

みんな乗ってるよ?
持ってないの私だけだよ?
何度も何度も訴えて
とうとう根負けした両親が
条件を出してきました
「乗っていいのは家の前の道だけ」

えっ?
家の前の道はたった20m(笑)
自転車の意味なくない??

それでもいいから買って!と懇願し
とうとう家に自転車が来ました
嬉しかった

家の前の道だけ?
こんなに楽しいのに??
…3日で約束を破りました(爆)
通勤・通学にも活用していましたが
自転車に乗っていて怪我したことは
一度もありません

姉は両親の言うことを
きちんと守っていたので
今も自転車に乗れません
いろいろ不便だったようです

大学生の時
運転免許証が欲しいと言ったら
「危ないからダメ!」と言われ

みんな持ってるよ?
就職前にみんな免許取ってるよ?
何度も何度も訴えましたが
両親が頷いてくれることは
ありませんでした

就職して
一人暮らししてお金貯めて
社会人3年目のとき働きながら
こっそり自動車学校に通って
免許を取りました
無事に取った後、親に報告しました
「免許はとっても車には乗るな!」
と叱られて
父の車は一切
運転させてもらえませんでした

姉は両親の言うことをきちんと
守っていたので
今も免許持っていません

あれから数十年
私は、あれほど両親に反対された
免許証をフルに活用し
8年間、母の介護に奔走(笑)
母は移動時
「あんたの車じゃなきゃ
嫌だーっ!」
と駄々をこねます

んもぉ~~っ!
『車には乗るな!』って
私のことめっちゃ怒ったじゃーん!
って言ったら
母は ꉂꉂ(๑˃∀˂๑)アハハハ〰〰〰 
ゲラゲラゲラゲラ笑います
勘弁してぇ〰〰
ꉂꉂ(๑˃∀˂๑)アハハハ〰〰〰(笑)

従順だった姉は
介護に関しては我関せず
一体何をしているんだか?

距離があるのだから
私と同じことをしてほしい
なんて思わない

近くでできること
遠くてできること
それぞれあると思う
離れているからこそできることを
考えて実践してほしい

ずいぶんまえにそんな話をした

母のことを報告・連絡・相談しても
うんともすんとも反応がなく
具合でも悪いのか?
そもそも生きてるのか?と心配し
姪たちに聞くと
普通に暮らしているらしく

還暦過ぎて
今頃反抗期ですか??
やめて~~っ
思春期にしっかり
反抗しといてよ~~~っ

とりあえず、姉の分まで頑張る
いや、一人っ子と思って
頑張った方がいいのかな?

おねえちゃん
今どうしているの?
お母さん悲しんでるよ
私も悲しいよ

【和訳MV】Maroon 5 - Memories / マルーン5 - メモリーズ【公式】