「喜左衛門」は、ありきたりな大量生産品だ。何人かの職人が流れ作業でつくったものかもしれない。すべての手技が粗雑で、時間に追われているために仕事も手早い。しかし、そのスピードは緊張感を生んだ。ろくろ作業の段階では、指が天啓を受けたかのような軌道を瞬時たどって、形が立ち上がった。躊躇なし。一気呵成の作業が、深く粗いろくろ目をのこす。内側の器面はきれいなすり鉢状でなく、らせん形に挽き上がっている。そんな勢いが腰を張らせ、はちきれんばかりの力がみなぎる。口べりは波打ち、目線に変化が生まれる。一晩置いたのちの高台ケズリにもためらいがない。ざっくりとカンナを当て、内と外にわずか数周ずつ掘りをめぐらすだけだ。まだ土がゆるいうちにあわててこそげ落としたにちがいない。しかもカンナの刃はこぼれ、サビついてなまくらだったはずだ。おかげで土の切り口は荒れ、ささくれ立ってちりめんじわになる。最小の手数しか加えないため、高台内の円心に土が鋭くのこり、兜巾が立つ。高台外の、刃を入れたきわにはくっきりと竹節が形づくられ、フォルムを引き締める。そこに釉薬をかける。急ぎ仕事なのでかけそこないの火間ができる。がさがさにケバ立った高台の切りまわし部分にだけ釉が厚くのり、さらに火にあぶられて煮えたつと、爬虫類の皮のようなカイラギになる。窯詰めでもたまたま絶好のポジションを獲得し、雨が降ったか風が吹いたかどんなマキが使われたか知れないが、奇跡ともいいたくなる絶妙の炎で肌を焼かれる。目もくらむ深い琵琶色を身にまとい、ところどころ酸素がゆきとどかなかった部分には陰鬱に沈むブルーがかげさす。それらことごとくが見どころで、お茶人のいうところの「景色」となった。
さまざまな偶然が重なった末の産物だ。しかし「運命がこの茶碗をつくった」ともいえる。無念無想の陶工によって無意識に生み落とされたからこそ、本物なのだ。
だが、まだ奇跡は重なる。それと気づかれないままに大傑作は、さらにワラづとに包まれて1ダースなんぼのセール品として凡百の器に埋もれる。ささやかな金額の売買によって何者かの手に渡り、クッパがよそわれたかキムチが盛られたか、貧乏長屋の食卓で不遇な前半生を送ったかもしれない。なのにどんな偶然が働いたか、ようやく見るひとの目に救いだされる。茶道具として見立てられ、隣国に渡り、茶の席で劇的にデビューし、一大センセーションを巻き起こす。「喜左衛門」と銘を授かり、一国と等価値の抹茶碗はこうして誕生した。つくった人物は無名で、由緒など存在すらしない。箱書きなど書きようにない。ただ、本当に価値を知るひとに見いだされ、用いられた。高麗ものとはそういうものなのだ。
唐ものと和ものはつくられたが、高麗ものは生まれた、といわれる。その意味で、高麗ものは生まれたときからリアルランカーなのであり、美を意図してつくられた他の二種類の茶陶とは別格なのだった。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
さまざまな偶然が重なった末の産物だ。しかし「運命がこの茶碗をつくった」ともいえる。無念無想の陶工によって無意識に生み落とされたからこそ、本物なのだ。
だが、まだ奇跡は重なる。それと気づかれないままに大傑作は、さらにワラづとに包まれて1ダースなんぼのセール品として凡百の器に埋もれる。ささやかな金額の売買によって何者かの手に渡り、クッパがよそわれたかキムチが盛られたか、貧乏長屋の食卓で不遇な前半生を送ったかもしれない。なのにどんな偶然が働いたか、ようやく見るひとの目に救いだされる。茶道具として見立てられ、隣国に渡り、茶の席で劇的にデビューし、一大センセーションを巻き起こす。「喜左衛門」と銘を授かり、一国と等価値の抹茶碗はこうして誕生した。つくった人物は無名で、由緒など存在すらしない。箱書きなど書きようにない。ただ、本当に価値を知るひとに見いだされ、用いられた。高麗ものとはそういうものなのだ。
唐ものと和ものはつくられたが、高麗ものは生まれた、といわれる。その意味で、高麗ものは生まれたときからリアルランカーなのであり、美を意図してつくられた他の二種類の茶陶とは別格なのだった。
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