普段論調があまりさえないので流し読みする新聞のサイトですが、今回目に留まる記事がありました。
4歳児の水風呂死亡事件 通報2度、なぜ救えず
2009年4月19日の朝日新聞電子版の報道によれば保育所からの報告にもかかわらず児童相談所は有効な手を打てず、4歳児を死なせてしまったと言う内容です。
記事の中で児童相談所長を務めた経験もある津崎哲郎・花園大教授(児童福祉論)の意見が印象的でした。
「強制的な調査と、支援の双方を同じ機関が行うのは矛盾がある。職員は、親とのその後の関係を考えると、立ち入りや一時保護をためらってしまう」
これは今の現状の問題点を的確に突いていると思います。
虐待は犯罪であると認知されても良い時代ではないでしょうか。
これまでもドメスティックバイオレンスや、ストーカーなど、以前までは民事不介入の原則で犯罪として認知されないことに今では警察が犯罪として介入できる法が整備されています。
これらは成人した人間を守るための法です。
まだ社会を知らない、自分を守る法を世の中に訴え出ることの出来ない子供のために我々大人が動き出さねばならない時期が来ているのではないでしょうか。
報道では大人が小さい子供を力ずくで「2.5度」しかない水に「暴行を加えておぼれさせ」たそうです。
これが事実なら、自分もそんな冷たい水に体を半分以上つけて息を止めて顔を沈めて御覧なさい。とその親に言いたいです。
大人でも下手をすれば心臓発作を起こしますよ。あくまであれは躾だっとと言い張るのなら自分も同じことを自分に試してみるといい。もしかしたらあなたもそうやって躾けられたのかもしれない。でもあなたも苦しかったでしょう。悲しかったでしょう。どうして同じことを自分の体から生まれてきた子にしてしまうのですか。
こんな悲しい話はありません。
もう児童虐待は犯罪とされても良いでしょう。虐待をしてしまう親の家庭環境云々は法廷で明らかにしてもらえばいいです。そのときは同情もしてあげますし、励ましの言葉もかけてあげます。
けれども子供を死においやるほどの躾けは犯罪です。
せめて子供が成人するまでは親の責任として子供を健やかに、出来ればいつも笑顔が絶えない育て方を一緒に考えましょう。それがいつかは自分たち自身を笑顔の絶えない生き方にしてくれると思えてなりません。
4歳児の水風呂死亡事件 通報2度、なぜ救えず
2009年4月19日の朝日新聞電子版の報道によれば保育所からの報告にもかかわらず児童相談所は有効な手を打てず、4歳児を死なせてしまったと言う内容です。
記事の中で児童相談所長を務めた経験もある津崎哲郎・花園大教授(児童福祉論)の意見が印象的でした。
「強制的な調査と、支援の双方を同じ機関が行うのは矛盾がある。職員は、親とのその後の関係を考えると、立ち入りや一時保護をためらってしまう」
これは今の現状の問題点を的確に突いていると思います。
虐待は犯罪であると認知されても良い時代ではないでしょうか。
これまでもドメスティックバイオレンスや、ストーカーなど、以前までは民事不介入の原則で犯罪として認知されないことに今では警察が犯罪として介入できる法が整備されています。
これらは成人した人間を守るための法です。
まだ社会を知らない、自分を守る法を世の中に訴え出ることの出来ない子供のために我々大人が動き出さねばならない時期が来ているのではないでしょうか。
報道では大人が小さい子供を力ずくで「2.5度」しかない水に「暴行を加えておぼれさせ」たそうです。
これが事実なら、自分もそんな冷たい水に体を半分以上つけて息を止めて顔を沈めて御覧なさい。とその親に言いたいです。
大人でも下手をすれば心臓発作を起こしますよ。あくまであれは躾だっとと言い張るのなら自分も同じことを自分に試してみるといい。もしかしたらあなたもそうやって躾けられたのかもしれない。でもあなたも苦しかったでしょう。悲しかったでしょう。どうして同じことを自分の体から生まれてきた子にしてしまうのですか。
こんな悲しい話はありません。
もう児童虐待は犯罪とされても良いでしょう。虐待をしてしまう親の家庭環境云々は法廷で明らかにしてもらえばいいです。そのときは同情もしてあげますし、励ましの言葉もかけてあげます。
けれども子供を死においやるほどの躾けは犯罪です。
せめて子供が成人するまでは親の責任として子供を健やかに、出来ればいつも笑顔が絶えない育て方を一緒に考えましょう。それがいつかは自分たち自身を笑顔の絶えない生き方にしてくれると思えてなりません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます