そろそろ大詰めの次期。
お盆に親戚の家に行ったら、
子どもの夏休みの宿題を親が手伝う、、と言うよりも
親がやってあげていると言っていた。
私は子どもの宿題を親がやってしまうのは
いただけないと思っている。
それは自分の経験から感じたことがあったからだ。
私が小学1年生の時、
夏休みに選挙ポスターの宿題があった。
1年生なので「選挙」の概念もよく分からず
結局、母親がほとんど下書きから、
デザインからやってしまった。
絵を塗るのも、ほとんど母親。
そのポスターがなんと町で賞をとってしまった。
私が考えて描いた絵ではないのに…。
壇上にあがり、校長先生から表彰状をもらった。
なんとも言えない嫌な気持ちだった。
まったくもって嬉しくない。
「あれは私が描いた絵ではない。
この賞状は私がもらうものではない。
こんなのズルだ。」
その賞状を見る度に嫌な気持ちになる。
私の母はわかっていない。
そういう経験から、宿題は自分でやった方がいいと思った。
やれないならやらなくてもいいとも思う。
担任の先生に
「できませんでした。」
と自分で言えばいい。
できなかった、やらなかったのは本人だし、
言いづらかろうがなんだろうが、
やらなかった自分の責任は自分で取ればいいと思う。
私はそれでいいと思う。
宿題を無理矢理やらせるのは意味がないし、
だいたい、あの多すぎる宿題は
なんにも身にならないと思っている。
量ばかり多くて、身につかないと感じるから。
私だってあんな宿題やりたくない。
私は小学5年生から高校生まで宿題をやらなかった。
でも、今、そのことで何も困っていない。
だって、学校の成績表やテストの点数なんて、
大人になってわざわざ人に見せないから。
私は自分の意思で宿題をやらない選択をした。
やらないで白紙のワークを提出しても、先生から何も言われなかった。
先生はきっと私のことなんてどうでもよかったんでしょうね。
どうせ何言ってもやらない「バカもの」で
「面倒くさいヤツ」だと思っていたからだろうと思う。
当時の「大人」たちを見限った私は、
大人の言うことはほとんど聞かなかったけどね。
子どもたちには
「自分の意思でやると決めたらやりなさい。
やらないならやらなったことを先生に自分で言いなさい。」
そう言っている。
そしてどうしても、宿題を減らしてもらいたいなら
担任の先生に自分から提案しなさい、とも言っている。
担任の先生がだめなら、校長先生に、
それでもダメなら市の教育長に言ってみたら、と。
どうしてああいうたくさんの宿題をさせるのか、
外遊びが大切だと言われているなら、もっと遊びたいから
宿題を減らして欲しいと訴えたらといいと言っている。
学力を上げることよりも
そういう提案できる人を育てる方がよくないか?
空気を読み、過度の忖度する人よりも
空気を読まず、良くなるように改革していく人が
これからは必要なんじゃないのかな?
私が外遊びや色々な経験をさせたいと思っていても
学校の宿題の多さが邪魔をする。
こんなの本末転倒だ。
現代のしょうもない政治家や官僚が
いっぱいるワケがよくわかるよね?
点数主義、学力主義、学歴主義、根性主義、感動至上主義が
このしょうもない社会を作ってしまったことを。
私が小学生の時に感じた
「テストの点数が良ければ、人の道を外れるような
正義ではないことを平気でしてもいいの?」
という疑問そのものの社会になってしまったね。
学校の宿題が多すぎて休めない子供たち。夏休みと冬休みの意義ってなんだろう?
お盆に親戚の家に行ったら、
子どもの夏休みの宿題を親が手伝う、、と言うよりも
親がやってあげていると言っていた。
私は子どもの宿題を親がやってしまうのは
いただけないと思っている。
それは自分の経験から感じたことがあったからだ。
私が小学1年生の時、
夏休みに選挙ポスターの宿題があった。
1年生なので「選挙」の概念もよく分からず
結局、母親がほとんど下書きから、
デザインからやってしまった。
絵を塗るのも、ほとんど母親。
そのポスターがなんと町で賞をとってしまった。
私が考えて描いた絵ではないのに…。
壇上にあがり、校長先生から表彰状をもらった。
なんとも言えない嫌な気持ちだった。
まったくもって嬉しくない。
「あれは私が描いた絵ではない。
この賞状は私がもらうものではない。
こんなのズルだ。」
その賞状を見る度に嫌な気持ちになる。
私の母はわかっていない。
そういう経験から、宿題は自分でやった方がいいと思った。
やれないならやらなくてもいいとも思う。
担任の先生に
「できませんでした。」
と自分で言えばいい。
できなかった、やらなかったのは本人だし、
言いづらかろうがなんだろうが、
やらなかった自分の責任は自分で取ればいいと思う。
私はそれでいいと思う。
宿題を無理矢理やらせるのは意味がないし、
だいたい、あの多すぎる宿題は
なんにも身にならないと思っている。
量ばかり多くて、身につかないと感じるから。
私だってあんな宿題やりたくない。
私は小学5年生から高校生まで宿題をやらなかった。
でも、今、そのことで何も困っていない。
だって、学校の成績表やテストの点数なんて、
大人になってわざわざ人に見せないから。
私は自分の意思で宿題をやらない選択をした。
やらないで白紙のワークを提出しても、先生から何も言われなかった。
先生はきっと私のことなんてどうでもよかったんでしょうね。
どうせ何言ってもやらない「バカもの」で
「面倒くさいヤツ」だと思っていたからだろうと思う。
当時の「大人」たちを見限った私は、
大人の言うことはほとんど聞かなかったけどね。
子どもたちには
「自分の意思でやると決めたらやりなさい。
やらないならやらなったことを先生に自分で言いなさい。」
そう言っている。
そしてどうしても、宿題を減らしてもらいたいなら
担任の先生に自分から提案しなさい、とも言っている。
担任の先生がだめなら、校長先生に、
それでもダメなら市の教育長に言ってみたら、と。
どうしてああいうたくさんの宿題をさせるのか、
外遊びが大切だと言われているなら、もっと遊びたいから
宿題を減らして欲しいと訴えたらといいと言っている。
学力を上げることよりも
そういう提案できる人を育てる方がよくないか?
空気を読み、過度の忖度する人よりも
空気を読まず、良くなるように改革していく人が
これからは必要なんじゃないのかな?
私が外遊びや色々な経験をさせたいと思っていても
学校の宿題の多さが邪魔をする。
こんなの本末転倒だ。
現代のしょうもない政治家や官僚が
いっぱいるワケがよくわかるよね?
点数主義、学力主義、学歴主義、根性主義、感動至上主義が
このしょうもない社会を作ってしまったことを。
私が小学生の時に感じた
「テストの点数が良ければ、人の道を外れるような
正義ではないことを平気でしてもいいの?」
という疑問そのものの社会になってしまったね。
学校の宿題が多すぎて休めない子供たち。夏休みと冬休みの意義ってなんだろう?