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挨拶をしないと敵

大学構内の通常の時間帯に悲惨な事件が起きた。このことと若者が挨拶をしなくなったこととは、直接の関係は無いかも知れないが、大学のキャンパス内で麻薬の売買が行われたり、新興宗教の絶好の勧誘場所になっている事実を知れば知るほど、何でもありの不当な輩が入り込む余地を作る要因の一つになっているとは言えまいか。

 本日付けの産経新聞のコラム欄に、文芸評論家の野口武彦氏が「近い将来、挨拶をしなければ敵とみなす戦国時代が再現する」と指摘していることを紹介している。野口氏は数年前まで、大学教授をしていて、20年くらい前から、若者が挨拶をしなくなったことを危惧しているという。

 戦国時代、武士道では、きちんと挨拶が出来るということは、単なる道徳訓ということではなく、戦場で生き抜く力なのだそうだ。お互いに敵ではないことを示して、無駄な争いを避けるための生活の知恵なのだそうだ。

 当寺の境内でも思い当たることがある。境内を訪れる墓参者や参詣者で挨拶や会釈をしないケースが増えたことである。顔見知りの檀信徒の方は当然挨拶されるが、普段、顔馴染みではない親戚知人・一般者から、知らん顔をされることに驚く。もちろん身なりで、寺院関係者や住職と分からないのならばやむを得ないこともあろうが、僧服や作務衣姿の時、庭を掃除している時などにそうなのだから、何をか言わんやである。しかも、若者に限ったことでもないことに驚く。軽く見られる自分が悪いと思えばそれまでだが・・・。

 先ほどのコラムでは、「若者のマナーは(安全のためにも)変わらざるを得ないであろう。そんな時代が来ているかも知れない。」と結ぶ。

 当寺でも挨拶の徹底に努めていきたい。どうかご協力のほどを。

 
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コメント
 
 
 
では挨拶を… (ペコの飼い主の娘)
2009-01-17 02:12:31
今年もお世話になります。どうぞよろしくお願いしますm(__)m
 
 
 
挨拶 (zazen256)
2009-01-17 03:44:56
 挨拶をする習慣は世の中の微妙な習慣づけにあるのではないでしょうか。
 いろいろな場合があります。
顔見知りの人との挨拶。互いの気持ちの通じ合うひとと通じ合わない人との出会いのとき、互いに自然に表情に出て挨拶したりしなかったりします。
 学生たちとの出会いのとき。学生たちの方から挨拶するときには、こちらも嬉しくなり元気よく挨拶を交わします。しかし、黙ってすれ違う学生たちには当方から挨拶はしずらいです。

 とにかく深みのある微妙な習慣づけが世の中からなくなりつつあるように思います。その原因は赤ちゃん時代からの微妙な「しつけ」と幼児期からの生活体験にあるような気がします。

 無邪気な赤ちゃんには出来るだけ、こちらから進んで笑顔や動作で挨拶し、学生たちには挨拶されたときには喜んで、当方も元気よく挨拶を返します。
 街中ではできるだけ子供たちとの挨拶を気にするようにしています。
 
 
 
→ペコちゃんとこのおねえ様 (tera)
2009-01-17 07:48:27
こちらこそよろしくお願いします。皆様お元気ですか。ご丁寧に恐縮です。
尊い味方です(笑)
 
 
 
→zazen256さん (tera)
2009-01-17 08:09:46
ご丁寧にコメントありがとうございます。
ほんとうに小さいときからの習慣が大切なのだと思います。小さい子でも、親が意識して挨拶させている家庭は、お寺でもよく挨拶をします。

私も登下校中の子供たちに声をかけるようにしていますが、戸惑う子が多いです。挨拶を交わす習慣が希薄な社会なのですね。
 
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