新たなOPテーマとEDテーマが第38話から採用された「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」だが、この作品の最大のモチーフがやはり一極化という点にある事が示されてきた。無論、これは単純な一極化ではない。それはこの作品がフィクションだからに他ならない。現実世界では米国が「一極」であると言われており(現実的側面では、これは必ずしも真実ではない)、DESTINYにおいてはその役割を地球連合特に大西洋連邦に負わせていた。これは直線的で分かりやすいという批判が以前から為されていたのは事実であるし、大西洋連邦が主導して結成した世界安全保証条約機構(字句は第13話のカガリの手紙より引用)が「対テロ」或いは「対イラク」を標榜して世界を結集させようとした米国の姿勢を投影させようとしていたのは事実である(流石に「保証」のおかしさに気付いたのか先日刊行された小説版第2巻では「保障」に改められている)。話の後半においては対ロゴス(ロゴスとはDESTINYにおける軍産複合体の総称である)という文脈において世界を一つに結集した事への批判が描かれている。つまり、ロゴスは対テロの文脈で示されたイスラム原理過激派であり、この後ザフトの攻撃対象となるオーブにはイラクの役割を与えていると言えるだろう。ここで重要なのはオーブの描かれ方である。以前から指摘されているようにオーブには日本の姿が仮託されていると考えるのが常道である。つまり、大西洋連邦と言うアメリカに加担したオーブはロゴスの指導者ジ部リールを匿っているとして世界の敵として糾弾される。これは明日は我が身と言うように視聴者に提示しているのと等しいだろう。無論、明日は我が身論はある種の強迫性を有しているのは事実だ。しかしながら、明日は我が身論は現実から推論されない現実に基づいて提起される場合が多かったのもまた事実なのである。
以前、小生はこのBlogにおいてロゴスはイスラエルの暗示ではないかと言う事を言及した。新OP映像の最初にミネルバのパイロットの背景に何か城郭のような建物の門へと線路が通じているシーンが描かれている。この建物がどうしてもアウシュビッツ強制収容所の門に見えてしまうのは小生だけだろうか。つまり、ここで示されているのは一極主義とは最終的に人類の優良種論というナチス・ドイツが示した論理へと行き着くという製作者サイドの意図が見え隠れしているのではないだろうか(つまり、人類を導く優良種たるアメリカ人とその他という構図である)。そして一極主義を打破する事こそが正義なのだと言う論理を製作者は示そうとしている。
しかしながら、この短絡的な構図が正しいとは言えないのは誰もが容易に考え付く事だ。一極主義は必ずしもナチス・ドイツの優良種論と同じではない。確かに米国は世界の警察官を自負している面があるが、それはアメリカが選ばれた国家であると言う以前に米国が最善である為に自らの秩序を作り上げようとする国民に意思の表れである(そのような意思はどの国家も国民も有しているが、それを実現できるだけの国家資源と言うバックボーンを有していないだけなのである)。多元主義こそが最善と言うのは最もな論理である。しかし、現在の一極主義に見える世界も多元主義が基盤として存在しているが故の可視的一極主義なのである(米国も日欧露中の意見を常に考慮している)。アウシュビッツの幻想とは世間的に言えば、アウシュビッツに代表されるユダヤ人大量虐殺が存在していなかったというような論理を指して言われる言葉である。しかし、ここで着目したいのは必ずしもナチスは一極主義を目指していた訳では無いと言うことだ(ナチスは絶滅すべき民族とその他を峻別してはいた)。つまり、一極主義と優良種論をアウシュビッツをイメージさせる事によって同一化させるというDESTINYの危険性を我々は警戒の意識を持って考えていかねばならないだろう。