子供の熱中症死を続出させる「根性大国ニッポン」の狂気
DIAMOND Online-7/26(木) 6:00配信
この記事を読んで、感じた。
そう、どう考えてもおかしい。
それをおかしいとは感じない大人たち。
その行事をすることは、命をかけるほど大切なことだろうか?
「子どもを守る」と言うのであれば、命が最優先。
行事など、どうでもよくないか?
そもそも「命」あっての行事だよね?
保護者からの受けも良く、子どもたちからも人望のある「いい先生」が、熱中症や「しごき」で次々と子どもの命を奪うのは、彼らの人間性に問題があるからではなく、彼らが正しいと信じ込んでいる「日本的基準」が狂っているからなのである。
確かに。
私もこの記者の方の記事に、とても同感である。
7月23日(月)から7月27日(金)にケンの小学校では「学びの広場」という補習授業が行われる予定だった。
しかし、小学1年生の子が熱射病でなくなったのを受けて、県教育委員会は中止を発表した。中止してくれて本当によかったと思った。
もし、根性論で中止してなかったら、ケンとコウの通う小学校でも熱中症の犠牲者が出たかもしれない。息子たち自身も危なかったかも。
7月17日から7月20日の終業式まで、あの暑い中、エアコンがない学校によく通っていたものだと思った。
小学校で練習している地域の野球の少年団チームはこの暑い中、午前中の練習を中止にしていないらしい。
朝8時から11時半くらいまで練習しているそうだ。
私はその話しを聞いて「危険じゃないのかな」と心配になった。
ここにも「命の安全」よりも「根性論」が見え隠れしていると感じた。
7月21日(土)は、地域の夏祭りがあった。
この日も暑かった。
私は子ども会育成会会長なので、子ども神輿をかつぐ手伝いの担当だった。15時から神社を出発して、17時30分までに神社に戻ってくるのだけど、平坦な道の方の往復はなんとかできたが、坂道を登っておりる方の往復はそのあとで、これを強行すると誰か倒れそうな気がした。
足下からの照り返しがものすごかった。
「昨年とはなんか違う」
そう感じた。
現に、コウの顔が赤くなって、だるそうに歩いていた。
危ないと判断して、応急処置用に持参した保冷剤を脇に挟みながら移動して、冷房のきいた集落センターに待避させた。
お祭りが始まる前には駐在さんに
「子どもたちに十分気をつけてあげてね。」
と念を押された。
しかし、地域の人に歩く距離を短縮した方がよいのではないかと相談したら
「こっちは行ったのに、あっちはいかなかったら、行かなかった地区から文句がでるんじゃないのか?」
と言われた。
しかし、そんなちっちゃい文句のために人の命を失っては取り返しがつかない。
私は自分の「この暑さは危険だ」という感覚を信じ、
誰かに文句を言われるのを覚悟して、
坂を登る方の往復はやめて、坂の手前で折り返して歩く距離を短縮させる決断をした。
そのおかげか、だれも倒れる人はいなかった。
お祭りの実行委員長さんに短縮した旨のお話しすると
「誰も倒れなくて、楽しく終わればそれでいいから、いいんじゃない。」
と言ってくれた。
そう。今年は、今までの暑さとはワケが違う。
そういう認識が必要だと私は思う。
根性論はまったく通用しない。
明らかに昭和時代の気候とは違うのだから。
私は帰ってきてから、頭痛に襲われた。
自分が軽く熱中症にかかっていたのだと思う。
本当の意味で「子どもを守る」のなら
「危険を感じたら、周囲の文句を恐れず中止する」
という勇気ある決断力が、これからの大人には必要なんじゃないかな。
DIAMOND Online-7/26(木) 6:00配信
この記事を読んで、感じた。
そう、どう考えてもおかしい。
それをおかしいとは感じない大人たち。
その行事をすることは、命をかけるほど大切なことだろうか?
「子どもを守る」と言うのであれば、命が最優先。
行事など、どうでもよくないか?
そもそも「命」あっての行事だよね?
保護者からの受けも良く、子どもたちからも人望のある「いい先生」が、熱中症や「しごき」で次々と子どもの命を奪うのは、彼らの人間性に問題があるからではなく、彼らが正しいと信じ込んでいる「日本的基準」が狂っているからなのである。
確かに。
私もこの記者の方の記事に、とても同感である。
7月23日(月)から7月27日(金)にケンの小学校では「学びの広場」という補習授業が行われる予定だった。
しかし、小学1年生の子が熱射病でなくなったのを受けて、県教育委員会は中止を発表した。中止してくれて本当によかったと思った。
もし、根性論で中止してなかったら、ケンとコウの通う小学校でも熱中症の犠牲者が出たかもしれない。息子たち自身も危なかったかも。
7月17日から7月20日の終業式まで、あの暑い中、エアコンがない学校によく通っていたものだと思った。
小学校で練習している地域の野球の少年団チームはこの暑い中、午前中の練習を中止にしていないらしい。
朝8時から11時半くらいまで練習しているそうだ。
私はその話しを聞いて「危険じゃないのかな」と心配になった。
ここにも「命の安全」よりも「根性論」が見え隠れしていると感じた。
7月21日(土)は、地域の夏祭りがあった。
この日も暑かった。
私は子ども会育成会会長なので、子ども神輿をかつぐ手伝いの担当だった。15時から神社を出発して、17時30分までに神社に戻ってくるのだけど、平坦な道の方の往復はなんとかできたが、坂道を登っておりる方の往復はそのあとで、これを強行すると誰か倒れそうな気がした。
足下からの照り返しがものすごかった。
「昨年とはなんか違う」
そう感じた。
現に、コウの顔が赤くなって、だるそうに歩いていた。
危ないと判断して、応急処置用に持参した保冷剤を脇に挟みながら移動して、冷房のきいた集落センターに待避させた。
お祭りが始まる前には駐在さんに
「子どもたちに十分気をつけてあげてね。」
と念を押された。
しかし、地域の人に歩く距離を短縮した方がよいのではないかと相談したら
「こっちは行ったのに、あっちはいかなかったら、行かなかった地区から文句がでるんじゃないのか?」
と言われた。
しかし、そんなちっちゃい文句のために人の命を失っては取り返しがつかない。
私は自分の「この暑さは危険だ」という感覚を信じ、
誰かに文句を言われるのを覚悟して、
坂を登る方の往復はやめて、坂の手前で折り返して歩く距離を短縮させる決断をした。
そのおかげか、だれも倒れる人はいなかった。
お祭りの実行委員長さんに短縮した旨のお話しすると
「誰も倒れなくて、楽しく終わればそれでいいから、いいんじゃない。」
と言ってくれた。
そう。今年は、今までの暑さとはワケが違う。
そういう認識が必要だと私は思う。
根性論はまったく通用しない。
明らかに昭和時代の気候とは違うのだから。
私は帰ってきてから、頭痛に襲われた。
自分が軽く熱中症にかかっていたのだと思う。
本当の意味で「子どもを守る」のなら
「危険を感じたら、周囲の文句を恐れず中止する」
という勇気ある決断力が、これからの大人には必要なんじゃないかな。