Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

博愛の精神と人殺し

2007-04-05 23:42:49 | 気の向くまま
むちゃくちゃなタイトルだと思うが、実際この国で感じる違和感の大きさを表していると思ってほしい。

人類みな兄弟
恵まれない子供に愛の手を

ずいぶん昔、私が日本にいた頃の24時間テレビのキャッチフレーズだ。豊かになった後の日本に生まれた私はテレビのこれらの言葉や、戦争の無い平和な国に育ったこともあって、感覚的に、いろんな宗教の言う「世界人類が平和でありますように」というフレーズは、こんな世の中のことを言うのかな、と考えていた。

日本でいた頃のキリスト教に関する知識といえば学校で習った歴史と、時々テレビや漫画から聞こえてくるイエスの教え(そのほとんどは博愛を強調したものだった)を知るくらいだった。

アメリカに住むと、熱心に自分の教会に勧誘しようとする人や、街角で選書を読み上げている人達によく合う。私も少し興味を持った頃があって、新約聖書を何回か読んでみたが、確かにいいことを書いてある。日本でそれとなく聞かされてきたイエスキリストの教えと変わることは無かった。

ところが、である。

「大統領は極秘に○○の暗殺を工作員に指示した」
「われわれの国を守るために敵を倒さねばならない」(大統領演説)
「敵は、、、、」

特に今のアメリカ大統領は「敵」と言う言葉をよく使う。そして実際に軍隊を送り込んでその敵を倒そうと躍起になっている。

うちに来るお客さんにも驚いたことがある。

その人は人あたりもよく、柔らかい感じの人で、事実、外国人の経営するしがないコーヒー店に足繁く通ってくださるのだから、私にとってもありがたい人だった。その人とイラク情勢について少し話をしたときのことだ。その人の家族、そして親戚のほとんどの人は軍人であり、みんな熱心なキリスト教信者であることをそのとき知らされた。

「アメリカは負けられない」
「アメリカは間違っていない」
「われわれは何も悪いことをしていない」

彼女の口から出てくる言葉は、一歩間違えれば傲慢、とも思われるものだった。そして同時に思った。

俺は「この国のキリスト教」のことはまだ何も理解できていない。

どうもこちらの人たちは、聖書の内容はそらんじていえるくらい勉強しているが、敵に対しては殺してもかまわない、と考えているらしい。

それって両立する考え方なのだろうか。

聖書には許せ、愛せ、右の頬をぶたれれば左のほおを出してあげなさい、と書かれてある。それは相手がキリスト教徒の場合に限定されるのだろうか。でもイエスキリストがスピーチしていた頃はまだキリスト教など無かったはずだし、イエスはユダヤ人だ。相手を選んでいるとは考えにくい。

そういえば歴史を見てみれば、キリスト教を国教とする国も戦争を繰り返してきた。
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