★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)

2022年11月14日 | ★道をひらく

日本には「クソどうでもいい仕事」が多すぎる…もうすぐ韓国にも抜かれる日本のヤバい現実(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

日本には「クソどうでもいい仕事」が多すぎる…もうすぐ韓国にも抜かれる日本のヤバい現実(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

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Yahoo!ニュース

何度も言うように、日本の学校や官庁や会社は、ブルシット・ジョブが多すぎて、新しいアイデアを考える暇がない。先生の仕事は大半がブルシット・ジョブ。児童生徒も与えられた課題をそつなくこなすことが過大に評価されて、自ら新しいアイデアを考えることは嫌われる。イノベーションを起こす可能性のある人材を潰すことに精を出しているとしか思われない。
(本文より引用)

私もものすごく同感。

先日、教育委員会との仕事をしたけど、それってなんのため??って言うクソどうでもいい仕事を自ら作り出していた。

「私は仕事をしています」と言うアリバイ仕事だ。でも、本当の目的のためには必要のないことだと言うことが私には見えてるけど、相手には見えていない。それどころか、こうしたら楽になるよって意見した私をメールの返信からはずすと言うこざかしいことをしてきた。

これが学歴がある公務員がすることなのだろうか。終わってると思う。

そんなクソどうでもいい仕事しかできない、人格を疑うようなことをする人を大量生産しているような今の学校なら、もう行かない方がいい。

不登校の子どもたちから、イノベーションが起こせる人がこれからたくさん出てくるかもしれない。

息子たちの選んだ道は正しいのかもしれない。

私は息子たちのありのままを認めて、自ら学んでいけるように、ひたすら寄り添っていこう。
そして、少しずつ手を離していこう。

二人の自律のために。
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死刑はんこ

2022年11月12日 | ★道をひらく

旧統一教会も、入管行政も…人権感覚が問われる法相の「死刑はんこ」発言に怒りの声 葉梨氏更迭:東京新聞 TOKYO Web

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葉梨康弘法相の発言に対しては、更迭が明らかになった11日も、批判や憤りの声はやまなかった。【解説】葉梨法相更迭、遅れた首相の判断 国民...

東京新聞 TOKYO Web

やっぱりね。
私はずっと前からそう感じていたよ。
やっとみんなわかってきたんだね。

国民のことを権力者たちは
本当に大切には思ってないことを。

コロナ対策も
一斉休校も
児童虐待も
不登校も
統一教会の献金問題も
年金も

死刑を決めるハンコを
そう言う軽々しく言える
その神経を私は疑う。

共感力が足りない。
人の命を何だと思っているのだろう。

発言を取り消しても
たまたまではもう済まされない。
もう5~6回も言ってるのは
そう言う考えだと
言うことじゃないかな。
身内の会議ほど
その人の真意が出る。

この方は茨城県出身。

茨城県が魅力度最下位になるのって
こう言うところが
あるからじゃないのかな?
って私は感じてる。

人権意識がものすごく低い。
人を大切にしない。
よそ者、障害者を排除する。

シングルマザーを下に見たりしてる。
だから、彼女たちは
恐れた顔をしていたり
気を張った顔をしていると
私は感じた。

選挙の時はやたらに
へりくだるくせに
普段はデカイ顔をしてる。

そんな人が政治家で
大臣だなんて。

なんて恥ずかしい。

それこそ子どもの教育に悪い。
残念な大人だね。
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不登校の子を持つ親の気持ち

2022年11月12日 | ★道をひらく

「親子で地獄」 宮崎県内では過去最多の不登校児童・生徒数 なぜ不登校に?どう支援する? | MRTニュース | MRT宮崎放送 (1ページ)

「親子で地獄」 宮崎県内では過去最多の不登校児童・生徒数 なぜ不登校に?どう支援する? | MRTニュース | MRT宮崎放送 (1ページ)

宮崎県内の不登校の児童・生徒数ですが、ここ最近は、年々増加しています。10月に発表された昨年度の不登校の児童・生徒数は、2308人と、前年をおよそ2割上回り、過去最多を...

MRT宮崎放送

登校しぶりの時は、地獄だね。
不登校の初期段階は、マジでしんどい。

学校の先生も、周りの保護者に話しても、きっとわかってはもらえない。

「学校に行くのは当たり前」
と考えている人たちと話す地獄。

相手は全く悪くないし、悪気もない。

自分の子が普通じゃない方に外れていく恐怖。

そして、それを母親の育て方のせいにされる。周りから責められているように、見下されているように感じる。

しんどいなんて、言葉さえも生易しい。

本当に地獄に突き落とされたように感じる。

通学していく子どもたちを見るたびに襲う、みじめさ。
自分の子が参加していない運動会をPTAとしてボランティアに参加した時の悲しさ。
「うちの子は学校が大好きだからね」と言われる度に、尖った切っ先で切りつけられているような心の痛み。

学校に行っている人たちにとっては当たり前なことが、今すぐにはけして望めない状態を、終わりなく受け入れ続ける毎日。

そのしんどさを支えるのは、この子が幸せを感じて毎日が送れるようになるにはどうしていけばいいのかと考えること。

それは、教育の本質をついている。

不登校は哲学だと感じる。

そもそも学校って何のためにあるのか。
そもそも学びって何?

そう言うことを考え続ける毎日。

そして、気づく。

子どもにとって、学校に行くことがすべてではない。
学校は学ぶ場所の一つでしかないことに。
学ぶ場所は、この社会のすべての場所だと言うこと。
学びの内容だって、教科学習だけではない。
人との付き合い方。
合意形成の仕方。
対話や塾義の仕方。

社会で生きていくには、きっと人と関わることはけして避けられないし、一番必要なことだと私は考えている。

だから、学校には行けなくても、人とのつながりは途切れないようにこれからもしていきたいと思う。
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