ブログ改題 チャタレー夫人の居ない庭番

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・・・大奇術師の 引退??

2008-09-26 18:42:39 | Weblog
・・家畜メディアと大衆操作の天才 小泉が 引退を表明した。小泉は 自民党をぶっ壊す そう宣言して 実は 日本を日本社会をぶっ壊した。社会の共同性をぶっ壊したので在った。壊れかけていた 共同性を とことん ぶちこわしたのである。トヨタとかキャノンに象徴される 「財界」も 勿論 グルである。東大閥の官僚も同様にグルなり。・・・・・今度の セメント屋の首相も 800兆円を超す 国公債をどんどん 増やして呉れるだろう。土木利権複合体を維持するために どんどん セメントを使う政策をとるだろう。失われた十年・・・に続く 滅びの十年か・・・・

・・暗く 無様な いろ 懺悔・・・・

2008-09-25 20:54:58 | Weblog
・・余は 二回結婚し 二回離婚している。どちらの方も 相思相愛では無かった様だ。どちらからも 「ほほほ 金の切れ目が 縁の 切れ目」という 嘲笑を 浴びせられた。最初の妻は 長男を 中絶しょうとした。産んでくれと 説得したら「泣き落としじゃない」と言ったが どうにか 産んでくれた。でも 三年で別れた。 ずっと 長男に 余の悪口をいいつづけたらしい・・・・・・・「何故 僕を産んだの?」という問いには答えなかったらしい・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二番目の妻は まぁ同様に 二人の子供に やはり 余の悪口を 言い続けたらしい。   ある時 娘がたまりかねて 「何故 私を産んだの?」そう聞いたら「お金が有ると 思ったからよ」そう 答えたらしい。
・・・・まあ 結局 余は その程度の 男 なのである。    新藤厚よ 不倫も こたえるだろうけれど トルストイじゃないけれど 不幸は様々に不幸 だよ。余の子供達は 余に会おうともしないけれど・・・・・・・・・・「さげ万」去りし後 君のお子さん達は 君を訪ねてくるよ・・・・・でも 余の 子供達は もう 余を訪ねては
来ない だろう。それは それで もう しかたの 無い事なのである・・・・・・・・・

・・こひしくば たずねきてみよ いずみなる・・・・・・

2008-09-24 23:07:05 | Weblog
・・・篠田の森の 怨みのくずのは・・・・・・かって 猫が ネズミ取りとして導入される前 キツネと人間には 幸福な関係があった そういう説もある・・・キツネがネズミとりの役を果たしていたのだという・・・・・捨てられたキツネは ヒトを怨み アダをなすよように なったのだという・・・・・

・・こひしくば たずねきてみよ いずみなる・・・・・・

2008-09-24 23:06:27 | Weblog
・・・篠田の森の 怨みのくずのは・・・・・・かって 猫が ネズミ取りとして導入される前 キツネと人間には 幸福な関係があった そういう説もある・・・キツネがネズミとりの役を果たしていたのだという・・・・・捨てられたキツネは ヒトを怨み アダをなすよように なったのだという・・・・・

お馬鹿 ブッシユでさえ ダライラマ の健康をきずかう・・・

2008-09-24 22:08:39 | Weblog
・・・いいですか 諸君 「チベット仏教」は 大変な 世界宗教になって居るのですよ。だから ダライラマ猊下も チベット族の事だけを 考えて 御発言するわけにはいきません。あたりまえ です。小林よしのり とかいう 男が 猊下を論難したけれど 次元が 違うのである。

・・・前途洋々 コキュ作家の 大道を歩め・・・

2008-09-24 16:15:20 | Weblog
・・新藤よ いっそ 道が開けたではないか・・・今回のけん 「ボオヴァリー夫人」みたいじゃないか ・・・それにしてもねぇ 「剣に依って立つ者は 剣に依って滅ぶ」さしずめ「マラに依って立つ者は・・・・」あああ  ・・・・しかし どうも 信じ切れないよ でもね  まさか 「美人局」じゃ無さそうだし・・・・・・かみさんには キツネか狸が憑いて居たんだろうよ。もっと酷い事に為る前に 露見したのも 神霊の計らいかも知れない。知性・教養少なき「さげまん」と縁が切れて 良かったじゃないか。     いまだから言うが 余も かみさんから 随分デタラメな 愚痴・身の上話しを 聞かされていたよ。・・・・・・周囲の殆ど誰もが 酷い酔いどれ亭主に 虐げられながらじっと耐えて尽くす「健気な妻」と思っていたろう。鬱病になるのも当たり前・・しっかり 同情を集めた。その陰で くわえこんだる 間男と 一年半の 御淫行 かなり ふてぇアマだぜ・・・・思えば かみさんの実家は「稲荷山」の近くた゜ったなぁ ・・・・・・・・・くどいほど 余が お祓い・お祭りをやれと言ったのは 幽かに 違和感を感じていたからだよ・・・新藤厚よ お前が嫌でなけりゃ そのうちに また呑もう。 

・・新藤閑人舎 不倫で崩壊????

2008-09-23 16:14:10 | Weblog
・・ホームページ見たら 不倫発覚して 離婚との事。どうもねぇ 自虐屋新藤のことだから 小説の素描ではないかという 気もするが・・・・でも そういえば 一年ぐらい前から 何故か 閑人舎の事が気になっていたのが 自分でも不思議だった。さてさて・・岐阜では 某大先生が 余り 名誉あるとは言えない一件で逮捕されたと言うし・・余も含めて 初老性自滅シンドローム大流行か・・・・

???二人の 美智子???

2008-09-22 20:33:16 | Weblog
美智子皇后と 樺美智子さんの ことである。根拠は何も無いが 三島さんは 60年安保闘争の ただ一人の死者が 女で在った事に 深い衝撃を受けたと思う。そこには いまは 皇后と為られているお方と 見合いされたという事も 関連しているとおもうのである。・・・・・・・・まさかとは思うが  数日前の 産経新聞のインタビュー記事で「樺美智子さん 西部さん恋人説」が出ていたが 多分 西部大僧正が ご自分で流した伝説でしょう。西部猊下 どうか 名誉毀損 で 余を訴えて下さいな・・・・・・ 

・・安保ブントは流れ星・・その残骸が地上に 山火事を起こした

2008-09-22 19:21:41 | Weblog
・・・判る人には タイトルだけで 判るよね・・・・書記長 沖縄人 島成朗は 「虎は死んで皮を残す ブントは死んで名を残す」と吼えた。安保闘争敗北後 島さんは 一介の精神科医となって 郷里沖縄で 僻地医療に取り組んだ。昭和五十七年の夏 宜野湾市の島さん宅で数時間 お話を伺い もちろん 二十年ものの 飴色の秘蔵泡盛も五合ほど呑んだよ・・・そのご 何度も やんちゃをして 島さんを 困らせたけれども 余の様な「単ゲバ」の事も 呑み込んでくださる 腹の大きな方であったよ。八十年ー昭和五十五年頃 島・唐牛が 東京に戻って来たのを 一番迷惑したのは それなりに 社会的地歩を得ていた 安保ブントのOB達だったろうな つまり「小審問官」の皆様なり・・・・こういう事を言うから 余は嫌われるのであるぞよ ・・・・・・・・・・・