管理職も行政も教えてくれない 学校の「今のあたりまえ」 若い教師に伝えたいこと

今当たり前と思っていることも、よくよく考えてみれば、問題だらけ。若い人には、ぜひ読んで、考えてもらいたいものばかり。

かえって毒となる道徳の授業 序章

2020-04-17 23:01:25 | 勉強、授業
「身の程に振る舞う」若者を再生産させる道徳授業
 0 長い「はじめに」
 「特別」の教科となって、初めて道徳の授業を見た。教科化されるとの情報を知らされ、世間でも、また職場でも批判の大きかったこの変化の後、さて授業そのものはどのように変わったのだろうか、また授業者はどのような苦労をしているのかと思い巡らせ、興味深く会場校へと向かった。
 研究授業は、小学校5年。「きまりの意味――規則の尊重」がテーマとされている。担任は20代後半の男性教員。教員となって5,6年といったところか。ようやく学校の勤務や児童・保護者との関わりなどで、自分なりの位置がはっきりとしてくるころである。
 この地区では、教科書に、光村図書「きみがいちばんひかるとき」が採択され使用されている。その5年生版の中の、「お客様」が今回の教材だ。

 心おどる音楽が流れ、わたしたちの家族は、ショーが始まるときを待っている。
 わたしは、両親にたのみこんでやっとの思いでこの遊園地へ連れてきてもらった。わたしが大好きなキャラクターが出演するショーがもうすぐ始まる。わたしは夢中で両親にキャラクターの話をし、ビデオカメラを用意して待った。
 しばらくすると、ステージの前は混み始めた。どんどん人がやってきて、人と人の頭の間からのぞきこむか、背伸のびをするかでないとステージを見ることができなくなってきた。わたしたちの後ろにも、たくさんの人たちがショーの始まりを待っている。花壇のフェンスや木に登って待つ人も出てきた。係の人がやってきて、
 「危ないですから、花壇のフェンスや木に登らないでください。」
と、注意している。それから、
 「ショーの間は、お子さんを肩車したり、ビデオやカメラを頭より上に持ち上げたりしないようにしてください。」
と何回も大きな声で呼びかけている。
 周りの人たちは、
 「そんなこと言ったって、これじゃあ、よく見えないし、写真もとれないぞ。」
と、不満げだ。
 わたしも注意ばかりする係の人をこころよく思っていなかった。
 いよいよ、ショーの始まりだ。ところが、しばらくするとわたしたちの前に立っていた男の人が子どもを肩車し始めた。その子どものお母かあさんらしき人が、
 「やめなさいよ。さっき、注意があったでしょう。」
と、ばつが悪そうに言った。おかげでわたしはショーがまったく見えなくなってしまった。そこに、係の人がかけよってきた。
「お客様、肩車はおやめください。」
そのお父とうさんらしき男の人は、「えっ、でも……、うちの子がよく見えないんですよ。」
と、答えた。
 「危ないですし、後ろのお客様のご迷惑にもなりますので……。」
そう言われても、男の人は肩車から子どもを降ろそうとする気配はなかった。さらに、注意が続く。
 「お客様。肩車はご遠慮いただいております。すぐに降ろしてください。」
係の人の言葉で、ようやく肩車から子どもを降ろした。
しかし、男の人はむっとした顔で係の人に言った。
 「納得できないものを、勝手にいろいろおしつけるのはおかしいんじゃないですか。わたしたちはお金をはらって入場しているんです。お客様なんですよ。」
わたしが、その人の顔をびっくりして見たとき、
 「そうだ、そうだ。」
と、男の人に同調する声が出始めた。ショーは楽しい音楽に合わせて続いている。それなのに、わたしたちの周りは、いやな空気がただよっている。係の人は、少し赤い顔になって、
 「申しわけございません。ご協力ありがとうございました。」
と頭を下げた。
 (何か、変だ。)
と、わたしが思ったときだった。注意を聞かずに、こっそりステージの反対側にある木に登ってショーを見ていた人が、木から落ちたらしい。木の下には人だかりができて、さわぎになっていた。係の人は、急いでその木の方に走っていった。
 そのさわぎがおさまったころに、ショーも終わった。多くの人は「楽しかったね。」と笑顔で帰りじたくをしている。でもわたしは気持ちが晴れないまま、その会場を後にした。
 わたしはショーが始まる前の係の人の注意や、自分たちの周りで起こったことをもう一度考えていた。


この文章は、文科省で作成した「小学校道徳 読み物資料集」からの引用である。光村の方は、母親がたしなめる場面や、木に登っている客が落下するといった場面は、削除されているが、本筋は基本的に同じである。
 光村図書のホームページによると、この教材のねらいは「遊園地でショーを見るとき,きまりを守らず自分の都合を優先し,係の人に文句を言っている人を見たことで,気持ちが晴れない「わたし」の姿を通して,きまりは何のためにあるのか考えさせ,みんなで互いの権利を尊重し合い,必要なきまりを進んで守ろうとする実践意欲と態度を育てる。」とされる。

1.授業の概略
 授業の展開をすべて網羅することが本筋ではないので、特徴的なものだけを列挙する。
 ①「きまりと聞いて、どんなものを思い出しますか。」の発問から授業が始まる。それに対して「廊下を走らない。」「お年寄りに席をゆずる。」「盗撮しない。」などの意見が出される。
 ②係の人と、子どもを肩車した客とでは、どちらの意見に近いですか。」として、自分の名前の書かれたマグネットプレートを、黒板に書かれた数直線の下に貼らせる。(線分の右端には<係の人>、左端には<お客>と書かれている。)その結果は、左に誰も貼るものはなく、真ん中が数人、圧倒的に右に貼られていた。
 ③真ん中に貼った子に理由を聞く。「お客さんが見えなくなって、肩車をするのは分からないでもないから。」「ちょっとかわいそう。」という意見が出された。一方、右に貼った子の理由としては、「きまりを守れないのだから、注意して当然。」「お客は自分勝手だと思う。」「きまりがあるのを知っているのに、それを破るのは間違っている。」「肩車は、みんなのめいわくになるのだから。」と、活発に意見が出される。
 ④指導案には、「きまりは、理由があったら守らなくていいか」という補助発問をする予定が書かれていたかが、これは使われることはなかった。(指導案の「指導上の留意点」には、「きまりは、どんな理由があっても、守らなければいけないことを気づかせるだけでなく、きまりを守ることで、安全だけでなく、家族の団欒、一人一人の幸せを守るなどのあたたかな側面があることにも気づかせるようにする。」とある。)すでに「きまりを守ることは当然のこと」という授業の方向性が確実になってしまっていたためだろう。
 ⑤真ん中に貼った子の意見を、再び採り上げることはなく、したがって、何も「論争」が起きることもなく、授業は終了する。子どもたちの書いた「ふりかえりノート」の感想も、そのほとんどが「きまりは大切」「守れないのは自分のことだけを考えているから」「しっかりきまりを守れる人になりたい。」と、ステレオタイプのものばかりになっていた。
 ⑥最後の担任の「説話」は、家族の危篤の知らせを聞いて、スピードを出して車を運転し、人を轢き殺してしまった事件について話し、さらに「どんなときでもきまりを守らないといけない」ことを補強した。
 ⑦授業後の協議会では、導入の仕方の是非、マグネットによる個々の意見の視覚化についての是非、板書の是非など、「技術的な面」のみの話し合いとなり、教材そのものの分析については皆無であった。
 ⑧講師として出席された大学教授も、教材の検討については特に言及することはなく、「ねらいとする道徳的価値について、学習指導要領に基づき、明確な考えをもつことが大切」と、ノウハウ的な側面での講評しか述べることはなかった。教材についての授業者の立場の不公平性について述べたのは私だけであったが、「予想では、もっと子どもの意見がばらつくと思っていたのですが」と、結果的には、子どもたちのほとんどが「係の人」に寄ったことに満足しているかのような発言をした。
 以上が、この研究授業のあらましである。以下、私の考えを述べる。

2.授業者の授業は、「きまり絶対」の立場から始まっている
 授業者には「きまりは、みんなの安全や幸福を守るためにあり、絶対守るべきものである」という、堅い信念があるようだ。いや、授業者は、あれこれと「お客様」の指導案を集めて見ているうちに、そのほとんどが「きまり絶対」の内容であることを知り、その時点で思考停止に陥ったと思える。(後述するが、この教材文を普通に読んでも、あきらかにおかしな点が多々あるからして、気づかないはずはないと思えるからである)
 私も、インターネットで「お客様」の指導案を検索して閲覧してみた。すると、やはり意図的な「ねらい達成」のための伏線や発問ばかり目立つものばかりであった。
 例えば、こんな具合である。

 ※野球場で通路に座って観戦している人の写真、きちんと座って見ている写真を提示し、前者には、「きまりがあるのに、どうして守れないのかしら」との質問に、イラストの子どもたちが、口々に「○自分のことしか考えていないから。 ○欲だけで行動しているから。」と答えているものまで提示する計画がされている。(www.ypec.ed.jp/syoukai/doutoku/rei/s5/s5-2.pdf)
 ※気づかせることについて、「男の人が係の人に客としての権利を主張した場面で,男の人の言動を変だと思った「わたし」が実は男の人と同じ自分中心の考えをしていたことに気付かせる。」とている。(www.kumagera.ne.jp/center/plan/plan.../s.../dotoku_1.pdf)
 ※「私は、何が変だとおもったのでしょうか」では、予想される(「期待される」というべきか)意見として、「・係の人が正しいことを言っているのに、悪い方向・間違った方向に進んでいること。 ・係の人は何も悪くないのに、頭を下げて謝ったこと。 ・注意を無視して周りの人に迷惑をかけているのに、「お客様なんですよ。」と言っていること。」が挙げられていて、すでにお客は「自分勝手の悪い者」といった扱いである。
 (www.fuku-c.ed.jp/schoolhp/zelprinc/.../h26/h26doutoku.pdf)

 「道徳的価値について教える立場の教師であるからには、当たり前の事ではないか。」と思われる方もいるにちがいないと思うので、私のこだわる理由を述べる。
 まず、第一に、この教材文について「教材としての価値を疑う」からである。授業を見る前に渡された指導案の最後のページに載っていた「お客様」の文章を一読して、すぐに「なんと誘導的で、品のない作品なのだ。」と思った。会場の「きまり」に抗議している客の描き方が、すでに「悪者」として扱われている。(教材文の下線の部分は、客=悪者の印象を強める効果が明白な表現である。)この文章を読んだ子どもたちが、「いや、客のほうが正しい」と言えるのか。「お金をはらって入場している」と客に言わせることによって、「金さえ払えば何を言っても、何をしてもいいと思い込む、薄汚い輩」という印象を与えさせるように、読んだ子どもを意図的に、ある方向の考え、思いに誘導する品性の欠いた教材だ。

 第二に、ここで出されている「きまり」について、誤った扱いをしているからである。
ここで出されている「きまり」とは、主催者側による一方的な「お願い」ではないのか。
きまりがきまりとして誰もが納得して機能するためには、その意図することが現実と合致していると、構成される人たちに認証されていることが必要条件である。
 では、この教材の描く「世界」ではどうか。「ステージの前は混み始めた。どんどん人がやってきて、人と人の頭の間からのぞきこむか、背伸のびをするかでないとステージを見ることができなくなってきた。わたしたちの後ろにも、たくさんの人たちがショーの始まりを待っている。花壇のフェンスや木に登って待つ人も出てきた。」という状況なのである。
つまり、この「花壇のフェンスや木に登らない」「ショーの間は、お子さんを肩車したり、ビデオやカメラを頭より上に持ち上げたりしない」というきまりは、会場の設営の段階の時点で、すでに破綻している(どだい無理な)ものなのである。
 代金をみな平等に払っているからこそ、できるだけ同じような「快適さ」で鑑賞させるのは、主催者の義務ではないのか。それを見通すことができなかった主催者に主たる責任があるのではないのか。
 現実に合わない「きまり」を杓子定規に「守らせる」ことの欺瞞性こそ、この教材文の根本的な問題なのではないのか。
 きまりを守らなければ、「みんなの迷惑となる」とあるが、客はその「みんな」に入らないのか。きまりを守ろうと、我が子を林立する人の間に座らせ、見えないショーの音だけを聞かせることは、美徳なのか。
 このような考えは、授業のはじめから、授業後の「大人の話し合い」まで、話し合われることはなかった。

 (註)同じ根を持つ「私たちの道徳」の「やくそくやきまりをまもって」に対する批判は、そのままこの教材にも当てはまるだろう。
「第1の問題は、それが絶対的で疑問をはさむ余地のないものと考えられていることです。人間が共同体を営むとき、何らかのきまりを決め、成員がそれを守らなければならないのは当然のことです。しかし「きまり」は相対的なもので、おかしな「きまり」は変えていかねばならないはずですが、「私たちの道徳」にはそうした観点がありません。
 第2の問題は、子どもたち(国民)が「きまり」を与えられ、それを守るだけの存在としていることです。国民が主権者として「きまり」を作り、国に守らせる存在であることが説明されていません。主権在民を定めた日本国憲法に違反しているといわざるをえません。」(「こんな道徳教育では国際社会から孤立するだけ」半沢英一著 合同出版)

3.学習指導要領に戻って
 学習指導要領の道徳編では、きまりについて次のように記されている。

「(10)約束やきまりを守り,みんなが使う物を大切にすること。」(1,2年)
「(11) 約束や社会のきまりの意義を理解し,それらを守ること。」(3,4年)
「(12) 法やきまりの意義を理解した上で進んでそれらを守り,自他の権利を大切にし,義務を果たすこと。」(5,6年)
「(10) 法やきまりの意義を理解し,それらを進んで守るとともに,そのよりよい在り方について考え,自他の権利を大切にし,義務を果たして,規律ある安定した社会の実現に努めること。」(中学)

 これらの表現からも分かるように、「きまり」は、すでに絶対的なものとして存在し、それを遵守することこそ望ましいと考えられていることは明白である。
 このような発想では、「きまり」がどんな理不尽なものであろうと、また現実に合わないものであろうと、それを破る者は「自分勝手」「権利ばかり主張する者」として批判されることは目に見えている。
 今回の授業も、まさにこうした「きまり=絶対」の発想からのものであり、それを変えていくという発想は生まれることはない。そして、この発想こそ、今、子どもたちの身につけさせたい「主権者教育」「シチズンシップ」に他ならないだろう。
 このような「受け身」の授業を受け続けていくと、どんな大人になっていくのであろうか。これからの日本の国を「よりよく」作りかえていけるのだろうかと、憂鬱になってくる。

 

「職員会議」と呼ばれる資格はない

2020-04-14 23:30:59 | 学校・組織
※前号のちょっと補足です。「ブラック」と言われるほどの超定額働かせ放題の現在に仕立て上げたのは、もっぱら政権の怠慢が主な理由ですが、同時に、当時の日教組の戦術の誤り(いつか説明するかもしれません)も大きな原因です。
 そして、辛い、痛い言葉ですが、岡崎勝が「こうした(註 ブラックと言われる)『働き方』に鈍感だった普通の教職員の『労働条件への意識の低さ』が招いた結果でもある」と言ったことも後押ししているのかもしれません。(「現代思想」2020年4月号「迷走する教育」の中の岡崎論文より)
もう「職員会議」とは呼べない伝達会
 「ただでさえ忙しい学校で、くどくどと職員会議をしていることは、時間の無駄ですよ。学期1回だって、多いくらいです。短時間でさっさと終わらせて、その分、仕事に回すのは、けっこう働き方改革になっていると思いますよ。」
 最近話した若い先生の言葉。

 「これから職員会議を始めます。あらかじめお伝えしておきますが、提案のあと、話し合いの時間はとりません。質問だけ、質問だけですよ。ここは話し合いの場ではありませんから、意見は出さないでください。」
 これも最近の職員会議の風景。

 長い議論の末に卒業式の原案が職員会議で決まる。司会者、「それでは、プリントの卒業式実施計画案の<案>の字を消してください。」こちらは、30年も前の職員会議。もともと、職員会議に出されるものはすべて「案」として提案され、話し合われていました。

 「校長先生から、来年度、体育の研究指定校にという提案がありましたが、みなさんのご意見をうかがいます。どうぞ、たくさん意見を出してください。」
 今から数年前の職員会議。めずらしく意見を求める会議となる。日常の多忙、前回も指定校を受け、少し間を置きたいなどの意見が続出し、不本意、という表情で、校長が「分かりました。研究校は受けないこととします。」の回答。
しかし、翌朝、「やはり、受けることにしました。」と、大どんでん返しの言葉。
職員会議は 開かなくてもいい?
 今から20年前に、職員会議に関して、大きな転換がありました。2000年1丹21日「学校教育法錨行規則等の一部を改正する省令」(文部省令第3号)が公布され,翌年4月1日から施行されることになりました。
 そこでは、校長の職務の円滑な執行に資するため,職員会議を置くことができる」とされ,第2項では「職員会議は,校長が主宰する」と定められました。つまり、職員会議は、校長の考え次第で、極論すれば、開かないでもいいことになりました。しかも、その性格は「決定事項の伝達」なのです。
 それまでの職員会議は、「校長は,校務の運営上必要があるときは,職員会議を開き,所属職員の意見を求めて,適正な学校運営に努めなければならない」という表記でした。
 違いがわかりますか?

 それ以降、職員会議は、あくまで「校長の都合で」開かれるものであり、意見交換ではなく、あくまで決定事項の追認の会だという性格を帯びたものに「変質」してしまったのです。

 たしかに、職員会議は、私の若いころは、例えば「日の丸」「君が代」などを巡って、その扱いをどうするかで、管理職と職員とが対立していた状況で(これはいずれ詳述します)、延々と夜遅くまで会議が続くこともしばしばでした。行政や管理職にとって、学校の運営はきっとやりづらいものだったに違いありません。(同情するわけでは全くありませんが)そのあげく、なのでしょう。それが、20年前の職員会議の「大改革」だったのだと考えます。
つまり学校の「上意下達」の完成です。仕上げは、今から5年前の「通知」です。

26文科初第424号   平成26年6月27日
校内人事の決定及び職員会議に係る学校内の規程等の状況について(通知)
このたび、一部の学校において、校内人事の決定に当たり、教職員による人事委員会等の組織を設置したり、教職
員による挙手や投票等の方法によって、選挙や意向の確認等を行ったりしていた事案や、校長が主宰することとさ
れている職員会議において議長団など校長以外の教員を議長とするような事案が国会等において指摘されている
ところです。・・・・
① 校内人事の決定に当たり、校長の選任ではなく教職員の互選等により選ばれた教職員を主たる構成員とする人事
委員会等の組織を設置し、当該組織が校内人事の原案を作成し校長が追認するなど実質的に当該組織が校内人事を決
定しているような状況は、校長の権限を実質的に制約しかねないため、法令等の趣旨に反し不適切であり、このよう
な組織は設置すべきでないこと。仮に校長が校内人事に関する組織を置く場合には、校長の指揮監督のもと必要に応
じて校内人事に関する事務を行うための組織であることを明確化することなどにより、校長の権限を実質的に制約す
ることのないように規程を整備すること。
② 校内人事の決定に当たり、教職員による挙手や投票等の方法によって、選挙や意向の確認等を行うことは、校
長の権限を実質的に制約しかねないため、法令等の趣旨に反し不適切であり、行うべきでないこと。


 校内人事は校長の専決事項である。挙手や投票で人事を決めてはいけない。

 この職員会議の「変化」は、教育界全体の流れの中の1つにしかすぎません。要するに教育行政がスムースに下に下りるような「支配」の仕組み全体を鳥瞰しないと分からないものです。あとでお話しする、「校長―副校長―主幹―指導―主任―平」といった上意下達の職階制、自己申告に代表される業績評価、給料・昇級・退職金の差別化などと、表裏一体のものです。

 私は2つ前の学校まで、「教務主任を推薦してください」「研究主任は○○先生にお願いしたいのですが」といった意見を出し合う職員会議を経験してきました。オープンすぎて、強い語気や自信満々の先生の意見が通ってしまうこともありましたが、きちんとした理由や理屈のある意見交換であり、その結果は、ほぼ全員が納得したものであったことを記憶しています。

 今や「職員会議」という言葉が空回りしています。
 広辞苑で、「会議」を引いてみると、「①会合して評議すること。何かを決めるため集まって話し合うこと。その会合。「編集―」 ②ある事項を評議する機関。「日本学術―」とありました。

 つまり、学校の「職員会議」は、もはや「会議」という名称としてはまずいものだと考えます。
 「伝達会」「承認会」とでも呼ばれるほうが妥当でしょう。

 最初に紹介した若い先生の言葉を、どのように思いますか。
 私は、この「命令承認会」では、次のような弊害が生じると思います。
 ①物言わぬ先生が多くなること。これは、必ず子どもの教育に、致命的な悪影響を及ぼすこと。
 ②職階制とも絡み合って、管理職への「忖度」過度な教員が増えること。これも教育活動を汚すことになる。
 ③話し合いがないために、「当事者意識」が欠如し、「やる気」がトーンダウンする。
 ④一部の「経営」層と、もの言わず黙々と働くものとの二極分化が生じること。百害あって・・・

 すべて「昔はよかった」とは思わないが、職員会議に関しては、明らかに「昔がよかった」と思う。


過労死してもおかしくない私たち教員

2020-04-08 23:29:59 | 先生たち
人として健康に生きる権利――絶対量を減らさない「働き方改革」は有害無益
 昔、飲み会で、酔って気持ちよくなった校長が、「自慢するわけではないが、私は平のとき、1回も年休をとらなかったのを誇りにしている。」と、自慢していたことを思い出しました。お追従なのだろうけれども、周りの先生たちがこぞって、「へー、すごーい。熱血先生だったのですね。」と褒めちぎり、酌を重ねてしていたのを、遠巻きに鼻白む心地で見ていました。

 以前勤務した学校で、自己申告の際の面接で、ある先生(親の介護で、よく休暇をとる、いや取らざるを得ない方でした)が、校長から、「あなたは、家庭と学校の勤務と、どちらが大事ですかと聞かれたら、どちらと答えますか。」(もう聞いているじゃない!)と言われ、「家庭です。」と答えました。校長は、「そうですか。私は学校です。あなたには働いていることに対しての責任感が抜けていると思いますよ。」と言ったそうです。この例はさすがに希有なもので、さっそく教育委員会の指導課に報告し、校長を指導してもらいましたが。
 
 教員の給与を4%上乗せするかわりに、残業手当を支給しないという「給特法」(正式には、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」)ができたのは、1971年のことです。つまり、私が教員になる7年も前、ずっとずっと、はるか昔のことです。それより少し前の1966年に行われた勤務状況の調査によると、教員は平均して、1週間に2時間ほどの時間外労働をしているという結果が出ました。
 そしてそこから割り出されたものが、4%の上乗せだったのです。教師の仕事は「線引きが難しい」特殊なものだからという理由で、設定されたものだったのでしょう。

 当時は、日曜日だけが休み。土曜日は午前中の授業がありました。土曜日、子どもたちが下校すると、先生たちは学校近くの飲食店に繰り出して、1週間に起こったあれこれを、みんなで出し合って、「昨日、△△くんがとつぜん泣き出して・・・」「九九の指導で、いいのがあったよ。」「そうか、○○先生の家は、介護で大変なんだ。ここはひとつ、みんなで支えてあげないといけないね」などと談笑していたものでした。昼食が終われば、学校に戻って仕事の続きをする人、そのまま帰る人、遊びに行く人と、三々五々に解散していました。温かく、のんびりした風景を思い出します。(土曜日にリュックを背負って出勤する先生も、よく見られました。授業が終わったら、山登りに行くんだといった先生でした。けっこうそんな光景も見られた昔です)
 平日の放課後も、先生たちで、よくテニスや、野球、ソフトボールも楽しんでいました。落ち葉を集めて、「焼き芋集会」を全校で行ったあとの残り火で、暗くなった校庭に椅子を持ち出して、ビールを飲みながら焼き肉パーティー(今では考えられないことですが)をした記憶もあります。

 これは、50年も前、つまり半世紀も前の時代のものです。そして、その50年の間に、たくさんのことが噴出してきます。学校の荒れ、ゆとり教育から「詰め込み」教育へ、大阪での児童・教員殺傷事件、防犯カメラの設置、下校を徹底せよとの風潮、金銭教育、外国語の導入、「総合の時間」の創設、情報モラル教育、週五日制の導入、パソコンによる業務の移行、プログラミング教育、食育教育、いじめ防止教育、安全教育、環境教育、オリンピック・パラリンピック教育・・・・挙げていくと、このページが埋まってしまうくらい、たくさんの指導内容、業務が、現場に入り込んできました。

 学校は、「捨てる」ことには非常に消極的です。「子どもにとって有意義だから」という言葉には、とても弱い現場です。したがって、仕事は増える一方。さらに、先に書いた「週五日制」で、1日少ない1週間となったところで、増えた分をこなさなければならなくなってしまったのです。

 2016年度に文科省が実施した公立の小中学校教員を対象とした実態調査によると、平日における平均の労働時間は、小学校が11時間15分、中学校が11時間32分となっています。勤務時間は、7時間45分ですから、それを引くと、小学校では3時間30分。これが1日分の「残業」です。これを1週間の5日分に換算すると、なんと17時間30分となります。
 気をつけないといけないのは、ここには「持ち帰り」の仕事の分が含まれていないということです。
 1か月を単純に4週としてみると、月に70時間+持ち帰りの残業!
 一般に、月80時間の超過勤務が「過労死ライン」と呼ばれています。小学校の先生は、3人に1人は、その過労死ラインを越えているとも言われています。

 ※教員は他の職種と比べて、どれくらい残業しているか、面白い統計があります。なんと「過労」の代表とされる医者を引き離して、「堂々の」1位なのです。2012年の『就業構造基本調査』に,週間の勤務時間の分布を職業別に集計した表があります。ご覧になり、驚いてください。
 私が教務主任をしていたころに、自分なりに「勤務時間」を記録していたことがあります。教務主任の仕事は、3月、4月あたりが「激務」なのですが、その3月に、超過勤務が120時間、他の月でも85時間平均でした。仕事が遅い私ですが、すでに私は何度も過労死していてもおかしくなかったのです。

 ※平成28年、総務省の統計によれば、30歳の公立小中学校の教員の平均年収はボーナスも含めて、521万円。一般行政職の地方公務員は、467万円。約50万円の差があります。月に換算してみると、約3万円ほど教員が高いことになります。教員は「教職調整額」という、行政職よりもやや多い基本給をもらっていますが、これを考えずに計算すると、70時間残業をして、3万円の増額。つまり、1時間当たり450円となります。残業の値段は、時給450円なのです。ふつうは、平時の時給の1,2倍、1.5倍として計算される残業手当も、私たちは、バイトの学生の3分の1程度しかもらっていないことになります

 「教員の仕事は、特殊で時間として厳格に測れないところが多い」と言われます。みなさんも、経験上、そんな仕事がかなりあることはご承知の通りです。しかし、その論法で、「見返りに4%」の定額働かせ放題が現在まで続けられてきたことも忘れてはならないと思います。やはり私たちの労働は、厳格に時間として測定すべきものだと考えます。
 働くことは、「仕事を一定の時間の範囲で行い、一定の賃金を支払う」といった単純なものです。ですから、大事なことは、「人として健康に生きる権利」がなによりも優先されなければならないでしょう。
 「残業時間に正当な手当を支払う」そして、「残業時間を皆無にする」は、どちらも追求していかなければ意味がないのです。
 別の号でお話しますが、今回の「変形労働時間制」は、この点で、まったく私たちにとり、不利益なことは増しても、得することは、ほとんど皆無のものです。
 
さらにやっかいな「超勤4項目」 それ以外は「教員が自主的に・勝手にやっていること」

 私たちの超勤(残業)と呼ばれるものは、現在、次の4項目に限られています。
   教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむ
を得ない必要があるときに限るものとすること。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に
必要な業務
 これだけです。つまり、勤務時間を過ぎて学年会を行ったり、家でテストの採点をしたり、通知表の所見の下書きをしたり、気になる子がいるので家庭訪問をしたり、逆に夜、保護者が学校に相談を持ってきて対応したりすることなどは、すべて「自発的行為」(つまり自分で勝手に行ったもの)として、勤務時間の調整にはあたらないのです。
 まだまだ「ブラック」を脱しない学校現場です。

伝えたいことは山ほどある

2020-04-07 19:38:32 | 先生たち
私は、1978(昭和53)年に、25歳に教員になりました。今から42年も前のことです。大学を卒業してから、新宿でバーテンをしたり、大学院に行き、すぐに中退してしまったり、塾の講師をしたり、埼玉で学校事務をしたり、玉川大学の通信教育で教員免許をとっていたりと、ふらふらした挙句の就職でした。
 教員になりたてのころは、まだ携帯電話などあるはずもなく、公衆電話はテレフォンカードか、硬貨の続けざまの挿入の時代。もちろん、パソコンもなく、ワープロの登場も、それから数年を待たなくてはならない時代でした。このあたりのことは、また記事にすることがあるかと思います。
 
 昨年、挫折した「職場新聞」の再チャレンジです。組合にぜひとも加入してほしいという願いもあるにはあるのですが、私の世代の仲間が、すでに大量に退職してしまい、若い教員に現場で「昔のこと」を伝える人が激減してしまっていることに危惧を覚えて。
 「昔はよかった」などというつもりはないのですが、私にはどうも今の学校教育は、「よくなってはいない」と実感することが、たびたびです。
今、みなさんが勤め、子どもたちと向き合って学習している学校の様子も、私の入ったころと、大きく様変わりしてきています。

えっ? メーデーってしらないの?
 ひとつ前の学校でのことです。4月の下旬に、同じ学年を組んでいる若い先生に、「あっ、5月1日はメーデーだから、1日クラスをお願いします。」と話しかけたところ、「えっ、先生。メーデーってなんですか?」と尋ねられたことがあります。そのときは、かなりショックでしたが、もしかして、今、その話をしたら、大半の若い先生が、「私も知りません。」と言うかもしれません。
 去年のことです。教科等研究会での話し合いのときでした。私が、若い先生たちに、「みなさんは、学級会では、子どもたちとどんなことをとりあげて話し合っているの?」と尋ねたときです。先生たちから、一斉に「先生、学級会って、なんですか?」と、反対に質問を受けました。ああ、今の先生たちには、「学級会」という言葉は、もう死語になっているのだ。そして、学活では「係の活動」や「行事の準備」であけくれしているのだなと思いました。
 そんな世代間のギャップというものについては、年を追うごとに数が増してきています。
 もちろん昔のことは、知っていても役に立つものばかりではありません。しかし・・・
 
「今のあたりまえ」は、けっして「あたりまえ」のものではない

 例えば、卒業式ひとつをとってみても、今の形が昔から「普遍的に」続いてきたものではありません。私が在職している40数年の間には、大きく変化して(されて)きています。
 通知表も同じです。職員会議も・・・
 そして、ここからは私の考えなのですが、それらの変化、改革は、便利になったり、よりよくなったりしているとはとうてい言えるものではなく、よくよく考えると、むしろ時代に逆行しているのではないかと思えるものが、たくさんあることが分かってきました。
 今、みなさんが向き合っている「あたりまえ」のことを、「あたりまえではない」と、私なりに伝えていこうと思っています。
 今、「働き方改革」と言われて推進している「勤務時間の移動」措置も、文科大臣の言葉を聞くまでもなく、すでに残業を減らす目的のものではないことは自明のことです。これについても、どこかで、分かりやすく説明をしていこうと思います。
伝えたいことは 山ほどあります!
 教師として生きていくことは、とても楽しく、やりがいのあるものです。民間の営業職と違って、すぐに結果が出てくるものではない職業ですが、子どもたちの卒業後に、噂で「○○さんは、今、医者になりたくて猛勉強している」とか、「■■くんは就職して、初任給の際に、両親を旅行に招待したらしい」といった活躍や成長を聞いたり、子どもたちが学校に遊びに来たりして思い出話に浸ったりするときなど、教師になってよかったと思えるものがたくさんあります。(私だけの影響ではないはずなのに・・・)

 先生たちがゆとりを持って働き、また専門職として尊重され、教育を司ることができ、しかも家庭や地域でも一家庭人、社会人として貢献できるようになる日は、残念ながら、私の在職時代には来なかったようです。幸い、私の息子も教員になりました。そんなに教育論議をしている親子ではないのですが、彼にも父親の思考(思想とまではいきません)の変遷を残しておこうと思っています。

 この春休みに、「若い先生に伝えておきたいこと」をリストアップしてみたところ、おそろしいくらいの数になりました。しかし、どれをとっても、絶対に語っておきたいものなのです。どこまで描くことができるか、1年をかけて書き続けていこうと思います。そして、私の考えは決して絶対ではないことは、自分でよく分かっています。40年教員をしていても、「理想の教育ってどんなものですか」などの質問に、ただたじろぐ私です。異論、反論は、ぜひ私まで。私も、もっともっと学びたい。
 以下、連載予定のテーマです。どこまでできるか、今年のチャレンジのひとつです。


1.縛られている卒業式  2.ブラックは加速している 給特法について 3.あゆみ、要録、テスト、
評価  4.義務教育は無償なのに 私費負担について  5.村田栄一がいなかったら私は教師にならな
かった  6.宿題の丸つけと教育格差  7.国民の祝日について  8.市教研と私たちの研修権  
9.参考書は必要経費にならない?  10.PTAは、PAになり、下請けになりつつある  
11.主幹、指導、主任 昔は?  12.学担はどう決まっていた?  13.はやりのスタンダードを、
よく検討してみよう  14.麹町中の取組をよく考えてみたら・・・  15.道徳との向き合い方  
16.仕えた校長の思い出  17.自己申告は何を目指すのか  18.職員会議 その変遷
19.担任の家によく行ったこと 居残り勉強  20.学級通信を出し続けること
21.「服務」という恫喝  22.もの言わぬ若手教師というけれど  23.運動会・組体操
24.組合について  25.性教育 萎縮している時代 七生養護学校の事件について
26.文学教材が貧困になっている 大学入試が大きく後退している  27.教員間のいじめのこと
28.プール、水泳指導はいずれ?  29.保護者とのトラブルが増えている理由
30.再任用は6割の給料!  31.教え子とのつながり  32.思い出に残る先生
33.思い出に残る子ども 気になっている子ども  34.学習指導要領との付き合い方
35.指導書、赤本は、とうとう使わなかった  36.「多数決」について  37.ユーモアは必需品
38.発達障害 インクルーシブ教育はうまくいっているのか  39.話し合い・コミュニケーション
40.教科書を選ぶのは?  41.苦い思い出  42.教室に本を大量に置くこと  
43.なぜ管理職を目指さなかったのか  44.society5.0について
45.問題研究会で学んだこと  46.全生研、歴教協、児言研、仮説実験授業から学んだこと
  47.オリパラ 副読本のまやかし  48.法則化運動と距離を置いて ・・・・・


 これでも抑えたほうなのですが、逆に、これを1年間で描ききれれば、上々ですね。

 1週間に1号を目指していきますが、なにせもともと「自堕落」な素質をもっている私です。残された少ない日々を意識しながら、自分に鼓舞激励していこうと思っています。よき読者(批判も大歓迎)となっていただければ幸いです。