陶芸みち

陶芸のド素人が、その世界に足を踏み入れ、成長していく過程を描いた私小説です。

その139・盛り火

2010-05-24 09:02:25 | 日記
 桃山の陶工の立場になって考えよ、と言われた意味が実感できる。当時の彼らは、還元雰囲気にしたいと思ったとき(つまり炎を大きくしたいと思ったとき)、ロストルやドラフトのことなど考えない。厚い鉄板などもなかったろう。最も単純に発想すれば、マキをめちゃくちゃに詰めこむ、ということになるはずだ。オレたち現代人は、知識にまどわされてしまうのだ。作品づくりが機械操作に終わってはならない、と思い知らされる。
 焚き口をマキでふさぎ、ダンパーも半ば閉じると、炎は窯内に閉じこめられる形となった。こうなると、大量のマキをくわえさせられた炎は成長したい、なのに窯の容積は限られている、というジレンマが発生する。危険水域を突破。炎の膨張が、自身をおさめるハコの大きさをついに上まわる。すると、窯のすき間というすき間から火先が飛び出してくる。別の言い方をすれば、炎が酸素を求めて四方八方に舌を伸ばしているのだ。恐怖さえ覚えるほどの激烈な盛り様だ。
 このときはじめて、自分たちがいかにレンガを粗っぽく積み上げたかが露見する。炎がこぼれすぎだ。箇所箇所で、レンガの整形や緊密性をごまかした記憶が痛烈に突きつけられる。抑圧された炎は、つぎはぎの壁を破り裂かんばかりにのたうちまわり、周囲に緊張を強いる。
 一方、これほど荒れ狂う炎の奥で、作品たちはただじっと待つ。奪われ、締められ、堅固な結晶となるまで、ひたすら耐えしのぶ。熾きの間から、どろんとにごった炎の底にゆらめく器が垣間見える。それらは自然釉の衣をまとって、完成形に近づこうとしていた。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園