BLOG TOSHIBOUZ

大阪発全国向け。世の中を俺なりに分析させていただきます。同感するも良し反論するも良し。

情けは人の為ならず

2012-05-29 12:25:18 | コラム・批評
先週の金曜に「通風発作」が出まして、土曜日は自宅でウンウンうなっておりました。でも日曜のライブの打ち上げではビールも飲んだし魚卵も食ったもんね~(→そうじゃねーだろw)。ども、TOSHIBOUZです!


少し親族にゴタゴタがありまして、当事者じゃないけれども何気に結構巻き込まれており、被害を被っております。そんな最中、Twitterでも話題になっておりました某お笑い芸人の母君の生活保護受給問題…少し考えさせられる問題でした。彼曰く「芸人なんて水商売で不安定だから…」みたいな言い方をされてましたが、確かに一般の会社員よりは浮き沈みは激しいとは言え、今時収入が不安定なんて話はいくらでもあります。それより気になったのは「扶養義務」ってどこまであるの?って話です。

法的解釈では「扶養義務>生活保護法」となっているらしく、制度的には一応生活保護を支給する市町村側に扶養義務のある親族に請求する権利もあって「一応」論旨は成立しています。要は生活保護を申請しても、支給する側が扶養義務のある親族に「まずはお前が何とかしろ!」という事ができるという話ですな。ただ残念ながら、この制度を実効させる為には裁判で支給額を調停する必要があるらしく、実務上機能してないし面倒だから「支給しちゃえ!」てなるって話です。

件のお笑い芸人さんの場合は、生活保護受給に関して母君と相談した上で「今(当時)の収入ではとても扶養できない」という話の中で申請しそのまま今までズルズル行ってた(要は甘えてた&サボってた)訳ですが、例えば法的には扶養義務のある親族だとしても絶縁状態になってたりしたらどうなるんだろうか、と。「絶対的扶養義務」というのはおじいちゃんおばあちゃんと兄弟(要は二親等)に存在するんだけど、グレて十数年前に飛び出した弟とか、お前なんて勘当だと言われて放擲された息子とか、呑んだくれで暴力振るう親父から逃げ出した場合とかどないなるんやろ?やっとこさ酷い家庭環境から離れて新しい家庭生活を築いてたのに、これが発端で「また関係を持たざるを得なくなる」とか結構残念な気がする(しかも経済的な問題も絡んでるし)。

結局のところ「養う」なんて感覚は本質的には「気持ち」の問題なので、親族であろうがなかろうが「支援してあげたい」人もいればそうでない人も居る。一般的な場合、さすがに親子は「産まれてこのかた肉親の世話になった事はない」人は少ないだろうから一親等の扶養義務は分かるけど、兄弟や孫・祖父母になってしまうと結構「日ごろの関係性」に影響されるような気がする。同居していたり近しい間柄なら「気持ち」も芽生えるけど、ずいぶんとご無沙汰だったりすれば経済的な負担に関わるだけに、むしろ「お互いに遠慮する」んじゃないだろうか?


ちなみに以下の場合どうなんの?教えてエロい人!

(おばあちゃんからの問合せ)
数十年前に勘当した息子が、その後結婚し子供を作りました(戸籍上はそのまま)。夫婦はやがて離婚し親権は息子が持ったらしい。孫も成人年齢に達した頃、息子は不慮の事故に遭い死去。そんな折、夫が病気を患い生活に困窮するようになったのですが、私たちは孫を頼って良いのでしょうか?ちなみに孫は現在IT企業を立ち上げてかなり羽振りが良いと聞くのですが、一度ハガキで誕生の知らせを受けただけで実際には会ったことはありません。さらに離婚した元嫁とは一切連絡を取った事がありません。

教育とはあなおそろしや

2012-05-21 13:20:14 | コラム・批評
週末はOtussy in 博多でござりました。帰りの飛行機の手荷物検査で打楽器類が「工具」と見なされ機内持ち込みに引っかかったのはご愛嬌(シンバルがNC旋盤にでも見えたかwww?)。ども、TOSHIBOUZです!


先ほど、近所のカレー屋で昼飯を食う時に少々古い号の「サンデー毎日」を読んだ。特集は「福島の後始末」(3月の号だったので)。巻頭記事は「菅直人前首相をはじめその他の面々は刑事告発されないのか?」みたいな内容。つらつらと読んでいて、あまりにも単純すぎる政府批判記事に気分が悪くなった。確かに責任の所在をハッキリさせる事は重要だとは思うが、これでは「後だしジャンケン」みたいなもん。メディアとしてどうなのかな、と思った。その点、意外にも「週刊現代」とかは「自己反省」も含めて書くので多少なりとも同調できるのだが。

福島原発事故についてはいろんな見方もあるだろうし、それについては俺ごときじゃなくてもっと深く考察した人も多くいるだろうけど、なんとなくスッキリ「批判側・脱原発側」に回れないのは、自身が「今まで電力確保の事なんか何の心配もせずに暮らしてきた」負い目があるからだろう。現に昔から一貫して「反原発」を唱えていた人たちもいる訳で、今更何も考えてなかった庶民の俺が声高に「脱原発」だなんて言えないのです。

そんな気分の悪い「サンデー毎日」の次の記事が田口ランディ氏の寄稿。これが俺の今の「モヤモヤ」を代弁してくれていて非常に小気味が良かった。論旨としては以下の通り。

1)核爆弾により被災した戦後日本を大きく経済成長させた安定電力供給は「核の平和利用」という考え方によるもの
2)経済大国にのし上がる過程で「核の平和利用=民主主義」「反核=社会主義」のイデオロギー転換
3)原発推進・原子力研究は資本主義社会&民主主義を掲げる国家事業として旗印のようなもの→利権化の温床
4)問題は既に国内に原発が数多く存在し、縮小させていく過程でも処理期間があるのだが、その産業自体が不人気となる

そうなんだよなぁ、小さい頃「原子力発電って方法があってね、今までの火力や水力と違って再利用できたりしてスゴイ方法なんだ!」と教えられ、素直に「すげー!それめっちゃええやん!格好良い!」なんて思っていた事を思い出す。キュリー夫人の伝記を読むきっかけになったのも恐らくその教育のせい(残念ながら物理学は全く理解できずその道に進むことはなかったが)。被爆国だからこそ「核を平和利用する」事に関する執念が働いていたとも言える。

残念ながら人間には数十年という単位で予測できる力は持っていない。だからこそ「その瞬間にどれだけ正しいジャッジができるか?」が重要なのだけど、それも後から考えれば「もうちょっとこうしとけば良かった」と反省する事ばかり。だから「前首相を刑事罪に問う」だなんて、一介のメディアがおいそれと言うべき事ではないと思う。本当は「原子力を平和利用することで経済発展を遂げよう」と考えた当時の情勢が問題だろうし、それが果たして間違いかというとその恩恵を十二分に受けている現在となっては批判する資格もないと思う。

「原子力発電」というフィジビリティが困難になったという事は、その分野の研究開発市場が廃れたという事。それでも処理するにもその研究の継続は必要。ここには十分に国家予算を割いて責任を持って処理していく事が重要なんだろう。ゴミ処理や汚水リサイクル同様、その実際の業務内容以上に「崇高な仕事」と位置づけられなければいけないのだと思う。

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々

2012-05-16 14:58:01 | コラム・批評
最近はmixiも廃れ気味で、かといってfacebookはあまりにもあからさま過ぎるし、Twitterは文字量少なすぎで長文投稿には向いてない。ブログを新たに作り直そうかと思ったけど、ログインIDをいくつか叩いたら「運よく」ログインできたのでせっかくだから使い続けようかと。最近お知り合いになった方は、俺の別側面を知っていただく機会にちょうどいいかな…なんてね。


久々のブログのテーマは「クラブで深夜に踊るのは文化か、それとも犯罪か?」です。

ご存知のように、ここ数年クラブの摘発が活発化してきています。俺らゲイにとっては「ゲイナイト」というのは比較的身近なイベントだし、出演したりする側としては「出演機会の減少」は重要な出来事です。ノンケのクラブでは割と数年前から摘発が頻出してて、有名なクラブが次々と営業停止に追い込まれていたのですが、ついにこの「過剰な摘発ムード」がわが身に近しいところで起きだしたのは大問題ですね。

では考察開始!


(考察1)深夜に営業するのは悪か?

そもそも俺が小学生くらいの頃は街にはコンビニなんてなかったし、「24時間営業」なんて業態は特殊な職業を除いて存在しなかった。つまり「夜になればおうちに帰って寝る」のが普通であり、夜中に活動する生活そのものが「不良」だった。「午前様でお詫びに寿司折りを買って帰る」という表現通り、午前0時を過ぎて帰宅するのは家庭にとって悪であり、お寿司屋が開いてる時間帯にお土産を購入できるのが「一般的に最も深い時間帯」であって、それ以降は「帰宅して寝る」のがデフォルトの生活。だからこそ風営法でも「0時以降の営業はNG」となっており(一部は特区で午前1時)、「朝まで夜通しで遊ぶ」なんて文化自体の存在が認識されていないし、当時は朝まで時間を潰す事が可能な施設も存在しなかった。その法律をそのまま運用しちゃうと「善良な国民は夜は寝ましょう」てなる訳で、今の深夜営業の業態はそれがクラブだろうがなんだろうがそもそも存在自体が否定されている。

(考察2)法律的にクラブの営業は何が違法?

クラブはいわゆる風営法上の3号営業(ナイトクラブ)になるのですが、法律制定当初の「ナイトクラブ」は「大人の男女が社交ダンスで親交を深める場所」を想定していて、その意味では今のクラブも見た目は違えども目的は結構似通ってる(要はナンパ目的でダンスに興じる)とも言える。ちなみに「クラブ」と認識されている業態もこの3号営業だけではなく、深夜酒類提供飲食店(要は居酒屋と同じカテゴリー)として営業したり、風営法ではなく興行法管轄として「ライブハウス」として営業しているパターンが存在する。見た目は同じでも個々に規制範囲があり、そこがクラブ経営者側に「迷い」を生じさせている原因となっている。夜中躍らせていて即座に営業停止くらうのは3号営業許可、指導が入って「躍らせなければ良い」のが深夜酒類提供飲食店、「客同士がコミュニケーションを取れない」状態ならライブハウスと言えるけれど実際は曖昧な業態も多くある訳で、結局は「夜中に客が踊り狂ってる店」は何かにつけて摘発してしまう…というのが今の情勢です。

(考察3)深夜に踊って何が悪い?

今回のテーマの主題はここ。そもそも「何故踊る事に規制がかけられるのか?」です。個人的には「クラブで踊り狂う人種」というのは、阿波踊りやよさこいでトランス状態に入るのと同人種だと思う。人間には心の安定を得る際に「踊ったり運動したりし興奮させる事でストレスを解消する」タイプと、「読書やマッサージなどで沈静させる事でストレスを解消する」タイプが居る。その意味で「時間を忘れて踊り狂う」のはストレス解消法として古くから認知されている訳だけど、一方で「それを好まない=不快に感じる人種」も居る事になる。ここからは暴論かもしれないが、前者は多分に勢いがあってノリが良いタイプ=経営者や営業職などであり、後者は冷静で思慮深いタイプ=官僚や企画職に大別できるのではないかと思う。法律を作るのは当然後者のタイプが多いと考えられるので、前者の「踊ったり運動してストレス解消する」のはまさしく「阿呆」なのである。だから「深夜に踊る奴らなんて低俗な人種だ」とカテゴライズされているのではないかと思う。


上記から考えると、今後法改正が議論されたとしても(考察1)(考察2)部分はある程度現状に見合う改正は行われる可能性はあるだろうが、(考察3)部分はどうしようもない。なぜなら「そもそもそんな感覚を持ち合わせない」人たちが主導して法改正するのだから。簡単に言うと賑やかな喧騒の街に行きたがる人とリゾートや温泉にのんびりしたがる人の違い、お互い相容れない。個人間では「嗜好の違い」で片付けられても、「法」というルールに乗せれば「善悪」が付いてしまうという不条理。後者が「タイプの違う人種も存在する」事を認めない限りはすれ違いの議論なんだろうと思う。

ちなみに、俺自身は↑こんな事をまじめに考察するくらいだから、確実に後者なのだろうと思う。だって、人ごみ嫌いだしゲイナイトも苦手。でも、それが好きな人種を否定するつもりは無いし、それが「他人と付き合う」上で重要な要素だと思っている。