冬休みの宿題が出ました。びっくりするほどの量でした。
最近の小学校の宿題は明らかにおかしいです。
どうして、こんなにもやらせるのでしょうか?
小学5年生:ケンの宿題
小学3年生:コウの宿題
普段は「家庭学習カード」というものを毎日書かせられます(親が)。そこには「学年×10分+10分を家庭学習すること」となっています。
小学1年生なら、1×10分+10分=20分
小学2年生なら、2×10分+10分=30分
小学3年生なら、3×10分+10分=40分
小学4年生なら、4×10分+10分=50分
小学5年生なら、5×10分+10分=60分(1時間)
小学6年生なら、6×10分+10分=70分(1時間10分)
という具合です。
この時間の長さってどうでもいいように私は思います。
勉強ができる子、理解が早い子は同じ時間でもたくさんのことができるでしょう。
覚えが悪い子、理解に時間がかかる子は同じ時間でも少しのことしかできません。
何を根拠にこんなにも時間を指定するのでしょうか?
意味が分かりません。
私が学生の頃は、時間指定は中学生になってからでした。
それでも、やらされるのが大嫌いな私は宿題をやろうとしませんでしたけどね。
私は、机上の勉強よりも、特に小学生はたくさんの仲間と外で遊ぶことが大切だと思います。
子どもだから許されるケンカや小さな失敗があると思うのです。
それを、体感しないで大人になった人って正直どうなるんでしょうか。
今の子どもたちは、三つの間を奪われているそうです。
時間・空間・仲間
確かに。
宿題が多いために、時間を奪われます。
自由に遊べる自然豊かな入れるような里山も空き地もありません。
公園があっても「あれしちゃダメ、これしちゃダメ」で制限ばかりで自由がありません。
習い事に忙しかったり、宿題が多くて、遊べる仲間と都合が合いません。
第2回 3つの「間」を失って、弱くなった子ども
21世紀は、子どもが育つには本当にひどい環境です。
私は宿題をちゃんとやることよりも、仲間と思い切り遊ばせてやりたいです。
しかし、どうでしょう。
私の子どもたちは、かなり田舎に住んでいるにも関わらず遊べるようなところがありません。
空き地や森がたくさんありますが、勝手に入って自由には遊べません。
空き地に勝手に入れば、地主さんに怒られるでしょう。
森は篠竹だらけで、入ることすらできません。
習い事をしている人が多く、子どもも少ないため、近所にすぐ遊べるような子どもがいません。
結局は、兄弟だけで遊ぶ羽目に。
そして、遊ばせるのに一番面倒なのが大人です。
少しのケガをしただけで、大騒ぎする親や学校の先生。
他人との関わりをすごくめんどうがる親たち。
これで子どもたちはどうやって、人と関われるような人になれるでしょうか。
不登校になったり、ひきこもりになったりしてしまうのは、
子どもたちの周りの、地域の大人たちが「子どもは宝」と思って大切にしていないからだと思います。
もちろん市や国の政策もそうです。子どもに割いている予算を見れば一目瞭然。
道路や企業誘致にはたくさんお金をかけるくせに、
子どもに関することには本当に少ない予算です。
<教育への日本の公的支出が少ないことはよく知られているが、子ども1人あたりの支出額で見てもOECD加盟国で最低レベルだった>
子どもにお金をかけないこの国や街は、本気で子どもたちを大切に育てたいと思っているのでしょうか?
最近の小学校の宿題は明らかにおかしいです。
どうして、こんなにもやらせるのでしょうか?
小学5年生:ケンの宿題
小学3年生:コウの宿題
普段は「家庭学習カード」というものを毎日書かせられます(親が)。そこには「学年×10分+10分を家庭学習すること」となっています。
小学1年生なら、1×10分+10分=20分
小学2年生なら、2×10分+10分=30分
小学3年生なら、3×10分+10分=40分
小学4年生なら、4×10分+10分=50分
小学5年生なら、5×10分+10分=60分(1時間)
小学6年生なら、6×10分+10分=70分(1時間10分)
という具合です。
この時間の長さってどうでもいいように私は思います。
勉強ができる子、理解が早い子は同じ時間でもたくさんのことができるでしょう。
覚えが悪い子、理解に時間がかかる子は同じ時間でも少しのことしかできません。
何を根拠にこんなにも時間を指定するのでしょうか?
意味が分かりません。
私が学生の頃は、時間指定は中学生になってからでした。
それでも、やらされるのが大嫌いな私は宿題をやろうとしませんでしたけどね。
私は、机上の勉強よりも、特に小学生はたくさんの仲間と外で遊ぶことが大切だと思います。
子どもだから許されるケンカや小さな失敗があると思うのです。
それを、体感しないで大人になった人って正直どうなるんでしょうか。
今の子どもたちは、三つの間を奪われているそうです。
時間・空間・仲間
確かに。
宿題が多いために、時間を奪われます。
自由に遊べる自然豊かな入れるような里山も空き地もありません。
公園があっても「あれしちゃダメ、これしちゃダメ」で制限ばかりで自由がありません。
習い事に忙しかったり、宿題が多くて、遊べる仲間と都合が合いません。
第2回 3つの「間」を失って、弱くなった子ども
21世紀は、子どもが育つには本当にひどい環境です。
私は宿題をちゃんとやることよりも、仲間と思い切り遊ばせてやりたいです。
しかし、どうでしょう。
私の子どもたちは、かなり田舎に住んでいるにも関わらず遊べるようなところがありません。
空き地や森がたくさんありますが、勝手に入って自由には遊べません。
空き地に勝手に入れば、地主さんに怒られるでしょう。
森は篠竹だらけで、入ることすらできません。
習い事をしている人が多く、子どもも少ないため、近所にすぐ遊べるような子どもがいません。
結局は、兄弟だけで遊ぶ羽目に。
そして、遊ばせるのに一番面倒なのが大人です。
少しのケガをしただけで、大騒ぎする親や学校の先生。
他人との関わりをすごくめんどうがる親たち。
これで子どもたちはどうやって、人と関われるような人になれるでしょうか。
不登校になったり、ひきこもりになったりしてしまうのは、
子どもたちの周りの、地域の大人たちが「子どもは宝」と思って大切にしていないからだと思います。
もちろん市や国の政策もそうです。子どもに割いている予算を見れば一目瞭然。
道路や企業誘致にはたくさんお金をかけるくせに、
子どもに関することには本当に少ない予算です。
<教育への日本の公的支出が少ないことはよく知られているが、子ども1人あたりの支出額で見てもOECD加盟国で最低レベルだった>
子どもにお金をかけないこの国や街は、本気で子どもたちを大切に育てたいと思っているのでしょうか?