いよいよ学校が、6月から再開されそうになってきた。3月から5月、3か月ぶりの学校生活が始まる。
在宅の子どもたちと話をすると、かぎって「はやくみんなと遊びたい」「おしゃべりをしたい」「体育で鬼ごっこを思いきりしたい」「勉強を一人じゃなくてみんなとしたい」「給食が食べたい」など、一人で家にいるときの反動のような答えが返ってくる。
私たちも、そんな子どもたちの要求にそえるよう、ていねいで緻密な準備をしていきたい。
しかし、そんな子どもたちの思いとは裏腹に、大人たちは、「授業の時数を確保させたい」「水泳、運動会などの行事はいらない」「土曜も授業をさせよう」「通知表くらいは出せるように、できるだけ授業をやりきろう」「夏休みも、8月の三週間でいいだろう」と、ひたすら学習させ、水準をもとの状態に、いかに近づけるか。躍起になっている。
学習の遅れをなんとかしたい気持ちもわかるが、これらの提案は、いずれも子どもの目線には立ってはいない。
そう考えると、新学期は9月からにしてもいいじゃないかと思えてくる。
このまま再開させれば、どこかで、つまずいたり、泣いたり、落ち込んだり、パニックを起こしたり、病を抱え込んだり、登校を拒否したりする子が、新型コロナの感染者以上に、わき出てくるにちがいない。
在宅の子どもたちと話をすると、かぎって「はやくみんなと遊びたい」「おしゃべりをしたい」「体育で鬼ごっこを思いきりしたい」「勉強を一人じゃなくてみんなとしたい」「給食が食べたい」など、一人で家にいるときの反動のような答えが返ってくる。
私たちも、そんな子どもたちの要求にそえるよう、ていねいで緻密な準備をしていきたい。
しかし、そんな子どもたちの思いとは裏腹に、大人たちは、「授業の時数を確保させたい」「水泳、運動会などの行事はいらない」「土曜も授業をさせよう」「通知表くらいは出せるように、できるだけ授業をやりきろう」「夏休みも、8月の三週間でいいだろう」と、ひたすら学習させ、水準をもとの状態に、いかに近づけるか。躍起になっている。
学習の遅れをなんとかしたい気持ちもわかるが、これらの提案は、いずれも子どもの目線には立ってはいない。
そう考えると、新学期は9月からにしてもいいじゃないかと思えてくる。
このまま再開させれば、どこかで、つまずいたり、泣いたり、落ち込んだり、パニックを起こしたり、病を抱え込んだり、登校を拒否したりする子が、新型コロナの感染者以上に、わき出てくるにちがいない。