管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

ブラック化している学校現場

2018-01-28 11:24:43 | 学校・組織
 2016年に書いた記事だが、全然変わっていないですね。

 「まだ始業式2日前だというのに、退勤は7時である。
新学期に向けての準備、来年度の教育課程の作成、学級や学年の打ち合わせ・・・きりがないくらいの過密な内容で1日が、あっという間に過ぎてしまった。

私たちには、無制限の残業が約束されている。
どんなに学年会や部会、明日の準備で退勤時間を過ぎようと、家でテストの採点をしようと、なんら調整する権利をもたない。もちろん残業手当もつきはしない。(4%の教職調整額というものがあるが、それがかえって無制限な残業の温床となっている)

「限定4項目」というものがある。
それは、
1 教育職員については、正規の勤務時間の割振りを適正に行い、原則として時間外勤務を命じないものとすること。
2 教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときに限るものとすること。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務

つまり、学年会、部会、学級事務などは、「教員の自発的行為」であるから、時間の調整や手当ての対象にはならないということである。
しかし、現実には勤務時間内では、子どもの下校後はほとんどが会議である。
それが終わって、さあ自分のこと、学年のことを・・・と思ったときは、3時45分の休憩時間開始の時刻である。
余裕のない教員は、その休憩時間に仕事をがんばって、なんとか済ませてしまう。(100%終わらないとは思うが)
しかし、それは本来は「心身を休める」ための時間帯である。

退勤時刻の4時45分に、帰ったことは、ほぼ皆無。
みな私生活の時間を削って「働いている」のだ。

だから、真面目さでは引けを取らない教師は、知的にはどうしても後退していく。自らを高める時間がとれないのだから。疲れ切ってしまうのだから。

組合は、この「調整額」「4原則」の見直しについて、重点的に闘う必要があると思う。」

高校生の政治活動 よほど信じていないのだな

2018-01-28 11:23:01 | 生活指導、学校のきまり
よほど子どもに対しても、国民に対しても、信用していないのだなという論議が繰り返されている。
 「自由にさせると、なにをしでかすかわからない」
 そんなところだろう。
 なぜ、自分の意思で、信条で政治的な表明をすることに、「許可」「認可」が必要なのか。

 学校は、基本的に「なんでもあり」であり、それを教師が、論理的に交通整理をしてあげること。
 そんな、どーんと構えた現場にならないかぎり、子どもたちの自主性、自治など、生まれるはずがない。

「高校生のデモ参加などの政治活動をめぐり、文部科学省は29日、休日や放課後に校外での政治活動に参加する場合、事前に学校に届け出させることを認める見解を示した。今後、届け出制を導入する学校が出てくる可能性がある。
高校生の政治活動は1969年の旧文部省通知で規制していた。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられるのを受け、文科省は昨年10月、校外での政治活動を原則容認する通知を出し、方針を転換した。この通知の解釈について、自治体などからの問い合わせに答えるため、Q&Aを作成。29日には都道府県教育委員会の生徒指導担当者らを対象にした会議を文科省で開き、Q&Aを配布した。
それによると、休日や放課後の校外での政治活動を届け出制にできるかとの問いに対し、各校で適切に判断するものとし、禁止はしない方針を示した。担当者は取材に「生徒の安全に配慮したり、政治活動に没頭して学業に支障が出ないようにしたりするなど、生徒指導上把握が必要なケースがあるため」と説明した。
また、Q&Aでは、放課後や休日も含めて校内での政治活動を全面的に禁止する校則をつくることは「不当ではない」とした。学校は教育活動のための施設であり、政治や私的活動を目的とした場所ではないというのが理由だという。
この日の会議に出席したある県教委の指導主事は「届け出制は生徒の信条に立ち入ることになり、難しいと思う」。別の県教委の担当者も「校則で縛ると、生徒が萎縮してしまう。主体的に考える力を育む妨げになり、本末転倒ではないか」と語った。一方、西日本の県の私学担当者は「届け出制なら、許可制ではないので問題ないのでは。学校は勉強の場なので、校則による禁止も踏み込み過ぎとは思わない」と話した。」(2016年 朝日新聞デジタル)

道徳の教科化で「はしゃぐ」教育界

2018-01-28 11:21:02 | 勉強、授業
「道徳の教科化に向けていろいろな研究団体がそれぞれの方法で研究やメッセージを発信し始めているけど、表現は適切かどうかはわかりませんが、あまりはしゃぎすぎるのはどうかと思います。
特に、道徳の教科の指導をどうするかというアプローチは、本質を見失うのではないかと心配しています。いったい国家は何を狙っているのかという意味での本質を。
 道徳の教科化と同時に打ち出されているのか、他教科においても道徳的価値を「教える」ということ。
 たとえば、理科の植物の授業で生命の大切さを強調させるとか、文学的教材の読み方を特設道徳的に読ませるとか……。
 こうなってくると、もはや道徳の授業をどうするかの問題だけではなくなってくるということです。授業そのもの、いや、学びとはいったいどういうことなのかまでさかのぼって研究していかないと、逆に国家の路線にのっかり、国家優先な学校づくりに加担することになります。」

と、全生研の塩崎さんが書いていましたが、「感情・価値観を押しつける」ことに向けた道徳の教科化は、すこぶる危険なものだと私は考えています。
あくまで、科学・事実の学習のもとで、価値観を自分で作り上げていくことが教育なでしょう。
この動きは、どう考えてみても「教化」です。

この問題は、18歳選挙権のことともかかわり、「教育の中立性とはなにか」とも絡み合います。

笑顔の絶えない職場になっていますか

2018-01-28 11:19:06 | 先生たち
今に始まったことではないですが、最近、近隣の学校で、似たようなことを耳にする。

それは、「教育委員会から言われたのですが・・・」「教育委員会に問い合わせると・・・」として、それが真っ赤な嘘、またはその事実がない、そんなことが平然と起きているとのこと。
校長自体の保身のため、独断の職員管理をするため、自分の落ち度を糊塗するため。
きっとそんな動機からだろう。

裏をとることはたいがいできるはずもないから、誰も疑わしく思わない。
たしかめようとすると、「勝手に電話するんじゃない。校長を通して行え」と言われ、実際は不可能になる。


最近、異動に関することで、校長の言動について組合を通して教育委員会に問い合わせてみると、校長の言動とまったく食い違っていることが判明した例があった。
実は校長が勝手に、当事者に圧力をかけていることを、校長が認めた。詳しく書けないのが悔しいが・・・

みなさんの学校、校長の取り巻きだけで、なあなあと運営されていませんか。
平気で休憩時間も会議や作業を入れていませんか。それを何も問題にされない職場ではないですか。
相手によって、物言いの極端に異なる管理職ではないですか。
だれも発言しようとしない、できない職場ではないですか。

2分の1成人式の賛否を考えながら

2018-01-28 11:16:54 | 行事
最近は、どこの学校でも行われている2分の1成人式。
「家族への感謝や愛情を、学校で押しつけている場面が多い」
「過去に触れてほしくない、または家族の愛情など話題にされたくない子がいたなら、その子にとっては2分の1成人式は、なんとも残酷なものとなるのではないか」
この指摘は、確かに言えることだと思う。
そこで「やると決まった」、この式を家族への愛情、感謝について、できるだけ薄めた内容のものとして取り組むことにした。(これも根本的な解決法とはとうてい言えないものであるが)

自分史はまとめるとしても、自分の成長、時代との関わりを中心にして、家族に関わるものは最小限に。

あとは定番とも言える式次第(よびかけ、合唱、合奏、運動会の再現、20秒スピーチなど)で行ったのだが、そして大半の親が目に涙を浮かべていたのだが、はたしてこれでよかったのか、については、うまく整理できないままで終始したような感を免れない。

これはいつか改めて、しっかりと総括したい。