38人もの児童を、狭い教室に閉じ込めて生活するのも、はや三週間が経過した。まさにぎゅう詰め、どんなに机と机を離しても、80cm空けられるかどうか。指導で後ろの子のところに行くには、いったん廊下に出るほうが効率的である。
都から、市から、「できるだけ2m、もしくは1m」の基準さえ守られない現実。
みなマスク着用。もちろんワタシもだ。
志村けんの顔がよぎる。彼同様、高齢、喫煙(幸い酒は全く飲まないが)、さらに肺炎をかつて患っている私だ。同僚には笑いながら、「かかったら、死んじゃいますから、あとよろしくね」と言っているが、それは本音である。
マスクは、体力の消耗が激しい。毎回、職場の健康チェックに「強い倦怠感」とチェックしているが、毎回無視。(正確には、ここ2、3日は、副校長から「大丈夫?」「どうか休んでね」「無理しないでね」と優しい言葉だけいただくようになった。これは私の学年の主任が粘り強く訴えてくれたおかげだ)
まさに、私たちは、貧困な教育行政が、コロナにどれだけ耐えられるかの人体実験を受けているのだ。
これまでは学力だの、生活指導の視点で語られてきた、日本の教育行政の貧困は、「いのち」の観点からも、憤りを覚える。