Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

人事を尽くして天命を待つ

2010-06-08 23:49:27 | 気の向くまま
ブログのタイトルが「Nasebanaru」で、今日の書き込みが「人事を尽くして天命を待つ」とくれば

この人大丈夫?

と思われるのがオチでしょう。

でも正直なところ今まで生きてきた中で一番そんなことを感じるこの頃です。

たぶんはたから見れば今の私は「大丈夫じゃない」状態なんだとは思います。



英語で運命は「Destiny」と言います。この単語自体は普段の会話の中ではあまり耳にしませんが類似語の「Destination」と言う語は良く耳にします。

Destinationを英和で引くと「目的地、行き先、到着地」とあります。

Destinyは明らかに日本語で言う「運命」と同じ意味合いも含んでいます。人生どうあがいても動かし難いものがある、そんな風な状態を表すときに使いますから。

しかし「運命」の英語の「Destiny」が「目的地」と言う意味を含んでいるとすれば興味深いところです。

我々は一体何処を「目的地」としているのでしょう?

Destinyの単語がキリスト教と密接な関係があるとすれば目的地、それはすなわち「天国」だとほとんどのアメリカ人は思うでしょう。

ではイエスキリストが来る前の人間はどう考えていたのか?そんな事を考える人はいなかったのか?

じゃあ仮に人間に「目的地」があると仮定して

「目的地」に着くまでの耐え難いほどの苦痛や困難はその人に課せられた「運命」?

病気や暗殺されるなど、自分の努力以外で人生を終えてしまった人は?それは目的地に行くための近道?

仏教では輪廻転生の考え方があります。

今苦労するのは前世での行いが悪かったから。

でもどんなに努力しても完全に忘れている前世の行いのせいで報われないのなら生きる気力を失いませんか?

なーにカタいこと言ってんのよ。人間万事塞翁が馬。気楽に行きゃいいじゃない。

そういう生き方をしたいとは思っているのですが次から次へと困難がやってきてしかもその全てに責任を持とうと思ったら実際大変です。

キリスト教で言う「神の啓示」でも降りて来てくれればいいのですが。

今は死力を尽くして事に当たり、出てくる結果は受け入れるしかない、そんな状況です。



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