陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その152・最高位

2010-06-09 02:26:06 | 日記
 さて、唐もの、高麗もの、和もの、このみっつの中でどれが最も高座に位置するかといえば、なんとヘタウマの高麗ものである。なぜそんな粗っぽい陶芸が、他のふたつの考え抜かれ、つくりこまれた作風のものをしのいで最高位に君臨するのかというと、そこがお茶文化なのである。そうとしか言いようがない。奇妙な世界なのだ。高麗ものの価値を裏打ちする理由を強いて挙げれば、「そう生まれついたから」ということになる。王は、王たる星のもとに生まれ落ちたから王なのだ。経験よりも、資質を尊ぶのだ。他のふたりが王位にあこがれ、どれだけ努力し、着かざり、追いすがったところで、その品格のおよぶところではない。
 歴史をひもといてみると、昔々わが国でお茶をはじめたひとたちは、容姿のととのった唐ものを至上のものとしていた。洗練されたたたずまい、輝かんばかりの釉調。大陸を支配する唐人は、土くれから玉(ぎょく=翡翠)を生みだそうと苦心し、肉迫した。それがわが国に渡り、位の高い人々はこの美しすぎる器を好んで「使った」。しかし美人には飽きがくるもので、やがてお茶の文化が身分の低い階層にまで浸透しはじめると、貴族趣味な唐ものよりも、放埒な高麗ものがウケるようになる。朝鮮半島産の高麗ものは、もともと抹茶碗としてつくられたものではない。多くはメシ碗や汁碗、菜鉢のように使われていた大量生産品だ。高価な唐ものを手に入れられない市井のお茶人たちは「器なんてなんでもえーやん」的考えで、器量は悪いが気だてのいい高麗ものを「用い」だしたのだ。
 それには、当時発生したわびの思想が深くかかわっている。高麗ものは、唐もののように国家権力が大枚を積んで国内最高レベルの職人につくらせたものでも、和もののように思想家や芸術家が歴史を動かそうと創始したものでもない。高麗ものはいわば最下層の、百姓仕事の合間をみて片手間に器を挽くような素人陶工がつくったものだ。しかも手早くいいかげんに、ただし人々の使い勝手を考えて。そんな素朴さは、力強さ、また用の美と言いかえることもできる。それが当時の日本の質実剛健な侍文化とマッチしたのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

その151・茶陶

2010-06-08 08:49:06 | 日記
 ここで茶陶というものについて説明をしておきたい。単純な認識を大ざっぱに語らせてもらうので、細かな見解の相違についてはほじくらないでほしい。そして、オレはお茶人ではなく、器を制作する側のニンゲンだということもあらかじめ理解しておいてほしい。そんな視点で語ってみる。
 お茶陶は大きく三種類に分けられる。「唐もの」「高麗もの」「和もの」である。唐ものは中国大陸でつくられたものを指し、遣唐使でおなじみの唐を意味するものではない。メイド・イン・チャイナと理解する。高麗ものも同様に、朝鮮半島でつくられたものを総じてこう呼ぶ。和ものはもちろんわが国でつくられたものだ。
 まず、みっつの中で最も歴史のある唐ものの特徴は、とにかく形がきっちりと正確なことだ。寸分のひずみも許さない執念じみた端正さ、技巧の粋ともいうべき細工、息を呑む完成度。唐ものは、わが国の陶芸にとってみれば古典であり、教科書ということになる。
 次いで高麗ものは、唐ものに比べてちょっとやんちゃになる。造作がテキトーで、チャッチャとつくられた作行きの乱暴さ、気ままさが、逆にお茶人には風情としてありがたがられる。いわばヘタウマの魅力だ。
 最後に和ものは、職人仕事でなく、れっきとした芸術品としてつくられているのが特徴だ。フリーで即興的だが、確固とした作意のもとにつくられている。それはお茶の席のための完全オーダーメイドだ。

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その150・ステップ

2010-06-06 09:16:11 | 日記
 何度やっても、ゆがんだものがまったく挽けない。さては腕が落ちたか?と疑いたくなる。しかし確認のために精密なものを挽いてみると、どんな形でもやすやすと成形できる。そのうちにようやく理解した。ろくろでまん丸を挽くなど当たり前の話で、むしろそれを外したものこそがむずかしく、高度な技術なのだと。それは応用問題だった。まん丸がどれだけうまく挽けたところで、しょせんそんなものは自由自在のうちにはいらない。そもそも「まん丸」という概念自体が形の制約を受けているのだから。そして悟った。今までこなしてきた図面起こし的正確性(まん丸成形)とは、実は技術的には準備運動なのであって、これから行うイレギュラーな形状のコントロールがやっと助走だった。さらに「イメージの具現化」がジャンプだとすれば、自分はまだスタートラインから走りはじめようかという地点に立っているにすぎない。どんどん加速しているつもりでいた自分が恥ずかしくなった。
「立ち止まって、はて、と考えたときに、ようやく成長がはじまるのじゃ」
 またも太陽センセーの言葉が頭に響いた。
ーなんてこった・・・ここからがやっと修行のはじまりか・・・ー
 打ちひしがれる。しかし立ち止まってなどいられない。むしろ、新たに立ちはだかる壁を前に、またふつふつと血沸き肉踊るのを感じはじめていた。
ーよおし、やったる・・・ー
 モチベーションがみなぎる。同時に、ろくろのへそ曲がりな性格に、つくづくと感じ入る。
ー・・・それにしてもド素人ってのは、なんであんなむずかしいへんてこな形をいともかんたんに挽くことができるんだろう・・・?ー
 洗練の最高到達点は原始なのだと理解するしかない。なめちゃいけない。ここにきてやっと、陶芸をはじめたころの気持ちに立ち帰ることができた。自分が愚かな思い上がり男なのだということもあらためて思い出し、ほっぺたを叩いて気合いを入れ直した。

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その149・煩悶

2010-06-04 09:21:48 | 日記
 ところでなぜ、お茶道具をつくること=基礎から離れる、という構図になるのかというと、それはつまり、お茶道具がゆがんでいるからである。ムチャな言い草だが、とにかくお茶道具は基本的にまん丸ではないのだ。十把ひとからげにしてしまうには気が引けるが、誤解を覚悟でいえば、お茶道具の制作はアドリブの世界だ。原則フリースタイル。まん丸すぎちゃつまらない、整いすぎてちゃ味気ない、すなわち「シブさ」の世界だ。なるほど、それをつくるのは楽しいにちがいない。しかし、自分にそれをする資格があるのか?と、まずは考えたい。太陽センセーの元で教わっている「茶の心」への理解も、道なかばだ。そんな半可者が、品格の世界に踏み入って自由表現などとは、ふてぶてしいというものではないか。そしてこの愉快な課題は、堅調な歩みを立ち止まらせる道草にも思えた。「デッサンもろくに描けない画家に抽象画が構成できるか?」という議論があるが、オレは一足飛びにそれをしたくない。今は、デッサンをこそ覚えたい時期なのだ。
ーこんな行政主導のお祭り(愛・地球博=一応、国家プロジェクト)ごときにうつつを抜かしてていいのかな・・・ー
 それでもとりあえず課題なので、ゆがみ茶碗のいっこもろくろ挽きでつくってみることにした。ド素人時代に大量生産していたなまくら茶碗っぽくすればいいのだ。わざといびつにつくって、味を出してやろうというわけだ。イージーな仕事だ。
 ところが、思いがけずショックを受けた。ゆがんだものが挽けなくなっていたのだ。どれほど無作法に挽いても、まん丸に成形できてしまう。では、と思って土の芯を意図的に外すと、土はバランスを失って暴れはじめる。まったくコントロールできない。よれて、へたって、あげくに裂けて、廃棄物となりはてる。その画づらは、まるで「生まれて初めての作陶で恥をかくひと」そのものの姿だ。半年間の訓練で腕前は上がっているはずなのに、オレ様ともあろうものがどうしたことか。

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その148・技術と独創

2010-06-03 10:03:53 | 日記
 かぶと窯の窯焚きが終わって空っぽになっていた心身に、再び精気が充填される。クラスメイトたちも同様のようで、作業場には生き生きとした流動がよみがえった。惰性でゆるゆると回っていたろくろにいっせいにムチが入り、質と創意の競い合いがはじまった。
 思えばなんともラッキーなことだ。毎年この時期には、訓練生たちに疲労がたまり、制作ペースも落ちる。慣れから作業にも新鮮味をおぼえられなくなり、しかも各自に就職先も決まりはじめて、クラス内には倦怠が蔓延するという。そんなゆるみがちな時間を、新たな挑戦によって引き締めることができるのだ。すばらしい機会が与えられたものだ。
ーそれにしても、お茶道具を好きなように、か・・・ー
 と、しかしオレは考える。少々複雑な気持ちが、うれしさと交錯する。
 オレはこれまで、自由につくった作品世界をさらしたことがなかった。技術の基礎を築くべき現時点では、独創性を完全に棚上げしていたのだ。今大切なのは、超人的な技術の獲得、それのみ。鬼のような作陶テクニックこそが、卒業後に自分のイマジネーションを実現してくれる唯一のものなのだから。逆に言えば、生半可な現在の技術でつくった中途半端な作品世界を発表することに、これっぽっちも価値を感じない。
 世界観は持っているつもりだ。明確なやつを。美大の彫刻科在籍時からマンガ家やもの書き時代まで、ただひたすらに世界観を練りあげることだけをやってきたようなものだ。ただ、どれほどイメージを持っていても、それを実際に形にするテクニックがなければ、宝の持ち腐れに終わってしまう。「イメージを100%実現できるだけの力をつける」、それが自分にとってのこの一年間の訓練の意味なのだ。機が熟していない今、派手なデモンストレーションなど必要ない。第一、持ちネタをこの身内だけの環境で明かしてしまうなんて、もったいないではないか。そんなヒマがあったら、基礎練習の反復に時間を費やしたい。独創性の開陳なんて、ずっとずっと先の話・・・」
 ・・・などと考えていたオレに、しかしこの日、先生がのんきに言うのだった。
「好きなもんを好きなようにつくってええよ」
 独創性の芸術・お茶道具を、というわけだ。もっと基礎をみっちりと学びたい希求と、「好きなもんを好きなようにつくり」まくりたい欲求がせめぎ合う。ぜいたくな煩悶もあったものだ。

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その147・自由制作

2010-06-02 09:05:05 | 日記
「好きなものをつくってくれてかまわんから」
 ろくろのイワトビ先生の言葉に、抜け殻になっていたオレは一気に発熱した。訓練中に突然、製造科全員を集めて申しわたされた新しい課題は、ほとんど自由制作といっていい内容のものだった。
「お茶道具であればな」
 お茶道具か。職業訓練校でそんなものをつくるとは思わなかった。
 はい、ハジメ!と言われ、考えた。お茶道具については太陽センセーんちで身近に接し、少々の知識を身につけている。だが、なにをつくるべきか。お茶道具といえば、ゆがんでいたり、へこんでいたり、欠けていたり、ガサガサの石ころがくっついたりしていてもぜんぜん平気の創作世界。乱暴な解釈をすれば、最低限の約束事さえ守ればほとんどフリーでつくってかまわない、いわば器物というよりも彫刻作品だ。そのかわりに求められるのは、機能よりも美意識、端正さよりも品格。今までに課題でこなしてきた「整った製品」とくらべて、格段に敷居が高い。職人としてよりも、芸術家としての素養が試される。なんとも訓練校の授業の意図(技能修得)とかけ離れた課題がだされたものだ。しかし突如として降ってわいたこの事件の裏には、今年度にかぎった特殊な状況があった。
 入校以来、学校の周りを大きなトラックがひっきりなしに行き来し、裏山のあたりがやけに騒々しいと思っていたのだが、どうやら翌年に「愛・地球博」なる祭りが当地で行われるらしい。「キッコロとモリゾー」でおなじみのあれだ。グラウンドの林越しに巨大な観覧車がそびえ立ち、近くにリニアモーターカーの高架鉄道が敷かれ、町はにわかに活気立っていた。その万博会場に、お茶室が設えられることになった、というのが先生の説明だ。
「そこで使うお茶道具一式の制作をわが校が受注したから、みんな気合いを入れてつくるように」
 過ぎた光栄であるぞよ、みなのもの誇りを持って取りかかるがよい。・・・イワトビ先生のうわずった声はそんなふうに聞こえた。もちろん願ってもない。ウデ試しにはもってこいだ。

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その146・ギャンブル

2010-06-01 08:51:36 | 日記
「まだまだ甘いわい」
 作業の様子を見計らって現れた太陽センセーは、ニヤニヤしながらひと事のようにつぶやく。意地悪だが、底にあたたかいものをひそませた面差しだった。
 いつかセンセーがこうおっしゃっていたのを思い出した。めきめきと技術が上達していると感じる期間は成長とはいえん。壁に当たって立ち止まって考えて、そこからはじめて成長がはじまるのだ、と。一直線にレンガを積み上げてきたオレたちも、やっと悩む段階にはいった。これから真の成長がはじまるのだろうか?・・・とはいえ、やはりヘコむ。
「上出来だよ。またがんばろうな」
 火炎さんにそう言われても、落ちた肩に力はもどらない。窯づくり、作品づくりに費やした途方もない時間と精力を思い、その大半を徒労に終わらせた自分の未熟を悔恨したくなった。ああすればよかった・・・こうすればよかった・・・。たしかに甘々だったのだ。ぬるかった。マキ窯を相手にするのも三度めで、覚えた通りにやりさえすれば成功するものと高をくくっていた。初心を忘れ、テンションを最当初のレベルにまで上げきれなかったこともある。そして愚かにも、ようやくと、つくづくと、ある重大なことを思い出した。
ーマキ窯ってのは本当にギャンブルなんだな・・・ー
 掛け金を根こそぎかっぱがれて、はじめて窯焚きにそら恐ろしさを感じた。だけどギャンブラーは決して懲りないのだ。かぶと窯をじっと見つめ、態勢を立て直してまたこの場に帰ってこよう、と誓った。力なく・・・

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