冷たい水を使ったほうが良い品が挽けるというわけではない。指先が冷えて神経が鈍るという意味では、むしろ逆といえる。それでは元も子もない。強情っぱりにもほどがあるというものだろう。
ただ、ふたりにはずっと見つづけた光景があった。それは、山深い若葉家の庭で、白い息を吐きながら一心にろくろに向かう太陽センセーの姿だった。ろくろ脇の破れオケに入っているのは、凍りつきそうな・・・いや、実際に凍っている水だ。表面に張った氷の薄膜を破って、そこに手をつっこむ。気合いが冷たさを感じさせないのか?(それともおじいちゃんだからなのか?)粘土だって凍る寸前だ。実際、若葉家では、挽きあがった作品がそのまま翌朝に凍りついてしまった光景を何度も目にした。ぽかぽかの部屋の中で、ぬくいお湯を使えばいいのに。なぜそんなしんどい思いをしなきゃならないのだろう?しかしそんなことをセンセーに問えば、
「桃山の陶工がそうしてたからじゃが、なにか?」
と答えが返ってくるにちがいない。
論理的ではない。水はあったかいほうがいいに決まっている。その証拠に、ろくろ挽きを終えたセンセーはコタツ布団にくるまって、苦悶の表情で痛む関節をもみほぐしている。オレなどもよく、七十七歳氏の水脈が枯れたような足の裏や堅い背中を揉ませていただいた。動けなくなるまで、このひとはやるのだ。自分のヒーローが、つまり桃山の陶工たちがそうしていた以上、センセーもまたそうするのだ。そういうものなのだ。
そんな姿を、オレもオオアリクイも見てきた。だからこそ意地を張って、論理的じゃなくても、ぽかぽか快適を約束してくれるすてきグッズには決して手をつけないのだった。オレたちのヒーローは、太陽センセーなのだから。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
ただ、ふたりにはずっと見つづけた光景があった。それは、山深い若葉家の庭で、白い息を吐きながら一心にろくろに向かう太陽センセーの姿だった。ろくろ脇の破れオケに入っているのは、凍りつきそうな・・・いや、実際に凍っている水だ。表面に張った氷の薄膜を破って、そこに手をつっこむ。気合いが冷たさを感じさせないのか?(それともおじいちゃんだからなのか?)粘土だって凍る寸前だ。実際、若葉家では、挽きあがった作品がそのまま翌朝に凍りついてしまった光景を何度も目にした。ぽかぽかの部屋の中で、ぬくいお湯を使えばいいのに。なぜそんなしんどい思いをしなきゃならないのだろう?しかしそんなことをセンセーに問えば、
「桃山の陶工がそうしてたからじゃが、なにか?」
と答えが返ってくるにちがいない。
論理的ではない。水はあったかいほうがいいに決まっている。その証拠に、ろくろ挽きを終えたセンセーはコタツ布団にくるまって、苦悶の表情で痛む関節をもみほぐしている。オレなどもよく、七十七歳氏の水脈が枯れたような足の裏や堅い背中を揉ませていただいた。動けなくなるまで、このひとはやるのだ。自分のヒーローが、つまり桃山の陶工たちがそうしていた以上、センセーもまたそうするのだ。そういうものなのだ。
そんな姿を、オレもオオアリクイも見てきた。だからこそ意地を張って、論理的じゃなくても、ぽかぽか快適を約束してくれるすてきグッズには決して手をつけないのだった。オレたちのヒーローは、太陽センセーなのだから。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園