とある寺院の日記。苦労もあれば夢もあります。ごくごくフツウの毎日ですが・・・。
tera日記
応量器(おうりょうき)①
禅の修行道場では、食事の時に使う食器を「応量器」といいます。木製で漆が塗ってあるものです。七つほどの各大きさの器が入れ子構造になっていて、しまうと、一つの大きな茶碗大に収まります。下の敷物も紙にエナメルのようなものが塗ってあって、小さく折りたためます。
この写真は、先日の坐禅会で、紹介したときのものです。わかりにくいと思いますが、右側の大きな器を「頭鉢(ずはつ)」と呼んで、お粥やご飯を入れる器です。木製のスプーンみたいなもので食べます。真ん中はタクアンの薄く切ったものを入れます。左はゴマ塩。朝はこれだけです。上の方に出ている細いヘラのようなものは「せつ」と呼んで、下の部分にガーゼが付いていて、お湯で器を洗うときに使うものです。すべて、この場で綺麗にして次に使えるようにするのです。
応量器という意味は、自分の食べる量だけいただいて、残さないで食べ切るという意味からだそうです。ですから、配膳の時から、一人ひとり、目の前で食べたい量だけ盛り付けていただくことになっています。
食べ出すと、あっという間に終わりますが、配膳盛り付けやお唱えの時間が長く、食べ終わったあと「おなか空いたなぁ」って笑い話みたいなホントの話なのです。
この写真は、先日の坐禅会で、紹介したときのものです。わかりにくいと思いますが、右側の大きな器を「頭鉢(ずはつ)」と呼んで、お粥やご飯を入れる器です。木製のスプーンみたいなもので食べます。真ん中はタクアンの薄く切ったものを入れます。左はゴマ塩。朝はこれだけです。上の方に出ている細いヘラのようなものは「せつ」と呼んで、下の部分にガーゼが付いていて、お湯で器を洗うときに使うものです。すべて、この場で綺麗にして次に使えるようにするのです。
応量器という意味は、自分の食べる量だけいただいて、残さないで食べ切るという意味からだそうです。ですから、配膳の時から、一人ひとり、目の前で食べたい量だけ盛り付けていただくことになっています。
食べ出すと、あっという間に終わりますが、配膳盛り付けやお唱えの時間が長く、食べ終わったあと「おなか空いたなぁ」って笑い話みたいなホントの話なのです。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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東京のお盆行持の後ですので、スタッフの疲労度が気になるところです。
戻してみました。今後ともチェックをよろしく!
そちらの方、集中豪雨心配ですね。