Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

進撃の日本

2022-01-06 04:57:55 | 気の向くまま
このカテゴリには最近数年に1度の割合でアップ。数年前の投稿を読み返すと真剣に日本に移住帰国を目論んでいたのに結局環境が整わず。下の娘が小学校に上がってしまったので彼女の教育を考えるとこれからはますます移動が難しくなってしまいました。かくなるうえは宝くじに当たってブルジョアの仲間入りして帰国するしか手がありません。。。飛行機も買っちまったし。

黒人の暴動事件や大戦の総括みたいなことも読み返すまで忘れていたり。書いておくのはやっぱいい事だと思います。

さて、最近少し気になったのはよく日本でここ30年で平均給与の伸びが日本は4%、アメリカ、イギリスは40%以上などと報道されること。あとお相手が韓国や中国バージョンもあってこちらにも大きく水をあけられています。

なぜ30年という数字なのか?恐らくそれ以前の30年は他国を上回る勢いで伸びていたのにその後の30年は違うからでしょうか。この間山﨑豊子さんの大地の子を久々に読み返しましたが主人公の一心が中国の派遣団の一員として来日した際、日本の物価が高すぎてお土産もなかなか買えないエピソードや、共産党のエリート(要は国のトップに属する人達)しか当時冷蔵庫を持っていなかった事などまさに隔世の感があります。

私が渡米したのは1993年。今年で29年目ですが約30年です。

ということは私には明治以来快進撃してきた日本しか記憶にないんです。当時大学2年でしたが渡米費用を稼ぐためにバイトを掛け持ちしていましたが時給はどちらも1400円以上。(場所は大阪でパチンコ屋と高級かにレストラン)しかも食事付き。

田舎の父母は自営業で、子供の頃は決して裕福ではありませんでしたがそれでも私が渡米する頃には4000万で購入した自宅のローンを完済。小さい頃は友人の家がお金持ちとかそうじゃないとか全然気になってませんでしたがそれでもほとんどの家が持ち家だったと記憶。



こっちにきてまず驚いたのが家賃の安さ、食品の安さ。



大阪で学生やってた頃はトイレ風呂付きのアパートになると最低月6万。こっちは当時倍の広さでその半分以下。肉は言うに及ばずビールも格安だった事に狂喜乱舞。ま、それだけこちらの給与水準は低かったって事だったんでしょうが日本から持ってきたお金で生活してた頃の感想です。






当時は通話費用の高い固定電話か手書きの手紙でのやりとりしかありませんでしたが、それでも私が日本を後にしてからは経済が冷え切っていることを友人や親から聞いてはいました。共に大学で学んだ友人が就職で非常に苦労していたり不動産業を営んでいた親からは地価が下がり続けていることなどなど。



失われた10年が20年になりそして今。



この30年で2度ほど帰国した折、やっぱり日本はいいな、としみじみ。数字で現れない豊かさは確かにあります。色々な意見はあるでしょうが、こっちで暮らす人間の目からは正直な人々が公平に扱われる環境や医療制度などなど。こちらでは金持ちの横暴が目に余ります。


でもやっぱり自分たちの子供達には親世代より賃金的にももっと良い環境を整えてやりたくなるのは人情。


私が本帰国する頃にはまた快進撃中の日本であって欲しい。そして何かその一助に自分はできないか、そう考えるこの頃です。



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