管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

不幸な学校 不幸な子どもたち

2020-05-23 10:13:46 | 行政
休業中の学校の取り組みの参考にしようと、各地の学校のホームページをネットサーフィンしていた。
ある学校のホームページが目にとまった。6年生に、担任がメッセージを動画仕立てで投げかけるものだった。「あ、なかなかいいかも」と、その動画を閲覧してみると---
残念ながら期待外れ。しかも、これを見た子どもたちは、なんて不幸だと思った。
その動画の内容は、いきなり、「これから登校するみなさんには、大事な使命があります」でスタート。責任感を持ちなさい、下級生の手本になれ、自分で考える人になれ、リーダーになれ、一年生に何ができるかを考えることが宿題です---と、一方的に終始し、「ではみなさん、待ってま~す」の担任全員のコール。
この学校の子たちは、なんとかわいそうだと思った。
長い長い休校で、家の中で孤立し、生活も心も乱れ、たくさん出されているはずの課題も、完全には消化しきれなかった子も少なくないだろう。だから学校再開の知らせにも、素直に喜ぶよりも、「課題が全部できないで大丈夫だろうか」「ちゃんと学習についていけるだろうか」「みんなとうまくやれるだろうか」「朝、きちんと起きられるだろうか」と、不安を抱えている子も少なくないだろう。
そのときに、「手本になれ」「立派な最高学年になれ」である。
いま、子どもたちに向けて発信すべきことは、「長いあいだ、よく頑張ったね」「生活や学習が、うまくできた子も、うまくいかなかった子も、安心して学校にいらっしゃい」「先生も、友だちも、みんなであなたを支えてあげますからね」「ひとりひとりが大切にされる、素敵なクラスにしていこうね」といった、ねぎらい、受容、希望のメッセージではないのか。
この重い動画を見た子どもたちは、目を輝かせて再登校するのだろうか。

この動画の担任は、けっして間違ったことを言っているわけではない。私も六年生を担当して、子どもたちを前にして、似たような言葉を発したことが何回もあった。
課題を出す適切なタイミングというものがある。やらせたいこと、目標とさせることは、そのタイミングを間違えると、子どもたちに過度な負担をかけたり、期待通り動かないことが、よくある。
この動画も然り。たとえこれで子どもたちが、動いたとても、たまたまのラッキーか、表面上かのどちらかだ。
教師の思い先行の、こどもの事態を把握していない「教育以前」の初歩的、本質的ミスだと今も思った。

こどもの目線で見ることができないで、自分の思いや期待することを、一方的にこどもたちに強いる教師が、なんと多いことか。
これは「愛」に名を借りた強制以外、なにものでもない。
自己満足の動画。
これは管理職も、周りの教師も見ているはずだから、恐るべき哀しく不感症な学校だと言えるだろう。一人として、異を唱えなかったのか。
いまの学校の意思決定の硬直ぶりでは、果たせないことかもしれない。

再度言う。
いま子どもたちに向けて発するべきことは、どんな子にも、大きく腕を開いて、笑顔で受け入れるよ、という受容のメッセージだ。

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