★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

超少子化とダメ男

2005年01月21日 | ★人生いろいろ
夫婦別姓に興味を持ったことからはじまり、少子化問題にも興味を持ちました。

毎日新聞の東京朝刊では、
「未来が見えますか:人口減時代の日本 第1部・少子化の風景」
という連載が11回シリーズで昨日の朝刊まで掲載されていました。

毎日新聞のホームページで検索できた号だけをリンクしました。
ご興味のある方はどうぞ↓
[ 第2回 第3回 第6回 第7回 第9回 第10回 第11回 ]

夫婦別姓問題は少子化にも少なからず影響を及ぼしているのではないかと考えています。
下に、なぜ少子化が進行しているのかその要因を自分なりに考え推論を立ててみました。

推論1.少子化には晩婚化、非婚化が背景にある。
推論2.晩婚化、非婚化するのは夫婦別姓にできないのも要因の一つである。
推論3.婚姻届を出さずに子を産むことに対する婚外子差別のせい。
推論4.結婚したいと思えるようないい男性がなかないないと多くの女性が思っている。
推論5.多くの男性が結婚することを重荷に思う。
推論6.結婚すると、女性は仕事と家庭を両立することができない。
推論7.結婚することで男女とも抱える負担が多すぎる。
推論8.一人っ子が多く兄弟姉妹が少ないため、どちらも跡継ぎになってしまう。

この推論に答えてくれそうな2冊の本を読みました。

鈴木りえ子著 : 超少子化-危機に立つ日本社会

この本には、少子化が進む原因は専業主婦と働く女性の税金の格差の問題、結婚による男女の役割分担の決め付けからくるお互いへの依存に対しての負担感が、結婚への魅力をなくしているのではないかと書かれていました。
これからの時代は、「男だから」「女だから」という価値観にとらわれず、お互いが自立した一人の人間として、さらによき人生のパートナーとして協力して生きていくことが結婚ということであり、また夫婦が子を持つ持たないという選択を自由にできることが大切だと述べていました。産みたい人には産みやすく、産みたくない人は産まなくても生きやすい社会を作ることが少子化を止めることではないかと書かれていました。

私はこの本にの内容にとても同感しました。

男女ともみな「男だから働け。」「女だから家事、育児をしろ。」「男は強くなければいけない。」「女はおしとやかでなければいけない。」などという決め付けに対してかなり窮屈だと感じているのだと思います。
そんな価値観をいつまでも押し付けている限り、結婚というものの魅力がますます薄れ、家族を作ることがわずらわしくなり、結婚を遠ざけている原因になっていると私も思っていますし、私も実際そう感じています。
夫の家政婦になるために、夫の家に取り込まれるために結婚するなら、そんな結婚は私は願い下げです。男性だって、稼いだお金をすべて持っていかれ、小遣いをもらうにもいちいち文句を言われ、稼ぐことが妻に当然だと思われるような結婚なら自分の趣味にお金を全部使える方がどんなにいいかと考えるのは当然だと思います。
既に結婚している男女の多くに、男は働いて当然、女は家事をして当然というお互いの依存関係や感謝の気持ちがない人がいることにとても疑問を感じています。また、そういったことに関して特に女性が疑問を感じ始めたために、熟年離婚が増えているのではないでしょうか。
やはりお互いが自立して、お互いを人生のパートナーと思うことが大切だと思います。そのためには、夫婦別姓を選択できるようにすることも必須事項です。なぜなら社会で働くためには氏名はとても重要な役割を果たすからです。

また、男女が仕事と家庭を両立できるような支援体制や施設が整っていないことも原因だと思います。働かないと食べていけませんが、だからと言って子どもを預かってくれるところがほとんどありません。そうなることで、しわ寄せがくるのはたいてい女性ということになります。男女とも仕事も育児も両立できるようにすることが先決だと思います。

私が勝手に考えた対策ですが、企業や施設を問わず、託児所を必ず設置し、学校には必ず学童保育施設を設置すればいいのではないかと思います。また、学童保育所は高齢者のデイケアセンターも兼ねてもいいのではないでしょうか。ただ、この場合、認知症(痴呆症の新しい言い方です)の方の受け入れが難しいですが、暴力を振るわない程度の方なら一緒にしても問題ないと私は思っています。
子どももお年寄りも孤独にならずにすむし、子どもたちは色んな年齢の人たちと関わりあうことができ、社会性やコミュニケーション能力が培われ、お年寄りも子どもたちに刺激され、認知症を発症する確率を低めたり、進行を緩和できたりするというような相乗効果があるのではないかと考えています。


岩月謙司著 : なぜ母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか

なぜこの本を手にしたかというと、以前関わった男性がまさにこの本に書かれているような人間だったからです。そして、世間で言う「いい男がいない。」という原因はここにあるのではないかという推論から、読んでみようと思いました。

この本によると、母親が息子をダメ男にしてしまうのは、息子に対してドメスティック・マインド・コントロール(略してDMC)をしているせいだと書かれています。それでは、そのドメスティック・マインド・コントロールとは何かというと、「おまえは幸せになるな。私(母親)を幸せにしろ。」というものです。
その母親はどうして、自分の息子にそんなことをしてしまうかというと、自分自身の不幸を認めようとしないところから始まるのだそうです。
「母親を悲しませるオマエは悪い子だよ。母親を悦ばせる子がいい子なのだ。」というサインを送り、無言の圧力をかけます。すると子どもはそのDMCを受け、母親のいいなりになっていきます。
本来、母親は子どもの感情に共感してあげるべきなのに、DMCをする母親は共感などできないので、子どもは「見捨てられ不安」を覚え、常に不安でたまらなくなってしまうのだと書かれています。

そんな風に、本当の愛情を与えることができない母親に育てられた息子はダメ男に、娘はダメ女になるでしょう。日本社会にはそういう男女がたぶんたくさんいると思います。そして、そのことで苦しんでいる人はかなり多いと思います。DMCは目に見えない児童虐待だと私は思います。その後のその子の人生を狂わせてしまうのですから。
昔、関わったその男性は、母親からかなりDMCされていたように思います。私と一緒にいるときは私の意見に従い、母親に言われると母親の意見にすぐ従うような人で、自分がどうしたいのかがまったくない人でした。母親がどんなにおかしくとも反抗などしないのです。いえ、DMCされているがために恐ろしくてできなかったのでしょう。その母親は息子が稼いだ給料を勝手に引き出して、家のローンに使ってしまったりするような人でした。それが当然というような顔をしていたようです。あなたのお金は私のお金でしょと言わんばかりの感じですよね。その男性はいつも喪失感で苦しんで、どんなに私が愛情をかけてもそれを受け取ることができず、いつも誰かともめ事を起こし、さらに理解されず孤独を深めるようなとても可哀想な人でした。

そんなことを言っている私も多少、母親にDMCされている気がしています。本を読んでいて私自身にも当てはまるところがありました。けれど仕方ありません。私の母は、その母親である私の祖母や母の姉である私の伯母に、DMCされていたのですから。それなのにその虐待の連鎖を少し軽くしてくれただけでも感謝しています。もし私が子どもを産むことができるのなら、私の次の代には連鎖しないよう、私でDMCは完全に断ち切りたいと思っています。

本を読んでいて、女性差別撤廃のための障壁は、実は男性ではなく同じ女性だったりするのかなぁと思いました。自分さえよければいいと考え、人に気配りが出来ない女性が多いことがとても気になります。その女性の多くは夫婦別姓とは無縁の方々です。

例えば、自動車。駐車場などの渋滞で並んでいる時、女性は入れてくれない人が多いです。男性の方が譲ってくれます。こちらが譲った場合、男性はお礼をしていく人が多いですが、女性は無礼者が多いです。そして、車間距離は女性はやたらに狭いです。止まれないくせにその狭さはハッキリ言って怖いです。その狭さで相手を不快にさせるかもしれないという気遣いが全くできていません。男性の方がよっぽど気遣いができているようにも感じます。それでいて「私は女だしぃ~。」と女を振りかざされた日には「コイツ、いてこましたろか?!」とキレそうになります。

そんな風に夫婦別姓の実現に立ちはだかる本当の壁は、長男が跡を継ぎ、長男の嫁は自分たちの面倒をみるものだ、お墓を守るものだという家制度を信じて(信じるのは勝手だか)それを人にも押し付け、子離れせず、家事もせず、夫が働いて稼いでくるのを当然だと言う顔をして、そのことに感謝もせず、自分のお金のように夫の給料を平然とたくさん使っているような完全に依存しきった女性たちなのかもしれません。その利己主義な女性たちがこの社会に男尊女卑思想、自分勝手をするような男性や子どもをたくさん作り出しているように思えてきました。

男女平等の壁は、実は女性自身?
オバタリアンの増殖が日本を滅亡させるかもしれない…。
コメント (8)
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