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★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

どんど焼きワラ集め

2018年09月24日 | ★道をひらく
青少年を育てる市民の会主催のどんど焼きワラ集めのお手伝いをしました。どんど焼きは1月中旬に行われます。

毎年、市民の会から依頼を受けて、子ども会育成会の会長から単位子ども会の会長さんを通して、親子でのワラ集めの協力をお願いしています。

昨年は、三回も雨で延期になったため、子どもたちが参加できない日になってしまい、大人10人未満で集めたので、大変でした。そこで、いつも10月に行うワラ集めを今年は運動会前の9月に行いました。

今年は、たくさんの親子が参加してくれました。終わるのも早かったです。ケンもコウも参加しました。




地域の行事に、子ども会の親子の協力がないと立ち行かない状態です。市内でどんど焼きを開催しているのは、この地区だけなので、これからもずっと続けられるよう、ぜひ協力してくれる、意識の高い人を増やしていきたいなと思っています。

それには、子どもたちがみんなに温かく見守られていると感じる居場所がある地域にすることが大切だと考えてます。
門脇厚司さんが提唱する「社会力」を大人や子どもたちの中に育てていきたいです。

私が今できることは、小学校を中心に、地域の人と人がつながり、自分たちの力で住みよい場所に作り出そうとする意識のある人を増やして行くことかなと思っています。「めんどくさいやつ」と思われてもいいから、とにかくあきらめずにひたすら活動を続けていくことかなと思います。

少しずつでも、この地域の人が「自分さえ良ければいい」という人が減り、「人と人がつながること、自分たちがこの地域を作って、人のために働くことが自分の喜びになる」ことに気づく人を増やして、人が温かい地域にしたいです。それがいつしか広まって、日本全国の人々がそんな風に考えられる社会になってほしいと願っています。
そういう助け合いの社会が実現すれば、「世界平和」も夢ではないだろうなと考えています。

これのどこがスポーツマンシップなの?

2018年08月09日 | ★道をひらく
「スポーツマンシップに則り、正々堂々と闘うことを誓います!」

スポーツマンシップとは、
スポーツをすること自体を楽しみとし、
公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、
同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。

この言葉通りならいいのにね。

今のスポーツ界の露呈している問題や
自分が見てきたスポーツチームはどうでしょうね?
なんか違うな~って思うんだけど。

私は、スポーツが嫌い。

と、言うより、

スポーツでマウンティング(自己顕示行為)する人たちが嫌い。
私が過去に会ってきたスポーツができる人たちのだいたいが性格が悪かった。

スポーツができる人はできない人を…

さげすむ
バカにする
排除する
暴言を吐く
恥をかかせる
強制する

そういうことを平気でやるヤツラばかり。
もちろん監督とか、指導者とかもそういう人が多い。

女子レスリングパワハラ問題
日大アメフト部反則タックル問題
日本ボクシング連盟告発問題
日大チアリーディング監督パワハラ問題

これらの問題は出るべくして、出てきた問題だろうと思う。
今まで私たちが「人権侵害」がどういうことがが分からなかったけど、最近は人権意識があがってきたので露呈したのだと思う。

小中学校の体育の授業
スポーツ少年団
中学校の部活動
小学校PTAのビーチボールバレー

これらはやはり構造が同じ。

運動ができないヤツ、
スポーツが苦手なヤツを
とことんけなし、恥をかかせる。

私はそんな風に人をおとしめるスポーツが嫌でやる気にならなかった。

きちんとしたスポーツの技術を教えずに
ただただ「根性論」だけで、身にならない練習をひたすら繰り返す。
性格の悪い先輩達にパワハラをされても、仕返しが怖いからと権力にひれ伏す。
私は中学生の時から、そんな人たちと一緒にスポーツをしても
自分も性格が同じように曲がるだけで、何もいいことはないと感じた。

人にどう思われようと、嫌なものは嫌なのだ!
人と違うことは恥じることではない。
今なら、胸を張って言える。
菊池省三先生の「一人が美しい」だね。

「一人が美しい
 群れないで、一人でがんばった人が成長するのです。
(菊池省三)」

「菊池省三先生の価値語日めくりカレンダー」より
中村堂:大阪日日新聞で「一人が美しい」が紹介されました。


日本のスポーツはスポーツを楽しんでいない。
やたら勝ち負けばかりにこだわると思った。
だから、私は日本のチームスポーツが嫌いだ。
学校の点数主義なところと似ているね。

子どもの小学校のPTAのビーチボールバレー大会もそうだった。
やたら勝ち負けにこだわるママ達にさんざん付き合わされているこっちは迷惑千万だった。
自分たちがしていることの醜さもわからないなんて、正直ビックリだよね。

私は思いました。

スポーツが苦手な私たちのような人に勝って何が楽しいのかな?

そんなにハイレベルの試合がしたいなら
自分たちでママさんチームを作って、
市のビーチボールバレー大会に出場したらどうですか?

くだらないマウンティングに付き合わされて本当に迷惑だった。
なくなって本当によかったな~って思った。

スポーツは本来、
身体を動かす楽しさを求めるものではないのかな?

根性論をやめる勇気

2018年07月26日 | ★道をひらく
子供の熱中症死を続出させる「根性大国ニッポン」の狂気
DIAMOND Online-7/26(木) 6:00配信

この記事を読んで、感じた。

そう、どう考えてもおかしい。
それをおかしいとは感じない大人たち。

その行事をすることは、命をかけるほど大切なことだろうか?
「子どもを守る」と言うのであれば、命が最優先。
行事など、どうでもよくないか?
そもそも「命」あっての行事だよね?


保護者からの受けも良く、子どもたちからも人望のある「いい先生」が、熱中症や「しごき」で次々と子どもの命を奪うのは、彼らの人間性に問題があるからではなく、彼らが正しいと信じ込んでいる「日本的基準」が狂っているからなのである。


確かに。
私もこの記者の方の記事に、とても同感である。

7月23日(月)から7月27日(金)にケンの小学校では「学びの広場」という補習授業が行われる予定だった。

しかし、小学1年生の子が熱射病でなくなったのを受けて、県教育委員会は中止を発表した。中止してくれて本当によかったと思った。
もし、根性論で中止してなかったら、ケンとコウの通う小学校でも熱中症の犠牲者が出たかもしれない。息子たち自身も危なかったかも。

7月17日から7月20日の終業式まで、あの暑い中、エアコンがない学校によく通っていたものだと思った。

小学校で練習している地域の野球の少年団チームはこの暑い中、午前中の練習を中止にしていないらしい。
朝8時から11時半くらいまで練習しているそうだ。
私はその話しを聞いて「危険じゃないのかな」と心配になった。
ここにも「命の安全」よりも「根性論」が見え隠れしていると感じた。

7月21日(土)は、地域の夏祭りがあった。
この日も暑かった。

私は子ども会育成会会長なので、子ども神輿をかつぐ手伝いの担当だった。15時から神社を出発して、17時30分までに神社に戻ってくるのだけど、平坦な道の方の往復はなんとかできたが、坂道を登っておりる方の往復はそのあとで、これを強行すると誰か倒れそうな気がした。

足下からの照り返しがものすごかった。
「昨年とはなんか違う」
そう感じた。
現に、コウの顔が赤くなって、だるそうに歩いていた。
危ないと判断して、応急処置用に持参した保冷剤を脇に挟みながら移動して、冷房のきいた集落センターに待避させた。

お祭りが始まる前には駐在さんに
「子どもたちに十分気をつけてあげてね。」
と念を押された。

しかし、地域の人に歩く距離を短縮した方がよいのではないかと相談したら
「こっちは行ったのに、あっちはいかなかったら、行かなかった地区から文句がでるんじゃないのか?」
と言われた。
しかし、そんなちっちゃい文句のために人の命を失っては取り返しがつかない。

私は自分の「この暑さは危険だ」という感覚を信じ、
誰かに文句を言われるのを覚悟して、
坂を登る方の往復はやめて、坂の手前で折り返して歩く距離を短縮させる決断をした。

そのおかげか、だれも倒れる人はいなかった。

お祭りの実行委員長さんに短縮した旨のお話しすると
「誰も倒れなくて、楽しく終わればそれでいいから、いいんじゃない。」
と言ってくれた。

そう。今年は、今までの暑さとはワケが違う。
そういう認識が必要だと私は思う。
根性論はまったく通用しない。
明らかに昭和時代の気候とは違うのだから。

私は帰ってきてから、頭痛に襲われた。
自分が軽く熱中症にかかっていたのだと思う。

本当の意味で「子どもを守る」のなら
「危険を感じたら、周囲の文句を恐れず中止する」
という勇気ある決断力が、これからの大人には必要なんじゃないかな。

LINEはじめました

2018年07月04日 | ★道をひらく
あれだけ頑なに嫌がっていたLINE。

7月に入って
LINEはじめました。

(冷やし中華はじめました、みたい(* ̄∇ ̄*))

私は人付き合いがかなり下手なので、気を付けないと必ずトラブルをおこす可能性が高いです。
もしかしたら、アスペルガー(自閉症スペクトラム障害)かなと感じています。

こういうたぐいのSNSは、アスペルガータイプの人には人との距離がうまくとれず、のめり込みやすい性質が仇になって、とても危険なので、ずっと警戒していました。

LINEをはじめようと決意したのは、繋がりたいと思う人がいたから、
と、
来年度の子ども会育成会の会長になる予定のYさんがLINE使いということで、来年度はメーリングリストじゃなくてLINEになりそうだからあわせてあげようかと。

それでLINEを使う上でのマイルールを決めました。

・友だちを自動登録、IDで検索のチェックを外し、手動で友だち登録する。

・よく連絡を取る人、信頼できる人を「友だち」に登録にする。なんとなくで繋がらない。

・返信が遅くなることをあらかじめ伝えておく。自分も相手からの返信を待つように心がける。

・返信がいらないときは、返信不要と意思表示する。(既読がつくから読んだのはわかるから)

・重要なことや長くなる内容はメールを使う。


LINEの使い方をネット上で熟読して、自分に合った、SNS疲れしない付き合い方を考えました。

Facebookも、どういうときに使うか、どういう風に使うと私にはちょうどいいのか、よく考えて、マイルールを決めてから使おうと思います。

SNSに振り回されたり、リア充に凹んだりするような付き合い方はしたくないので、ちょうどよい距離を置きながら、上手に主体的に使いたいです。

それには、どんな機能があるのかをよく知らないと使いこなせないなと考えています。

Facebookの本は買ってあるから、あとは実際に使ってみるだけかな。

この社会が犯罪者を作っている

2018年06月28日 | ★道をひらく
最近、まんが王国で、
「拝啓、アスペルガー先生」


というマンガが広告についているのを見て
著者の奥田健次さんに興味を持ちました。

そして、ずっと前に買った本

「発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ」

の著者:shizuさんのブログ
発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉:ABAで自閉っ子と楽しく生活

この記事で、奥田健次さんという人を知りました。
さらにググってみると、


絶対あきらめないで!「暴力・暴言・物壊し」は必ずゼロにできる
臨床心理士/行動分析学者の奥田健次
ダイヤモンド・オンライン 2014.12.22

「ただ、現実はまったなしの状況です。
このままでは、次の佐世保事件が次々と起きる世の中なんですよ、ということを親自身が強く認識する必要があるのです。」


4年も前に、奥田さんは警笛を鳴らしていました。

そう。

そしてまた、起きてしまいました。



6月9日に起こった東海道新幹線殺傷事件。3人の乗客が刃物で襲われ、男性1人が死亡。殺人未遂容疑として逮捕されたのは小島一朗容疑者(22)だった。
小島容疑者は犯行を認め、「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」と供述しているという。

東海道新幹線殺傷事件は「親への究極の復讐」である 精神科医の片田珠美氏の分析
デイリー新潮:2018年6月20日掲載



炎上しても言う「新幹線死傷、虐待殺人の容疑者らの生い立ちが知りたい」カンニング竹山
AERA dot. (アエラドット)2018.6.20

「親が両方いようが、片親だろうが、親がいなかろうが関係なくて、道徳心とか、人との付き合い方とか、人への優しさとかちゃんと教えられていたのか。
そういう肝心なことが検証されていないと思うんですよね。」

「こういう人間が起こす事件を何回繰り返せばいいんだろう。加害者が精神の病気や心身の障害を抱えていることもあるけど、その状況にある人みなが事件を起こすわけじゃない。そこに至るまでに何があったのか、家庭環境とか幼いころの周りの大人の関わり方とかをちゃんと報道するべきだし、それが視聴者への注意喚起にもなると思うんですよ。幼いころにそういう兆候が見えたときに身内を含め、周りの大人はどう対処していくのかとか、そこがちゃんと知りたいところですよね。」


カンニング竹山さんが言っているように私も生い立ちが気になっています。
絶対にそうさせる原因があるはずだと私は思っています。


そして、さらにまた…



富山市で26日、警察官ら2人が刃物や拳銃で殺害された事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された富山県立山町末三賀、アルバイト店員島津慧大(けいた)容疑者(21)。近所の住民からは「あいさつをしてくれるいい子だった」という声が聞かれたが、最近は夜中に度々どなり声を聞いた人もいた。
「いい子だった」元自衛官、最近は度々どなり声:
社会:読売新聞(YOMIURI ONLINE)
2018年06月27日 12時53分


奥田健次さんが言っていたように、次々と起きています。
本当に待ったなし。

教育研究家の方々は、生い立ちや生育環境をどうして徹底的に研究しないのだろうといつも疑問に思っている。
こういう容疑者たちの生い立ちが、犯罪者を生み出す仕組みになってしまっているのなら
それを改善する方法が見つかるはずだと私は考えている。

奥田健次さんの著書は参考になるのではないだろうか。



「世界に1つだけの子育ての教科書
――子育ての失敗を100%取り戻す方法」

奥田健次(2014/12/19)


「この子、嫌だな」と思ったこと

2018年06月27日 | ★道をひらく
サークルでしか会わない子だけど、
最近、このSさん親子がちょっとなって思うところがあります。
いつだったか

「ぼく、テストで百点取ったんだ!」

と自慢してきました。
その時、私はなんだか嫌な印象を持ちました。
バーベキューをやっているときに、です。

なんでここで今、テストの点数の話??

うちの息子たちは、人のお母さんに
わざわざテストの点数の話なんかしないけどな〜って思いました。

この子は、点数がいいことをいつも褒められているのかなと思いました。テストの点数を大切だと思っていること自体が嫌だなって私は感じました。そういう意識を植え付けてしまうと、友達のことも成績で差別するようになるんじゃないのかなって感じて。


さらに、その子はサークルで会っても
最近素っ気ない態度でなんだか嫌な雰囲気です。

彼の中で、ケンとコウは付き合うのに価値のない子と
排除されているのかもしれないなと感じました。

ケンとコウは今時珍しい、昭和のわんぱく坊主のような素直な子どもたちだから。
それにゲームも、ネットもやらない(やらせない)し。

そして、その子のママ。
最近、公立の中等教育学校の入学を考えているそうです。

そして、そのサークル代表の息子さんも
どうやら中等教育学校に入学させてようと考えていて
塾に通い、中学受験に備えているそうです。

それはそれで、その人の考えなのでいいのだけれど、
なんだか私の中で違和感を覚え始めました。

たぶん私が目指している子育ての目標と
彼女たちの目指しているものがだんだん違ってきているのが感じられてきたからかもしれません。

私の子育ての目標は

「どんなに時代が変わっても
 どうしたらいいかを自ら考えて行動できる、
 転んでも立ち上がれる力強い大人になって
 自分の持てる力を社会のために役立てて、
 信頼できる人たちと幸せに暮らして欲しい。」

というものです。
目標の中に、学校の成績とか、学歴とか、入っていません。
確かに成績はいいに超したことはないけれど、
そんなもの大人になったときは、大して重要ではありません。

その子が自信を持って、やる気にさえなれば
勉強なんてできるようになると私は思っているから。

彼女たちは感性を育てるサークル活動をしているけど
なんだかんだ言って、成績や学歴を気にしているようだなって思いました。

私も彼女たちの中等教育学校の話を聞いて正直、悲しく、うらやましくも思いました。なぜなら、ケンは発達性ディスレクシアだから、中等教育学校にはそもそも行けないから。

そう。

悲しいと感じるのは、私もどこか、昭和の遺物の
「学歴社会」の思考があるんだなと感じています。


Sさんの息子は5年生になって、クラス替えで仲の良かった友達と離れてしまい最近、泣いているんだそうです。確かに、かわいそうだとは思うけど、隣の教室にいるんだから、休み時間とか隣のクラスに入って仲の良い友達のところに行けばいいのにどうして行かないのだろう?って思いました。別に隣のクラスに入ってはいけないという校則はないだろうに。

暗黙の了解で「隣のクラスに入ってはいけない」
というルールがあるから入れないのだろうね、
とSさんは言っていました。

別にそんなの気にしなくてもよくない?
また、日本独特の同調圧力のせい?かな。
そんなもん、ぶち壊しちゃえば良いのに。
その勇気はないんだね。

ケンも、コウも、いじられて、嫌な思いをしたときにその相手に勇気を出して言い返すことをして、乗り越えた経験があります。

そのおかげか、人に嫌なことをされたり、言われても、しっかり言い返せるせいか、嫌な思いがたまらないので特に気にしていないみたい。ちゃんと言い返せるおかげで、大きないじめにも発展していないみたいです。パピーいしがみさんのテキストのおかげです。ありがたや。

私は、テストで百点取ることや中等教育学校に合格することよりもそういう人としての良い振る舞いや処世術、くじけない精神力を身につけて欲しいと思っています。
「なにくそ!」と思える力強さを持って、どうにかしてやってやるぜ!と考えて行動していって欲しい。

中等教育学校で同じような人が集まる温室のようなところで育ったら、嫌なことや人を乗り越える経験もしていないのに
多様性あふれるこの社会で、いや、世界で生きていけるのだろうか。

だから、私はケンもコウも地元の公立中学校に行かせようと思います。

「中学受験しないで良かった? 大人になってわかる公立中学に通うメリット」

色々な人たちと、色々な経験を積んで、嫌なことも自分の力で乗り越えて
どんな未来でも、自分で道を切り開いて行ける人になって欲しい。

そこが彼女たちと考え方が違うのかもしれません。
だから違和感があるのかな。

まぁ、人のことよりも自分の子どもたちの成長が一番大切だよね。

「友達」だと思うから、なんだか嫉妬しちゃうんだよね。

仕方がないね。
きっともう彼女たちとは
一緒にはいられなくなってしまったんだね。
本当に悲しくて、残念だけれど。


もうすぐ、お別れの時だね。

くそ~~~!私のこと軽く見やがって!
いつか、私のことを軽く見たことを
後悔されるだけの人になってやる!
ああ、あの時、もっと大切に付き合えば
よかったって思わせてやる!

なぁんて、負けず嫌いの私が顔をのぞかせました。

嫉妬もするよ、にんげんだもの。

子どもの居場所をつくる

2018年06月11日 | ★道をひらく
2018.02.10 現代ビジネス | 講談社
虐待・貧困・発達障害…全てを抱えた子が
「みんなの学校」で得たもの
「アルマーニ」とは真逆の公立学校で

木村 泰子:大空小学校初代校長


私が住む街で、6月4日(月)から
学習支援教室「寺子屋」が始まった。
社会福祉協議会が主催で、市からの委託事業で行っている。

貧困家庭の子どもの救済のための場のようだ。

その打合せで、塾の講師をしている男性に関して私は嫌な印象を持った。そもそもが、人の話を聞かない人だなと感じたのだけどね。塾の講師は、とにかく学力とか、勉強のどこができているとかできないとかそんな話ばかりだった。

貧困などで居場所のない子、勉強ができない子は確かに学力が低い子が多い。

私は、学力とか勉強ができないとかはそう問題ではないと思っている。本人にやればできるんだ!という自信さえつけば、絶対にできるようになると確信しているからだ。
パピーいしがみさんが教えてくれた「スモールステップの原理」を使って、できることを少しずつ増やし、自信をつけさせれば、本人があるところから、爆発的に自分で力をつけていくと思うからだ。

自信をなくさせているのは、周りのサポートがないから。
特に、親のサポートがないからだ。
一番、頼りにしている親が子どもに関われない状況では、子どもが勉強などをがんばりりたくても、がんばることができない。

木村先生の記事は、親が頼りにならなくとも、学校の先生やクラスメート、地域の人が寄り添ってくれて、安心した居場所持つことで育てられたレイが素晴らしい人に育ったことがそのことを物語っていると思った。

私はこう考えている。

犯罪者は社会(周りの人たち)が作っている。
この社会が「困ったときはお互い様」だったら、きっと犯罪者は少なくなる。

と。

なぜそう言えるか。
私が小学6年時、犯罪者になるか、ならないかのギリギリの精神状態だったからだ。

「私を苦しめる、あいつらを殺してやろうか。」

いつもそう思っていた。
周りの人間すべてが敵に思えた。

困っているのに、誰も助けてくれない。
寄り添ってくれない。
私を誰もわかってくれない。
私には居場所がない。

そんな世界に子どもを置いたら、どうなるか。


「私をどうせ大切にしてくれないのなら、
 こんな世界ぶっ壊してやる。」


ってなるよね?

レイの置かれた環境はその反対だった。

大空小学校の先生たち、クラスメート、地域の人が寄り添い、支えてくれた。心の支えになる自分が自分でいられる、受け止めてもらえる「居場所」がある。

だから、

親がいつも側にいなくても、勉強ができなくても、貧しくても、発達障害というレッテルを貼られても、一人の子が安心して学べる居場所がある、ただこれだけで、この子は安心して自分が育つという事実を作ったのです。ですから中学で体罰を受けても、「担任の先生が苦しくなるから行くのを止めよう」と考えられるのです。


レイは信じられる人がいるからこそ、強さと優しさを持つ青年に育つことができたんだと思う。

「あなたはこれまで生きてきた中で信じられる人がいましたか」
レイは「います。」と答える。
「それは誰ですか?」
という問いにレイは、
「大空の人たち」
と書いた。
「人たち」というのは、レイの周りにいつもいた「大空をつくっている大人たち」のこと。

すべての子どもたちが地域の学校に居場所を作り、
自分から自分らしく「未来の自分」を誇らしく感じられるような学びができること。
教育の原点は、ここを外して未来はない。


と木村先生は言っています。

私も自分の体験から、本当にそう思います。

私はだから、この地域に良い意味で復讐をしてやろうと考えています。
それは、私がされたことと、逆のことをするのです。

地域で、地域の子を育てられるように、親を、先生を、地域の人の考え方を一人でも多く変えていくこと。

子ども会育成会会長として、色々しているけど、正直挫折してしまうかもしれないなって思うこともある。
でも、私の想いを分かってくれる人が、同じ保護者や先生がいる。
少しずつ、少しずつ、大空小学校のような地域に変えて行けたらいいなって思う。

お母さん、叱ってください

2018年06月07日 | ★道をひらく
室井佑月「お母さん、叱ってください」
2018.5.11 07:00 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

 討論番組に出て、政権批判、権力者の批判などをすると、「文句あるなら対案を出せ!」などといわれる。あたしゃ、政治家じゃないし、そういうことをいわれる筋合いもないと思うが、じつはいわないだけで対案なんかとっくに出してる。
 小狡く、可愛げのない男に息子を育てていないのが、あたしの対案だったりする。


そうそう。
室井さん、私も同じ事を考えて、息子たちを育ててる。
息子たちを、今の卑怯な権力者のような振る舞いをしない
ステキな男性に育てることが、
この国を変えることだと私は考えた。

今、この国をダメにしているのは、散々甘やかして
ダメな男を育ててしまった
母親たちの責任が大きいと感じている。


彼らの母親は、なにを考え、こんな男を作ったの?


同じく、私もそう思う。
付き合ったダメ彼氏のことをそう思ったことがある。
だから、私は、子どもを産むときに男の子だったら、
女の子以上にしっかり育てないといけないと思い、
今、ちょっと頑張り過ぎちゃっています( ̄。 ̄;)

この国を仕切っている人々は、自分さえ良ければ、自分の立場だけ守れれば、自分だけ儲かれば、
自分さえ仲間内で良い顔できれば、バレなきゃどんなエゲツないことしても……
そんなやつらばっかりで。
 頭がそうだと裾野まで、そういう輩が多くなる。


ホント、そだねー。
男だけじゃなく、そういう女もいるよね。

みんなのお金、税金を預かっているのに
あの振る舞いはいかがなものかと私も思う。

小学生の息子たちに、説明するときも
政治家たち、財務省の官僚たち、
日大のアメフト部の管理者たちの
話しをするときは「悪い例」として話している。

「ああいうカッコ悪い大人になりたい?
 お母さんは、あなたたちに
 カッコいい大人になって欲しいな。」


ってね。

だから、私は息子たちを変に甘やかさずに

「ダメなものはダメ!」

で育てています。

昭和の膿を出し、新しい未知の世界へ

2018年05月28日 | ★道をひらく
最近、政界も、教育界も、官僚も、スポーツ界も、
すべて、昭和の膿が出まくっていますね。

政界は、森友学園、加計学園、モリカケそば問題。
教育界は、部活動の強制問題、先生のブラック労働問題。
官僚は、忖度とセクハラ問題。
スポーツ界は、相撲部屋の先輩からの暴力問題、女は土俵から下りて問題、
そして今回の悪質タックル問題。

これって、すべて、昭和時代だったら、
平気で横行していた所行ですよね。
昭和だったら例えこういう問題があっても権力者にすべてもみ消されていました。

でも、これらの問題について、私は小学1年生の頃から、
ずっと違うのではないかと疑問に思っていたことばかりです。
そして、当時の私はたった一人ですべての大人と闘っていました。
なぜなら私は昭和時代のこの考え方が大嫌いだったから。

男尊女卑。
長男は後を継ぐ。
長いものに巻かれる。
数の論理。

私はこのすべてに反抗しました。
私の考えは誰にも賛同してもらえず、孤独でした。

小学1年生の時、担任の先生が私を侮辱したのだと思います。
「先生は間違っている。先生が謝るまで私は木から下りない!」

中学1年の時、部活動はみんな入らなければならない、
入らないと内申書にひびくよ、と同級生に吹き込まれました。
でも、私は、吹奏楽部に入ってはやめ、バレー部に入ってはやめました。
だって、どちらもやりたいことではないから。

「どうして、やりたくもないことをみんながやるからって、
 やらなければいけないの?意味不明。」
と感じていました。
さらに、中学3年生の先輩が1年生で部活に来るのが遅かった子を部室に呼び出し、
関係のない他のバレー部員も全員呼び出して、見せしめのように
みんなの前で散々なじって、いじめていたのを覚えています。

私はその子に何もしてあげられませんでしたが、その時はこう思いました。
「こんなひどいことをする先輩は人として最低だ。こんな人たちと一緒に部活動なんかしたくない。
 この人たちから学ぶことは何もない。」
そう感じた私は、バレー部を最後に帰宅部になりました。

同級生たちは、こんな振る舞いをする私を異質なモノと見ていたでしょう。

でも、どうですか?

私が小学1年生だった頃から、38年後の今。

社会の価値観は、ものすごく変わりました。
私の考えていることが、正しくなってきました。
不思議です。

人を侮辱するのは、どんな理由があるにせよ、許されない。
セクハラは、犯罪行為なみに悪質である、いや、犯罪でしょう。
いじめは犯罪だ、人権侵害だ。
男女は平等の権利がある。LGBTも権利がある。
人に損害を与えない限り、責任を伴う自由は保障される。
人と違うことは悪いことではない。当たり前だ。
「みんなちがって、みんないい」

日本国憲法がうたっている通りに、社会が変わってきた証拠です。

来年、2019年は和暦の元号が変わります。
平成が終わります。


2020年。

昭和の価値観は、まったく通用しない世界がやってきます。

皆さん、準備はいいですか?

ネットから垂れ流される情報を、鵜呑みにすると痛い目にあいます。
情報リテラシー(情報を使いこなす力)が必要です。
この情報は、虚偽か、真実かを見抜く力。
得た情報を、自分の振る舞いや考え方に生かし、よりよく生きられるように自分で考えて、行動する大切さ。

モデルケースはまったくありません。
自分が幸せになるには、自分が自分の行動に責任を持たなければいけません。


昭和や平成の栄光は、まったく通用しません。
新しい時代はすべてのことが未知です。
どうすれば一番良いのかは人の数ほどある世界です。

エライ人が言ったから。
みんながやっているから。

それが本当に正しいとは限らない世界がやってきます。

自分自身の五感が感じることが、すべて真実です。
自分の感覚を磨いて下さい。

自分が幸せを感じるにはどう生きていけば良いか。
自分の周りの人も幸せを感じるには、自分がどう振る舞えば良いか。

それが幸せになる答えですね。

平成30年度 地区子連会長あいさつ

2018年04月15日 | ★道をひらく
久しぶりの更新です。
最近、忙しくて、なかなかブログが更新できません。

4月になって、いよいよ地区子連の会長になりました。
近頃、「子ども会」の存在意義が怪しくなってきているせいか、子ども会の入会者数が減ってきています。
スポーツ少年団や学習塾を優先する家庭が増えてきました。

しかし、子ども会の活動は確かに面倒かもしれないけれど、
完全になくなってしまったら、地域が殺伐としたものになってしまい、なんだかとても大切なものを失うような気がしていました。子ども会の活動って、人としてとても重要なものを含んでいるのではないかと感じていました。

そこで、どうしたら役員になってくれた皆様のモチベーションをあげることができるだろうか。
子ども会の意義ってなんだろう?
子ども会に入っていることのメリットはなんだろう?
とずっとネットでひたすら検索し、その言葉を探し続けました。

そして!!
その言葉を見つけました!




そう。

「社会力」です。

「社会力」とは、
現、つくば市教育長の門脇厚司さんが考えた造語です。

私はその見つけた「社会力」と言う言葉をつかって、4月の総会で下のような挨拶の原稿をつくり、ほぼ同じ内容を話しました。

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これより恥を忍んでごあいさつ申し上げたいと思います。3分ほどお耳を拝借したいと思います。

私は34年前の小学6年生の時にT小学校に転校してきました。私はその時にいじめを受け、居場所を奪われました。そういう経験から、もっと温かい社会に変えたいと大人になるにつれ強く思いました。

そんな私が、なんの巡り合わせか、この地区の育成会会長という役割を与えられました。私の力で変えられるチャンスを与えられたのかなと思っています。

今、「子ども会」の会員が減っています。それは組織の存在理由がよくわからないからだと思います。ほとんどの人が「わずらわしい」「めんどくさい」と思っていると思います。私も育成会に入る前はそう思っていました。

しかし、どんなにAIが進化して、パソコンやスマホやSNSが便利に使えるようになっても、人は人と関わらずには生きていけません。そして、人を不幸にも幸せにするのも人なんだと、この1年間の育成会副会長と単位子ども会の副会長の経験と、たくさんの役員さん方の関わりから、学ぶことができました。

「子ども会」は親子が地域の異年齢の人との「つながり」を持てる唯一の組織で「社会力」を育ててくれる場だと思います。「社会力」とは、つくば市教育長で教育社会学者の門脇厚司さんが提唱した言葉です。「人と人がつながり、社会をつくる力」のことです。
この「社会力」を育てるには、たくさんの異年齢の人との交流の機会を多く持つこと以外に方法はありません。

その「社会力」があれば私はこの先行き不透明な社会を、協力しあえる仲間とのつながりで幸せを感じて、たくましく生きていくことができると考えています。

皆さんは自分の子どもたちに、どんな未来を与えたいですか?
どんな地域や街がいいですか?
子どもたちにどんな大人になってほしいですか?

私は、まずこの地区を人とのつながりのある、助け合える、温かい地域に「子ども会」という組織を通じて変えていきたいと思っています。

お忙しい中、役員のお仕事を引き受けてくださった皆様、本当にありがとうございます。皆様は、役員を引き受けると決めてくださって、この総会に出席してくださったというだけで本当に素晴らしいと思います。

地区の子どもたちのため、地域のためにこうしてお力を貸してくださること本当に感謝しております。
子どもたちは、そんな親の背中をしっかり見ています。
子どもに将来なってほしい大人の姿をこの「子ども会」の活動を通して、共に親としてカッコいいところを見せていきましょう!!

「できるときに、できる人が、できることを」のボランティア精神で無理のないご協力を1年間、よろしくお願い致します。 

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どれだけ、役員の皆様の心に響き、動かすことができたかわかりませんが、何も言わないよりは気持ちが伝わるかな~と思い、話してみました。
役員の皆様は、私が考えていたよりも、とても真剣に聞いてくださいました。