管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

だれが舵取りを?

2020-07-26 09:05:45 | 行政
院内感染をはじめ、保育園、学校にも感染が広がりつつあることが報道されている。
3000人に迫る入院患者数。
国民を均等にかき混ぜる「Go To ~」は、今だけ儲け、あとは火事場になるしかないだろう。

いのちも大事、経済も大切。判断に迷ういま、だれが国民の舵取りをするのか。
1ヶ月以上も会見をしていない、否、できないでいる、本来の舵取り役は、なんとも情けない。
オロオロしている場合ではないだろう。能力がないのは、もう分かっているから、せめて記者会見でも開き、ざっくばらんに意見を聞くくらいの誠実さを見せてほしい。

なにか ちがう

2020-07-25 04:59:45 | 行政
コップに沈殿した毒物をかき混ぜたジュースを「大丈夫、お安くしてますし」と勧められているかのような「Go To トラベル」ならぬ「Go To トラブル」。
「検査数が増えているから陽性の数も増えているのは当然。緊急事態には当たらない」それほど感染の裾野が広がっている証しなのでは?
「一年後のオリンピックの開催に向けて、全力で」 虚しい政治スローガンの如く。虚勢にしか聞こえない首相の遠吠え。

日々増える、都内、地区別の感染者数を見る。我が家の市も勤務先の市も、毎日、つもり貯金の如く増え続けている。「死へのいざない」を、私は丁重に避けることができるのだろうか。

全生研に対する無知、または歪曲に抗議する

2020-07-23 19:26:16 | 生活指導、学校のきまり
私は現在、全生研(全国生活指導研究協議会)の会員ではないが、ネットで読んだ記事で、あまりにもひどい内容のものがあったので、会員の方は
厳重な抗議と訂正・謝罪を求めていただきたく、ここに紹介します。

ツーブロックの禁止が、都内の高校で広がっていることが新聞で報道されていたため、それに関してネットで情報を集めていたときのことです。
<スピン経済の歩き方:「新人は白シャツ」「ツーブロック禁止」 会社や学校で、“謎ルール”が存在している事情 >と題する記事が目に留まりました。
なかなか内容としては面白く、校則に関して歴史的に調べ、多角的に考察されていると思えた。しかし、後半の段になり、戦後、管理的な教育がはびこってきた背景として、次のような気になる記述が目に付いた。以下、引用。

「1963年、神宮第二球場に、都内の小学生たちが参加した「スポーツの日」というイベントがあった。それを視察した瀬尾弘吉文部大臣は思わず、「だらしないな……」とつぶやいた。行進がグダグダだったのだ。取材をした新聞記者も同じ感想を抱いたようで、こんな感じで子どもたちをディスっている。「校庭に集まるのも三々五々。なにをやらしてもダラダラ、バラバラ、戦後の子供に集団性と規律がないというのは定評のあるところだ」(読売新聞 1963年7月1日)当たり前だが、60年代の日本を支えたおじさんたちはほぼ例外なく、戦前教育を受けている。それはつまり、鬼畜米英が来たら槍(やり)をついて戦えというバリバリの軍隊教育を叩き込まれた世代である。そういうおじさんたちからすれば、ピシッと行進もできない子どもは、「ロクでもない大人予備軍」に見えてしまったのだ。
かくして、日本社会の中に「秩序を乱す問題児」が増えることを危惧したおじさんたちが立ち上がる。「集団主義教育」の普及を目的とした「全国生活指導研究協議会」が、東大教授の宮坂哲文氏を中心として結成されたのである。当初は200~300人程度だったこの会は瞬く間に会員を伸ばし、63年には2000人にのぼった。
そしてほどなくして、「気をつけ」「前ならえ」が学校教育で復活する。戦後生まれの子どもたちにとっては「謎ルール」以外の何者でもないが、おじさんたちは「これで子どもたちの未来も安泰だ」と大満足だった。これが世代を繰り返すうちに「ルールに従う教育」として定着、現在に至るというわけだ。
つまり、日本の教育というのは、おじさんたちが「自分が従っていた理不尽な謎ルールを下の世代にも強要する」ことを繰り返して成り立っているのだ。」(https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2007/21/news042_5.html)

 これでは、全生研は、現在の「管理教育」の先兵として発足し、校則強化の推進役を担ってきたと思われることだろうと思います。
 私の記憶では、まったく逆ではないのか。管理教育に対する批判勢力として研究会が設立されたはずである。若かった私は、そのような趣旨で会員になったのだから。
 曲解の是正を求める。また是正を求めるアクションを。

物言わぬ教師にならないこと

2020-07-19 07:47:36 | 行政
2020年07月19日 06時02分14秒 | 教育を考える
よりよい社会を創りあげていく大人を育てていくことが教師の仕事だと思って、40年も仕事を続けてきた。
言われたことにただ従い、「良い子」になるのではなく、「なぜそれをするのが必要なのか」「それが本当に正しいものなのか」を考え考え、ときには立ち止まり、反抗することも大事なことだとも話してきた。
そしてそれが「口先」でない、「私自身」の課題でもあると考え、組合活動も含め、十分とは言えないまでも、社会に向けて声を挙げる努力をしてきたつもりである。

先週の職員研修で、主幹が服務について講師を務め、職員会議について説明をした。職員会議は、意見を述べる場所ではない、挙手は行わない、これは「ずっと前から決められたもので、守っていくのは私たちに課せられている」と。
話す彼の顔を見ながら、それを黙々と聞いている職員を見ながら、「ああ、学校という組織は、もうこんなところまで堕落してしまっているのだ」と悲しくなる。すでに個人的に職場新聞を発行し、職員会議は、ここ20年で大きく変質させられていることを知らせていたので、これを読んでくれた先生からは、私に向けて、「あ、またひどい研修をしてますね」「また服務、うんざりです」といった「アイコンタクト」を送られてきます。
「服務しか話さない管理職」になり、一年と少し。「服務を守ることはみなさんを守ることです」と毎回真顔で話すが、本当に彼は守ってくれるのか。毎月の服務チェック表の提出の指示は、もちろん服務違反を未然に防ぐためだろうが、もし職員から違反者が出た場合に、「私はこれだけ指導してきた」と弁解し責任逃れをするためのものにちがいないと勘ぐってしまう。先月のチェック表で、「職員室のパソコンを退勤時に電源を切る」で△=ときどき忘れる、と書いたが、提出しても何もコメントも声かけもない。出せば終わり、「指導してますよ」のパフォーマンスにしか過ぎないのだろう。
私のクラスは、校内一の過密学級である。毎日マスクをしたまま授業をすると昼までに体力がガクンと落ちる。毎日「強い倦怠感」と健康チェックの返信を繰り返している。帰宅したら、とにかく食べて寝る、その毎日だ。子どもたちは1mのスタンスも確保できない。日々の実践で都や市から出されている「ガイドライン」は完全に私の学年は破綻している状況である。ここ何日かは300人に迫る都の感染者の発生から、いつ私の学年から感染者が出てもなんら不思議ではない。そうなれば、私はおそらくいちばんバカをみるだろう。高齢、喫煙、肺炎の既往症など、志村けんとあまりにも似た人体構造であるから。しかし、こんな学年、学級、個人的危惧について、校長から、何も言葉をもらったことがない。驚くべき鉄製管理職。
「ま、密にはなりますが、予算からして、しかたないのです。」「くれぐれも気をつけて」と全体には話すが。
ここではじめの記述に戻る。管理職が本当に私たちを守る気持ち、気概があるのならば、密を作り出す国や都や市の教育行政に対して、なんらかのアクションを起こして当然ではないのか。
彼はなぜ怒らないのか。あなたは主権者として、考えを周囲に、「お上」に、なぜもの申さないのか。あなたはこれまで、子どもたちに、「ま、理不尽なことには、我慢が大事」と話続けてきたのか。そんな青臭い(私はフツーだと思うが)ことを考え、嘆いてしまう。
そんなことを考えたら、管理職にはなれないのだろうし、また「考えることすらできない」者もいるに違いない。
自分の頭で教材を分析することなく、指導書に頼り、板書の参考書を真似、ネットで指導案を盗み見し、テレビ画面に画像を出して授業をすれば、なんとなく「体裁が整う授業ができた」と考える風潮。私の周りでは、教材の分析に着目した授業が皆無に近い。「なにを身につけさせる授業か」「そのためにこの教材はふさわしいか」自分で、まず教材を自分で学習してみる。いま、誰もやっていないことだろう。
だらだら書いてしまった。
それほどたまっていたものがあるのだろう。