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西山荘

しばらくご無沙汰しておりました。茨城から帰山して、忙しくしておりました。茨城のレポートも中途でしたので、追加報告いたします。

今回の日程は12日間で、訪問範囲は全県に広がっていますが、今回は西南部、中部、東南部が多く、今までに紹介してきた地域でした。比較的北部方面は訪れませんでしたが、終盤の3日ほどは、やや北部の笠間、友部、常陸太田、日立を訪れました。

冒頭の写真は、常陸太田にあります水戸光圀公の別荘「西山荘」内の庭園の様子です。この地はお城のあった水戸とは、かなり離れています。入場券には葵の紋所の「いんろう」が印刷されています。廷内にはアヤメが綺麗に咲いていました。
 
光圀公は、隠居した元禄4年(1691)から亡くなるまでの10年間、「西山御殿」と呼ばれたここで過ごされて、「大日本史」の編纂にあたったといわれています。黄門様で知られる光圀公ですが、華美を嫌ったポリシーがあって、わずかな身の回りのものと書物だけを持ち寄ったそうで、そんな性格を感じさせる園内です。
 
現在、この西山荘は財団法人によって管理されていますが、規模は縮小されたそうですが、ほぼ昔の面影を残したまま、綺麗に整備され、保存されています。
 
紫陽花の花を撮るカメラマンの姿もありました。とにかく自然美しいところです。
 
奥の住まいへと続く道は、お成り道と呼ばれ、杉の大木が往時を感じさせてくれています。
 
奥の住まい入り口には、「突き上げ門」と呼ばれる光圀公が自ら考案したという簡易的な門が作られています。       
                        
この屋敷内に、助さんの家もあったそうで、その屋敷跡は見学できます。                   
こじんまりした建物の数々はよく復元されて、保存されています。山に囲まれ、自然豊かな閑静な別荘地でした。
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