久しぶりに「上にのった具が多すぎて麺にたどり着く頃にはのびている、しかもそれを防ごうと急いで食べると口の中が火傷する」という非常に困ったチャンポンを提供する「ひるね(看板の文字はきっちり左に90度傾いている)」でメシ食ってきました。 ども、TOSHIBOUZです!
さてさておなじみのマイミクセト氏の日記に「二丁目には捨てるゴミは存在しない」という極めてメジャーな格言(←というほどの事でもない)が取り上げられておりまして、この言葉に常々違和感を感じておりましたものでここらあたりで考察したいと思います。
この格言の元となっているものは「ゲイの嗜好は極めて多岐に渡っておりそれぞれにコミュニティが存在するため、一見どうしようもないブスでも需要がある」という前提から成り立っています。果たして本当にそうなのでしょうか?ノンケにはそのような多様性は存在しないというのでしょうか?俺はそうは思いません。松嶋奈々子のように清楚なお姉さんが好きな人もいれば、加護ちゃんが好きな奴も居るし、杉本彩ね~さんが好きな人もいる。中には熟女専もデブ専も居ます。つまり多様性がない訳ではないと思うのです。そしてその割合が決して偏在しているとも思いません。
では、なぜ「ゲイだけ」と感じるのでしょうか?俺は「Minority of Majority」に過ぎないからだと思うのです。つまり「ゲイ」という時点でかなりセグメントされています。その中で多数派だろうが所詮数は知れているのです。そういう意味で「違った嗜好を受け入れる体勢」が出来ているのではないでしょうか?つまり「俺はイケないけどああいったタイプが好きな人も結構居るよね!」と許容できてしまえるのではないかと思うのです。
さらに、例えばノンケが世の中に自分のタイプが5%存在したと仮定します。つまり1000人居たら50人好みのタイプが居るという確率です。そして仮にその人が今日20人の人間と出会うとします。確率上では1人好みのタイプが居るハズですが、実際は20人とも好みだったり1人も居なかったりする訳です。1人も出会わない日は「今日はブスばっかり会うなぁ」となり、逆だと「今日はカワイコちゃんばっかや!」となりますが、例え20人全員がタイプだったとしてもその20人を順位付けたりしますので「今日はカワイイ子ばっかり出会うけどやっぱその中でもあの子が…」となってしまいます。
ところがゲイの場合、同じく5%の確率でイケる場合でも事情が変わります。世の中にゲイ自体が5%の確率で存在するとしたら1000人の中にそもそも50人しか対象者が居ません。そしてその5%となると2人か3人しか居ない訳です。ところが二丁目にやってきて同じように20人の人間と出会うと考えた場合、今日だけで20/50の対象者に出会ってしまう訳で、2,3回2丁目に出ただけで「本理想」の人に出会えてしまいそうな気配です。つまりそもそも選択肢が少ないがために、いくら特殊な嗜好だったとしても好みのタイプに出会いやすい、という訳です。
さて、俺は何が言いたいのでしょうか?
「ま、結局どこかで妥協してるよね!」
そーいう事です(爆)。
さてさておなじみのマイミクセト氏の日記に「二丁目には捨てるゴミは存在しない」という極めてメジャーな格言(←というほどの事でもない)が取り上げられておりまして、この言葉に常々違和感を感じておりましたものでここらあたりで考察したいと思います。
この格言の元となっているものは「ゲイの嗜好は極めて多岐に渡っておりそれぞれにコミュニティが存在するため、一見どうしようもないブスでも需要がある」という前提から成り立っています。果たして本当にそうなのでしょうか?ノンケにはそのような多様性は存在しないというのでしょうか?俺はそうは思いません。松嶋奈々子のように清楚なお姉さんが好きな人もいれば、加護ちゃんが好きな奴も居るし、杉本彩ね~さんが好きな人もいる。中には熟女専もデブ専も居ます。つまり多様性がない訳ではないと思うのです。そしてその割合が決して偏在しているとも思いません。
では、なぜ「ゲイだけ」と感じるのでしょうか?俺は「Minority of Majority」に過ぎないからだと思うのです。つまり「ゲイ」という時点でかなりセグメントされています。その中で多数派だろうが所詮数は知れているのです。そういう意味で「違った嗜好を受け入れる体勢」が出来ているのではないでしょうか?つまり「俺はイケないけどああいったタイプが好きな人も結構居るよね!」と許容できてしまえるのではないかと思うのです。
さらに、例えばノンケが世の中に自分のタイプが5%存在したと仮定します。つまり1000人居たら50人好みのタイプが居るという確率です。そして仮にその人が今日20人の人間と出会うとします。確率上では1人好みのタイプが居るハズですが、実際は20人とも好みだったり1人も居なかったりする訳です。1人も出会わない日は「今日はブスばっかり会うなぁ」となり、逆だと「今日はカワイコちゃんばっかや!」となりますが、例え20人全員がタイプだったとしてもその20人を順位付けたりしますので「今日はカワイイ子ばっかり出会うけどやっぱその中でもあの子が…」となってしまいます。
ところがゲイの場合、同じく5%の確率でイケる場合でも事情が変わります。世の中にゲイ自体が5%の確率で存在するとしたら1000人の中にそもそも50人しか対象者が居ません。そしてその5%となると2人か3人しか居ない訳です。ところが二丁目にやってきて同じように20人の人間と出会うと考えた場合、今日だけで20/50の対象者に出会ってしまう訳で、2,3回2丁目に出ただけで「本理想」の人に出会えてしまいそうな気配です。つまりそもそも選択肢が少ないがために、いくら特殊な嗜好だったとしても好みのタイプに出会いやすい、という訳です。
さて、俺は何が言いたいのでしょうか?
「ま、結局どこかで妥協してるよね!」
そーいう事です(爆)。
まぁそれはいい。
あたしはこう思うの。
捨てるゴミがないのは、
全体の30%ぐらいは容姿で売れ、
残りは性格だとか付加価値だとか雰囲気だとか…
ほらいるでしょ?身の回りに付加価値も性格も容姿も
今ひとつなバリューな人(笑)
雰囲気は売れる大切な要素だと思われ。
仕事終わりで深夜によく行きましたわ。
あのやけくそな量のちゃんぽんと焼き飯は
一人で食うのはしんどいです。
ちなみに具が多すぎて味が散漫なんですけど・・・
家庭的というか(笑)
結局は人の1箇所だけでイケるイケない決めるわけじゃないですしねー。
そして「どこかで妥協」、概ね賛成でございますw
ってこんなこといってると男寄り付かなくなりますね。フヒヒ
>やすのり
あら、そういう「バリューな人」って貴重よん!だって決定的にヤなところは無い訳だし(汗)。
>dorellaさん
帰りに腹が減ってきてラーメンでも…と思った時に「ひるね」を思い出したの(笑)。あのバカバカしい量に出会いたくて(爆)。
>ドラ息子たかちゃん
あなたまだ全然若いから「こ・れ・か・ら!」ですよーだ(妬)。妥協した?(汗)
ここはゲイの確率の50/1000を出すよりも、ノンケもゲイもイケ率5%だとしても、ゲイの場合は同じような趣味趣向の人が集まり易い傾向があるので、イケる同人数に対する母体数が減る=集団のイケ率アップとなるべきでは?
仮にデブ専の場合、100kg超の人は世間一般では1000人中4人だとしても、デブ専バーでは5人に4人になるので一般よりも大枠は限定し易い。そしてそこから更にコアな条件を兼ね揃えた人も、お店の客を母体数とした場合そこそこの人数がいるので存在する率が高い、と。
僕もノンケの方が実はもっと趣味って細分化されてたりするなーって思うんですけど、それでも同性愛の方が価値が多元化してるって思うのは、たぶん、ノンケの世界では絶対モテないタイプの男が、ゲイの世界ではモテてしまうからかなーなんて思ったりします。今回のネタになったミク日記はあとでblogにアップしますので、トラバさせてもらいますねー。
そんな細かい事はどーでもいいのよ、ちょっと理系だからってそんな指摘はノンノンです(ナニモノ)。ってか、俺の知り合いはみんなデブ専だと勘違いされそうだからやめてちょーだいっ(チガウノカ?)。
>せとーん
「自分は変わってる」なんてのは思い上がりよん!みんなちょっとづつ変わっててそれで社会が構成されてるんだから、そんなの誤差よ(タブン)!